オークキング
かがり火に照らされた神殿中央跡で、オークキングとその部下たちが酒宴を張っていた。
石畳の広場には朽ちた石柱が立ち並び、天井はすでに失われて久しい。美しい満月が照らすその風情を、オークの胴間声が台無しにしている。
元は祭壇があった場所に陣取るのは、身長3.5メートルのオークキング、名をゴウガン。その右隣に座るのが身長3.2メートルのオークジェネラル、名をフソンという。
この2体は魔王エンドローザーから名を授かった。当代の魔王は、独特な響きの名を与える事で知られており、魔術的な力の譲渡や眷属化といった特殊な名付けでなくとも、ただ名を賜る事だけで一種のステータスと見なされていた。
そろそろ肴も付き、宴も終わろうとしている頃、必死の形相で遠征隊が神殿跡になだれ込んできた。疲弊したオーク達の数は出立した時の半分に減っている。
「何事だ!」
オークジェネラルが鋭く問う。ざっと見回すも、隊の中にオークキャプテンがいない。
最初に到着したオークナイトが、緑の顔を青黒く変化させながら報告する。
「おっ、オークが! 見たこともないデカい野郎が隊長を殺っちまったんでさ! 仲間も殺られまくって、これは王に報告しなけりゃと思ってひっかえして来たんです!」
「オークキャプテンを殺っただと?」
オークキングが怒りのこもった声で聞き返す。その声にオークナイトは震え上がりながらも、焦ったように続ける。
「奴が! 奴が追いかけてくる! もうそこまで来てる! ああ、空に! 空に!」
次の瞬間、風切り音と共に巨大な影が月明かりの中から飛来し、轟音を上げて神殿中央に舞い降りた。その小山程もあるオークは、片膝をつき、片方の拳を地面に打ち付けた皆様お馴染みのポーズでオークキングを睨み付ける。このオーク、ノリノリである。
オークキングが立ち上がり、闖入者を睨み返す。身長3.5メートルの巨体は、目の前の巨大なオークにも引けを取らぬ迫力であった。
「お前か、うちの連中を殺しまくった馬鹿は。どこのモンだ?」
オークキングの誰何に対し、巨大なオークはゆっくり立ち上がると、腕組みをして仁王立ちになり、告げる。
「我が名はナナシ・オーカイザー! 義によって女たちを救いに来た! 邪魔するならばブッ飛ばす!」
ナナシはロジーナ姫から、オーク相手にはとにかく強気に行くのが肝要とアドバイスを受けていた。その言葉に従い、精一杯強気に出てみたものの、「義によって」あたりは周りのオークに通じていない。理解できたのは、古代オーク語を知っているキングとジェネラルのみである。
「王の御前で頭が高いわ無礼者がァ!」
オークジェネラルが古代オーク語交じりに叫びながら鋭く踏み込み、腰だめにした剣を抜き打ちに薙ぎ払う。特級冒険者ですら見切れぬ神速の剣を、ナナシは事もなげに振り下ろした拳で真っ二つに叩き折る。
「馬鹿な! 金剛鋼製の我が剣を拳で……!?」
オークジェネラルは驚愕の表情で折れた剣を見つめた。固定された剣ならまだ有り得よう。しかし高速で移動する刀身を振り下ろした拳で折るなど聞いたこともない。
「ふっはっはっは! どうやら格が違ったみてえだな!」
オークキングはその様子を見て豪快に笑うと、手を振ってオークジェネラルを下がらせた。
「面白い野郎だ。ナナシ・オーカイザーと言ったか?」
オークキングはナナシの名を呟くと、顎に手を当て思案顔になる。
「変わった名だな。西方共通語みてえだが、ナナシ……は名無しか。それにカイザーと来やがった。名無しの皇帝とはデカく出たな、ええ?」
皇帝部分を指摘されて、ナナシは恥ずかしさに顔を赤黒くする。しかし周りのオークからは、怒りに血が上ったように見えてしまう。
「カッカすんなよ皇帝さんよォ。俺様はオークの王、名はゴウガンだ。王と皇帝、強えェ方が全部手に入れる。いいじゃねえか、俺様好みの話だぜ」
