原初のオーク
神殿跡の血まみれの石畳を雨が洗い流してゆく。
解放された女たちは寝所で思い思いにくつろいでいた。一刻も早く王都に帰りたいのは山々だが、雨の中の行軍など御免こうむる。どうせ王都まで1週間はかかるのだ。1日くらい遅れてもいいではないかというのが大半の意見だった。
露天風呂には一応屋根を設置してあったので、そちらでくつろいでいる者もいる。
ナナシはと言えば、当然の事ながら女たちの寝所には物理的に入れないし入れてもらえる訳がないので、オーク専用の露天風呂で湯沸かし用の魔道具を前に、モニカから魔力操作の手ほどきを受けていた。
討伐隊の備品の中に翻訳の首飾りがあったのでナナシに装備させてみたが、魔力の流し方が分からなかったため使えなかったのだ。ちなみにナナシの首には小さすぎたので、今は左耳にピアスのように着けている。
「たいていの生物には魔法が使えなくても魔力はあるし、そもそも魔道具は一般人が魔法作用を利用するための道具なんだから、ちょっとコツを掴めば誰でも使えるのよ」
モニカはそう言いながら湯沸かし用魔道具を使ってみせた。ナナシの目には何やらエネルギーがモニカから魔道具へと流れていくのが見えている。なるほど見ているだけなら簡単そうだ。
ナナシは魔道具の魔力注入部分をそっと指でつまむと、エネルギーっぽいものを流そうと力んでみる。盛大に屁が出た。突然の爆音に何事かと女たちが顔を出す。アヤメ特製の強靭なスパイダーシルク製ふんどしでなければボロボロに破けていただろう。
「力めばいいってもんじゃないのよ。むしろリラックスして血液の循環を意識してみて。それにこう魔力を乗せてそっと押し出す感じ」
モニカの説明を受け、体の内側に意識を向けるナナシ。肉体は非常に高性能であるナナシは体内のエネルギーの循環をなんとなく感じる事が出来た。その巡るエネルギーの道筋を、少しだけ指先より前へ広げてみる。
すると見事に湯沸かし用魔道具の魔源ランプが点灯し、露天風呂の水が加熱され始めた。
「へえ、やるじゃない。さすがにオークキングを殴って爆散させるだけの事はあるわね」
モニカが感心して言う。いくら超巨大なオークの怪力で殴ったとはいえ、オークキングほどの耐久力を持った相手があれほど粉々になるものではない。無意識とはいえ当然何らかの身体強化がなされていたはずだし、可能性が最も高いのは体内の魔力、あるいは周囲の魔素を使った攻撃力強化であろう。
モニカがメガネの機能のひとつである視覚拡張を発動させて見ていると、体内の魔力だけでなく、周りにある魔素も自然と使っているように見える。魔力の使い方はまるでエルフのようだ。
「あなた大森林中央の巨大な樹から生まれたって言ってたわね。それってつまり世界樹から生まれたわけで、オークに見えて実はエルフって事なのかしら」
そこまで言って、モニカはある論文に思い至った。『虚空録』に書き込まれた、今では教皇しか閲覧できないその論文は、雌だけの種族であるエルフと雄しかいないオークの関係性について言及したものである。それまで噂程度でしかなかった「エルフは世界樹から生まれる」という事実が大々的に知れ渡るきっかけにもなった論文であった。
それによると、世界樹で雌として成熟した個体はエルフとなり、ごく稀に雄として成熟した個体がオークとして生まれる。それが原初のオークであり、現在のオークはすべてその原初のオークの子孫であるという。
そして今でも世界のどこかで数百年に一度という割合で原初のオークが生まれていて、それらは成長すると強力な個体に進化するとも書かれていた。
この論文を知る事となったエルフは猛反発し、知識の女神を信仰していたごく少数のエルフもほとんどが信仰から離れる事となった。
この論文を破棄し『虚空録』から抹消しなければ戦争すら辞さない構えとなったエルフに対し、知識の女神の教皇は断固これを拒否。文句があるなら証拠を集め論文を否定すればよい。事実ならば世の理全てを網羅する『虚空録』より抹消するいわれはないと全面対決の構えを取った。
