乱戦
山脈龍の目覚めによる激震は、聖龍連峰の麓にある魔破の里にも甚大な被害をもたらした。
元々地震大国である九頭竜諸島出身の魔破衆である。地震そのものには免疫があったものの、これほどの激震に見舞われるのは初めての事であり、里は混乱の極みにあった。
倒壊した家屋や、上がる火の手から住人を救助する事に手いっぱいの里へ、さらに魔獣暴走の余波が襲い掛かる。先の地震により里を守る結界が壊れたのだ。
◆◆◆◆◆
魔破の里へと殺到する魔獣の群れを、老若男女の魔破衆が迎え撃つ。
その乱戦をすり抜けた1頭、体長3メートルの雷電狼を蜘蛛の糸が絡め取る。蜘蛛糸を操るのは、まだあどけなさの残る少女たち。腰から蜘蛛の足を生やした者や、下半身が蜘蛛の者など、その容姿は様々である。
雷電狼は唸り声をあげ放電するものの、糸により電流は地面や周りの木々に流されてしまう。しかし通電によるジュール熱が、熱に弱い蜘蛛糸を焼き切ってゆく。
「忍法鎌鼬!」
蜘蛛糸が焼き切れる寸前、ひと筋の影が雷電狼の横を高速で駆け抜ける。次の瞬間、雷電狼の体が無数の見えない斬撃によって切り刻まれた。
鎌鼬の能力を宿す青年の攻撃は、相手に直接触れずとも対象を切り刻む。常に帯電している雷電狼を相手にするにはまさにうってつけと言えよう。
雷電狼を倒した少女たちに、ひと息つく暇もなく灼熱魔熊が襲いかかる。とっさに蜘蛛糸で拘束を試みるものの、灼熱魔熊の発する高熱により糸は儚く燃え上がる。
駆け寄る青年の鎌鼬による斬撃も、灼熱魔熊の強靭な毛皮の表面を切り裂くのみで、致命傷を与えるまでには至らない。
灼熱魔熊は後肢で立ち上がると、周囲の魔破衆を鋭い爪で薙ぎ払う。その巨躯からは想像もつかぬ素早い攻撃に、蜘蛛少女たちは避けることもかなわない。防御に回した蜘蛛の足を砕かれながら、四方に弾き飛ばされてしまう。
危うい所で攻撃をかわした鎌鼬の青年へ向け、今度は灼熱魔熊の口から火炎が放射された。青年は風を操り火炎を打ち払うものの、直後に魔熊の体当たりを受け吹っ飛ばされてしまう。
ぐったりと横たわった青年は、折れた骨が内臓を傷つけたのか激しく吐血する。もはや虫の息であった。
灼熱魔熊は強者の余裕で辺りをゆっくりと見まわす。するとその目に、下半身蜘蛛の少女が、残った3本の蜘蛛脚でよろよろと逃げ出す様子が映る。魔熊は本能的に逃げる相手へと襲い掛かった。
蜘蛛の少女は背後に迫る魔熊へ、最後の抵抗とばかりにありったけの蜘蛛糸を射出するも、蜘蛛糸は魔熊の灼熱の体表で儚く燃え上がるのみである。
魔熊は少女の下半身、丸く膨らんだ蜘蛛の腹へずぶりと牙を食い込ませると、力任せに振り回す。食いちぎられた腹部から蜘蛛の内臓をまき散らしながら、少女は木の幹へと叩きつけられ、泡を吹いて失神してしまう。傷口からは黄色い体液がとめどなく流れ出し、もはや命の火が消えるのも時間の問題であった。
食いちぎった蜘蛛の肉を飲み込んだ魔熊は、少女の柔らかそうな人間の部分を味見しようと、その白く滑らかな腹に凶悪な牙を突き立てる。
しかし、その鋭利な牙は、少女の肌にほんの少し食い込んだ所でぴたりと静止した。
灼熱魔熊の上下の顎には、キラキラと輝く蜘蛛の糸が灼熱の皮膚をものともせず何重にも絡まり、その口が閉じるのを許さない。
「忍法蜘蛛糸絡み!」
涼しげな声と共に木々の間から躍り出る女性がひとり。
メイド装束の上半身に、下着とストッキング姿の下半身、腰から純白の甲殻に赤い縁取りが美しい2対4本の蜘蛛脚を生やしたその姿こそ、誰あろうロジーナ姫の侍女長アヤメ・ツチグモである。
突然の闖入者に怒り狂った灼熱魔熊は、アヤメに向かって閉じぬ口から火炎を放射する。しかし絡みつく蜘蛛糸は火炎でも焼き切れず、アヤメはひらりと跳躍し火炎をかわす。
