健康、大事っす
どうしてこうなった。正座をしながらぽってぃーは思った。ゴゴゴゴゴ、とどす黒いオーラを背に立つゴロ。後ろでは、キッチンの陰からどってぃーが顔だけを出してこちらの様子を窺っている。
どうしてこうなった。もう一度頭の中で考える。上手くやれていたと思っていた。問題はない筈だった。ダラダラと嫌な汗が流れるのがわかるが、今指一本でも動かせばゴロ自慢のクマ料理として食卓に並べられてしまうような気がした。
「…おいの落ち度っす」
「え?」
「おいが…おいがちゃんと気をつけていれば、こんな事にはならなかったんす…!切腹してお詫びするっす…!」
「わー、待て待て!早まるな!お前は何も悪くない!わいが浅はかやったんや!」
「ゴロ、怖っ」
「見てんと手伝えどってぃー!」
包丁を振り回すゴロを取り押さえながら、ボソッと煽るどってぃーに助太刀を請う。
本当に、どうしてこうなった。大騒ぎとなったこの状況をどうにか収めようと奮闘しながら、ぽってぃーは数時間前の事を思い返した。
*
「ぽってぃー先輩、失礼してもいいっすか?」
ノックと共にかけられた声に、ぽってぃーはパソコンのキーボードを叩く手を止めた。
「何や、どうかしたか?」
「す、お仕事中申し訳ないっすが、ゴミ箱やシュレッダーの中身を回収させてほしいっす」
そう言われて、ふと画面が示す今日の日付を見る。ここのところ仕事が立て込んでいたせいか、気づけば一週間以上も部屋にこもってしまっていた。食事も部屋で取っていたので、トイレとシャワー以外はずっと部屋にいた事になる。一度没頭すると時間を忘れてしまうのが良くない癖だと思っているのだが、なかなか直らないものだ。
ゴロが気にかけてくれたので良かったが、確かにゴミ箱を見れば中身が溢れかえって床が散らかり放題だし、シュレッダーの方はケースがパンパンになっている。そういえば、何日か前にこれ以上処理できないというランプが点灯していたのを思い出す。その後溜まった書類は、シュレッダーの上だけでなくこちらも床に山積みになっていた。
「すまんな。頼んでええか?」
「す、失礼しますっす」
断りを入れてそっとドアを開けたゴロの顔が驚きの色に変わるのを見て、苦笑しながら頭を掻く。
「はは、またやってもうたわ」
「お疲れ様っす。お忙しいのはわかるっすが、あんまり根を詰めすぎるのも良くないっす。お風呂を沸かしてあるので、おいがこの部屋をお掃除する間ゆっくり入ってきてはどうっすか?」
「せやな、そうさせてもらうわ。あ、ついでにそこの棚に置いてるファイルも処分しといてくれるか?」
「わかりましたっす」
あくびをしながら部屋を後にするぽってぃーを見送り、よしと気合いを入れて掃除に取りかかった。
「───フゥ~、だいぶ片付いたっすね」
広い部屋を見渡し、額の汗を拭う。フローリングの床はピカピカ、埃一つ落ちていない。ゴミは全てゴミ袋に入れたし(一番大きな袋が五つ張り裂けそうな音を立てている)、シュレッダーの刃は切れ味が落ちていたのでオイルを差しておいた(動作確認でいらない紙を入れたら手ごと持っていかれそうになった)。
あとはぽってぃーに言われたファイルを処分するだけだと棚をゴソゴソいじっていると、あるファイルからひらりと一枚の紙が落ちた。
「す?」
ちゃんとファイリングされていなかったのかとその紙を拾うゴロ。折り畳まれたそれをそっと開くと、【〇〇年度 健康診断の結果】という文字が目に入った。
「健康診断…」
ふと思い当たったのは、ドルチェに所属する契約を交わした時に担当の社員が言っていた言葉だった。
─それから、ウチの事務所では年に一回健康診断を受けてもらっています
─健康診断、っすか?
