副将戦 Ⅰ
イーダスハイム龍王国の、予想外の3連勝から一夜明けた今日。副将戦と大将戦が行われる更地へ向けて、フライングパンケーキ号が飛んでいた。
内部の豪華なフロアでは、ディー=ソニアが入念な準備運動を行っている。その様子を、ソファに座る魔王ロックと宰相アビゲイルが見守っていた。
やがてひと息ついたディー=ソニアに、魔王が声をかける。
「まあ、元々緩衝地帯の支配権は必要なかったが、流石に3連敗は痛いな。ポイントであまりに差が付くと、後の条約締結で面倒な事になる。副将戦は何としても勝ってもらわねばならん」
ディー=ソニアは流れる汗を拭きながら、常温の水で喉を潤す。唇の端から零れた水を腕で拭うと、魔王を見てにやりと笑った。
「政治は魔王の仕事でしょ。私は好きにやらせてもらう。なにせ、ようやくオーカイザーと戦れるんだから。私の技があの肉体にどこまで通用するか、心ゆくまで試してやる」
そしてディー=ソニアは再び三戦立ちになり、闘気を練り始める。こうなっては何を言おうが聞き入れまい。
魔王ロックは肩をすくめると、上等なワインの封を切り、大将戦への英気を養うのであった。
◆◆◆◆◆
闘技場では、昨日にも増して観客の熱気が渦巻いていた。
観客の安全を考慮し、副将戦と大将戦は闘技場から離れた場所で行われ、闘技場ではその様子が巨大な映像として投影される。それでも、噂に聞くナナシ・オーカイザーや、聖龍連峰ナンバー7である黒龍の戦う姿を見られるとあっては、観客の期待が膨らむのもやむなしと言えよう。
現地の場所は双方の上層部のみに伝えられ、厳選したスタッフ数名だけが待機する事となっていた。
ルビオナ王国側は、フライングパンケーキ号に、代表戦参加者と数名の救護スタッフが乗り込んでいる。そしてイーダスハイム龍王国側は、黒龍が運ぶ客車にキーラとモニカが乗っていた。
また黒龍の客車には、運営スタッフとして、録画用ゴーレムの補充を担う龍種が2名同乗している。魔法や龍の息吹が飛び交う戦場での作業を安全に行えるのは、龍種を置いて他にはいない。
「さあ、ついに大英雄ナナシ公爵の戦いが始まるぞーッ! 賭け率はなんとディー=ソニア4.5倍対ナナシ公爵1.1倍! 大英雄ナナシが圧倒的な人気だ! 果たして勝負の行方はどうなるのか、ディー=ソニアがどこまで食い下がるか、解説の獣兵衛さんどうご覧になりますか?」
闘技場の巨大な映像には、ディー=ソニアがフライングパンケーキ号から降り立つ様子が映し出されている。それを見ながら、羽生美強が所見を述べた。
「いや、こいつは強ぇえな。聞けば鬼人流空手とやらを使うそうじゃねえか。坊……ナナシが強ぇえつっても、技の方はまだまだ素人に毛が生えたようなもんだしな、こりゃあ一筋縄ではいかねえぞ」
「これは思わぬ高評価だ! ディー=ソニアはそこまで強いんでしょうか、マイスラさん?」
話を振られたマイスラが腕組みをして答える。
「単純な強さで言えば、ディー=ソニアは魔王七本槍で最強よ。一足一刀の距離で向かい合っての開始なら、“三輝”グレースよりも強いと思う。むしろナナシはちょっとやそっとじゃ勝てないでしょうね」
「マイスラさんからも驚きの分析が飛び出した! これは賭け率にも影響が大きいか! 現地ではシューグオ王妃殿下に運ばれて、ナナシ公爵が今、到着だ!」
10メートル程の距離を置いて対峙するディー=ソニアとナナシ。2メートル88センチの鬼人と4メートルのオークにとっては、一足一刀の間合いである。
フライングパンケーキ号と、黒龍の持つ客車がその場を離れ、現地の上空に花火が一発上がった。試合開始の合図である。
「さあ試合が始まった! 賭け率は一気に変動してディー=ソニア2倍対ナナシ公爵1.6倍の接戦だ! 果たして勝つのはどっちだーッ!?」
マクシミリアンの実況が響く中、ディー=ソニアはゆっくりとナナシに向かって歩き出した。何の構えもなく、自然体で歩いてくるディー=ソニアに、ナナシは戸惑い立ち尽くす。
ナナシの目前まで近づいたディー=ソニアは、スッと右手を差し出した。
「貴方と戦えるのをずっと待っていた。今日は全力で、心ゆくまで死合いましょう」
「あ……はは、どうかお手柔らかに……」
いつぞや聞いたような物騒な申し出に、苦笑いで握手を返すナナシ。するとディー=ソニアはその手をグッと引き寄せ、前のめりになったナナシの耳元で囁く。
「私も筋力と耐久力は神域なの。遠慮してたらマジで死ぬから、よろしくね」
突然の情報開示に驚くナナシをよそに、ディー=ソニアはひと飛びで10メートルほど飛び退ると、右手を前に、左拳を腰だめに構えた。この距離ならば一足一刀であると暗に示したのだ。