オークキングは壮絶な笑みを浮かべると、丸太で組んだ玉座に立てかけてあった剣を手に取り、抜き放つ。
刃渡り2メートルの刀身に、黒と白の木目のような模様が表面に浮き出たその剣は、金剛鋼とエルフ銀を積層鍛造して作られており、金剛鋼の強靭さとエルフ銀の魔力親和性を兼ね備えた恐るべき名刀である。
鬼すら両断するその切れ味から、号を鬼切玉宿という。命名はもちろん魔王エンドローザーであった。
オークキングは魔王から賜ったその剣を豪快に振り回すと、スッと肩に担ぎ、ナナシに向かって吠える。
「いくぞオラァ!」
王と皇帝の存在をかけた戦いが始まった。
◆◆◆◆◆
「あたいの聞き間違いじゃ無かったら、あの馬鹿デカいオーク、ウチらを救いに来たって言いやがったか?」
キーラは驚いて、隣にいるレジオナに問いかける。オーク語も多少はわかるキーラだが、「女を奪いに来た」の間違いではないかと不安になったのだ。
キーラと一緒に、崩れた壁と石柱の陰から様子をうかがっていたレジオナがふにゃふにゃと答える。
「間違いないんだにゃ~。ちょ~っと古い感じのオーク語だけど意味は同じだよん」
そして直後に、ナナシと名乗ったそのオークが剣を叩き折るのを見て、キーラはさらに驚愕する事となった。
「今の抜刀、全く見えなかったぞ……それを叩き折る? ありえねえ……」
特級冒険者の中でも、特に剣速においては並ぶ者のいない“銀剣”キーラですら捉えられない抜刀を、迎撃できる動体視力と身体能力。間違いなくこのオークはオークキングに匹敵する強さを持った恐るべき怪物である。
そこへ、寝所から戻ったモニカが合流した。
「皇帝ですって? オークの皇帝は未だ発見されてないはず。僭称か突然変異の新種か、実は存在していたのか……興味深い」
「おめー、アレを見て第一声がそれかよ、まったく……」
「モニカちん、みんなの準備は?」
「いちおう、出来るだけの装備は指示して来たわ。この2週間でオーク連中も油断してるから、全員こっちの騒動に気を取られて寝所の見張りも残ってないし」
モニカの報告に、キーラがふんっと鼻息を漏らす。
「オーク相手に信頼関係とか、アタマおかしいんじゃねえかと思ってたけどよ、いざという時には役に立つもんだな」
「毒ってのはそうとわからないよう飲ませないとね」
「汚い! さすが人間、汚いにゃ~」
やがて、王と皇帝の一騎打ちが始まった。
「ちょうどいい。キーラ、貴女のその足治すわよ」
モニカがそう言って肉切り包丁を取り出す。オークにとっては武器とも言えぬ調理器具の管理は、かなりずさんである。また、モニカもこの2週間でそのように誘導して来たのだ。
「曲がってくっついた骨を一旦砕かないと、治癒魔法じゃ治らないから」
「はァ~、怪我は慣れてるけどよ、こういうのはまた別なんだよなぁ~」
キーラが心底嫌そうな顔をしながら、壁の陰へと移動する。
「ふたりとも、そんな野蛮なやり方は時代遅れだよん。私たちが最新の医療ってもんを教えてあげる~」
レジオナがそう言って、キーラの曲がった足首に手を当て、呪文を唱え始めた。
それは麻痺の呪文に似ているが、術式にほんの少し違いがある。範囲も手のひらからほんの少しはみ出る程度であった。モニカはその呪文と発現の様子を克明に記憶する。
「モニカち~ん、この『麻酔』の呪文はまだ内緒にしててね~。医薬神の監修で臨床試験中なんで~」
「レジオナ、貴女医薬神の教徒だったの?」
「うんにゃ。教徒だったら奇蹟で『麻酔』があるからね~。これは魔術師用に共同開発してるんよ~」
「わかった、知識の女神の名にかけて他言しないと誓うわ」
「あんがと~。キーラちんもね~」
「ああ、仲間は裏切らねえよ」
話しながらも、レジオナはてきぱきと作業を進める。ヨレヨレの上着のポケットから無造作にナイフを取り出すと、キーラの足首を切り開いてゆく。その手つきはよどみなく、熟練の医者を思わせた。何の変哲もないナイフも、見る人間が見れば恐るべき切れ味である。
