第一話
――2024年・猛暑
気温も物価も何もかもが天井知らずに跳ね上がり続ける昨今だが、怪しげなネオンが揺らめくこの夜の街ですら決して例外ではなかった。
職場の狭い人間関係間の噂話と社長に対する不平を吠えるくらいしか話題のない同僚達との飲み会を顔見せ程度に参加した私は、二次会の誘いをなぁなぁで断り妻子のもとへと帰途に着く。
この時間になるとバスはすでに最終便も走っておらず、花金で忙しいためか当分はタクシーもつかまりそうにない。
かと言って、何かの拍子で二次会に行った同僚達とまた鉢合わせるようなことになればなんとなくだがバツが悪い。
暑さで汗もひっきりなしに出てきたことだし、どこか適当に涼める場所はないものか……。
そう考えながらネオン街をあてどもなく進んでいるうちに、元・アメリカ大統領であるハロルド・ソリティア氏の規制発言により盛大に暴落した半導体銘柄達がバニーガール衣装で
「そこのおじさま!……い・ま・こ・そ、アタシ達の乱獲タイムまっさかりだよ~♡」
などと誘惑してきたが、私は股間に軽く血液を滾らせながらも相手にすることなくそれらを断り一人思案にふける。
……全く、何が半導体銘柄だ。
大和男児たるものいつ如何なる時であろうとも、預金という絆を通じて日本円様と命運をともにするのが”筋”というものであるはずだ。
そのような益荒男ぶりを人心をたぶらかすメスウサギ共に叩きつけてわからせる夢想に私がふけりそうになっていた――まさにそのときであった。
「ちょっと、そこの冴えないオッサン!!……暇なら、少しばかりあーしに付き合ってくんない?」
突如、背後から若い女のものと思われる声に呼び止められる。
振り返ってみれば、いかにもギャル然とした制服姿の女子高生だった。
愛想も何も感じられないまっすぐな視線が私を射抜いていることからも、どうやら人違いということはなさそうだ。
年甲斐もなく困惑したまま固まってしまっている私に構うことなく、彼女が語り掛けてくる。
「見たところ他の連中と違ってどっかに予定があるわけでもなさそうだし、かと思えば興味津々なわりに”オアソビ”するほどの金銭的余裕はないから結構ヒマしてる感じじゃん?じゃじゃじゃん?……それなら、ちょっちばかりアタシにその時間使っちゃいなよ♪」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ……!!」
などと言った私の静止などロクに聞きもせず、彼女はグイグイと手を掴んで私を人気のない路地裏へと連れていく……。
何が起こっているのか分からないうちに私は、抵抗する間もなく年端もいかない小娘に地面へと押し倒される形となっていた。
下半身の上に馬乗りしている彼女が、ハァ、ハァ、と荒い息遣いとともに暗がりでも目に見えて見えるほどに頬を蒸気させながら、こちらを見下ろしている。
瞬時に「このままではマズイ……!!」と判断した私は、なけなしの気力を振り絞って声を張り上げる――!!
「待ってくれッ!!私のような社会的立場のある者が、君のような明らかに未成年とおぼしきJKとどうこうなるのは流石にマズイ!!それに何より、その問題を二人の暗黙の了解で切り抜けられたとしても、君が指摘した通り今の私の財布には金銭的余裕が」
「うっさいッ!!――あーしの話を聞けッッ!!!!」
こちらの叫びをかき消すほどの勢いで頭上のギャルが叫ぶ。
それ前にして呆気に取られている間に、瞬時に蠱惑的な笑みを浮かべた彼女が私の耳元へと顔を寄せてくる――。
「……毎食使っているはずなのに、一向に減ることのない不思議なアマニ油♡……それを手に入れることで、己や愛人の中性脂肪を際限なく減らしながら贅沢と健康を極めた生活を送ることを目論む王族や貴族たちによる凄惨な争奪戦♡……膨大な犠牲と長い年月の果てに、誰も寄り付かないような森の奥でひっそりと”聖油”と呼ばれる一族に伝わる謎の宝の管理をする一人の少女♡……そんな彼女のもとから、”聖油”を強奪し去っていく謎の刺客♡……突然起きた衝撃的な出来事を前に呆然とする彼女の前に現れるオネェの名探偵♡……『大丈夫!アンタならきっと、なんとか出来るはずよ!!』……新たに出来た頼もしい相棒とともに、それまで森の外に出たことのなかった少女は、”聖油”の行方と盗まれた理由を見つけ出すために夏の日差しが照りつける王都へと繰り出すこととなる――♡」
「~~~~~~~~~~ッ!?」
少女からもたらされた膨大な情報の洪水が、私の脳髄を駆け巡っていく。
……耳元で紡がれる言の葉に乗せて伝わってくる、緻密な人物描写と細部に仕組まれたギミック、モチーフとなった事象や存在、そしてそれらを包括する圧倒的な世界観。
――主人公の少女が守ってきた”聖油”の正体は、おそらく凄惨な戦を引き起こすほどの力を持ったとされる不思議なアマニ油に違いない。
――……如何なる経緯で彼女の一族の手に渡ったのかは不明だが、おそらく、彼女のもとから強奪したのはその情報をどこかから仕入れた貴族や富裕層の手の者だろうか?
――はたして、主人公達は熱に弱いとされるアマニ油が炎天下の王都の気温にやられる前に、無事に見つけだすことが出来るのか!?
それはまさに、組めども尽きぬアマニ油の中でおぼれているかのような未知の感覚。
私は抵抗することすら忘れ、ただひたすらに彼女からもたらされた情報を反芻し、自身の内面で無限ともいえる試行回数を重ねながら考察を繰り広げていた。
誰の目から見てもわかるくらいに、私は半ば放心しきった表情をしていたに違いない。
気づけば、そんな私をニマニマとした笑みを浮かべながらギャルがのぞき込んでいた。
大の大人である自分が小娘ごときにいいようにされるばかりでは不甲斐ない――絶対に、わからせてやる!!
そんななけなしの気概とともに慌てて身体を起こそうとしたがまだ力が入りきらずに上手くいかなかったものの、彼女は私の反応である程度満足したのか私の上からすんなり退くと「ん~!」と背伸びをし始めた。
……このまま、何もわからぬまま終わってしまうことだけは嫌だ!!
そこからは無我夢中だった。
「き、君は一体、何者なんだ!?私に語った”アレ”は何だったんだ!?」
思考がまとまりきらぬ間にも衝動に駆られるまま、そのように叫ぶ私。
その問いかけによるものなのか、私への興味を取り戻した彼女がアハッ、と茶目っ気めいた笑みとともに答えを返す。
「あ~、そっかそっか。言ってなかったっけ?――アタシはこう見えてネットで自作の小説を投稿してる”なろうユーザー”やってんの。……でもって、最近その連載の伸びが悪くてムシワケャクシャしてたから、気晴らしついでにおじさん相手に”自作語り”ってのをしてあげた、ってワ・ケ♡」
「そんじゃ、そこそこ楽しかったよ~♪」という一言とともに彼女はキャハハッ!と笑いながら、アカウント名や作品タイトルすら告げることなく私のもとから去っていった――。