プロローグ 0
自殺を決行したのは、単純な理由からだった。
特に高尚な目的がある訳でもなく、誰かを見返したい気持ちもない。
――ただ漠然と、死にたい、と思ってしまったのだ。
……何故かって?
それはこの世界が地獄で、救いようがないから。
何処にも居場所がないのなら、この世界に価値はない。
目に映るすべてが嫌い。すべてが憎たらしくもそれ以上に恐ろしい。
すべてが自分に対して言っていたように感じられた。
死ね、死ね、死ね、死ね――
だから釣られるように思ったのだ。
……死にたい。
死んでしまうべきなのだと。
そうやって縄を吊るし、出来上がった輪に首を突っ込み――
そして、
そして――
――――――――あ。
◆◇◆◇
――今宵は満月。
真っ赤な満月だ。
血に染まった赤いまん丸なお月様が、夜空の中で浮かんでいた。
星々はきっと恐れをなして眠ってしまったに違いない。
だってそれならどうして、お月様はただ一人、寂しく光っているのだろう?
それは、確かに誰かが泣いているような、そんな寂しい夜だったのだ。
けれども――それは同時に、あまりにも残酷な夜でもあって。
「あ――ギィ、ギャアアアアアアア!!」
本来なら静謐な筈の闇に、絶叫が響き渡った。綺麗な布をズタズタに引き裂いたみたいな、痛々しくて汚らしい悲鳴。
声を発したのは、ボロボロになって倒れている男の悪魔だった。
綺麗な燕尾服は血塗れだし、山羊の角は折れているし、顔はグチャグチャで、文字通り雑巾のような肉塊に成り果ててしまっていた。
彼はこれでも格のある悪魔だったのだ。
なんせあの魔王の一の配下で、A級を超えたS級の強さがあって、“天使殺し”などという大層な二つ名持ちだったのである。
だが今の彼を見て、誰がそんな風に思えるのだろう。
虫みたいに痙攣して、ヒューヒュー、とか細い息を溢し、潰されていない方の左目は恐怖でひたすらに震えている。
そして彼ご自慢の、立派な蝙蝠の羽すら、もうなくなってしまっているのだった。むしり取られてその辺に捨てらしまったのだ。
それによく見れば……普通ならあるはずの右腕も、肩から無くなってしまっている。
一体こちらは何処に行ったのか?
「もぐ、もぐ、もぐぐ」
それは彼の側に立つ一人の少女を見れば一目瞭然だろう。
左手には身長を超える程の大鎌を携えながらも、まるで見せつけるかのように彼の“右腕”をもう片方の手で持ち、食んでいる。
バリバリ、モシャモシャ、モグモグ……。
お菓子でも食べてるみたいな気やすさで。そのせいで唇の周りはべっとりと血で汚れてしまっている。
男の悪魔は片目の瞳を動かし、その様子を見ていた。呆然としたように掠れた声で呟く。
「……この……怪物が……」
「ニャハ? 怪物?」
すると少女は食べるのをやめ、首を傾げる。
笑う口唇の隙間から、鋭い八重歯がちらりと見えて。
「ニャハハハ。面白いこと言うんだにゃねぇ。そっちの方こそ“悪魔”だってのに、その言い草はないにゃー」
それから「そもそも」と続けて、
「アタシは化け物じゃにゃくその前に“天使”にゃん。そこのところを忘れてもらっちゃ困るのにゃあ〜」
そう言う彼女の背には確かに、三対の大きな翼が生えていた。
だがそれは機械仕掛けの羽だ。灰色の鉄の塊の羽。
そして頭上には歯車の輪っかが浮いている。
煌めく白銀の長髪は有り得ない程艶やかだし、満月と同じ赤色の瞳はアイカメラで、隔絶した美を誇る顔はまさに作り物めいている。
そう。
この少女は聖書が言う天の使いでもなければ、物語に出てくる救い主でもない。
悪魔と戦う尖兵としてデザインされた機械人形だ。厳密にはホムンクルスのパーツも組み込んだ生体兵器でもあるのだが……ここでは割愛しよう。
とにかく、基本同一規格で生み出され、機械らしく連携して戦うことが得意な戦闘マシーン……それが天使なのである。
だが、この少女は飛び抜けて例外であるとだけは言っておこう。
少女は間違いなく、この世界でも指折りの強者だった。
「ニャハハハ、それにしても腕をもいだぐらいで、ギャアアア! だなんて本当に面白いにゃん。ニョクスちゃんはとっても愉快にゃん」