モニカとキーラは思わず顔を見合わせた。レジオナに、治療に関する知識がある事は知っていたが、まさかここまでの手練れとは思っていなかった。しかし医療特化の魔術師とも思えない。もはや目の前のふにゃふにゃした少女が、見た目通りの生き物かどうかすら疑わしかった。
曲がって治癒してしまっている骨を露出させると、今度はポケットからいかにも凶悪なハサミを取り出した。現代で言う所のワイヤーカッターのような器具である。
「あなたのポケットってホントに何でも出てくるのね」
モニカが突っ込む気力もなく言う。
「これは内部拡張収納袋! 内部拡張収納袋だから!」
レジオナが珍しくハキハキと説明する。自ら嘘でございと言っているようなものである。
骨を切りはなし、両足の長さを揃えると、レジオナは自分の髪の毛を1本抜いて縫合用の湾曲した針(当然、ポケットから取り出した)に通し、すいすいと傷口を縫ってゆく。ここまで『麻酔』の発動からわずか3分であった。
「あとは~『重傷治癒』おねがい~。『麻酔』は『解呪』で消せるから~」
レジオナはそう言ってそそくさと手術道具をポケットにしまい込む。血が付いたままなのを気にもしない。
モニカは知識の女神の加護『思考加速』と『並列思考』により、『重傷治癒』と『解呪』を高速詠唱かつ同時発動する。視界の端で神殿跡の石柱が折れるのを捉えた。決着は思いのほか早いかもしれない。
それでも、キーラの為に『解呪』の発動をほんの少しだけ遅らせるモニカであった。
◆◆◆◆◆
オークキングが刀身2メートルの鬼切玉宿でナナシに切りかかる。
ナナシはとっさに手を伸ばし、そばにいたオークナイトを鷲掴みにすると、その体で斬撃を受け止めようとした。
しかしオークキングの恐るべき膂力で振り抜かれた剣は、さらにオークキングの魔力により切れ味が倍増しており、オークナイトを鎧ごと両断し、ナナシの体を袈裟掛けに切り裂いた。
相当な深手にもかかわらず、傷口は瞬く間にふさがってゆく。だが、初めてこれほどの傷を負わされたナナシは動揺し、手に持ったオークナイトの残骸をオークキングに投げつけると、周りのオーク達を次々に引っ掴んでは投げつけ始めた。
これには周りのオークたちも阿鼻叫喚である。投げつけられたオークたちは当然必殺の威力がある為、オークキングも迎撃するか避けるしかない。どちらにせよ投げられた時点でオークたちの死亡は確定である。
一方、オークキングも斬撃で応戦を始めた。鋭い踏み込みから繰り出される剣は、一振り一振りが軽く音速を超え、逃げ遅れた不運なオークたちを衝撃波で吹き飛ばしてゆく。
戦いが始まってほんの数十秒で、すでに20体近くのオークが死んでいる。王と皇帝の戦いはもはや災害と呼ぶのがふさわしい程の暴威であった。
オークたちは逃げ惑い、戦いから大きく離れ、そこへオークメイジが『防御壁』を発動する事でようやく落ち着きを取り戻す。
困ったのはナナシである。手近に投げられるものが無くなってしまい、いよいよオークキングの斬撃を避けるのが難しくなって来た。ナナシの動体視力と身体能力をもってしても、ギリギリでかわすのが精一杯である。衝撃波程度は何の事もないが、反撃に回るほどの余裕はない。
その時ナナシの目に、オークキングのすぐ後ろの床、先ほど叩き折ったオークジェネラルの剣の先が落ちているのが見えた。ナナシはオークキングの斬撃を前転ですり抜けながらかわし、背中を少々切られながらも剣先を手に入れる。
剣先といえど、身長3.2メートルのオークジェネラルが使っていた剣の刀身約半分である。ナナシの巨大な手で握りこんでも30センチほど拳から飛び出していた。たかが30センチとはいえ、徒手空拳に比べれば遥かに心強い。
振り向きざま、オークキングの袈裟掛けを剣先で弾き返そうとするナナシ。しかし、鬼切玉宿はあっさりと金剛鋼製の剣先を切断し、ナナシの体を深く切り裂く。
