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都会、すごいっす(前編)

 ぬいぐるみ。その存在は時に癒やしを与え、時に心の()(どころ)となる。

 これはそんなぬいぐるみ達だけが暮らす世界のお話。ある国の山奥、そのまた山奥にある山奥。大自然の中、明るい家族に囲まれる毎日を送っていた一匹のクマのぬいぐるみが夢を抱き、上京する事を決意したところから物語は始まる。

《ご乗車ありがとうございました。西の中心~、西の中心です。お忘れ物のないようご注意ください》

 アナウンスが響き渡る新幹線のホーム。多くのぬいぐるみが車内から出てくる。濁流(だくりゅう)のようなその流れに巻き込まれるようにして、一匹のクマのぬいぐるみがホームに転げ落ちた。

 茶色い毛に覆われた体、胸元には三日月形の白い模様が描いてある。背中に背負うのは、唐草(からくさ)模様の緑の風呂敷。ベタにも程がある田舎者の上京という出で立ちの彼は、新幹線を降りてからも目を回しながら人混みに揉まれ続け、何とかヨロヨロとホームの柱に寄りかかった。

 こんなにもたくさんの人、いやぬいぐるみを見たのは初めてだ。故郷の村を出発して一日半、バスや電車をいくつも乗り継いでようやくここまで辿り着いた。乗り物に慣れていない自分を気遣って、村から一番近くにある町でいつも世話になっている商店の主人が酔い止めなる薬を持たせてくれたのだが、混雑に酔っている今こそ飲むべきかもしれない。

 ホームのベンチに腰かけ、風呂敷から薬と水筒を取り出す。薬はともかく、飲み慣れた故郷の水を飲むと自然とホッとした。しかし、その水ももうあと少ししか残っていないのを見ると、改めて遠くまで出てきたのだと実感する。

「さて、ここからどうしたらいいんすかね」

 風呂敷からゴソゴソと一枚のメモを取り出す。どこかの住所と思われるものと電話番号、その下に最寄り駅が書かれているだけのシンプルなそれを見てある筈のない眉を不安げに下げる。周りを見れば、オシャレな格好をしたぬいぐるみ達が堂々とした様子で行き交っている。

 とりあえず、新幹線に乗った時のようにこのメモにある最寄り駅への行き方を駅員に聞いてみよう。ゆっくりと深呼吸をすると、彼は改札へ向かう階段へと歩いていった。



「───ここ、っすね」

 メモを確認しながら、目の前にそびえ立つ大きなマンションを見上げる。あれから慣れない都会の公共交通機関に四苦八苦しながら、やっとこさ目的の場所まで来る事ができた。首が痛くなるほど見上げても、最上階が見えない。こんなにも高い建物は、故郷では見た事がない。よく遊んでいた樹齢何百年の木だってこれの半分もなかった。道中、車窓(しゃそう)から見ていた光景も生まれて初めて見るものだらけで、高揚(こうよう)感を覚えると共に本当にここでやっていけるのかという不安もある。

 いや、決めたではないか。自分は故郷の家族に楽をさせてやるため、そして何よりも自分の夢のために奉公(ほうこう)をするのだと。田舎者の自分を雇ってくれた雇い主のためにも、精一杯働くのだ。

 そう決意を新たにしたはいいが、彼は早速壁にぶち当たっていた。

「扉が開かないっす…」

 大きなガラスのドアを前に、ポツンと立ち尽くす。思いっきり押してもビクともしないし、引いてみようにもまず取っ手が見つからない。都会には前に立つだけで開く自動ドアというものがある事は聞いていたが、どれほど近づいてもうんともすんとも言わない。

 どうしたものか。故郷の電車やバスの本数の関係で予定よりもだいぶ余裕を持って到着できたというのに、中へ入る手段がわからず気づけば約束の時間ギリギリになってしまっている。電話をして雇い主に教えてもらおうにも、ここまでの道で公衆電話は一つも見かけなかった。都会の人間は”すまほ”という小さな電話を使うからあまり需要がないのだという迷信を思い出し、あれは本当の事だったのかとしょんぼりする。

