抑止力
人類の歴史上初めて、惑星上において起爆した『反物質召喚爆破』の威力は、想像を絶するものであった。
対消滅によって発生した莫大な熱エネルギーとガンマ線により、瞬間的に太陽表面温度をも超える巨大な火球が形成される。この火球がマイクロ秒で膨張する事により発生した、恐るべき威力の衝撃波と爆風が、周囲のあらゆるものを粉砕し薙ぎ払う。
この爆風による殺傷半径は10キロメートル、放射される熱線の効果範囲は実に半径20キロメートルに達した。そして、上昇していく火球と、気圧差により吸い込まれていく空気や破砕物により、特徴的なあのキノコ雲が形成されてゆく。
この世界において、ついに戦争は新たな段階へと移行した。
◆◆◆◆◆
『反物質召喚爆破』の爆発と発生したキノコ雲は、城塞都市リュテス付近の魔王と勇者たちからも観測できるほどであった。立て続けに上がったふた筋のキノコ雲を見た勇者ダミアンは、激昂して魔王ロックに詰め寄る。
「魔王! 貴様なんてことを!」
しかし、当のロックはそんなダミアンを鼻で笑う。
「我が軍の作戦に何か文句があるのか? 君も使ったろう、我が魔王城でな。しかもリュテス兵だけを対象にした我が軍と違い、君の方は民間人すら巻き込もうとしたではないか」
ロックの指摘に、ダミアンは言葉を詰まらせる。以前のダミアンならば、己を恥じたまま引き下がったかもしれない。だが、今の彼は違う。過去は変えられないとしても、未来の為にできる事があるならば。
「あれは僕が間違っていた! この魔法は使ってはいけないものなんだ!」
「偶々ナナシに防いでもらったとはいえ、ずいぶん軽い言い草だな。使える魔法はいつか使われる、それが世の摂理だ。問題はこれからどうするかだよ」
「これからだって?」
「いちど使われてしまえば、次に使う心理的障壁は格段に下がるだろう。そうさせない為には、相手が使えばこちらも使うという抑止効果が必要になる。すなわち、相互確証破壊という概念だ」
「なっ……そんなことを言った所で、報復合戦になって世界が滅ぶのが先じゃないのか」
「まあ、その可能性が無いとは言えんな。もっとも、この世界は何度も滅びかけてるんだ。最近でも奈落落としは本当に危うかった。これもそういった危機のひとつに過ぎない。いずれ対処は必要だったのだ」
「だったらどうするんだ? 少なくともフレッチーリ王国からの報復はあるんじゃないか」
「フレッチーリ王国が? エルフも魔王種もいない国が、どうやってルビオナ国内で戦略級殲滅魔法を発動するんだ? 人間の魔術師なんぞが固まって動いていれば、すぐに見つかるだろう。それとも、君がやるというのかね、勇者ダミアン?」
「僕は……もしこれ以上そっちが『反物質召喚爆破』を使うというなら、黙って見ている訳にはいかない。覚悟を決めるよ」
「なるほど、そういう事ならば、我が軍はこれ以上この魔法は使わないでおこう。これが抑止効果というやつだよ。早速実践してくれてありがとう」
「……フレッチーリ王国はこれで守られるとしても、他の国はどうなるんだ。僕が全ての国を守ればいいのか」
「何を言っている。ここから先は外交だよ。西方諸国、ひいてはこの大陸全てが守るべき国際条約を作るんだ。その為には、誰かがこの魔法を使ってみせる必要があった。私の名は恐怖と共に歴史に刻まれるだろう。だがそれでいい」
「だとしても実戦で使う必要がどこにあった? 威力だけなら実験で十分だったろう」
「血と痛みを伴わずして、人類が危機感を覚えるものか。何度でも言うが、君だって気軽に使おうとしていただろう?」
ダミアンは今度こそ言葉に詰まってしまった。確かに、誰かが悲惨な目に合わなければ、誰しも実感を伴って恐れはしないだろう。
黙り込むダミアンを尻目に、ロックは情報官カゲマルに指示を出し始めた。そしてダミアンにも声をかける。
「話し合いはまた後だ。ぐずぐずしていたら、放射性物質を含んだ雨が降って来るぞ。屋根のある場所に避難した方がいい」
◆◆◆◆◆
その頃、ナナシはイーダスハイムの首都、城塞都市ゴーザシルトでロジーナ姫と会談していた。ゴーザシルト城のテラスでティータイムがてら、結婚式に出席する時の服装や作法についての話し合いである。
対消滅により発生したキノコ雲は成層圏にまで達しており、発生場所から150キロメートル離れたこのゴーザシルトでも観測できるほどであった。尋常ではないエネルギーの流れに気付いたナナシは、嫌な予感を覚えてレジオナに問いかける。
「レジオナ、あれってまさか……」
「あ~、バカ魔王がと~と~つかっちゃったみたいなんよ~、あんちまた~えくすぷろ~じょんをさ~」
レジオナは肩をすくめながらふにゃふにゃと答えた。
「……っ、被害は!? 被害はどのくらい出た!?」
「計画ど~りなら、ふれっち~り王国のへ~たいだけしか死んでないはずだけど~。どんだけへ~たい動かしてたかによんね~。ま~ほぼ全滅でしょ~」