ナナシは慌てて後方へ飛び退り、オークキングと距離を置いた。傷は治るがジリ貧は否めない。
「けっ、タフな野郎だ。だがそうでなくっちゃ面白くねえ。どれだけ刻んだら死ぬか試してやらあ!」
オークキングはそう言って獰猛に笑うと、再び剣を担ぐ。
ナナシはとにかく武器をと考え、ふと石柱に目が行く。そして、転生前に好きだったゲームに石柱を武器として戦うキャラクターがいた事を思い出し、一番近い石柱を持ち上げてみた。
石柱は直径1.5メートル、途中で崩れているため高さはナナシの身長とほぼ同じ4メートル程である。両手で抱えるように掴めばいい感じで振り回せた。ナナシの怪力の前では、その重さも全く問題にならない。
ナナシが石柱を軽々と振り回すたび、周囲に突風が巻き起こる。上下左右に数回振り回したナナシは、最後にオークキングと同じく石柱を担ぎ、目線を合わせた。
両者の間の空気が、発せられる闘気の圧力によって圧縮され歪む。固唾を飲んで見守るオークたちの1体が緊張に耐えかね、手にした回復薬のビンを取り落した。ビンが石畳に落下し、甲高い音を立てて割れる。
刹那。
王と皇帝の一閃が交差した。
鬼切玉宿は太さ1.5メートルの石柱をバターのように切り裂くも、石柱の運動エネルギーに押され、その斬撃はナナシの体を大きく外れてしまう。
いっぽうのナナシは、斜めにそぎ取られた石柱を呆然と見る。竹やりの先端のように切り取られた石柱は、長さも1メートル程短くなってしまった。
もはやあの剣を何とかして奪うしかない、ナナシはそう決断する。頭に浮かぶのは真剣白刃取り。しかしオークキングの音速を超える斬撃を合掌で止めるなど可能なのか。
見ればオークキングは、斬撃を逸らされないよう鬼切玉宿を大上段に振りかぶり、唐竹割にナナシを真っ二つにする気満々である。見ようによってはまさに絶好の真剣白刃取りチャンス。
考える暇もなくオークキングの斬撃がナナシを襲う。ナナシはとっさに手にしたままの石柱を振り上げた。
鬼切玉宿は当然のように石柱を切り裂いてゆくが、「バターのように」とは、「完全に無抵抗」というわけではない。常人には知覚できないほどの剣速の鈍り。ナナシは直感で石柱も砕けよと両手に力を込める。
はたして、鬼切玉宿は左右からの圧力により石柱半ばでぴたりと止まった。
その機を逃さず、ナナシは石柱ごと鬼切玉宿をひねり上げる。オークキングはナナシに振り回されるも、その恐るべき握力で鬼切玉宿を掴んで離さない。ナナシはそのまま大きく振りかぶり、石畳にオークキングを叩き付けた。
石畳は大きく陥没し、振動で石柱が数本崩壊する。さしものオークキングもついに鬼切玉宿から手が離れてしまう。恐るべきは鬼切玉宿。一瞬大きくたわんだものの、折れず曲がらず元に戻る。
ナナシは、石柱ごと挟まったままの鬼切玉宿を放り投げると、石畳に体半分埋もれているオークキングに飛びかかった。オークキングはかろうじて上半身を起こし、ナナシの腰に組み付く。ナナシは拳をオークキングの背中に叩き付けるも、腰を固定されていて力を込めきれない。
オークキングはそのままナナシを担ぎ上げると、後方へ投げ飛ばした。ナナシは落下寸前にひらりと体をひねり、猫のように着地する。もはやナナシは体の動くままに任せていた。ナナシの経験不足を、体の性能が補ってくれる。
奇しくも、王と皇帝は最初に出会った時と同じ場所に立っていた。ふたりの間に決着の予感が走る。もはや拳あるのみ。両者が必殺の威力を拳に込める。
次の瞬間、両者の姿が消える。その速度を捉えた者は王と皇帝、互いのみ。
轟音が響き渡り、玉座の周りに真っ赤な大輪の花が咲く。それは飛び散ったオークキング、ゴウガンの上半身だったモノだ。
拳を振り抜いた姿勢のまま動かないナナシの足元に、オークキングの下半身がゆっくりと倒れこむ。それをきっかけに、オークたちの叫び声が夜空に響き渡った。