「駅まで戻ったら電話を貸してくれるっすかね?」

 そう思い引き返そうとしたその時、ドアの向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。驚いた事に、びっちり閉まっているドアに向かって鍵を取り出すでもなく、立ち止まろうとするでもなく歩く速度を緩める気配がない。

 もしかして、ドアがガラス張りだから閉まっている事に気づいていないのだろうか。声をかけるべきかオロオロしていると、先程までの自分の苦労は何だったのかと思うほどその人物がドアの前まで行くと何をするでもなくあっさりとドアは開いた。

「す?」

 ポカンとする自分には気づかず、すぐ側を通り過ぎていくぬいぐるみ。何が起きたのかわからないが、とにかくドアが開いた今がチャンスだと慌てて中へ入る。建物の中はまるで別世界のようだった。見るからに高級そうなソファやテーブルが置かれているし、高い天井からはシャンデリアがキラキラと宝石のように輝いている。どれもこれも噂で聞いた事のあるものばかりで、一気に自分の田舎臭さが(きわ)立った気がする。

 さて、またここで次の壁が待ち受けていた。

「エレベーターに乗れないっす…」

 エレベーターホールと思われる場所でまたしても立ち尽くす。まずエレベーターを呼ぶボタンがない。謎の四角い枠があるだけだ。せっかく駅でエレベーターの乗り方を覚えたばかりだというのにそれを実践する事もできないとは、世の中は何とも無情である。

 約束の時間まで残りわずか。もう間に合わないかもしれないと途方に暮れていると、後ろから声をかけられた。

「失礼ですが、こちらにお住まいの方でしょうか?」

 振り返ると、きれいな制服を着た猫のぬいぐるみが立っている。自分以外の人物がいた事に気づかなかったが、これは渡りに船だ。(わら)にも(すが)る思いで尋ねる。

「あ、あの、この方のお宅に伺いたいのですが、どうやって上まで行けばいいっすか?」

 メモを見せると、女性と思われるそのぬいぐるみは頷きこちらへどうぞとソファへ案内される。

「少々お待ちください。確認を取らせて頂きます」

 そう言って、その場を立ち去る。中へ入った時はこのソファ達の存在感に視線が釘づけになってしまっていたが、ドアを挟んで反対側にカウンターがあり、女はそこで誰かに電話をしている。

 しばらくして戻ってきた彼女は、(うやうや)しく頭を下げると笑顔で言った。

「お待たせ致しました。ではご案内させて頂きます」

 そして再びエレベーターホールまで来ると、女はカードを取り出しあの謎の四角い枠にかざした。ピピッと音が鳴り、一番奥のエレベーターのドアが開く。驚いている顔を見た女が、微笑みながら説明する。

「当マンションは、セキュリティ対策として実際に住んでおられる入居者様か、(わたくし)共コンシェルジュのように専用のカードキーを持っている人間のみがエレベーターを使用する事ができます。カードキーはお住まいの階と共有部分のみに止まるようになっておりますので、お客様がお部屋まで行く方法は基本的に入居者様がご一緒の時だけとなります。確認させて頂いたところ、家主の方が今手が離せないとの事でしたので、今回は(わたくし)が代わりにお送りさせて頂きます」

「す、ありがとうございますっす。お手数おかけしますっす」

 エレベーターはぐんぐん上へと上がっていき、最上階で止まった。外に出ると廊下が続いており、床にはふかふかの絨毯(じゅうたん)、壁には柔らかい明かりを(とも)したランプがついている。

 やがてコンシェルジュの女が足を止めると、そこには玄関と(おぼ)しき扉があった。

「こちらでございます」

「す、ありがとうございますっす」

「いえ。では、(わたくし)はこれで失礼致します」

 深くお辞儀をすると、女はエレベーターホールの方へ戻っていく。残された彼は、ドキドキと心臓の音が鳴っているのを感じながら玄関の前に立っていた。

 この扉の向こうにいるのは、この国でも指折りの人気を誇るパフォーマーだ。多忙を極めるその人物の身の回りの世話をする、それが自分に課された役目である。

(どんな人なんすかね?やっぱり、プロ意識が高くて“おーら”がすごいんすかね?)