少女は馬鹿にしたように、言う。
――彼女の名前はニョクス・ケルビム。
全天使の中でも二番目に強いとされる“赤い月の不夜の魔女”。
天使の中でも異端中の異端児であり。その精神は残虐で、無邪気で、酷薄で、冷めている。
特に異常と言えるのが、飲食をしない天使でありながら今やっているように敵を――否、死んだ味方関係なく捕食することである。
これまで生まれて十七年、食べてきたものの数は数えきれない。
少なくとも普通の天使であった少女は、死んでいく仲間を忘れないよう、いつしかその一部を取り込み始めた。
それが二千四百九十三を超える頃、彼女は聖歌九隊に召し抱えられ、2493と名を変えたのである。
その力らは捕食した対象の能力を我が物とすること。
現在のニョクスはその“食べる”という行動に異様に執着する程狂っていた。
現に――あちこちに血溜まりが広がっているのに、死体がないのだ。すべてすべて、ニョクスに吸収された。
ここには三百を超える魔物と五名の精鋭の悪魔がいて、皆一生懸命戦ったのに。
やられて、破壊されて、一瞬で全部が――
男の悪魔はその生き残りであった。
しかも、絶望を見せつけようとしたニョクスの嫌がらせだった。
だがその気まぐれも、もうおしまい。
モグモグ、ごくん。
一気に腕を食べ終わり、ニョクスは嫣然と微笑むと、鎌を男の悪魔の胸に突き立てた。
「んじゃ、楽しかったにゃん。バイバイ♪」
「ま――」
悪魔が言葉を紡ぐ前に、鎌の刃が禍々しい赤色に輝いた。
途端に彼の体は溶けるように靄に変換され、みるみるうちに鎌に吸い込まれていった。
「さてと」
ニョクスは鎌を担ぎ直し、後ろを振り返る。
そこにあるのは大きな大きな、それこそ天を貫くように高い塔のような建造物。
古びているが重厚感に溢れた立派な作りをしている。
確か、元は旧エルトリア自治区の展望台だったはずだ。そこはかつて夜空の研究が盛んで、この“星の内側”についても調査を行っていた。
曰く、星は生きているのか。
だとしたらその魂は何処へ――
(ニャハ。けど今となっては笑えない話かもしれないにゃん。星は間違いなくこっちを見てるのだからにゃん)
それこそ――地上に生きる、あらゆるものすべてを。
かつて人類を滅ぼした魔機大戦。
そのゲームマスターは間違いなくこの星自体なのである。
そして、それは現在も引き続き行われている星のエネルギーの奪い合い――天使と悪魔の戦争においても、何も変わらない。
何も――
「ニャハ。本当に馬鹿らしいのにゃん」
そう溢して、ニョクスはバサリと六枚の翼を広げた。
途端に飛び立ち、ぐんぐんと上昇。
雲を突き抜け、やがて塔の天頂部分へ爪先立ちで降り立つと、杯を持つように掌を掲げる。
「さぁ――神なる星よ。姿を見せるのにゃん」
無詠唱で術式を起動した。
世界に干渉するためのプログラムを。
すると彼女の手の中に光が生まれた。それは段々と一つに凝縮されると、無色透明の球体となる。
これこそが、星のエネルギーを使用するために星自身が用意した土地の支配権源。
真核と呼ばれるそれは、条件を満たした者の前にのみ現れる。そしてその奪取方法は、手に触れて情報を刻みことだけ。
この核の奪い合うことで、天使と悪魔は戦争しているのである。
今回の戦いもそう。
悪魔側は真核を守るためここを砦にし、ニョクスはそこを責めた。
特に感慨などはない。いつも通り敵を殲滅して、いつも通り捕食した。
ニョクスにとってはそれだけだ。雑草を刈るぐらいの単純作業である。
だから正直ニョクスは、この仕事が面倒くさいと思っていた。
さっさと終わらせて、寝床で惰眠を貪りたい。
まあ、そうは言っても、
「――その前にやるべきことがあるにゃんけどね」
ニョクスは相変わらずな邪悪な笑みを浮かべる。
喜悦で歪んだ、鋭い八重歯を剥き出した笑顔だ。
そうして、
「接続開始――」
球体に再び光が集った。
ニョクスが力を注ぎ、無理やり真核へと干渉を始めたのだ。
無論、エラーの文字が脳内のディスプレイに大量に吐き出されるが、多重の並列演算でそれを捩じ伏せ、そのまま知覚機能をリンク。意識のみを星の奥深くへ潜らせる。
