ラ・ノワール
聖龍連峰にある洞窟に造られた、龍の巣穴の一室。そこが今まさに戦場と化していた。
壁が本棚で埋め尽くされたその広い部屋の中には机が6つ、背中合わせで2列に並んでおり、6人の女性が一心不乱に絵を描いている。
その中のひとり、漆黒の髪を適当に結い上げ、インクが染み付いたヨレヨレのトラックスーツを着た美しい女性が、人物の描かれた紙を隣の女性の机へ渡しながら叫ぶ。
「壱号ちゃん! これ背景お願い! あと人物何ページ!?」
壱号と呼ばれた、数字の1が描かれたヘアバンド姿のレジオナが進行表を確認してふにゃふにゃと答える。
「先生ちゃん~、人物はあと20ページだにょ~。背景は先入れしてるから~、あと3ページのよてい~」
周りではそれぞれ番号の振られたヘアバンドを付けたレジオナたちが、それぞれの担当する背景や仕上げを猛スピードでこなしていた。
ここにいるレジオナたちは皆白髪に白い服を着ている。某スーパーアシスタントのコスプレで気合を入れているつもりなのだろう。
先生ちゃんと呼ばれた女性が残り枚数を聞いて泣き言をいう。
「やだも~! 絶対間に合わない! あえて寝る!」
その様子に壱号レジオナがふにゃふにゃと突っ込む。
「先生ちゃんさ~、いーだすはいむでサボってんのロジーナ姫に見られちゃってんだから~、これで原稿おとしたらも~のすっご~いおこられるよ~」
「ううっ、だからアレはお使いでチャラになったでしょ!」
「黒龍配達便でチャラになったのはサボってたことだけでしょ~。しめきりもいちにち伸ばしてもらったんだからさ~、がんばろ~よ~!」
「ふえええ。壱号ちゃんが優しくない~! いっちょ王都火の海にしてくる~!」
不穏な台詞を口走る先生ちゃんに、弐号レジオナがアイスをスプーンですくって差し出す。
「ほ~ら先生ちゃん~、あまあまですよ~」
口元に差し出されたアイスにパクリと食いつき、先生ちゃんは瞳を潤ませる。
「あま~い。あまあま好き~」
「も~ちょっとだけがんばろ~ね~」
「がんばる~あまあま~」
この壊れかけの先生ちゃん、今年で3千歳の黒龍なのだから恐れ入る。
今でこそ月刊スラスラコミックの人気作家『ラ・ノワール』として締め切りに追われ泣いているが、本気を出せば王都のひとつやふたつあっという間に壊滅させうる、恐るべき存在なのだ。
しかしすっかりオタク趣味に目覚めた黒龍は今や文化の守り手であり、人化の術を使ってちょくちょく町へも遊びに出かけるほどの文化好きとなってしまった。
レジオナにとってもMANGA文化を共に発展させていく心強い同志である。原稿がピンチならば人海戦術でアシストするのも当然と言えよう。
ちなみにレジオナ自身も5人のレジオナが作風を変えつつ月刊スラスラコミックでそれぞれ連載をこなしていた。今やレジオナは全世界に散らばっており、様々な分野で活動している。その総数は日々変動するため、レジオナ自身も把握していない。
「ううっ、このキャラにこんなめんどくさい服着せた先々月の私を殺してやりたい……」
ノリノリでキャラ設定をした事も忘れ呪詛を吐く先生ちゃんに、壱号レジオナが飴をぶら下げる。
「これが仕上がったらお楽しみ箱がとどくからさ~、先生ちゃんもうひと息だにょ~!」
「お楽しみ箱! 今月は何が入ってるかな~」
お楽しみ箱とは、毎月スラスラコミック編集部から届けられる、先生ちゃんの好きそうなものが詰め合わせられた箱の事であった。先生ちゃんの原稿料はほぼこれに費やされ、時に原稿料では足りず着払いで金貨や龍の鱗等を渡す事もある。
「レジオナ情報網によるとね~地下本の魔王総受けが入ってるとの事~!」
「魔王総受け! ヤバいキタコレ!」
先生ちゃんの鼻息が荒くなり、ペンの滑りも滑らかになる。
地下本とは、その名の通り地下に広がるドワーフ工房で刷られている本であった。たいていの国では内容の過激さのため出版が不可能であり、ゆえに国家の法が届かぬドワーフ工房で製本されている。
基本的に作者の素性は厳重に秘匿され、原稿は現金買取、発行も少部数いちどきりと、よほどの伝手でもない限り手に入れる事自体が不可能な限定本となっており、その価値は計り知れない。しかも内容が魔王総受けとあっては、先生ちゃんのテンションが上がるのもやむなしといった所であろう。
しかし、原稿の進み具合とは裏腹に壱号レジオナの顔色が悪くなる。王都にいるレジオナからの情報で、お楽しみ箱を届けるための護衛を引き受けられるパーティが見つからず、お楽しみ箱が発送できない状況であるという。
