第2話 ナメクジの方がマシ
「あ……」
昼食を食べていると、ふと前世のことを思い出した。
日本の学生として過ごしていたおぼろげな記憶と、『ドラグ・マキナ』の世界で死闘を続けていた鮮烈な光景が脳裏に浮かぶ。
(そっか、転生してたのか……)
『世界が消えた無の空間で一人ぼっち』なんて最悪な展開にはならなかったらしい。
「り、リオル様?」
『リオル・オライオン』。それが生まれ変わった彼の名前だ。
前世の記憶を処理するためにフリーズしていたら心配されてしまった。
肉にフォークを差したまま、ぽかんとしていたら不審だろう。
リオルが振り向くとメイドが冷や汗を流していた。
メイドと言っても、メイド喫茶のキャピキャピした可愛いメイドじゃない。
家政婦さんと表現したほうが伝わり安いだろう。
顔に皺を刻んだ中年の女性がリオルの後ろに控えていた。
「も、もしや食事がお口に合いませんでしたか? すぐに作り直させます!」
「い、いや、食事に不満はないよ」
「そ、それでは私に粗相がありましたか!? も、申し訳ありません。すぐに対処いたしますので、どうかクビだけはお許しください!!」
「ぼーっとしてただけで何も不満は無いから!! 土下座するのを止めて貰えるかな!?」
自分よりも年上の土下座は心が痛む。
リオルはメイドを立ち上がらせ、バレないようにため息を吐いた。
(転生できたのは良かったけど……転生先が最悪だ。ナメクジにでも生まれた方がマシだった……)
『リオル・オライオン』はオライオン侯爵家の嫡男だ。
リオルが生まれた帝国において『侯爵家』は一番偉い貴族の位。もっと偉いのは皇族くらいである。
権力者の家に生まれたリオルは好き勝手に生きて来た。
欲しい物は金に物を言わせて奪い取り、気に入らない奴は権力で叩き潰す。
十歳と言う幼さで『悪い権力者の見本』みたいに成長しているのがリオルという少年だった。
メイドが土下座をしたのも、その性格を知っているからだろう。
(気持ち悪い……よりにもよって、自分がクソみたいなことをしてきたのがきつすぎる……)
前世の記憶が無かったとはいえ、リオルとして悪行を積み重ねたのは消えない事実。
悪行を楽しんできた記憶に、前世の人格が拒否反応を起こす。
胃がむかむかとして、ひっくり返りそうなほどに気分が悪かった。
「リオル様? 顔色がよろしくありませんが……」
「少し気分が悪くて……」
「それでしたら、スッキリするハーブティーがございますよ?」
「うん。貰うよ」
メイドはぽとぽとお茶を注いだ。ハーブの爽やかな匂いが鼻を通り抜ける。
差し出されたカップを受け取り、リオルは一気に飲み干した。
秋風のような爽快感が喉を吹き抜けた。
しかし、透き通るような味を汚す苦味が混じっていた。
「これ、なんか味が変じゃ――あぇ?」
言い終わる前に力が抜けた。ガシャンとカップが床に落ちる。
リオルがテーブルに倒れ込むと、料理の乗った皿がガシャガシャと音を立てた。
脳が霧に包まれたように、異常なほどの眠気が襲い掛かる。
必死にまぶたを持ち上げようとするが、重力に抗えずとろりと落ちていく。
「ね、眠ったから早くして!!」
メイドが内緒話でもするように、こしょこしょした声で叫んだ。
ゴゴゴゴ。
返事でもするように石を引きずるような音が鳴る。なにか重い扉でも開いたような感じだ。
コツコツ。コツコツ。
続いて複数人の足音が聞こえる。足音たちはリオルに近づいてくる。
「おいおい、そう焦るなって」
「焦るに決まってるでしょう。こんなところを見られたら、私は死刑よ!?」
「大丈夫だよ。ガキの一人くらいすぐに連れて行ける。アンタが教えてくれた抜け道を使えば、誰にも見つからずに出入りできるんだから」
聞き覚えの無い男の声が聞こえた。
話の内容から察するに、メイドが男たちを手引きしたらしい。
男たちは『抜け道』とやらを通って入って来たようだ。
リオルが住む屋敷は、何代も前の領主が作った大きな屋敷だ。リオルが知らない抜け道があっても不思議ではない。
その抜け道を使って、男たちはリオルを連れ出すつもりらしい。
(もしかして……誘拐? 早く逃げないと駄目なのに……体が動かない……)
逃げなければいけない。
そう頭では理解しているのだが、眠気にのしかかられた重たい体は動かない。
リオルの体が持ち上げられた。米俵のように担がれているのが分かる。
「ほら、早くそのガキを連れて行って! 身代金を受け取ったら、ちゃんと分け前を寄こしに来なさいよ!?」
「あー、それについてなんだけどさー」
「なに!? まさか、ここまで協力させといて、分け前を減ら――がふっ!?」
「アンタは用済みだから。分け前は無し」
小さなうめき声。ばたりと誰かが倒れたような音が聞こえた。
「用済みは処分したから、後は脅迫文を置いて……はい、撤収ー」
必死に意識を保っていたリオルだが、ついに力尽きて意識を手放した。