契約結婚
「俺に構わないでくれ!前にも言ったはずだ。
俺たちは契約結婚。俺は誰も愛さない!契約を忘れるな!」
彼は必死な顔をして私に強く言い放った。
忘れたわけではない。
そう。私たちは『契約結婚』
三年だけの仮初の夫婦。
いつかは別れるだけの存在なのだから。
きっとそこに情があっては別れる時に辛くなる。
だけど、それでも私は…。
胸を締め付けられるような痛みを覚えながらも気づいたら私は彼に告げていた。
「たとえそうだとしても。私にはあなたのことを心配する権利はないのですか?」
声が震えてしまう。
頬を伝い、零れる涙に私は初めて気づいた。
「あなたが私を愛さなくても結構です。だけど私は今はあなたの妻である以上、あなたのことを心配します。たとえお節介だと言われてもです!」
耐えられずに私はそのまま執務室を後にしてその場から逃げるように走り出した。
どうして彼があのようなことを言ったのか分からない。
数日前までは普通に話をしていたのに突然態度を変えられた。
気づかないうちに私が何か粗相をしてしまったのだろうか。
だけど思い当たる節は何処にもない。
それよりもニコラ様から言われた言葉が私の胸に深く突き刺さった。
『契約結婚』という歪な関係にも関わらず、今まで彼は私に優しくしてくれた。
言葉では嫌そうにしながらも結局はいつも助けてくれた。
不器用で素直でないニコラ様に私は自分でも気づかないうちに甘えてしまっていたのかもしれない。
ドン!
突然何かにぶつかると同時に私を心配する声が聞こえた。
「ごめん。大丈夫かい?」
顔を上げるとそこには心配そうに私を見ているグレン様の顔があった。
「どうしたの?もしかして、何処かぶつけたのか
…?」
「いえ、大丈夫です。何でもありませんので…」
おろおろとした様子で私を心配するグレン様に私は笑って誤魔化そうとしたが、上手く笑えなかった。
「何でもなくないだろう。泣いてるじゃないか」
「…………ッ」
グレン様の前ではすがってはいけない。
泣いてはいけない。
これは私とニコラ様の問題なのだから。
そう思い、私はぐっと堪えてグレン様の前で気丈に振舞おうとした。
「大丈夫です。きっとこれは目にゴミが入ってしまっただけですので…」
我ながら苦しい言い訳だ。
だけど本当のことを口にする訳にはいけない。
グレン様は一瞬だけ悲しそうな顔をしたあと、私に言った。
「そっか。もし困ったことがあったら僕に相談して欲しい。どんな些細なことでも構わない。僕はきみの力になりたいんだ」
「ありがとうございます。大変申し訳ございません…。少し先を急ぎますので、ここで失礼させて頂きます」
私は急いでその場を後にした。
今の私には心に余裕がなかったからだ。
(どうして、こんなことになってしまったの…)
私は戸惑いと後悔を抱えたまま急いで自分の部屋に戻って行ったのだった。