エルフの知恵
ナナシが奈落おとしに干渉できるかも知れないという情報は、モニカを通じて教皇へと伝えられ、王室戦略会議でも取り上げられる事となった。
会議中にはナナシを奈落おとしに突っ込ませ、『貪り尽くす者』と直接戦わせれば良いと言い出す者まで現れる。潜在的な脅威であるナナシを深淵へ放逐してしまおうとの目論見であろう。
魔獣暴走をようやく撃退したイーダスハイム侯爵領からは、ロジーナ姫も王都へと呼び戻されていた。奈落おとし攻略のためには、ロジーナ姫の協力者であるナナシや龍種の存在が是非とも必要である。
しかしナナシや龍種の扱いに関して慎重になるロジーナ姫の言動は王子たちの反感を招き、戦略会議は紛糾するばかりであった。
◆◆◆◆◆
ナナシたちが奈落おとしへと合流した翌日の午後、黄金龍に少し遅れてフリーダが現地へとやって来た。
なにやら上機嫌で降り立ったフリーダの腰には、新調した幅広の剣が鞘に収まっている。長さ100センチ、最も広い箇所で幅20センチという変わった形の剣であった。
これ見よがしに剣の柄に手をかけ、モデル立ちでアピールするフリーダを、レジオナがふにゃふにゃと構う。
「んん~、フリーダちん、その剣はどうしたんだにゃ~?」
「んふっふっふ、どうやらこの剣の醸し出す高級感に興味津々みたいね。ほうら、心ゆくまでご覧なさい!」
そう言ってするりと抜刀するフリーダ。
それは幅広の諸刃剣で、片方の刀身が柄頭まで伸びている奇妙な形状であった。むしろ刀身を切り欠いて柄を付けていると言った方が正しいかもしれない。形状の奇妙さに反し、材質は防錆加工を施した平凡な鋼鉄に見える。
その様子を見て、変わった剣となれば興味津々の面々がぞろぞろと集まって来た。どう軽く見積もっても10キログラム以上はある剣を片手で軽々と構えるフリーダに、美強が問いかける。
「そりゃあ見た目通りの材質じゃねえな? よっぽどお高い材料でも使ってんのをごまかしてんのか」
人化した黄金龍も目を細めて分析する。
「どうやら魔術的な隠ぺいが施されているようね。お宝の匂いがプンプンしますわ」
剣狼と黄金龍の評価に、満面の笑みを浮かべたフリーダが答える。
「あらら、やっぱわかる人にはわかっちゃうかぁ。そう、これこそが伝説に名高い『女神の胸骨』の欠片、突剣キシフォイド! 正真正銘神骨金製の本物よ!」
フリーダの口上と共に剣の偽装魔法が解除され、輝くような金色の地肌が現れる。見る角度によって様々に色味を変えてゆくその輝きは、まさにこの世のものとは思われぬ美しさであった。
想像を絶する美しさに皆が見とれる中、キーラが口を開く。
「うおお、これが本物の突剣キシフォイドかよ……おいフリーダ、おめーどこから盗んできやがった!」
「いきなり失礼ね!? ドワーフの地下工房に保管されてたのを、クゲーラ様の血の半分と交換で正式に手に入れたんだから! ちゃんと鑑定書もついてるし!」
それを聞いた黄金龍がにっこりと微笑んでフリーダに詰め寄る。
「あらあら、私の血で手に入れたのなら、それは私の所有物ではないかしら?」
いきなりの正論である。しかし金目の物に対するフリーダの執着心は、龍種の女王の圧力をも凌駕した。
「ふふっ、ドラゴンジョークはやめてくださいよクゲーラ様。落ちる血液がそのままなら無価値になる所を、危険を顧みず救ったのはあくまで私の手柄。これはその正統なる報酬です!」
現世最強種たる龍種の女王を前に一歩も引かぬ構えのフリーダ。滅するならば滅してみろとばかりに不敵な笑みをたたえ、黄金龍と視線を交わす。
その様子に、遠巻きに見ていた監視の兵たちはざわざわと浮足立つ。もしここで黄金龍が機嫌を損ねて暴れ出したら自分たちは全滅を免れまい。
いっぽうキーラやナナシはフリーダの主張にうんうんとうなずいていた。レジオナと美強などはニヤニヤとふたりを見比べて楽しそうだ。モニカは伝説の武器を録画するのに夢中である。
ややあって、黄金龍がふっと息を吐き肩をすくめた。
「負けたわフリーダちゃん。さすがあの状況で使徒の眼前を飛び回って集めただけの事はあるわね。その剣は正しくあなたの物よ」
黄金龍の敗北宣言に、フリーダは剣を鞘に納めると、片膝をつき両手を胸の前で交差させるエルフ流最敬礼を返す。黄金龍は一歩前に進むと、フリーダの頭に向かってスッと右手を差し伸べ、それを受け入れた。
女神もかくやと思われる美貌と完璧なプロポーションを持つ人化した黄金龍と、守銭奴とはいえエルフならではの優雅さを備えたフリーダによるそのやり取りは、まるで神話の一場面かのような美しさと荘厳さを醸し出す。事情を知らぬ者が見ればどれほど胸を打たれた事であろう。
