里帰り、するっす(前編)
朝の光が柔らかく差し込むリビング。まだ半分寝ているのか、眠そうに目を擦ってゆらゆらと体を揺らしながら寝室から下りてきたどってぃーは、ん~と寝言のように口を開いた。
「おい、朝ご飯~。ステーキがいい~」
いつもなら元気な返事と共に温かい湯気が立ち上った出来立ての食事が出てくるのだが、シーンとした静寂しか返ってこない。
「?おいー、返事しろやー」
まだ作っている最中かとキッチンを覗くが、誰もいない。首を傾げたどってぃーは、家中を探して回った。
「こらー!」
上の寝室にも…
「どこおんねん-!」
トイレにも…
「出てこいやー!」
お風呂場、ベランダ、冷蔵庫の中まで探したが、ゴロの姿はどこにもない。
「あんちゃん!あいつどこにもおらん!」
バンッとぽってぃーの寝室のドアを開けてそう言えば、部屋の主は何でもないように答えた。
「ああ、ゴロならお盆休みで今日から里帰りや」
「…はあああああああぁぁぁぁぁ⁉」
広い広い家に、どってぃーの大絶叫が木霊した。
*
「どってぃー先輩、作っておいたご飯食べてくれたっすかね」
のどかな田舎道を歩きながら、ゴロはどってぃーの事を案じていた。昨晩出発してぽってぃーに教えてもらった夜行バスに乗って一晩。そこからタクシーという贅沢にも程がある交通手段を使ったお陰で、丸一日ほどで帰ってくる事ができた。ぽってぃーとは前々からお盆休みに帰省させてもらう話をしていたのだが、自分の話に全く耳を貸さないどってぃーにこの件を伝える事はできなかった。黙って帰ってしまう不義理を許してくれるだろうかと心配するゴロだが、そもそも目障りな自分がいなくなるのだから思いっきり羽を伸ばしているかもしれない。恐らく合っているだろうが、こんな事を勝手に想像した事への罪悪感とその想像によって受けたダメージに気分が落ち込む。
暗い気持ちを振り払おうとブンブンと首を振り、久々ながらも慣れた道を歩いていくと、ポツンと建っている一軒の家が見えてきた。ゴロは嬉しそうに顔を輝かせると、足早にその家を目指す。玄関の扉を前にした時には、高揚感で息が上がっていた。
「ただいま帰ったっす!」
ガラリと扉を開けると、奥の部屋の方からバタバタといくつもの足音が聞こえてきた。
「「「兄ちゃ~ん!」」」
我先にと現れ、自分に突進するように抱きついてきた四匹のクマをゴロも満面の笑みで受け止める。
「シンタ!ミヨ!フタバ!カズヒコ!元気だったっすか?」
「兄ちゃん!ボクね、薪が割れるようになったよ!」
「すごいっす!カズヒコが薪を割ってくれたらシンタもとても助かるっすね!」
「兄ちゃん、ほら見て!これ私が縫った手ぬぐいなの!」
「ミヨは手先が器用っすから、覚えが早いっすね!とても上手にできてるっす!」
「兄ちゃん!この前ね、またクマ衛門が畑の野菜をつまみ食いしに来たの!でも私が追い払ったんだよ!」
「相変わらずフタバはお転婆っすね。悪戯小僧の相手をしてくれるのはいいっすが、怪我のない範囲で頼むっす」
「兄ちゃん!オレ、字が書けるようになったんだ!今度からばあちゃんだけじゃなくてオレも手紙書いていい?」
「もちろんっす!シンタの手紙、楽しみに待ってるっす!」
「ほらほら、お前達。久しぶりに会えて嬉しいのはわかるけど、荷物ぐらい置かせておやり」
次々と話される弟達の近況を聞いていたゴロは、遅れて出てきた人物を見て一層表情を明るくした。
「ばあちゃん!」
「おかえり、五郎。元気そうで何よりだよ」
まずはお上がりと優しく微笑む祖母に、少し照れくさそうにしながら頷いた。
「───さあ、たんとお食べ」
「「「いただきまーす!」」」
ズラリと並んだごちそうに競争するように手をつけ始める弟達の姿を微笑ましく見守りながら、久々の祖母の手料理に自分もウキウキと箸を伸ばす。