オークの軍団により王都の有力な冒険者が激減したせいで、聖龍連峰の麓に広がる森を踏破できるほどの実力者が集まらないのが原因であった。この森は聖龍連峰を走る霊脈の影響により魔素が濃く、生息する魔獣も強力なものが多い。
この事を先生ちゃんに気付かれては今月の原稿が危うい。それどころかキレた先生ちゃんによる王都炎上待ったなしである。レジオナたちは危機回避に向けて動き出した。
◆◆◆◆◆
ジルバラント王国首都クリンゲル。人口15万人のこの都市には冒険者ギルドが3カ所に設置されており、その中でも平民街の中央広場に面したひときわ大きな建物がジルバラント王国冒険者ギルド統括本部である。
その冒険者ギルド統括本部の3階にあるギルド長の執務室で、初代“鉄腕”ゴットフリートと“銀剣”キーラが接客用のテーブルをはさんで座っていた。
室内には雑然と書類や本が積み上げられており、壁際の棚には“鉄腕”の二つ名の元となった義手が並べられている。
義手の持ち主であるギルド長ゴットフリートは、身長188センチ、体重120キログラムの巨漢であった。齢50を超えてなお衰えぬ強靭な肉体は、さすが元特級冒険者といえよう。
ゴットフリートが禿頭を撫でながらキーラに話しかける。手入れされた髭面には疲労の陰が見えた。
「ギルドへの報告諸々ご苦労だったな。よく生きて帰ってくれた」
キーラも表情に疲れをにじませながら答える。ここ数日は報告や事後処理で精神をすり減らしていた。強敵と剣を交えている方がキーラにとってはよほど楽である。
「確かになァ、このひと月の事を考えたら、生きてんのが奇蹟だぜ」
「ところで……引退の話だが、考え直す気はないか? ただでさえ王都のギルドは壊滅的ともいえる損害を出してるんだ、とにかく人手が足りん。それに帰ってきた上級冒険者の女たちにも引退したいという者が多くてな」
「おやっさんが現役復帰すりゃいいんじゃねーの? 他にも上級で通用する年寄連中がいんだろ。あと5年ぐらい踏ん張らせれば、何とかひよっこ共も育ってくると思うぜ」
「俺もギルド長なんて放り出して現役に戻った方がどれだけ気が楽か。しかしオークどもの戦力を見誤った責任は取らねばならん。早急に王都のギルドを立て直す必要がある」
「まあ、相手を見誤ったのは現場のウチらにも責任があんだろ。あんだけの装備と人員が揃ってりゃ怖いもん無しだと思い込んでもしょうがねえさ」
「魔王軍にオークキングや死霊王クラスの化け物がどのくらいいるか……考えただけで頭が痛くなって来るな。隠遁してる剣聖あたりも本気で探さねばなるまい」
ふたりの間に沈黙が訪れる。重い空気を払拭するようにキーラが声を上げた。
「あたいもちったあこれからの事を考えねえとな。そういうわけで冒険者稼業も潮時だ。腕もこんななっちまったしな」
そう言いながら手首から先のない右手を上げてみせる。しかしゴットフリートはそれを見てふんと鼻を鳴らす。
「そんな風に目を輝かせながら言っても説得力が無いぞ。これから新しい冒険に出る新人みたいな顔しやがって。そんなに例のオークが気に入ったのか?」
ゴットフリートの指摘に苦笑いを返すキーラ。
「まー、色々借りも作っちまったしな。それにあいつの周りではこれからもデカいトラブルが起きんだろ。あたいのあずかり知らぬ所で世界の命運が決まんのもつまんねーじゃねえか」
「オークと行動を共にするのに、冒険者の肩書は邪魔って事か。しかし奴は言ってみれば救国の英雄並みの働きをしたんだ。そのうち評価される可能性もあるだろう。引退までする必要があるか?」
「潮目が変わって国から討伐命令が出たらどうすんだよ。ロジーナ王女殿下が擁護したって国王陛下の意向にゃ逆らえねえだろ。実際あいつはオークキングより強いし、混沌の使徒をブッ飛ばせるんだぞ。そんなすげえオークを放置できるかよ?」
「まあ……実際お前から話を聞いてなかったら、最大級の警戒対象と認識していただろうな。国を挙げて討伐するレベルの脅威だ」
「あたいや王女殿下がどんなにこいつはいいオークだって言った所で、見世物的に受け入れる事はあっても、背中を預けて戦えるまでにゃあ相当時間がかかるだろ。だったら単独行動の方がマシさ」
「それで人類に敵対しないという保証はあるのか?」
「そうだな、あいつが人類に敵対するくらいブチ切れてるんなら、むしろあたいがその時人類にブチ切れてないか不安だぜ。相当やらかしちまってるはずだからな、人類がよォ」
「ははは、なんだそりゃ。まあ少なくともお前程度には温厚だって事か。まったく安心できる基準じゃないな」