実は、真核は星が作り出した情報媒介でもあるのだ。そのため、接続すれば星の深部までその“記録”を読み取れる。だからこそ、ニョクスはここまでやった。
どうしてもやりたいことがあったから。
そのままどんどん、どんどん、沈んでいって。
遂に“それ”を見つけた。
(ニャハ。ビンゴにゃん)
ニョクスの笑みが深まる。
それは魂のアーカイブだった。
前述した通り、星は地上に生きるあらゆるものを観測する。そのため、その終わり――その死すらも星は記憶するのだ。
彼らがどんなことを思い、どんな一生を終えたのか。それらの情報の集積こそが魂のアーカイブである。
また、魂は宿った肉体が壊れても次の器に転生を繰り返す。その流れはログとして永久に残り、時には並行世界に行った魂ですら星はきちんと把握して、記録を取り続けているという。
そして、そのすべての情報を遡っていけば――
「………………………………………」
(……成程にゃん。ああ、つまりはそういうことかぁ)
くふふふ、と笑い声が漏れた。
知りたかった秘密の一部分を、今ニョクスは知った。
大変、満足だ。
ほら、やっぱり、そうだったもの。
まったくまったく、なんて馬鹿馬鹿しい話。
天使と悪魔の戦争の行き着く果てがこれだとは。
「あー。早くこの星、滅茶苦茶にならないかなぁ」
その事実にポツリと不満気にぼやいて。
――気分を切り替える。
「それじゃあ結末を書き変えるためにも――試すのにゃん。そうだなぁ。出来るだけ、“絶望してて、悲惨な奴”が良いにゃん」
そうやって、アーカイブ内を、検索、検索。
あ――これが良いかもしれない。
まだ大人にもなっておらず、いじめで自殺した若者の異世界人の魂。
それも純粋で、無知で、無謀さもあって、根っこの部分ではお人よしで……まさにぴったりじゃないか。
「なら、こことここをこうしてっと――にゃにゃん!」
ニョクスはその若者の魂に干渉し、本来ならば忘却するであろう人格データを保存した。
次に生まれ変わった時点で再ダウンロード出来るように術式で設定する。
ついでに、転生先も指定して――これで完了。
「ニャフフ。どんな感じになるのかにゃん」
楽しみだと呟き、少女は上を見上げる。
不吉さを象徴するような真っ赤なお月様。
月光に焦点の合わぬ虚な目を細め、舌なめずりをする。
「異世界の魂――本当に極上の食材にゃん。きっときっと、もっと美味しくなる筈にゃん」
涎がつぅと口の端から溢れて、ニョクスは恍惚とした表情となった。
ああ、つまみ食いが楽しみだなぁ。
「楽しみ、楽しみ。ニャッハ――ハハハハハ、アハハハハハハハハ!」
カラカラとした笑い声が、月の夜に溶けていった。
ざっくり設定1
天使
正式名称は対悪魔殲滅汎用的天開使徒兵器。絶滅した人類が残した兵器製造AIマザーが製造した悪魔と戦う尖兵。
機械大国の技術とホムンクルスの技術で作られており、半分機械で半分生物。
性別はないが各々女性寄り、男性寄りの特徴はあり、好きな性別を自称する(そのため男同士、女同士で付き合うこともあり、珍しいが何とも思われない)
寿命は平均2〜3年程度。何もしなけれは耐久年数は二百年ちょっと長いが、生きているだけで星のエネルギーを常に消費し、補給を必要とするため、一定期間エネルギーが断たれると全機能が停止する。また心を持っているため、恐怖で戦えないPTSD患者や、鬱を発生させる者もいるが、こういった者は後方支援や教育係に回され、使い物にならないと判断された時点で演算装置に組み込まれたり、バラバラにされて次の天使のパーツとして流用される。
悪魔
天使と敵対する生物兵器の尖兵。正確には人工的に作られた魔物のうち、特に意識を持ち強力な個体を悪魔と呼称する。
マザーと同じく絶滅した人類が残した兵器製造頭脳体ファザーが製造しており、マザーとファザーを生み出した国同士が戦争していたおかげで、天使とは今でもドンぱちやってる間柄。
抜きん出て強い悪魔は魔王という称号を与えられる。天使とは違い明確な雌雄の差が存在している。




