神域
黒煙を上げる、巨大なオークの形をした炭の塊を前に、エルヴィーラが吐き捨てるように言う。
「ふん、何が原初のオークだ。くだらん」
エルヴィーラは鼻で笑って納刀すると、背を向けて歩き出した。
「ぶぇっくしょおいいいい!」
その歩みは背後で起こった盛大なくしゃみによって止まる。振り向いたエルヴィーラの目に映ったのは、くしゃみ1発でナナシの体表から弾け飛ぶ炭の粉と、股間でぶるんと揺れる凶悪な一物だった。
「なん……だと」
エルヴィーラは驚愕の表情でナナシを見つめる。ろくに抵抗もせずにあれだけの『雷撃』を受けて体表が焦げただけで済むものか。脳まで沸騰して完全に息の根が止まるはずである。
「こんな……こんな再生力はありえん! 貴様いったい何なんだ!?」
鼻の奥がまだムズムズするナナシは豪快に手鼻をかむ。煤で真っ黒な鼻水が派手な音を立てて地面へ飛び散った。
「うぇ~、頭がクラクラする~」
ナナシは目を瞬かせながらエルヴィーラを見た。確かに自分でも生きているのが不思議な感じである。
オークキングとの戦いで傷を負った時には再生により傷口が塞がる感覚があったが、今回は治るというよりも再構築される感じというか、瞬時に新品と置き換えられるような感覚だった。
それはナナシには実体験がないため比較できなかったものの、神聖干渉『蘇生』に近い修復である。
現世の理を超えた神域の再生力。これこそがナナシのフィジカル全振りがもたらした奇蹟の能力、『不滅の肉体』であった。
しかしエルヴィーラも2千年の経験は伊達ではない。すぐさま立ち直りナナシに抜き打ちを放つ。
狙うは眼前で不快に揺れる巨大な一物。抜刀と同時に『雷撃』も放ち、倒せぬまでも回避の阻害を狙う。
ナナシは光速で飛来する『雷撃』の直撃を受けつつも、腰を引き股間を守る。いくら硬さに自信があっても刃物相手に打ち合う気はなかった。ましてや今は柔らかく揺れている状態なのだ。
エルヴィーラは返す刀で続けざまに斬撃を放つが、ナナシは周囲の木をへし折りながら辛うじて回避する。斬撃の合間にもういちど『雷撃』を受けるものの、もはや真冬の静電気ほどの痛痒もない。
「馬鹿な……『雷撃』が全く効かなくなっているだと」
エルヴィーラが驚愕の表情でナナシから距離を取る。最初の1発は牽制のために通常威力で撃ったが、2発目は魔力を過剰供給し威力は10倍になっていたはずだ。
「なんか慣れちゃったみたいで」
ナナシがエルフ語で答える。イントネーションや語尾変化を真似たなんちゃって方言ならぬなんちゃってエルフ語だったが、エルヴィーラには通じてしまった。
「下賤なオークごときが高貴なる我らが言葉を穢すなッ!」
エルヴィーラは完全にキレた。世界樹から生まれたという事実だけでも不快だというのに、エルフ語まで喋ってはまるでエルフではないか。
そんなことは許されぬ。そんなことは許されぬのだ。
「切り刻んですり潰して獣の餌にしてくれるわ! クソからでも再生できるか試してやるぞ!」
エルヴィーラが圧縮言語で『氷の棺』を発動させ、ナナシの体が氷に閉じ込められる。氷漬けのナナシにエルヴィーラが迫るが、ナナシの怪力によって砕かれた氷塊が逆にエルヴィーラを襲い、その剣は防御に回さざるを得ない。
その隙に再び距離を取ったナナシの頭上の枝から、レジオナがひょいと逆さに顔を出す。
「ナナシたん、これこれ。お~に~き~り~だ~ま~す~く~」
レジオナは若干早口で名前を呼びながら、ポケットからナナシに向けて鬼切玉宿を落下させる。刃渡り2メートル、積層鍛造の紋様も美しい巨大な剣がするりとナナシの手に滑り込む。
「邪魔をするなゴミ虫めがァ!」
激高したエルヴィーラの手から『雷撃』がレジオナに迸る。
「あばばばばばばばばばば」
直撃を受けたレジオナは全身を放電で発光させながら激しく痙攣し、ヨレヨレの上着は恐るべき熱量にいとも容易く燃え上がった。
「やめろおおお!」
ナナシは無我夢中で鬼切玉宿をエルヴィーラの伸ばした腕に叩き込んだ。力任せに振り下ろされた刃はエルヴィーラの左腕を切り飛ばし地面に深く食い込む。