アヤメは魔熊を飛び越えながら、臀部の外殻に覆われた噴出孔から糸を繰り出し、魔熊をさらに絡めとってゆく。そして着地と同時に2対4本の蜘蛛脚で絡みついた蜘蛛糸を引き絞る。
「忍法蜘蛛糸斬!」
鋭い蜘蛛糸が灼熱魔熊の巨体をバラバラに刻む。
蜘蛛神との交感により眷属としての位階を上げたアヤメの身体能力は格段に上昇しており、臀部の噴出孔から繰り出せる蜘蛛糸の種類も大幅に増えていた。通常の蜘蛛糸ですら、耐熱性が大幅に向上しており、なおかつAクラスの魔獣を両断できるほどの強度を獲得している。
魔獣を退け、油断なく辺りを警戒するアヤメの後方から、魂を鼓舞する歌声が戦場に響く。ロジーナ姫の戦闘歌、「いざ征かん!恋の海原」であった。その増強効果により、失われつつあった少女たちの命がかろうじて繋ぎとめられる。
しかし、ロジーナ姫の転生恩寵『王の器』の試練ゆえか、まるでタイミングを見計らったように戦線の一角が崩れ、魔獣の群れが押し寄せてきた。
とはいえそこは想定内、動じず歌い続けるロジーナ姫の横を颯爽と駆け出す全身鎧の女騎士。“剣狼”羽生獣兵衛美強による地獄の鍛錬を終えた護衛騎士カレンが、魔晶石を握り込みながら両手を組み、叫ぶ。
「超転身スピン! マキシマム!」
魔破の里に迫る魔獣の群れを、護衛騎士カレンの突進が蹂躙する。
魔晶石を利用し、円錐状の力場を強化したスピンは、軽々と十数頭の魔獣を貫いてゆく。その恐るべき破壊力は、迫りくる魔獣の群れを押し返し、ロジーナ姫の戦闘歌と相まって魔破衆の士気を最高潮に高める。
さらに、押っ取り刀で駆け付けた羽生獣兵衛美強が嬉々として魔獣の群れに躍り込む。満面の笑みを浮かべながら、当たるを幸い魔獣の群れを切り刻み、戦場を駆け抜ける。
その美強の眼前に、巨大な虫型の魔獣に苦戦する魔破衆が現れた。
この体長6メートルを超える真っ黒な甲虫型の魔獣は、凶悪な大顎の殺傷力もさることながら、体を覆う外骨格の硬さが群を抜いている。金剛鋼すら超える強度の外骨格は、魔素による防御力上昇効果により、物理攻撃では破壊不可能とまで言われるほどだ。実際、魔破衆の攻撃を受けても傷ひとつついていない。
「こういうの相手にゃあ、正面からやるだけが能じゃねえのさ」
美強はそう魔破衆に声をかけ、するりと甲虫に近づくと、拳をひたりとその外骨格にあてがう。一瞬、美強の体が震えたかと思うと、甲虫の体が内側から爆散した。
「どうでえ、いくら外っ面が固くても、中身まで鋼鉄ってわけじゃあるめえよ」
飛び散る体液を剣風で払いつつ、美強は次の獲物を求めてさらに戦場を駆けてゆく。
◆◆◆◆◆
ロジーナ姫と共に駆け付けた魔破衆頭目藻屑の指示で、治療や回復を得意とする魔破衆が戦場へと散開してゆく。
蜘蛛の腹を食いちぎられた少女も、はた目にはぞんざいにも見える治療を施される。しばらくは絶対安静だが、そこは魔獣の力を受け継ぐ魔破衆、これほどの傷も次の脱皮でほぼ完治してしまうだろう。
里に響き渡るロジーナ姫の戦闘歌に鼓舞されつつ、乱戦状態は徐々に連携の取れた戦いへと移行し始めた。魔破衆はそれぞれの宿す能力を存分に発揮し、里へ押し寄せる魔獣の群れを駆逐してゆく。
無数の浮遊する眼球が戦場全体を監視し、戦況を魔破衆頭目である藻屑へと伝える。百々目鬼の能力を宿す魔破衆からの報告を元に、藻屑は手薄な箇所へと戦力を振り分けてゆく。その手慣れた差配により、魔獣の殲滅速度は格段に上昇する。
このままいけば遠からず魔獣の撃退に成功するであろう。誰もが思ったその時、戦場の喧騒を貫いて、魔破の里に咆哮が響き渡った。
咆哮の発生源へと目をやった藻屑が歯噛みする。
「ぬかった! よもや地震の余波で彼奴の封印が解けるとは!」
視線の先では身の丈20メートルにも達しようかという巨大な人影が、瓦礫をばらまきながら立ち上がろうとしていた。
真っ赤な全身に手足を覆う剛毛、額からは2本の黒い角を生やしたその巨人こそ、九頭竜諸島を恐怖で震撼させた鬼の頭領、朱天童子である。
