万象砕き Ⅱ
暗雲に覆われた空へ、黄金龍の体から噴出した血が花びらのように舞い散る様を、ナナシたちは呆然と見上げていた。
現世最強たる龍種の頂点、無敵の存在ともいえる黄金に輝く麗しき太陽の化身の防御がいともたやすく破られたのだ。混沌の使徒、万象砕きの攻撃を防げる者はもはや存在するまい。
混沌浸食によって召喚された事を考えれば、神聖干渉『絶対防御圏』ですら危ういかもしれない。
身長100メートルの異形、万象砕きの脅威に圧倒され、その場を沈黙が支配する。しかしただひとり声を上げる者がいた。
「龍種の女王の血ィ! ヤバいヤバいもったいない!」
フリーダは絶叫すると、必死の形相で『飛行』を発動し飛び立つ。
全長240メートルの黄金龍から舞い落ちる血液は、1滴1滴がとてつもない大きさである。フリーダは内部拡張収納袋の口を大きく広げると、躊躇なく血液の中へ頭から突っ込んだ。
血液の中を通過しながら、収納袋の中身が血まみれになるのも構わず、容量限界まで血液を充填する。そうして血液から飛び出したフリーダは、新たな内部拡張収納袋を用意すると、さらに別の血液へと突入した。所持する収納袋の全てに血液を確保するつもりなのだ。
「あはははははは! 金が! 金が空から降ってくる! あはははははは!」
全身血まみれになりながら、高笑いで次々と血液に突っ込んでゆくエルフを見た者の反応は様々であった。
万象砕きはその常軌を逸した行動に警戒し、視線の読めぬ複眼で注視しつつ得物を油断なく構える。
あっけにとられてポカンと口を開けているナナシとキーラの横では、美強が手を叩いて大笑いしていた。
そして己の血液を嬉々として集めてまわるフリーダを見て、そのあまりの滑稽さに黄金龍の腹筋もついに崩壊する。
「ぷっ……ぷはははは! ちょっともうやめてよフリーダちゃんったら! いま物凄くシリアスな場面じゃないの! ほらぁ、混沌の使徒が固まっちゃってるじゃない」
警戒する万象砕きを指さしながら笑う黄金龍。この恐るべき混沌の使徒の追撃を、フリーダはその守銭奴っぷりで意図せず止めて見せたのだ。
さすがに警戒が過ぎたと気づいた万象砕きが、小虫を払うように『必壊の戦矛』を振ろうとして、不自然にその動きを止めた。頭部を囲む死角のない複眼によって、『天狗の歩法』で空中へと駆け上がる美強の姿を捉えたのだ。
美強の体にはすでに神気が満ちており、駆ける間にも携えた矢へと神気が集中してゆく。
上空から状況を察した黄金龍が、万象砕きをはさんだ対角線上へ移動し『万象を滅する全なる光』を放つ。万象砕きは『不壊の大楯』を息吹の防御に回さざるをえない。
黄金龍の攻撃により足止めされた万象砕きへ、美強がひょうと矢を放つ。獣兵衛神殺法『竜骨砕き』が黄金の光となって万象砕きを襲う。
しかしその恐るべき矢は万象砕きの振るった戦矛によって迎撃されてしまった。膨大なエネルギーがぶつかり合い、閃光と共に大爆発が起きる。
この絶好の機会を逃すことなく、キーラはナナシを身長100メートルに巨大化させていた。武器と盾がふさがっている今、もはや万象砕きを守るものは残る2本の腕のみである。
万象砕きはとっさに両腕を交差させナナシの攻撃に備えると、爆風に弾かれた戦矛で強引に切りつけようとした。だが、読者諸兄よご覧あれ。既に戦矛の柄には、美強の手元から伸びた長く細いエルフ銀製の鎖が巻き付いているではないか。
先端に分銅がついたその鎖には無数の細かい神気の刃が形成されていた。これぞ大切断の元となった羽生心影流『無影刃』の応用技、奇しくもキーラが大切断を応用してみせた技の原型である。高速振動する神気の刃は、混沌の業物である戦矛の柄を易々と切断した。
「こいつで神気も打ち止めだァ! ヘマすんなよ!」
叫ぶ美強の言葉を背に、ナナシの拳が振り抜かれる。万象砕きは膨大な魔力で瞬間的に防御力を強化した。しかしナナシの拳は、万象砕きの予想とは全く違う場所へと叩きつけられる。
ナナシは魂喰らいとの戦いの経験から、混沌の使徒の回復能力を甘く見てはいなかった。このまま頭部や上半身を砕いた所で、倒せるとは限らない。
ならばどうするか、ナナシの出した答えは盾への攻撃だった。
神域を超える筋力151の鉄拳、『剛腕爆裂』が万象砕きの構える『不壊の大楯』を裏から殴りつける。
破壊力よりも衝撃力をイメージしたナナシの攻撃に、大楯は耐えきるものの、万象砕きの握力はとても耐えられない。万象砕きの手から弾き飛ばされた大楯は、慌てて息吹を止めた黄金龍の鼻先をかすめて、王都クリンゲルを軽々と飛び越え、街道沿いに突き立った。
もはや丸腰となった万象砕きの複眼と黄金龍の目線が交錯する。
表情が読めぬはずの複眼に焦りの色が見えたのは幻だろうか。黄金龍は獰猛な笑みを浮かべると『万象を滅する全なる光』を放つ。
全身を焼き尽くすエネルギーの奔流に、再生むなしく崩壊してゆく万象砕き。その足元の魔法陣も恐るべき魔素の嵐により粉々に破壊される。
そしてついに混沌の使徒は消滅し、深淵への扉は閉ざされた。
