魔破の里
ジルバラント王国の上空を跳躍する緑の影。
イーダスハイムを目指す身の丈4メートルのオークと、その腕の中で両手をわきわきと動かす赤い髪の少女がひとり。ナナシとレジオナである。
レジオナが風に顔をもみくちゃにされながらふにゃふにゃと笑う。
「固った! 時速500キロのおっぱい固った! キーラちんの大胸筋も目じゃないにゃ~」
どうやら時速60キロの風圧はおっぱいとおなじ感触という俗説から、時速500キロのおっぱいの感触を確かめているようだ。
ひとしきりおっぱいの感触を楽しんだレジオナは、『力場形成』を使い流線型の力場でふたりを覆う。風の抵抗が軽減され、ナナシの速度がさらに上がった。
やがてブリュッケシュタット上空に達した頃、レジオナがナナシに降りるよう伝える。力場を切り、ナナシが器用に旋回して混沌浸食が起きた付近に着地すると、赤い毛並の狼が駆け寄って来た。
レジオナが「よ~しよしよしよし」と満面の笑みでモフモフと撫でまくると、狼は嫌そうに体をくねらせて逃げ出す。そしてぐにゃりと体を溶かし、ぽよんと飛び跳ね赤い髪のレジオナへと変形した。当然の事ながら一糸まとわぬ姿である。
裸のレジオナはぷりぷりと怒りながらレジオナに詰め寄った。
「も~、毎回それやんのやめてよね~。ちっともおもしろくないし~」
「だって~いやがるのがおもしろいんだもん」
「も~サイアク! ホント私たちってそういうとこあるよね~」
ふにゃふにゃと会話するレジオナたちに、目のやり場に困るナナシ。
「もうここらの監視はいいでしょ~。あれから混沌の気配もないし~」
裸のレジオナが辺りを見回しながら言う。ナナシと一緒に来たレジオナもふんふんとうなずいて同意する。
「いいんじゃない~? おつかれさま~。じゃあ私たちはいくね~」
「ちょっと~、私たちもかえるってば~。ホント我ながらめんどくさい~」
裸のレジオナがため息をつく。同じレジオナでも集合する個体によって性格に幅が出る。このレジオナは、どちらかと言えば普段のレジオナの行動をうっとうしく感じるタイプのようだ。
「そんなに私たちとひとつになりたいのかにゃ~? ほ~らおいで~、私たちに還りなさい~」
レジオナがシャツをはだけて満面の笑みで両手を広げる。裸のレジオナは、これ以上ないくらい嫌そうな表情でレジオナに近づくと、顔面を鷲掴みにする。
「ほんっとうにメ・ン・ド・ク・サ・イ! じゃあ私たちは帰るから~!」
裸のレジオナはそう告げると、はだけたシャツを完全に無視してレジオナの頭部を掴んだ手から融合し、レジオナの内部へにゅるんと消えていった。
レジオナの『無限収納』は、展開している個体が完全にその中へ入る事はできない。『無限収納』を使って全員が移動する事はできず、必ず現地にひとり取り残されるレジオナが出てしまう。
すでに個体の死についての感傷は超越している部分もあるレジオナだが、無暗に自分たちの誰かを失う事が平気というわけではない。
自分たちの回収を終えたレジオナはナナシに駆け寄ると、その体をスルスルとよじ登り腕の中にすっぽりと収まる。
「ナナシたんおまたせ~。ほんじゃ出発しよっか~」
完全に蚊帳の外で成り行きを見守っていたナナシは、腕の中のレジオナに聞くともなく呟く。
「前にレジオナがどこにでもいるって言ってたけど、いろんなレジオナもいるんだね」
レジオナがちょっと得意げにふにゃふにゃと答える。
「私たちはめっちゃ空気が読める女だからね~。時と場所にあわせていろんなタイプをご用意してるんよ! 水陸両用とか砂漠戦用もいるんだにょ~。すごいでしょ~」
「へえ。赤いレジオナは何専用なの?」
「私たちはね~、なんと通常の3倍エロいんよ!」