500年前、頼光四天王により討伐され巨石に封印されていたものが、めぐりめぐって魔破の里へと受け継がれた。そして魔破衆が九頭竜諸島を追われる際、この封印石も共に持ち出されたのだ。
なぜそんな危険なものを、国を追われる際に捨て置かなかったのであろうか。ひとえに藻屑のもったいない精神によるものであり、いつか朱天童子の子種を搾り取ってやろうという下心ゆえである。
朱天童子は、地震で倒れた鎮守の神木を掴むと、魔力で強化し一振りする。20メートルの巨体による素振りは、それだけで強風と衝撃波を生み、周囲の瓦礫を薙ぎ払う。
「おのれ、ただでさえ手が足りぬというに。暴れる前にもういちど封印してくれる!」
藻屑が懐から呪符を取り出し、呪印を組みながら詠唱を開始する。
しかし魔素の流れを敏感に感じ取った朱天童子は、藻屑を視界に捉えると、魔力を込めた咆哮を叩きつけて藻屑の周囲の魔素をかき乱す。咆哮に込められた魔力により藻屑の術式は阻害され、周囲に展開していた呪符も細切れに引き裂かれてしまう。
朱天童子は藻屑をにらみつけると、にやりと口角を上げる。
「このクソ狐、まあだ生きてやがったか。封印された時の恨み、たっぷり晴らさせてもらうぜえ」
そう言って神木を肩に担ぐと、藻屑めがけて地響きと共に走り出した。彼我の間にその巨体を阻める物は何もない。
「あははは、なんでえ、面白そうなのが残ってるじゃねえか」
笑い声と共に藻屑の横を駆け抜けるひと筋の影。“剣狼”羽生獣兵衛美強が愛刀鬼切玉宿伍號に神気をまとわせ、朱天童子へと迫る。
美強のただ者ではない気配に朱天童子も足を止め、思い切り神木を振るう。
しかし美強は風圧も衝撃波もするりとかわし、朱天童子の足首へと斬り込む。金属がこすれる様な甲高い切断音と共に、美強の斬撃は朱天童子の骨まで達するものの、足首を切り飛ばすまでには至らない。
「ははっ、俺の斬撃をそこそこいなしやがるたぁ、デカイだけの木偶の坊じゃねえって事か。刻みがいがあるぜ!」
満面の笑みで追撃しようとする美強に、跳躍して距離を取る朱天童子。負傷した足をかばいながら無様に転がるものの、憤怒の形相で吼える。
「なめるな犬っコロが! おめえみてえな野郎にはこういうのが効くんだよ!」
走り込む美強に向け、魔力で強化された朱天童子の体毛が発射された。
たかが毛とはいえ身長20メートルの鬼の体毛である。長さ50センチ程もある鋼鉄より硬い針といった所であろうか。次々と生え変わる体毛による射撃は、いつ果てるともなく続く。
いっぽう美強は、必殺の威力を秘めた毛針による面制圧に前進を阻まれていた。飛来する毛針を叩き落とす事は容易だが、いかんせん数が多い。
まき散らされる毛針は周囲を無差別に襲い、木々や倒壊を免れた建物をも破壊してゆく。騒ぎに駆け戻ったアヤメとカレンも、ロジーナ姫を毛針から守るので手いっぱいである。
前方に防御壁を展開した藻屑が、膠着状態を幸いと再び封印術式を編もうとするが、それを察した朱天童子が電撃を放つ。
朱天童子の魔力を周囲の雷精により増幅した電撃は、藻屑の強固な防御壁をも破壊する。防御をなくした藻屑は飛来する毛針の対応に追われ、術式を破棄せざるを得ない。
「お師匠様! 私が道を開きます!」
カレンが叫び、両手を組み合わせると走り出す。
「超転身スピン! マキシマム!」
円錐状の力場により毛針を弾き飛ばしながら、カレンが膝立ちの朱天童子へと突進した。その後ろへ追随し、美強が跳躍する。斜めの軌跡を描きながら進むスピンが狙うは朱天童子の首。
朱天童子は手にした神木でカレンを迎え撃つ。真っ向から振り下ろされる神木とカレンの超転身スピンが激突し、轟音が響き渡る。朱天童子の魔力で強化された神木をカレンのスピンが砕くものの、勢いを相殺されカレンの突進は止まってしまう。
