万象砕き Ⅰ
万象砕きの出現を真っ先に感知したのは、知識の女神の教皇クルーガーだった。
『知識の座』がモニカと同期されている彼は、モニカがリアルタイムで録画している情報を、自分が直接見ているのと同じ様に見る事ができる。そのおかげで、巨大な魔法陣をいち早く視認する事ができたのだ。
その魔法陣を見た瞬間、術式から混沌の臭いを感じ取った教皇は『虚空録』を検索した。教皇のみに閲覧が許された混沌の秘儀の項目を調べると、案の定、それは混沌の一柱『破壊を愉しむ者』の使徒召喚門であった。
本来ならば混沌の信徒以外に知るはずのない秘儀がなぜ『虚空録』に記録されているのか。それこそが知識の女神の特殊性、ひいてはその信者の恐ろしさである。
知識の女神の信者にとっては、未知の情報を記録する事こそが最優先であり、そのための手段の善悪はあまり考慮されない。
混沌の浸食に加担しなければ混沌の知識が得られないとなれば、その知識のために混沌へと加担するのである。たとえその結果世界が滅びようとも。
しかしその狂信者のおかげで、混沌に対抗するための情報が集まるのもまた事実である。
知識の女神の信者が危険視されながらも排除されないのは、最悪の事態に対するための切り札として価値を見出されている事も大きい。まさしく今回のような混沌浸食において、最初の一手を打てる事こそが知識の女神の本領であった。
教皇クルーガーは、魔法陣が完成し召喚門が発動するまでの刹那の間に検索を終わらせると、最善の手を模索する。
この規模の召喚門から呼び出される混沌の使徒を兵士や民衆が目撃した場合、それだけでほぼ全ての者が一時的に正気を失ってしまうだろう。そしてそのまま混沌浸食が進めば、どれだけの人間が発狂してしまう事か。
とにかくそれがこちら側へ現れる前に手を打たねばならない。教皇は意を決し神聖干渉を祈念する。
女神に願うは『深淵を覗く者』の範囲拡大。魔法陣を中心として、直径100キロメートルの範囲に存在する知的生物全てに『深淵を覗く者』の効果を発動するという、とてつもない神聖干渉である。
教皇の存在力をもってしてもギリギリと言える規模の神聖干渉により、かろうじて発狂による戦線崩壊の危機は回避される事となった。
いっぽう、国営魔導放送局においては局長マクシミリアンの判断も早かった。
ロジーナ十本刀のひとりマクシミリアンは、線が細く飄々としたハーフエルフの男性である。ロジーナ姫に登用されるやいなや、あっという間に頭角を現した彼は、現在ジルバラント王国の魔導放送全てを取り仕切る立場にあった。
今回の防衛戦では、各所に設置した録画装置を使いリアルタイムで配信を行っていた。防衛計画自体は順調に進行していたため、民衆の不安を払拭するには戦況を知らしめる方が良いだろうという国王の判断によるものである。
しかし、巨大なヒドラが倒され放送室の技師たちが歓喜に沸く横で、マクシミリアンは食い入るように画面を見つめたまま動かなかった。言い知れぬ不安を画面の向こう側に感じたマクシミリアンの直感は、泡立ち始めた地面によって確信に変わる。
そして巨大な魔法陣が展開された直後に『深淵を覗く者』の加護を受けた事を感じ取り、これ以上の配信は視聴者を危険にさらすと判断、即座に配信を打ち切った。
情報を扱う部署の人間に、知識の女神を信仰している者は多い。知識の女神の司祭でもあるマクシミリアンには、『深淵を覗く者』が祈念される状況がいかなるものかは容易に想像がつく。
現在、ジルバラント王国の魔導放送は、基本的には国内のみに配信されている。中継器を使えば他国でも視聴可能ではあるものの、その事による利益も不利益もジルバラント王国は関与せぬという立場であった。