鬼切玉宿をその場に残し、ナナシは木から落下したレジオナに駆け寄った。ヨレヨレの服は無残に焼け落ち、電流の残滓がパチパチと体表面を走っている。
ナナシがおろおろと手を差し伸べようとすると、レジオナの両目がぱっちりと見開かれた。
「うひゃひゃ、ビックリした~」
レジオナはそう言ってひょいと立ち上がると、パンパンと服の残骸をはたき落とす。白い肌には火傷の跡ひとつ見当たらない。
「うあ~サイアク。あのオバサン見境なさすぎでしょ~。この服イイ感じのヨレヨレに育てるの1年くらいかかったのに~」
そう言ってぷりぷりと怒るレジオナは、両手を広げると体の内側から服を着た。水中から水面に服が浮かび上がるかのように、レジオナの体内から肌の上に服が浮かび上がってきたのだ。
新品の『ヨレヨレな服』を身に着けたレジオナは、ナナシにウインクしながら人差し指を唇に当ててささやく。
「みんなにはナイ」
だがその言葉はナナシの背後で起こった甲高い金属音によって遮られた。エルヴィーラの斬撃がレジオナの展開していた『防御壁』と激突した音である。
「ショだよ……って、も~オバサン! ちょっとは空気読んでよ~、ホントにさ~」
レジオナが憤慨する。ナナシが振り返ると、そこには無い方の左腕で切り飛ばされた左腕を持ったエルヴィーラが血走った目でふたりを睨んでいた。
エルヴィーラの左腕があったはずの場所には、うっすらと半透明な左腕のようなものが見え隠れしている。ナナシの目にはエネルギーの塊が左腕の形としてそこに存在して見えていた。そのエネルギーの腕が、切り飛ばされた左腕を握っているのだ。
「その腕……」
ナナシの言葉にエルヴィーラが答える。
「これか? これが我らエルフの本当の体だ。ヒューマンどものような肉塊に魂が宿っただけの獣とは違う。我らは世界のエネルギーから世界樹によって集約され結実したエネルギー生命体なのだ。肉体は我らと世界のエネルギーを隔てる境界にすぎん。我らこそは、より世界の真実に近い真の人類なのだ」
「ふ~ん、真のじんるいね~。じゃあナナシたんもそうって事だよねぇ~。ヨッ真のじんるいオーカイザー! かっちょい~!」
レジオナがパチパチと手を叩いて囃し立てる。しかしナナシはそれどころではない。
もはやエルヴィーラの様子が尋常ではないのだ。周囲の魔素が際限なくエルヴィーラに流れ込み、その内部でエネルギーがどんどんと濃密に凝縮されてゆく。
「そんな事は許されぬ」
エルヴィーラは昏い声でそう断言すると、切断された左腕を投げ捨ててエネルギー体の左腕を天に向かって伸ばす。体内に凝縮された魔素が魔力となり左腕から放出され、エルヴィーラの圧縮言語によって魔法として構築されてゆく。
その魔法は、防御壁で構成される内部が真空の球として、エルヴィーラの頭上1000メートルの場所に浮かび上がった。そして、注ぎ込まれる魔力によって内部に反物質を召喚し、磁場によって固定する。
本来ならば上級魔術師が数十人がかりで発動させる、戦略級殲滅魔法『反物質召喚爆破』をひとりで発動させようというのだ。
70年ほど前、転生者によってもたらされた理論を基に開発されたこの戦略級魔法は、爆風による殺傷半径10キロメートル、放射される熱線の効果範囲は20キロメートルに及ぶと言われている大規模殲滅魔法である。
そもそも術者自体が安全圏にいられないため、発動直後に神聖干渉『絶対防御圏』により身を守る、あるいは転移魔法で離脱するという運用も考えられたものの、結局は机上の魔法として記録されるにとどまり、現在まで使用された事はいちども無い。
エルヴィーラひとりでは周囲の魔素を総動員してもそこまでの威力は望めないが、それでも半径5キロメートルは爆風で壊滅、熱線による被害はブリュッケシュタットを完全に巻き込むだろう。
「ナナシたん、時間が無いからよく聞いて。あの馬鹿エルフを今すぐ殺すか、上空の魔法をブッ飛ばすかしないと私たちだけじゃなくて町まで吹っ飛ぶ事になる」
レジオナが真剣な顔でナナシに告げる。口調までふにゃふにゃではなくなってしまっている。