「五郎がたくさん仕送りをしてくれてるお陰で、商店で買えるものが増えてねぇ。毎日お腹いっぱい食べられるし、この間はフタバの誕生祝いに新しい着物を仕立ててあげられたんだよ」
「す、それは良かったっす。フタバ、後で着て見せてほしいっす」
「うん、いいよー」
料理に夢中な妹の適当な返事も愛おしく思える。手紙のやりとりで多少は聞いていたが、自分の頑張りで家族に楽をさせられている事が直接わかるとやっぱり嬉しい。
満足そうなゴロに大皿から取った料理の器を渡しながら、祖母は優しく言った。
「五郎も都会で暮らしてるんだから、自分用の服を買っていいんだよ。向こうでも割烹着とか、せいぜいエプロンぐらいしか持ってないんじゃないかい?」
「あ、そ、それが少し前にぽってぃー先輩がお買い物に誘ってくれて、お洋服を選んでくれたんす。Tシャツと、サロペットというオシャレなツナギを買ってみたっす」
「そうかい。手紙にもあったけど、優しい雇い主なんだねぇ」
「す、おいもそう思うっす。とてもお忙しいのに、おいが働きやすいようにいつも気にかけてくれるんす。あ、そうだ!」
ある事を思い出し、ゴロは食卓を離れて自分の荷物からある物を持ってくる。食事中に行儀が悪いかとも思ったが、この話の流れでぜひとも見てほしかった。
「じゃじゃーんっす!」
いつもより高いテンションを自覚しながら掲げてみせたのはスマホ。眩しく光るその白い板を見た弟達は、料理に集中していた手を止め興奮の表情で群がった。
「すっごーい!これスマホ⁉」
「初めて見た!これで電話したりお手紙を送ったりできるんだよね⁉」
「バカ!写真も撮れるし買い物だってできるんだぞ!」
「テレビも見れるって聞いたよ!」
「芸能人にならなくても自分の番組を放送できるってホント⁉」
「えー、それはさすがに迷信でしょ!」
わいわいと盛り上がるスマホの伝説談議に、祖母が一人麦茶を入れて回りながら話しかける。
「みんな、すまほに夢中になるのはいいけど先にご飯を食べなさい。明日帰るってわけでもないんだから、ゆっくり話を聞けばいいじゃないか」
「す、ごめんっすばあちゃん。みんな、ここは電波が届かないから全部は無理っすけど、後でいっぱい色んなアプリを見せるっす」
「「「やったー!」」」
そして再び料理へ伸びていく手を見ながら、ゴロと祖母は顔を見合わせて笑い合った。
*
すやすやと眠る四つの寝顔を確認し、ゴロはそっと蚊帳を閉じて居間へ戻る。
「やっとゆっくりできるね。お茶飲むかい?」
「す、ありがとうっすばあちゃん」
差し出されたグラスに入った麦茶を流し込むと、喋り通しだった喉が一気に潤うのを感じた。
「安心したよ」
「?」
首を傾げるゴロに、祖母は優しく笑って続けた。
「遠慮してばっかりで、自分の楽しみなんて二の次三の次だったお前が生き生きと奉公先の話をしているのを見てね。ぽってぃーさんだったかい?本当に感謝しなくちゃね」
「…そうっすね。まあ、どってぃー先輩にはまだ認めてもらえてないんすけど」
「弟さん、だったかね?小さい子っていうのは、何がきっかけで懐いてもらえるかわからないものだよ。あんまり気負わず、誠実に働けばいいさ」
安心感のある温かい言葉に、ゴロはほんの少し熱くなった目頭をごまかすようにコクコクと何度も頷く。
「…ばあちゃん」
「ん?」
「ありがとうっす。ばあちゃんが背中を押してくれたお陰っす」
「お礼を言うのはこっちだよ。いつもありがとうね」
「おい、頑張るっす」
「はいはい、ほどほどにね」
夏の夜風が揺らす風鈴の音が、ひどく懐かしい気持ちにさせる。毎年聞いているこの音色をまた聞けた事が、何だかとても嬉しかった。