第1話 終幕
月に照らされた真っ白な花畑に鐘の音が響く。
震える空気を感じながら、一人の青年が花畑を進む。
黒いコートに身を包み。長い襟によって口元は見えない。死んだように目を曇らせて花畑を踏み進む。
歩き続けると青年は辿りついた。
真っ白な花畑にそびえる黒い十字架。そこには金属の人形が磔にされていた。
まるで竜と人を合わせたような人形だ。人のような体に、竜のような頭と翼が生えている。『竜人をイメージして作られたロボット』と言われれば納得するだろう。
放置された長い年月を表す様に、人形の体には赤さびが目立つ。まるでこびりついた返り血のように赤茶けていた。
鐘の音が響く。一度、二度、三度。
急かす様に鐘の音が早くなる。恐怖を感じた心臓のように、早く、強く、脈を打つ。
虫が這うように青年の体に寒気が走った。
ギギギ。
鐘の音が消え、磔にされた人形が軋んだ金属音を響かせた。
静寂に耳障りな金属音だけが響く。
パラパラと人形から錆が落ちる。寝起きで身じろぎをするように、人形の体が緩慢に動き出した。
ギギ――ギギギギギ!!
ゆっくりと人形は体を動かす。それだけで磔にしていた鉄杭が引き抜かれて、ぼろぼろと白い花畑へと落ちていく。
やがて全ての鉄杭が抜けた人形は、ふわりと綿毛のように花畑へ降り立った。
「ようやく。終わりだね」
青年は呟いた。いつの間にか、その手には一振りの刀が握られている。
刀身は夜のように黒いが、儚い瞬きを輝かせる星空のような刀だ。
青年は剣先を人形へと向け、挑戦状をたたきつける。
「悪いけれど、勝たせて貰――っ!?」
気がついた時には手遅れだった。人形の背中から長い尻尾が伸びていた。
剣のように鋭い尻尾が、青年の胸を貫いていた。
尻尾が引き抜かれ、傷口から鮮血が舞った。
流れる血は真っ白な花畑を染める。青年が力なく倒れると、白い花びらが舞い散った。
「――前言撤回。終わりは遠そうだね」
青年が呟く――流れていた血が青年へ巻き戻る。
赤く汚された花は白い純白へ戻った。青年は何事も無かったように立ち上がると、再び剣先を人形へと向ける。
ちらりと長い襟から口元が覗く。その口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「キミが死ぬまで戦いは終わらない。最後くらいは全力で楽しもうか」
「……」
人形が尻尾を動かすと同時に、青年が走り出した。
――青年と人形の戦闘が終わったのは、それからずっと後のことだった。
真っ白だった花畑は全て消えた。
赤茶けた地面に人形が転がる。もはや腕も尻尾も切り落とされた人形は動くことも無い。
勝者である青年だけが空に浮かぶ月を見上げていた。汚れたコートを払いながら青年は呟く。
「……これで本当に終わりかな」
見上げた星空がガラガラと崩れる。崩れた空は砂のように空気へ溶けていく。
空だけじゃない。建物、大地、空間。あらゆるものが崩れて消える。
「『ドラグ・マキナ』の世界に来たときは、どうなるかと思ったけど……なんとか終われるもんだね」
青年は外からこの世界にやって来ていた。この『ドラグ・マキナ』の世界に。
『ドラグ・マキナ』は有名な死にゲーだ。
人と文明が死んだ世界を、たった一人だけ生き残った主人公が冒険するアクションRPGである。
主人公の目的は世界を終わらせること。
延命され『錆びついた世界』を正しく終わらせるために、主人公は戦いを続ける。
それでも世界を終わらせる旅は過酷。主人公はなんども死を経験する。
呪いによって死ねない主人公は、何度も死を経験しながら世界を終幕へと導くのだ。
そんな主人公の役割を、なぜか青年は担うことになった。
ゲームの主人公と同じように、戦って戦って、死んで戦って、死んで戦って死んで死んで、死んで死んで死んで死死死死死死死――。
自分の名前も忘れるほど死に続けて、それでも戦った青年はようやく終わりを迎えた。
「……世界が終わった後はどうなるんだろう。ちゃんと死ねるのかな?」
ボロボロと崩れる世界。まるで穴が開いたように黒い空間が広がる。
もはや世界のほとんどが崩れ落ちた。崩壊は今にも青年を飲み込もうとしている。
青年は消えた空を見上げながら、全てが終わった後を考える。
世界が終わったとしても、不死である青年が死ねる保証は無い。
なにも無い空間で一人ぼっちの可能性だってある。
「どうせなら、また別の世界に行けたら嬉しいな……」
青年の呟きを飲み込むように、一つの世界が終わりを迎えた。