「あっ……そうなんだ」
「ちょ、ナナシたん反応うすくない~? オークにあるまじき、この淡白さ!」
憤慨するレジオナをよそに、跳躍しようと腰を沈めるナナシ。そこへ慌ててレジオナが待ったをかける。
「あっまってまって~! レジオナ情報網によると~、ロジーナ姫は今魔破の里にいるんだって~。あっちの山脈ぞいに西へすすんでちょ~」
「魔破の里ってどんなとこなの?」
跳躍方向を修正しながらナナシが問う。レジオナは楽しそうにふにゃふにゃと答える。
「フヒヒ、それがね~、みんな大好き忍者の里なんだにょ~!」
「おおっ! 忍者! 凄い凄い、楽しみ!」
「えぇ~、ナナシたんその食いつきっぷりどうなんよ~! 言っとくけどね~、魔破の里ではナナシたんの貞操もあやういかんね~! かくごしといたほうがいいよ~」
レジオナの不穏な言葉を聞き流しつつ、ナナシたちは一路魔破の里を目指すのであった。
◆◆◆◆◆
時は少々さかのぼり、ナナシたちが魔破の里を目指す前日。ロジーナ姫一行は、行商に来ていた魔破衆に便乗し魔破の里へと到着していた。
イーダスハイムの首都ゴーザシルトから北上すること約2日、聖龍連峰のふもとに広がる森林の、西端を切り開いた場所に魔破の里がある。30年ほど前に九頭竜諸島から流れて来た約3000人の魔破衆が、先代のジルバラント国王の許しを得てここに居を構えたのだ。
広々とした麦畑や放牧されている牛などを横目に見ながら、長閑な風景の中を進み、簡素な柵で囲まれた村へ入ると、ロジーナ姫一行を大勢の村人たちが出迎える。
彼らは異形であった。
基本的には人間の形なのだが、体のそこかしこに妖怪変化魑魅魍魎の特徴を備えており、一見して魔族のようにも見える。そしてこれこそが、魔の力を宿し魔を払う魔破衆最大の特徴なのだ。
魔破の里には、産神である木花開耶姫の信徒である産土女と呼ばれる、魔の者と交わり子を宿す役目のくノ一がいる。彼女たちが強力な怪異の子種をその身に宿し、その力を子々孫々受け継ぐ事で、他に類を見ない強力な忍者軍団を作り上げて来たのだ。
村人たちの間から、子犬とも人間の子供ともつかぬ愛らしい生き物がロジーナ姫に駆け寄る。
「ひめさま! いらっしゃいなの!」
それを機に、わらわらと子供たちが一行を取り囲む。猫もいれば鬼も天狗もいる。下半身が蜘蛛の子はアヤメに抱き着いて頬ずりしていた。
子供たちは口々にロジーナ姫に話しかけるが、その話題の中心は巨大なオークに関してだった。
この村にも魔導放送の中継器が設置されており、『姫様うきうき半生放送』は人気の番組である。子供たちの中には「剛腕! 爆裂!」と叫びながら、例のポーズを決めている者もいた。
怪異の力を身に宿すこの村の住人にとって、強い魔物は力を与えてくれる相手であり、それが味方となれば人気が出るのは当然の事であろう。
やがて頭目が姿を現すと、村人たちは統率された動きで控え、ロジーナ姫一行の周りに整然とした人の輪ができた。子供たちまでおとなしく親兄弟のもとでちょこんと座っている。
現れたのはふたりの女性であった。
ひとりは初老の女性で、着流しの腰に大小を差している。白髪交じりの散切り頭の上では、三角の獣耳が可愛らしく揺れていた。
その名は“剣狼”羽生獣兵衛美強、羽生心影流を極めた剣豪である。
もうひとりは豪華な着物を大胆に着崩し、胸元もあらわな絶世の美女。頭には狐耳、後ろにはふさふさの狐の尾が9本揺れている。
魔破衆頭目、藻屑。九頭竜諸島において勢力争いに敗れ、西方諸国へと落ち延びた稀代の陰陽師である。
ロジーナ姫は藻屑に向かい軽く会釈し挨拶を交わす。