「その威力ってまさかアレ……」
「核爆弾じゃなくて反物質爆弾よ。ナナシたん筋力のパラメーターいくつにしたか覚えてる?」
「確か上限まで上げたから150だったと思うけど」
「転生恩寵は何もらった?」
「筋力プラス1」
レジオナは拳を握り腰だめでガッツポーズを取った。
筋力プラス1、転生恩寵としてはゴミもゴミ、大外れの転生恩寵である。しかしフィジカル極振りのナナシによって、それは大化けした。
本来、生物のパラメーターは全て100が上限である。そしてパラメーターが100を超えた能力値は神域と呼ばれる領域に突入し、世の理を超えた能力を発揮することができる。
ところが、この神域にも上限が存在していた。それこそが、転生時のボーナスポイントをつぎ込みでもしない限り到達しえない150なのである。
そして、転生恩寵によるプラス1は神域だろうが限界だろうが純粋にプラス1される。つまり、ナナシの筋力は現在151。神の理すら超えた絶対能力となっているのだ。
「ナナシたん、敵とはいえ女を殺す事に抵抗があるなら上空の魔法をブッ飛ばして。あの距離ならジャンプで届くでしょ。できるだけ上へ向って威力を逃がすイメージで殴れば、ナナシたんの筋力ならイメージ通りに世界の方が追従するから」
ナナシは上空の魔法を仰ぎ見た。もはや猶予はなさそうだ。エルヴィーラが哄笑して告げる。
「ふははははは! もはや私を殺しても魔法は止まらんぞ。術式は完成した。反物質の召喚が終われば自動的に起爆する。愚かな獣の浅知恵でもたらされた魔法で町ごと滅びるがいい!」
ナナシはレジオナと視線をかわすと軽くうなずき、上空の魔法へと跳躍した。
「無駄だ無駄だ! もはや何をしようと無駄なのだ! 防御壁を破壊した時点で反物質が空気に触れて起爆するのだからな!」
叫び続けるエルヴィーラにレジオナがふにゃふにゃと語りかける。
「これが無駄じゃないんだにゃ~。そんなことよりさすがに私たちもムカついてるんだけど~?」
「ゴミどもがムカついたからどうした? 全てがあと数秒で消え去るというのに」
エルヴィーラの足元に転移の魔法陣が浮き上がった。しかしその魔法陣は完成することなく崩壊する。
「にがすわけないでしょ~。ごめんなさいじゃすまさないんだからね~! この馬鹿エルフ、かくごしろよ~!」
「馬鹿な! この私の術式に干渉したというのか! 貴様いったい何者ぐっ」
エルヴィーラの言葉は、背後からまわされた手によって遮られた。口と鼻を覆われたエルヴィーラは抵抗する間もなく意識を奪われ、その場に崩れ落ちる。
「あんれ~? 結構肉体にしばられてるんじゃないの~。体の性能を過信しすぎてんのかにゃ~?」
ふにゃふにゃと疑問を口にしながら、エルヴィーラの後ろからもうひとりのレジオナが現れた。その全裸のレジオナは、エルヴィーラの左腕を拾いながら新品の服を着たレジオナに問いかける。
「私たちはもう行くけどどうする~? いっしょに避難する~?」
「もう大丈夫でしょ~。ほら、ナナシたんが」
そう言って上空を見上げる服を着たレジオナ。つられて全裸のレジオナもナナシを仰ぎ見る。そこでは、ナナシが魔法を防御壁ごと引っ掴み、全力投球で宇宙へと放り投げた所であった。
第2宇宙速度を突破した魔法球は、宇宙空間で防御壁が消滅し、内部の反物質が空間中のごく微量に存在する原子とゆるやかに対消滅を繰り返す。太陽に向けて投げられた反物質は爆発によって加減速しながら、やがて重力に引かれ太陽へと落下してゆくだろう。
その様はまるで宇宙を漂う線香花火のようであった。
本来ならば秒速11キロメートル以上で投げられた物体など、空気抵抗により原形をとどめていられないはずである。
しかし、神域を超える絶対筋力を持つナナシの「投げた球がそのままの速度でまっすぐ飛んでいく」というイメージによって、空気抵抗そのものが無視され、魔法球は失速することもなく惑星重力圏の脱出に成功したのだ。
こうしてこの世界に、神の理をも超えた新たなる奇蹟の能力『剛腕爆裂』が誕生する事となった。