「さすがは鬼人流空手創始者、試合前に挨拶とは礼儀正しい! ところで、ディー=ソニアがナナシ公爵に何やら囁いていたようですが、獣兵衛さん、いったい何を話していたと思われます?」
録画用ゴーレムに拾われないよう、小声で囁いたディー=ソニアの会話。実況担当のマクシミリアンとしては、触れないわけにはいかない。
「そうさなあ、ナナシはああ見えて戦いに関しちゃあぼんやりしてっから、気合い入れんのになんぞ煽ったんじゃねえか。死合うんなら、はなっから全力出してもらわねえとな」
いかにも戦闘狂らしい美強の見立てに、マイスラも同意する。
「あの子、ナナシと戦えるのすごく楽しみにしてたから、おおむねそんな所でしょうね。最初の一発で決着しちゃったらつまんないでしょ」
「どうやらナナシ公爵へ喝を入れたようだ! これはナナシ公爵も本気にならざるを得ない! さあ、いったいどんな戦いが繰り広げられるのか……おおっと、ディー=ソニアが仕掛けた!」
地を蹴る反動ではなく重力を利用する事で、初動のタイミング、すなわち「機」を読ませぬディー=ソニアの踏み込み。磨き上げたその術理に、エネルギーの流れを見る事のできるナナシでさえ虚を突かれてしまう。
10メートルの距離を一足で接近したディー=ソニアは、ナナシの顎と腹部を狙って、両拳を同時に突き出した。移動の運動エネルギーが乗った諸手突きは、神域に至る筋力も相まって、オーク上位種ですら一撃で絶命させうる威力である。
ナナシは手に持った金剛鋼の剣で咄嗟に顔を庇う。格闘技においては一点を集中して見ず、全体を捉える事が肝要と言われる。しかし格闘技の経験が浅いナナシは、ついひとつの攻撃に集中してしまったのだ。
ディー=ソニアの拳は、ナナシの魔力によって強化された剣を易々と砕き、ナナシの顎を捉える。同時に腹部を襲った拳が、ナナシの内臓を衝撃波でかき回した。
ナナシは顎を文字通り粉砕され、数歩後方へとよろめく。そこへディー=ソニアが追撃の足刀を叩き込んだ。体内で増幅された衝撃波が、ナナシの背中を装甲ごと爆ぜさせて、大量の血と肉片が飛び散った。
真に恐ろしいのは、これだけの破壊力を持った打撃にもかかわらず、ナナシの体は吹っ飛ばされていない事である。叩きつけられた運動エネルギーは、全てナナシの肉体を破壊する事に使われているのだ。
これにより、ナナシの体はディー=ソニアの攻撃圏内へ留まり続け、さらなる追撃を許す事となってしまう。
一撃一撃が必殺の威力を持った連撃に対し、ナナシは背中を丸めて両腕で頭部をガードした体勢で耐えるしかない。ディー=ソニアの打撃により、ナナシの外骨格風鎧はあっという間に粉砕され、肉は爆ぜ骨は砕かれる。
しかし、神域130を誇るナナシの耐久力は、受けた傷を瞬時に再生してゆく。攻撃速度にも慣れて来たナナシは、ディー=ソニアの蹴りに合わせて体当たりを試みる。
格闘家ならば、軸足を狙ったタックルを選択する所であるが、ナナシはただ肩口から前へと突進するだけであった。ディー=ソニアは、これを両手でいなしながら、ナナシの背後へと回り込む。
ナナシはそのまま走り続け、いったん距離をとると見せかけ、振り向きざま空中へと飛び上がった。そして両手を組んで大きく振りかぶると、空中からディー=ソニアへと拳を叩きつける。たとえ攻撃をかわされても、そのまま地面を打ちつけて、その衝撃でディー=ソニアを空中へと打ち上げる算段だ。
とはいえ、こんな大振りの攻撃にひるむディー=ソニアではない。軽くバックステップをして距離を測ると、ナナシが拳を振り下ろすのをかわしざま、胴回し回転蹴りの要領でナナシの頭部に蹴りを叩き込んだ。
頭頂部を強かに蹴られ、ナナシは顎を地面で強打する。その反動で仰向けに転がったナナシは、そのままゴロゴロと後方へ転がって距離を取った。
「おおーっと、これは意外! あまりにも一方的な展開だーッ! ナナシ公爵は良い所がありませんね、獣兵衛さん」
闘技場ではマクシミリアンの実況が観客の心情を代弁していた。
「まあ、技術の差で言やあ順当な結果だあな。とはいえ、ナナシの方にちょっとばっかし必死さが足りねえようには思えるな。領地獲得が決まっちまってるんで、あんまり身が入ってねえのか」
美強が顎を掻きながら言う。その横で腕組みをしたマイスラがため息を吐いた。
「はぁ、これはちょっといただけないわねえ。せっかく楽しみにしてたディー=ソニアが可哀想。やるならやるで本気出してもらわないと」
「マイスラさんからも苦言が出た! とはいえ常人ならば何度も死んでいるような攻撃に耐えているナナシ公爵が、はたして本気を出していないのでしょうか!? このまま終わってしまわぬよう、ナナシ公爵の奮起に期待したい!」