マクシミリアンの判断はジルバラント国内のみならず、地震と魔獣暴走によるジルバラント王国の被害を監視するべく放送を受信していた他国の首脳陣をも救う事となった。画面越しとはいえ混沌の使徒を目撃していれば、大多数は正気を失う事となっていただろう。
配信は打ち切ったものの、慎重に録画を続けながらマクシミリアンは深々とため息をつく。
「はァー、これ完ッ璧にお蔵入りだよね。つーかさァ、その前にコイツ倒せんのかねェ? クゲーラ陛下よりヤバいでしょマジで」
◆◆◆◆◆
巨大な魔法陣の中央に立つ万象砕きの周囲からは、身長3メートルを超える混沌の眷属が続々と出現していた。
いずれも筋骨隆々とした体躯を禍々しい鎧で包み、頭部からは1本あるいは複数のねじれた角を生やしている。携える武器や盾は様々だが、いずれ劣らぬ混沌の業物である事は間違いない。
混沌の戦士たちは魔法陣から出現するやいなや、破壊の衝動に導かれるまま、雄叫びを上げながら魔獣の群れに躍り込んでゆく。そして当たるを幸い、周囲の魔獣へと無差別に攻撃を開始した。
立ち込める暗雲の下、旋回しながら万象砕きをにらみつけていた黄金に輝く麗しき太陽の化身は、魔法陣からあふれ出す混沌の眷属を見て忌々し気に唸る。
現世最強種たる龍を束ねる女王としては、この世界に混沌の眷属が我が物顔でのさばるのは我慢がならない。連中は、いわば部屋に湧いた害虫のようなものである。
「まったく、1匹見かけたら300匹は隠れている何とやらのごとしですわね。まとめて駆除して差し上げますわ」
万象砕きごと魔法陣を破壊してやろうと、黄金龍は『万象を滅する全なる光』を放つ。
周囲の魔素は混沌に汚染されているが、1万年を生きる龍種の女王には何の問題もない。龍種はその本体たる巨大なエネルギー体へと無限に魔力を蓄積できる、いわば生きた蓄電池のようなものである。
1万年もの間、霊脈の走る聖龍連峰で魔素を吸収し続けた黄金龍の蓄積魔力量は、まさしく天文学的な数値に達していた。通常の息吹程度ならば、体内の魔力でほとんど無限に放つ事が可能である。
恐るべき魔力を乗せた眩い光が万象砕きを背後から襲う。しかし万象砕きの後頭部まで伸びる複眼には死角が存在しない。黄金龍の位置を警戒していた万象砕きは、その息吹の射線を遮るよう、常に『不壊の大楯』を動かしていた。
その『不壊の大楯』へ『万象を滅する全なる光』が着弾し、莫大なエネルギーが大楯の表面を焼く。
図らずも、全てを破壊する名を冠した者同士の対決となったこの激突は、万象砕きの『不壊の大楯』に軍配が上がった。黄金龍の恐るべき息吹を、高さ120メートルのタワーシールドは完全に受け切ったのである。
たっぷり30秒もの間息吹を浴びせ続けた黄金龍は、ついに諦め再び高度を取った。悔し気な咆哮が暗雲立ち込める空に響き渡る。
次の瞬間、何の前触れもなく放たれた万象砕きの斬撃が、空中の黄金龍を襲った。目線を読ませぬ複眼と、人間の可動域を遥かに超える2本の右腕によって繰り出された後ろを向いたままの斬撃に、さしもの黄金龍も完全に虚を突かれる。
半円状に振りぬかれた『必壊の戦矛』による斬撃は、魔素をまとった衝撃波の刃となって周囲を襲い、魔獣も混沌の眷属もお構いなしに切り裂いてゆく。
そして衝撃波の刃の恐るべき威力は、黄金龍の魔法防御を突破し、魔力によって強化された龍鱗をものともせず、黄金龍の体を深々と切り裂く。
数千年ぶりに負った深手に、苦痛のうめき声を上げる黄金龍。噴き出た血が赤い花びらのように空中へと舞い散った。