「これは御前、久しぶりじゃの。皆元気そうで何よりじゃ」
藻屑はロジーナ姫に対し、にっこりと笑いながら立ったまま挨拶を返す。
「お嬢も元気そうで安心したわ。中々大変だったみたいね」
「なんじゃ御前よ、おぬし雰囲気が変わっとらんか?」
ロジーナ姫が違和感を口にすると、藻屑は腕を組み口をへの字に曲げ抗議した。
「なによ、そもそもお嬢が私とキャラ被りするからでしょ! 魔導放送のせいで私が『わらわ』だの『のじゃ』だの使うと子供たちがお嬢の真似だと思ってきゃっきゃ笑うのよ! 簒奪よ! 権力者の横暴よ!」
「う、それはまっことすまんかった。わらわも、まさか身近にのじゃキャラがいるとは思いもよらなんだでのう。どうじゃ、ひとつ、のじゃユニットとして配信デビューしてみんか? 御前なら視聴率うなぎ登りじゃろ」
「やめてよね。何のために私がこんな片田舎に隠棲してると思ってるのよ。配信デビューは、せめて龍種の血を魔破の里に取り込んでからね」
そこで藻屑は思い出したように続ける。
「そういえば、例のオーカイザーをどうして連れて来てないの。てっきりうちの里に土産として子種をくれるんだと思ってワクワクしてたのに」
「ええっ、無理じゃろ! あやつの一物はわらわの胴体よりデカいぞ!」
「何言ってんの、うちの産土女にはダイダラボッチから子種を搾り取って来た強者もいるんだからね。4メートル程度のオークなんか軽い軽い」
「そうか……まあ残念じゃが、今は連絡を取る手段が無くての。いずれ再会する時が来るじゃろうから、その時は里の事を伝えておこうかの」
ロジーナ姫の言葉に落胆する藻屑。9本の尻尾もしょんぼりと垂れ下がってしまう。ナナシに会うのを相当楽しみにしていたようである。
「あっそ……じゃあまあゆっくりしてくといいわ。またね」
そう言ってとぼとぼと去っていく藻屑。自然と村人たちも解散する。
最後に残った羽生美強が腕を組んでからからと笑う。
「藻屑はあのオークに会うのを楽しみにしてたからな、まあ許してやんな。かくいう俺も、あのオークとは一手交えてみたかったからなァ、結構ガッカリしてるぞ」
その美強の前にカレンが進み出た。真剣な顔つきで美強の前に跪くと、絞り出すような声で懇願する。
「お師匠様、私は今回の戦いで己の弱さを思い知りました。どうか今一度、根本から鍛えなおしてくださいますよう、お願いいたします」
美強はふんと鼻を鳴らし、頭をぼりぼりと掻きながらカレンに言う。
「まァとりあえず立ちな。まったく、困った時だけ弟子面ですり寄って来やがる。ロジーナ浪漫流とやらはもういいのかい」
カレンが立ち上がると、美強との体格差が強調される。
身長185センチのカレンに対し164センチの美強。しかし体格差とは裏腹に、醸し出す強者の雰囲気では美強が遥かに勝っていた。
カレンは師匠と呼んだ美強の言葉に、にっこりと微笑みながら答える。
「いえいえ、ロジーナ浪漫流は私のライフワークであり、全ての術理はロジーナ浪漫流に通ずというか、ロジーナ浪漫流を完成させるために様々な流派の術理を使おうかと。お師匠様の羽生心影流は結構いい線行ってますので」
「かーっ! コレ! コレだよ! 弟子が師匠に言う言葉かね!」
手を額に当て嘆く美強にロジーナ姫が謝る。
「うちの護衛騎士がすまんのう。根はいい子なんじゃが、わらわに対する愛が強すぎて時々ポンコツになってしまうのじゃ。許されよ」
「まあお嬢にそういわれちゃあな。安心しなカレン、後悔するくらい鍛えなおしてやるからよ。修行の途中で死ぬんじゃねえぞ」
美強が獲物を見る眼光でカレンに告げる。カレンは胸に手を当て軽くお辞儀をして返す。
そして場所を移し、カレンの修行が始まった。