◆◆◆◆◆
混沌の使徒を撃退した事で、兵士や冒険者たちからも歓声が上がる。
しかし『万象を滅する全なる光』の直撃を免れた混沌の眷属たちは、深淵とのつながりを断たれて多少弱体化したものの、消滅する事もなく魔獣も人間もお構いなしに殺戮を続けていた。
元の大きさに戻ったナナシは、背負っていた鬼斬玉宿を引き抜くと、トゲバットとの二刀流で混沌の眷属と切り結ぶ。
ナナシの魔力で強化された鬼斬玉宿は、混沌の業物である盾や剣をものともせず、装備ごと眷属たちを叩き斬る。深淵の扉が閉じた今、さしもの混沌の眷属たちも両断されては再生しきれず、その存在は塵へと還ってゆく。
「なんでえ、首を落としゃあ死んじまうのか。思ったよりつまんねえな」
美強などは神気もまとわず、技量のみで眷属たちの首を次々に落としてゆく。繰り出される攻撃や相手の体など、あらゆるものを足場に舞う美強の動きは、眷属たちとの体格差を全く問題にしない。
キーラも槍を携えた眷属と対峙する。眷属が4本の腕で操る2本の槍には引きの隙が無い。
しかしキーラは繰り出される穂先の動きを完全に見極め、しなりながら迫る槍の柄を両手剣で叩き斬る。エルフ銀製の両手剣を左右に振るいながら眷属に肉薄したキーラは、そのまま相手の胴を両断しつつ駆け抜けた。
いっぽう、両翼を担っていた兵士や冒険者たちにとっては、混沌の眷属は恐るべき強敵であった。魔獣にも見境なく攻撃している事が救いとはいえ、いざ人間に向かってくれば魔獣をはるかにしのぐ脅威となる。
今しも巨大な槌を持った眷属が、ほんのひと振りで数人の兵士を吹き飛ばし、その勢いのまま後衛の魔法使いへと迫っていた。魔法使いがとっさに『防御壁』を発動しようとするも、混沌の眷属の魔力を含んだ咆哮により魔素をかき乱され、魔法は霧散してしまう。
恐るべき破壊力を秘めた巨大な槌が振り上げられ、もはや魔法使いの命も風前の灯かと思われたその瞬間、混沌の眷属の体を真っ赤な槍が貫いた。
それは血でできた直径50センチの円錐であった。
眷属の体に突き刺さったその血槍は、そのまま多数の刃へと変形し眷属の体を内側から切り裂く。放射状に切り刻まれ、肉塊と化して絶命した眷属の上に、役目を終えた血槍が液体となって降り注いだ。
目の前の眷属を襲った突然の攻撃に暫し放心していた魔法使いが、ハッと我に返って上空を仰ぎ見る。そこでは血まみれの女性が、周囲に浮かぶ無数の巨大な血の球体から、先ほどの槍を次々に撃ち出している所だった。
全ての内部拡張収納袋に龍の血を満たし終えたフリーダは、落下する龍の血を精霊に命じ自分の周囲へと集めていた。
周囲の魔素が混沌の汚染を受けているため、本来ならば精霊の使役も困難な所だが、今のフリーダは濃厚な魔素に満たされた龍の血を全身に浴びている状態である。自分の周囲の魔素を強引に浄化しながら、少しでも多くの龍の血を確保するべく必死の努力を続けたのだ。
しかし、いざ大量の血液を周囲に浮かべてみると、ある懸念が頭をよぎった。すなわち市場崩壊である。
いちどに大量の血が出回れば、必然的に値崩れの可能性が大きくなるだろう。かといってこれほどの量の血液を劣化させずに保存する手段は持ち合わせていない。
あるいは冷凍すれば保存可能かもしれないが、管理するのも手間である。なにより、収納袋に確保した分でおそらく1万年は遊んで暮らせるはずなのだ。それほどの余剰財が西方諸国全体に存在しているかはまた別の話としても。
つまり周囲に浮かぶこの大量の血液は、貴重ではあるがもはや邪魔な存在でもあった。ならばどうするか。フリーダの顔に暗い愉悦の笑みが浮かぶ。やっちゃうか、史上最大の無駄遣い。
それは最高級のワインをご家庭の料理酒に使うような贅沢であった。
魔素の塊とも言える龍の血を使い、水の精霊魔法『水槍』を放つ。さらに精霊には、敵に刺さった後『水刃』を発動するよう命令を与える。
この使い方の最も良い所は、使い終わった後の血が混沌の眷属の死骸と混ざりあう事で汚染され、市場価値がなくなるという点にあった。
もはや銭投げさえもかくやという贅沢な攻撃に、フリーダの背中をゾクゾクと禁断の快感が走り抜け、その口からは狂気の高笑いがあふれ出た。『深淵を覗く者』の加護が無ければ発狂待ったなしである。
黄金龍の息吹とフリーダの血槍の援護を受け、冒険者や兵士たちも攻勢を強めてゆく。混沌浸食を退けた今、もはや魔獣暴走の制圧も時間の問題と言えた。それでも目の前の魔獣や混沌の眷属は気の抜ける相手ではない。
誰もが目の前の敵との戦いに気を取られている中、それは静かに進行していた。
戦場に横たわる死骸や流れた血が溶けて混ざり合い、ある一定の方角へと流れだす。そしてジルバラント国内全ての戦場において、同じ現象が起きていた。
龍種による索敵も魔獣暴走を追って南下していたため、これまでに倒して放置していた死骸にも同様の現象が起きていた事を誰も気付いていない。
そしてついに今この時、その現象が最大限に達しようとしていた。