最終的に、この論文を書いた張本人が実はエルフの大長老、自称1億5千万歳のマイスラ・ラ・リルルであることが発覚する。名乗り出た時の台詞が「いや~、『虚空録』の月間アクセスランキングトップ取ってみたくてさ~。ホントの事書いちゃってゴメンネ!」であった事も各所に衝撃を与えた。
身内の、しかも大長老のやらかしに、振り上げた拳の降ろし所を完全に見失ってしまったエルフ陣営は、その論文の閲覧資格を教皇のみに限定するという知識の女神側の譲歩に同意し、この騒動は終息する事となった。
また、この騒動により『虚空録』のアクセスランキングは廃止され、『虚空録』に書き込まれる論文を精査する『鑑定者』という役職が生まれる事となる。
またも脱線しそうになる思考を軌道修正しつつ、モニカは考察を『知識の座』に書き込んでゆく。つまりナナシは原初のオークであり、本質的にはエルフと同じ生物である。
オーク自体は魔法を使えるし、原初のオークがエルフと同じ身体構造をしているとすれば、周囲の魔素を自分の魔力として使える事は当たり前と言える。
また、ナナシの身体的特徴も納得がいくところもある。普通のオークを縦横高さそれぞれ2.2倍にすれば体積では10倍強。普通のオークの性器はヒューマンより大きめの傾向があるので、それを考慮する事によりナナシの股間のサイズもあり得ない話ではなくなる。
原初のオークから派生した現在のオークは淘汰により生殖器のサイズが限定されているだけで、原初のオークがそのまま巨大化したならばこのような状態になるのであろう。
そして、ナナシが言っていた「ただのオーク」という言葉も、存在進化をしていないという意味では正しかったのだ。とはいえ、ただのオークどころか原初のオークではあるが。
モニカはナナシ観察記録を『知識の座』に書き留めつつ、『虚空録』に書き込む時は閲覧制限を教皇のみに限定する必要がありそうだと注釈を入れた。
『知識の座』への書き込みが一段落したモニカが、ふとナナシに目をやると、当の本人は自分で沸かした湯に浸かってご満悦である。モニカが自慢の双丘でナナシの本気を見てやろうかなどと考えていると、レジオナがやってきて魔導放送の中継器を高い木の天辺に設置してくれとナナシに頼んだ。
「今日は週にいちどの『姫様うきうき半生放送』があるんだよね~。みんな暇だから見たいんだって~」
ロジーナ姫の魔導配信『姫様うきうき半生放送』はジルバラント王国全土に中継放送されている。イーダスハイムにも放送は中継されているので、大森林といえどこの辺りならば中継器で放送が拾えるらしい。
設置が終わると、レジオナがナナシのために魔導放送受像機を1台持ってきてくれた。いつもの様にポケットから「テ~レ~ビ~ジョ~ン~」などと言いながら取り出すレジオナをモニカが生暖かい目で見守る。
レジオナが持ってきたテレビジョンは50センチ四方のガラス板に受像用の魔道具をはめ込んだ一般的なものであった。補強を兼ねて発光の魔法陣を刻印した鉄板が張り付けられており、形状としては液晶テレビに近い。
なぜかキーラも一緒に来ていた。相変わらず全身湿布まみれの有様だが、体は相当楽になって来たらしい。レジオナ特性湿布恐るべし。
「護衛騎士カレンのロジーナ浪漫流講座が見てえんだよ。新技が来てたらちょっと体動かしたいからこっちに来たんだ、なんか文句あっか」
誰にともなく言い訳をしながらキーラはナナシの横に座ると、持ってきた芋の薄切り揚げをつまみ始める。出来立てパリパリだ。
ナナシはそれを羨ましそうに見るが、自分の大きさだと1枚が指先に乗る程度のサイズになってしまう。何枚か口に入れた所で食べた気にならないだろう。巨大さのデメリットにしょんぼりと肩を落とす。
やがてテレビの画面に一瞬光の線が走り、『姫様うきうき半生放送』が始まった。