しかしその荘厳な雰囲気も、黄金龍が差し伸べた右手でフリーダの頭にチョップを入れるまでの事であった。
想定外の攻撃に、頭を押さえたままゴロゴロと地面をのたうち回るフリーダを見てどっと笑いが起きる。舐められたら殺す世界恐るべし。ただナナシだけが少し引きつった笑顔で、フリーダに同情の目を向けるばかりであった。
やがて頭頂部をさすりながらようやく上体を起こしたフリーダを満足そうに見下ろしつつ、黄金龍が問いかける。
「ところで、残りの血は何に交換したのかしら。 半分で神骨金の剣なら、もう半分も相当な値打ち物になったんでしょう? ちょっと見せてごらんなさい」
「残りは商業ギルドに売っ払いましたよ。これで1万年は遊んで暮らせます!」
「えっ、じゃあ金貨の山を手に入れたの? アレやった? 金貨風呂」
「金貨風呂! しまった、そこまで考えが至らなかった……私もまだまだ甘いわね。残念ながら金貨じゃなくて紙幣で受け取る事にしたんで」
「紙幣! いいわね紙幣! 紙幣風呂も中々乙なものよ。神造紙幣のお風呂……思い出しただけでゾクゾクしてくるわ」
うっとりと虚空を見つめる黄金龍。
西方諸国は基本的に金貨本位制度であり、国家が管理する通貨は金、銀、銅貨となっている。これに対し、国をまたいで影響力を持つ商業ギルドは、輸送や保管の利便性と、摩耗や棄損そして偽造対策を兼ねて、独自の紙幣を流通させていた。
この紙幣の価値自体は各国の金貨を元に保証されており、商業ギルドが勝手に発行する事は出来ない。この事により通貨発行権そのものは国家が管理するとして、流通を認められているのだ。これは中央銀行の役割を商業ギルドが請け負っている状態と言える。
偽造不可能かつ勝手に発行する事が出来ないこの紙幣、その特殊性を担保しているのが、商業ギルドの本体とも言える商業神エンドルーブルの教団であった。
黄金龍が神造紙幣と呼んだこの紙幣は、硬貨を贄とした大規模集団神聖干渉による召喚によって供給されている。
ある程度印刷技術が進んだこの世界でも偽造不可能なほど精緻な券面と、商業神の信徒ならば一目でそれとわかる神性を帯びたこの紙幣は、商業神に捧げる事で再び硬貨へと変換する事が可能なのだ。(ただし、これによって現れる硬貨は贄として捧げられた硬貨そのものであり、神造硬貨ではない)
流通量の多さ故に、希少価値では神造硬貨とは比較にならぬほど劣る神造紙幣であるが、単体としての美しさは甲乙つけがたい。美術品に目がない黄金龍は、毎年新札を金貨にして10万枚分(ジルバラント王国の貨幣単位で1億デュルク≒100億円)交換していた。額面が異なる6種類の紙幣の合計は36万枚以上に及ぶ。
しかし神造紙幣はその性質上、再び商業神に捧げない限り元の硬貨が返ってこなくなる。修復不能なほど破損したり焼失した紙幣の分は自動的に教団へと返還されるが、どこかで保管されている状態では再び硬貨として取り出すことが出来ない。
すなわち、黄金龍が貯め込む事により毎年1億デュルク相当の硬貨がこの世界から消えてゆくのだ。しかも黄金龍は周辺諸国全ての紙幣を同様に蒐集していた。その総量は恐るべきものである。
毎年の新札は汚れたり欠けたりした紙幣を刷新する目的で発行されており、基本的に贄として捧げられている硬貨の総量は本来ほとんど増減しない。それだけに、毎年金貨数十万枚分の紙幣を黄金龍に貯め込まれる事は、西方諸国の経済規模からしても決して無視出来ない問題であった。
この事態を重く見た商業ギルドは、毎年の新札を額装して献上する代わりに、黄金龍の貯め込んだ紙幣を硬貨に変換してもらうよう嘆願する。
最初は難色を示していた黄金龍であったが、額装を著名な芸術家に頼む事と、毎年の新札発行時に好きなだけ神造紙幣風呂に入れる様にするという条件により、その願いを聞き届ける事となった。
以上、黄金龍の少々特殊な嗜好を通じてではあるが、現在の西方諸国における貨幣流通事情に関していくらかご理解いただけたかと思う。
そして西方諸国の経済規模を考えた場合、当然湧き上がる疑問をモニカが口に出す。
「天下の商業ギルドとはいえ、1万年遊んで暮らせるほどの現金をよく用意できたわね。いったい、いくらで売ったの?」
「ふっふっふっ、さすがに金貨1億枚吹っ掛けたら泣いちゃったから、千年の分割払いで勘弁してやったわ!」
腕を組み、ドヤ顔で返すフリーダ。
「千年って……それでも年間で金貨10万枚ねえ。まあ商業ギルドなら用意できそうだけど、王都とはいえそんな分量の紙幣を保管してるものなのね」