それを聞いたロジーナ姫が表情を歪ませる。
「早速タガが外れおったわ。こうなっては反撃手段を持たぬ国はやられ放題じゃろ。婚姻を急いだのは正解じゃったな。龍種相手となれば、そうそう迂闊に手は出せまい」
「さすがの慧眼でございますわ姫様!」
「やはり魔王は信用ならざるかと。西方諸国への挙式の通達を急がせましょう」
控えていたカレンとアヤメがロジーナ姫に同意する。
「でもよ、これじゃますます魔族の印象が悪くなんじゃねえか? それこそ西方諸国が連携して討伐って話になってもおかしくねーぞ」
キーラの呟きに、フリーダも思案顔で独り言つ。
「魔族だけじゃないわ。ひとりでアレを発動できるエルフだって、これからどれだけ危険視される事か」
いっぽう、そんな空気はどこ吹く風と、キノコ雲の様子を望遠で記録していたモニカが残念そうに叫ぶ。
「こんな興味深い作戦、知ってたんなら前もって教えてよレジオナ! 起爆の瞬間撮り損なったじゃないの! これ魔王軍は記録してるんでしょうね!?」
こうした面々の反応をよそに、ナナシはある現象を危惧していた。
「ねえレジオナ、映画かなんかで見たような気がするんだけど、この後降ってくる雨ってヤバいんじゃなかったっけ?」
「あ~、いわゆる黒い雨ってやつね~。ど~だろ、爆発そのものは放射性物質が起こしたわけじゃないけどさ~、ガンマ線めっちゃ出てっかんね~。巻き上げられた粉塵は放射能を帯びちゃってっかも~」
「このままじゃ広範囲に被害が出るかもしれない。何とかしないと……」
その会話を聞いていたロジーナ姫も、慌てて指示を出し始める。
「アヤメ、魔導放送で避難を呼びかけるよう連絡を取るのじゃ! モニカ殿、すぐに『独空録』での発信をお願いする! この後降る雨には絶対に濡れてはならんとな!」
しかし積乱雲は見る間に発達してゆく。もはや一刻の猶予もないだろう。
「それじゃ間に合わない! キーラ、エルフの秘儀を!」
ナナシが意を決しキーラを見る。成層圏にまで達する規模の気象をどうにかするには、もはや方法はひとつしかない。放置すれば数万、数十万単位の被害者が出るかもしれないのだ。
「そこまでヤバいのかよ! ったく、毎度戻って来れる保証はねえってのに……つくづくおめーもお人よしだよな。まあ他に手がねえならしょうがねえ!」
キーラは義手を外すと、揺らめく半透明の右手でナナシの右手を掴む。
「誰か、ナナシの体を固定してくれ!」
「お任せ下さい、忍法蜘蛛糸絡み!」
キーラの指示に、アヤメがロングスカートを翻すと、尻の噴出口から出した糸でナナシをテラスの柱に縛り付けた。
「おらあっ! 出てこいナナシ!」
叫びざま、キーラが力の限りナナシを引っ張る。キーラのエネルギー体の右手が、ナナシのエネルギー体を、柱に固定された肉体から引きずり出した。
エネルギー体となったナナシは、あっという間に世界のエネルギーと同化してゆく。
「ナナシ! 絶対に右手を放すんじゃねえぞ!」
もはや目視すら出来なくなったナナシに向かって、キーラが吠える。その右手には、未だしっかりとナナシの手の感触があった。
◆◆◆◆◆
ほんの数秒で成層圏をも超える大きさに広がったナナシは、この積乱雲をどう処理するか迷う。右手はキーラと繋いでいるため、主観的にはしゃがんでいる状態であった。この体勢で自由にできるのは精々が左手くらいのものである。
本来ならば、世界のエネルギーとひとつになっているナナシは、肉体の制約に縛られることはない。しかし、主観的な肉体の形を完全に無視してしまえば、キーラとの繋がりである右手の存在も曖昧になってしまう。そうなれば元の肉体に戻れなくなる可能性は高い。
ナナシは前世で見た様々な創作物を思い出す。実体を持たない相手にどう対処するべきか。その脳裏にひとつの答えが閃いた。
広がる積乱雲の端に口を近づけたナナシは、思い切り息を吸いこみ始めた。極寒の息吹で鍛えた肺活量には自信がある。放射性の塵を巻き上げた積乱雲は、見る間にナナシの肺のあたりへと取り込まれてゆく。
世界のエネルギーと一体化しているナナシには、放射性物質の分布も手に取るように分かる。ナナシは放射性物質を取り残さぬよう丁寧に積乱雲とその周辺の大気を吸い込む。
そしてナナシが顔を上に向けると、そこは既に大気圏外であった。ナナシは宇宙に向けて有害な大気を放出する。これらの物質が再び地球の重力にひかれて落ちてきても、その頃には人体に影響がない程度に拡散している事だろう。
仕事を終えたナナシは、気を緩めることなく右手に集中した。もはやエネルギーの揺らめきに過ぎないナナシだったが、主観的な右手はしっかりとキーラの右手を握りしめている。
この繋がりさえあれば、きっとこれからも迷う事はない。さあ還ろう、皆が待っている場所へ。ナナシは揺らめきながら、しっかりと掴まれた右手へと、そして自分の肉体へと収束していった。