─はい。病気や怪我は芸能活動に支障をきたしますから
なるほど、これはぽってぃーの健康診断の結果なのかと納得する。身長や体重だけでなく、綿検査や視力に聴力、胃の中まで検査されたのは記憶に新しい。自分の結果も数日前に届いたが、特に問題らしい問題もなくA判定を頂いた。昔から健康優良児だったのが地味に自慢なのである。
ぽってぃーもさぞいい結果なのだろうと紙に視線を落とすと【C判定】という文字が目に入り、ん?と固まる。いやいや見間違いだと首を振り、もう一度紙を見るがやはりどう見てもCだ。
(ど、どうして…まさか、どこか病気なんすか…⁉)
一気に不安が押し寄せ、悪いと思いながらもジッと各項目を熟読する。
「【脂肪綿が多く、腹囲が標準よりもかなりオーバーしています。食生活の改善や適度な運動等、生活習慣を見直しましょう】…腹、囲?」
腹囲。つまりお腹が出ているかどうかである。これを見て、ゴロはそういえばと日頃のぽってぃーの姿を思い出してみる。
お風呂上がりに必ず飲むいちごミルク。ゴクゴクと喉が鳴る度にぽよんと揺れるお腹。よっこいしょとソファから下りると、その勢いでたぷんと動くお腹。
元来テディベアは少しお腹が出ている方が可愛いとされているので気にした事はなかったが、確かに同じテディベアのどってぃーと比べると明らかに大きい。どってぃーの代謝がおかしいせいで感覚が麻痺してしまっていたが、食事は肉中心のご飯大盛り、休憩中だけでなく仕事をしている時にもおやつをつまんでいれば太らない方がおかしい。
ここでわなわなと紙を持つ手が震えるゴロに、更なる衝撃の事実が追い打ちをかけた。ファイルにはもう数枚の紙が挟まれており、それらは全て過去の健康診断の結果だった。そのどれを見ても、同じように体重や腹の出具合が指摘されている。それが意味するものはただ一つ、ぽってぃーはずっと太っていた。
「ゴロ、風呂ありがとな。部屋の片付けもすまんで」
都会に出てきてから過去最大級のショックの雷がゴロを襲う中、当の本人がバスタオルを肩にかけて顔を覗かせた。その手には、当然のようにいちごミルクが入ったグラスがある。
「ぽってぃー先輩…」
「何や?…あ」
ゴロの様子がおかしい事に気づいたぽってぃーが、彼の手にしている物を見て頬を引き攣らせる。
「あ、あー、その、それは…」
「ぽってぃー先輩」
「は、はい」
「ちょっと大事なお話があるっす」
「…はい」
黒く光る目と地を這うような声に、ぽってぃーはただ頷くしかなかった。
*
「おいが悪いんす!お世話する方の健康状態もロクに確認せずに、褒めてもらえる事が嬉しくてご飯を作り過ぎてしまったっす!せめてもっと栄養バランスを考えるべきだったんす!おいのせいでぽってぃー先輩のメタボに拍車がかかってしまったっす!」
「ち、違う!わいが自己申告せんかったのが悪いんや!憧れてくれとるゴロにええカッコしたくて言うに言えんかったんや!許してくれ!」
「めっちゃカオス」
キッチンの陰から二人のやりとりを眺めるどってぃーは、ポテトチップスを食べながら感想を呟く。自身の代謝の異常さがこの事態の原因の一端となっている事など知る由もない。
「決めたっす」
「な、何をや?」
ピタリと止まり低い声でそう言うゴロに、ぽってぃーは恐る恐る尋ねる。
「おいが責任を持ってぽってぃー先輩を痩せさせてみせるっす!明日から、いえ、今夜からぽってぃー先輩のお食事は別メニューにするっす!野菜中心、お肉ではなくお魚、もちろんおやつもジュースも禁止っす!」
「な、ま、待ってくれ!後生や!おやつとジュースは堪忍してくれ!」
「ダメっす!これも全てはぽってぃー先輩の健康のためっす!おい、心を鬼にするっす!」
ゴオオオオ、と決意の炎を目に宿したゴロを止める事は誰にもできない。憧れの存在を堕落させた罪を償うべく、まずはスマホでダイエットメニューを検索するのだった。