「さすがに当座は手付金で百万デュルク分だけよ。あとは西方諸国全体で商業ギルドが毎年発行してる新札の2.5パーセントを千年間支払ってもらう契約で手を打ったわ」
「へえ、確か紙幣の流通量は貨幣全体の1割くらいのはずよね。毎年の新札発行額は全紙幣の2割程度だったと思うから、まあまあそんなとこかしらね。ちゃんと払ってもらえればの話だけど」
「ふふん、その辺は抜かりないわ。正式な商業神への誓約書を取り交わしたから、契約違反したら神罰が下るわよ!」
「神罰ねえ……」
抜け目ない商業ギルドが、馬鹿正直に千年も支払いをするわけがないと思うモニカであったが、嬉しそうに話すフリーダに水を差すのもどうかと言葉を濁す。何より千年どころかひと月半後には世界が滅んでいる可能性が高いのだ。わざわざ夢を壊す事も無いだろう。
しかし、珍しく空気を読んだモニカをよそに、レジオナがふにゃふにゃと突っ込みを入れる。
「あはは~、フリーダちんざ~んねん。来月にはせかいが滅んじゃうからさ~、かんっぜんにとりっぱぐれたね~」
「はァ!? なにそれ聞いてないんだけど! ちょっと説明しなさいよ詳しく!」
ドワーフ地下工房と商業ギルドを忙しく飛び回っていたせいで、奈落おとしの情報をろくに聞いていないフリーダへ、レジオナがふにゃふにゃとあらましを説明する。合間合間にモニカが的確な注釈を入れたおかげで、フリーダは状況を完全に理解した。
「ってわけで~、今は~神骨金の武器で奈落おとしを切ってみよ! ってはなしになってるんよ~。おんや~? こんなとこにちょ~どいい剣はっけ~ん!」
腰の物を指さすレジオナに向かって、フリーダが全力の拒否をかます。
「絶っっっっっっっ対に嫌! 馬っ鹿じゃないの!? 今さっき奈落おとしから抜け出す事は不可能とか言ってたわよねえ? ホント馬っ鹿じゃないの!?」
「だいじょ~ぶだいじょ~ぶ。おりはるこんなら壊れたりしないからさ~、たぶん」
「多分、じゃないわよ! 壊れなくても抜けなくなったらどうすんのよ!? っていうかどう考えても抜けなくなるでしょ!」
「え~、でもどうせ来月にはぜ~んぶ奈落おとしに飲みこまれるんだしさ~、はやいかおそいかだと思うんよ~。死んだ先まではもってけないでしょ~」
「何言ってんの、神骨金はあまねく次元に存在するのよ。大いなるエネルギーの流れにも当然存在するに決まってるわ!」
そう言い放った瞬間、フリーダの思考に何かがカチリと嵌った。その顔にみるみる歪んだ笑みが広がってゆく。
「そうだ! この剣に魂の絆の呪紋を刻み込んで、永遠に私の魂と離れられなくしてやる!」
狂気に染まった表情で呪紋を構築し始めるフリーダ。
魂を持たぬ相手と魂の絆を結ぶ魔法は、長い歴史の中においてさえ未だ存在しない。数多の魔術師が成しえなかったその術式を、物欲と狂気によって作成しようという勢いである。地面に書いては消されてゆく呪紋の構築式を興味津々でモニカが見守る。
すっかり自分の世界に引きこもってしまったフリーダを見て、キーラがため息をついた。
「おいおい、なんかエルフのいい知恵でも持って来たのかと思ったら、お宝自慢しに来ただけかよ。こちとら世界の危機に頭悩ませてるってのによ、気楽なもんだぜまったく」
キーラの嫌味にフリーダの長い耳がぴくりと反応する。フリーダは地面に書き連ねていた構築式から顔を上げ、険しい表情でキーラを睨みつけた。
「あのね、そこの穴を何とかする方法なんて、さっき奈落おとしの説明を聞いた時点で思いついてんの。ただ、あんたが泣いちゃうから言わなかったのよ」
「はァ!? あたいが泣くってどういうこった。 こう見えても元特級冒険者サマだぜ、甘く見てんじゃねーぞ」
ふたりのやりとりに、レジオナ、美強、黄金龍、モニカが何かを察する。
「あ~そういうことね~、かんぜんにりかいしたんよ~」
「へえ、キーラと坊がねえ。まあ確かに言われてみりゃあな」
「あらあらまあまあ、普段からイチャイチャしてるとは思ってたけど、やっぱりそうなのね!」
「なるほど、ナナシの使い方に鍵が……? つまりナナシが死ぬのを前提として導き出される選択肢は……」
それぞれの勝手な言い草に、さすがのキーラもピンと来たようだ。
「てめーら! 言っとくけどあたいとナナシはそんなんじゃねえからな! っていうかおいモニカ、なんでナナシがおっ死ぬ前提なんだよ!?」
叫ぶキーラに、立ち上がったフリーダが腕組みをして答える。
「そりゃあナナシにエルフの秘儀を使わせるからよ。世界は救われるけどナナシは消滅するわ」