「はァ? あたいほど温厚な人間はそう居ねーだろ。ちょっと煽られたぐらいでアンチマターなんちゃらをぶっ放すようなエルフに比べりゃ聖人レベルだっつーの!」
「そこまで煽ったのは誰だよまったく……」
「モニカだよ! あたいじゃねえ!」
キーラの反論に深々とため息をついて、ゴットフリートは席を立つと、壁際の棚へと歩み寄る。
「やりたい事が決まってるなら仕方あるまい。こいつは餞別だ、持ってけ」
そう言って棚から鋼鉄製の武骨な義手を取り出すと、キーラに向かって放り投げた。7キログラムはあるその義手をキーラは左手で軽々と受け止める。
義手は前腕を3分の2ほど覆う籠手の形状で、指には関節が設けられており開閉できるようになっていた。ゴットフリートが現在着けている、人体のラインに沿った繊細なタイプとは真逆の、戦闘で相手を叩き潰し攻撃を弾き返すための頑強な代物である。
キーラは腕を差し入れる部分をまじまじと見つめると、眉をひそめてゴットフリートに問いかけた。
「これちゃんと洗ってんだろうな? 大体おやっさんの腕に合わせて作ってあるんだろ、あたいの細腕にゃあデカすぎんじゃねえの?」
「おまっ、失礼な奴だな! こいつをオーダーメイドで作ったらいくらかかると思ってんだ。心配しなくても腕をつっこみゃ自動的に固定してくれる。欠損部位もお前と俺は似たようなもんだからな。バンゲルの野郎に譲ってやった時はサイズ調整したが、お前ならそのまま使えるだろう」
死んだ仲間の名に、キーラは「そっか」と呟いて義手に右腕を突っ込む。
すると内部の柔らかい固定具が反応し、キーラの前腕にぴたりと吸い付いた。その軟体生物じみた感触に思わずキーラは「おひょおおおおおぉ!?」と声を上げてしまう。
ゴットフリートはそんなキーラの様子に大笑いである。ひとしきり笑った後、顔を上気させ睨むキーラに目尻の涙を拭いながら義手の説明を始める。
「いやあ、お前も中々可愛らしい声を出せるんだな。おっと」
キーラの義手パンチを受け止め、そのまま手の平を上に向かせると義手の肘に近いあたりの蓋を開ける。そこには虹色に輝く5センチほどの円柱と、丸いボタンがあった。
「ここに魔晶石をはめ込むようになってる。最初にサイズ調整をするための魔力用だな。まあ魔晶石を使わなくても魔力を流せば装着できるし、装着してしまえば魔力は使わなくても大丈夫だ。義手を外す時はこの解除ボタンを押す」
そして机の上からペンを取ると、キーラに差し出す。
「あとは、魔力を流せば指が開閉できるようになってる。今の俺の義手ほど繊細な動きはできんが、武器の柄を握るには問題ないだろう」
キーラは義手に魔力を流してみる。その瞬間、義手の重さがスッと消え去り、まるで自分の手のように馴染むのを感じた。錯覚かもしれないが義手の表面に空気の感触すらある。
「へえ、こりゃあいいや」
上機嫌でペンを受け取ると、キーラは武骨な義手の指でくるくると器用にペンを回す。
「はぁ!? おい、何だそりゃ!」
ゴットフリートが驚いて声を上げた。
「おかしいだろ! その義手はそんな器用に動かせる作りじゃねえ! お前何やってんだ!?」
キーラはきょとんとした顔でゴットフリートを見る。
「何って……高い義手なんだからこんくらいできんじゃねーの? 特別な事はしてねーよ」
「いやいやいやいや、ちょっと外してみろ、ほら」
「えー、なんだよ……」
キーラはしぶしぶ義手を外す。すると、右手の欠損部位にうっすらと半透明の右手が形成されていた。
それは一瞬、陽炎のようにゆらめくと儚く霧散してしまう。ふたりはその様子を唖然として見つめていた。
「なんだ今のは……?」
我に返ったゴットフリートがキーラを見る。義手の性能を超えた挙動は間違いなく今の現象が原因であろう。
「いや、あたいに聞かれても……」
ふと、キーラは混沌の使徒と戦った時の事を思い出す。あの時体から抜け出した魂の感じが今の腕に似ていたような気がする。
そうやって思い返してみれば、あの時ナナシが掴んでくれたのは無いはずの右手だった。肉体は欠損していても魂の記憶としての右腕は存在していたという事だろうか。
そして今の現象は、恐らくナナシが自分の「魂の右手」を掴んだ事に原因があるのだろう。ナナシが右手はここに在ると示してくれたことで、魂の右手に何らかの作用が働いたとしか思えない。
自分でも半信半疑ながら、キーラはゴットフリートに説明する。ゴットフリートは顎髭を撫でながら興味深そうに聞いていた。
キーラは欠けた右腕を見つめ呟く。
「ホント、おめーには助けてもらってばっかりだな……」
その声に答えるかのように、一瞬だけ右腕の先が揺らめいて見えた。