しかしカレンの背後から跳躍していた美強が、さらにカレンを踏み台に加速し朱天童子に迫る。その瞬間、辺りを眩いばかりの閃光が覆った。朱天童子が全身から強烈な電撃を放ったのだ。
朱天童子の膨大な魔力をさらに周囲の雷精によって増幅した放電は全周囲に及んだ。回避不可能なその電撃は、美強とカレンの魔法抵抗を軽々と凌駕する。通電による熱量により、周囲に散乱する瓦礫の木材が赤々と燃え上がった。
美強はとっさに神気を全身にめぐらし、電撃のエネルギーに対抗する。
それでも相殺しきれぬダメージを、着地と共に独特の呼吸法により回復してゆく。全身に魔力を巡らせ治癒力を劇的に高める『羽生流呼吸術・死捨魔』である。
いっぽうカレンは、全身鎧に施された耐雷防御により電撃の威力を大幅に減ずるものの、圧倒的なエネルギーはそれでもカレンの体を容赦なく痛めつけた。
激痛の中、カレンは春の女神に祈念し『治癒』の奇蹟を賜る。
これは欠損部位こそ補えぬものの、治療効果に関しては治癒魔法の『重症治癒』にも匹敵する奇蹟であった。ゆえに位階としては信者に過ぎないカレンは1日に3度までしか使えない。
一撃で倒せなかったと見るや、朱天童子は再び電撃を放つ。
飛び退る美強とカレン、ふたりの前に巨大な防御壁が展開された。藻屑渾身の防御結界である。
呪符を利用し魔力効率を高めているものの、特級魔法使いですら魔力が尽きるほどの出力が込められているその防御結界は、かろうじて朱天童子の雷撃を相殺する。
多くの強敵を葬ってきた必殺の攻撃を2度も防がれ、朱天童子は忌々し気に表情をゆがめた。まだまだ魔力には余裕があるとはいえ、詰め切れぬもどかしさに苛立ちを覚える。
いっぽうの藻屑たちも攻めあぐねていた。斬り合いならば美強に分があるだろうが、毛針や電撃により近づくこともままならない。
さらに藻屑は、いまだに朱天童子の子種をあきらめきれずにいた。できる事ならば何とかして再封印したいと切望している。
両者が距離を取り、戦いはいったん仕切り直しとなった。お互いが出方をうかがうひと時の膠着状態の中、突如としてはるか上空から眩い光が一条降り注ぐ。
その光は恐るべきエネルギーの束であった。
それは正確に朱天童子のみを捉え、周囲に一切の被害を与えず、その体を瞬時に崩壊させる。朱天童子は己の身に何が起きたか理解する間もなく、この世から消滅した。
突然の出来事にあっけにとられる一同の前に、上空から優雅に降り立つのは、全長240メートルの黄金に輝く龍。黄金に輝く麗しき太陽の化身である。
先の光は黄金龍による龍の息吹、畏怖をもって呼ばれるその名も『万象を滅する全なる光』であった。
さらに十数体の龍が雲上より舞い降りる。その中にはキーラたちを腕に抱えた漆黒の夜に潜みし大いなる狩人もいた。
盟約により居住を許されているとはいえ、これほどの龍が魔破の里に訪れるなど初めての事である。
既に魔獣の群れも龍の気配に逃げ出している。緊張の面持ちで龍と相対する藻屑、ロジーナ姫、美強、カレン、そしてアヤメ。
黄金龍はあくまで優雅に長い首を地面へと下げる。その首筋にまたがり手を振る人影を見たロジーナ姫が歓喜の声を上げた。
「おお、ナナシではないか! もしやおぬしが黄金に輝く麗しき太陽の化身陛下を連れてきてくれたのか!?」
その場の空気が一気に弛緩し、一同の顔にも笑みがこぼれた。
黒龍から飛び降りたレジオナが藻屑に駆け寄り「いっこ貸しだかんね~」と煽れば、藻屑も「何をのたまう、この腐れスライムが! こっちは貴重な子種を消し飛ばされて大損よ! むしろ賠償してもらおうか!」と応じる。
にらみ合う両者をよそに、人化した龍種たちを交え、ナナシたちとロジーナ姫、魔破衆の情報交換が行われてゆく。
魔獣暴走はまだ始まったばかり。ロジーナ姫には王国を救わねばならぬ重責が待っているのである。