 憧れの存在の側で働ける。田舎者の自分にとっては、まさに夢のような仕事だ。緊張しながらインターホンを鳴らすと、一拍置いて声が聞こえた。

《はい》

「あ、あの、今日からお世話になります。ゴロと申しますっす」

《はいはい、どうぞ》

 返事と共に鍵が開く音がする。恐る恐る扉を開き、中へ入る。

「す⁉」

 広い。めちゃくちゃ広い。玄関だけで実家の炊事場(すいじば)くらいの面積がある。そこから伸びる廊下は、全力で走れるほど長い。途中いくつか部屋があるが、ドアとドアの間隔がかなり空いている。つまりそれぞれの部屋もそれだけ広いという事だ。

 大理石の玄関の床、そして真っ白なフローリングの廊下の輝きに完全に圧倒されていると、右側一番奥の部屋のドアが開いた。

「あ、どうもお疲れ様です」

 出てきたのは自分よりも少し薄い茶色のクマ。ゴロとは違い、二足歩行をしている。テディベアというやつだ。

 かけていた眼鏡を取りながら歩いてくる彼の名前は、でぃあ・ぽってぃー。数々の名タレントを輩出(はいしゅつ)している芸能事務所ドルチェに所属しているパフォーマーである。

 老若男女問わず絶大な支持を得ている彼の存在は、山奥の田舎に住むゴロに衝撃を与えた。事務所が毎年年末に(おこな)っているドルチェ・ステージ、ドルチェの所属タレントがライブやトークショーなどを披露するそのステージの再放送をたまたまおつかいに出た時に町の家電量販店のテレビで見た時は、同じクマなのにただならぬオーラをまとう姿に感動で震えたものだ。まさに憧れ、雲の上の人、いやクマなのである。

 一度でいいから生でパフォーマンスをしているところを見てみたい。しかし彼の住む村は田舎も田舎、電気はおろか水道すら通っていないような所だったので、ステージを観に行くどころか一番近い都会に出る事も叶わないほどの貧乏生活だった。

 そんな中、まさに奇跡とも思える知らせが彼の耳に入った。あのでぃあ・ぽってぃーが、住み込みのハウスキーパーを募集するというのだ。何の運命の巡り合わせか、これまたたまたま町へ下りてきた時におつかい先の主人が教えてくれたのだ。

 ゴロは悩んだ。ハウスキーパーとは、とどのつまり家政婦という事だ。家事は全般できるゴロだったが、あのぽってぃーの住む家だ。自分の家のように(まき)を割って火を起こし、井戸から水を汲んで食事を作ったりお風呂に入ったり、ロウソクを(とも)して夜を過ごすような生活を送っている筈がない。噂や迷信で聞く夢物語のような都会の暮らしをしているに違いないのだ。自分がそんな生活を送るだけでなく、”カデン”という色々と自動で家事をこなしてくれる機械を使いこなして憧れの相手の世話をするなどという芸当が果たして自分にできるのかと。

 所詮(しょせん)は叶わぬ夢だと諦めていたゴロの背中を押してくれたのは、彼の祖母だった。夢を見るのは自由だ、どうせ無理だとわかっているなら挑戦しなかった後悔を残すよりも無謀な夢に挑戦したのだと胸を張れる道を選びなさいと。弟や妹が多く、幼い頃から我慢をしがちだったゴロが初めて抱いた夢だ。とことん応援したいのだと言ってくれた祖母のためにも、彼は一歩踏み出す勇気を出した。

 ”うぇぶ”を使う応募書類などの(たぐい)はさっぱりわからなかったので、ゴロは手紙を書く事にした。ぽってぃーに対する憧れとそのサポートをしたいという情熱、(つたな)い言葉だらけだったがゴロは懸命に自身の想いを紙に(つづ)った。その結果、何の奇跡か殺到した数々の応募の中で見事合格を勝ち取ったのだ。郵便で届いた合格通知を手にした時は、呼吸が止まりぶっ倒れたのも記憶に新しい。

 そして今、ゴロは憧れ続けたぽってぃーの前に立っている。また卒倒しそうなのを必死に(こら)えていると、ぽってぃーは右手を差し出した。

「初めまして。ぽってぃーです。この度はよろしくお願いします」

「す、す、ゴロです。こちらこそよろしくお願いしますっす!」

 夢なら覚めないでほしい。そう願いながら、ゴロはギュッと握手を交わした。

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