偽りの蓋
「ニコラか…。悪いな、いつの間にか寝てしまっていたようだ」
「頼まれていた書類だ」
「有難う。助かるよ」
グレンはニコラの手から書類を受け取りながら笑って答える。
「なるほどな。こちらの備品の組み立てに回すと予算が足らないのか。だったらもう少し代わりの備品を検討した方が良いな」
グレンは書類を見ながら真面目な顔をして考える。
そんな兄に対してニコラは思わず話し掛けてしまった。
「聞きたいことがあるんだが…」
「何だ?言ってみろ」
躊躇するニコラにグレンは優しい表情を向ける。それは兄が弟に向ける優しさだった。
「一つ聞きたいのだが…。兄上が探していた女性は見つかったのか?」
煩いぐらい自分の鼓動が鳴り響くのをニコラは感じる。
言い表せない不安が自分の中で押し寄せる。
軽く受け流して欲しいという願いと焦りにも近い思いが入り交じってしまう。
グレンはニコラの顔を見たあと、少しだけ寂しそうに視線を逸らした。
「もう、良いんだ…」
「どうしてなんだ…。あんなに必死になって探していただろう。それを…」
「探したけどさ、もう見つからないのなら諦めるしかないよ。それに父上からそろそろ結婚相手を見つけるように言われてるんだ。もう潮時かなって思ってさ」
間違いなくグレンの初恋の相手はセシリアだ。
思い当たる節なら一つだけある。
グレンは初めてセシリアに会った時、彼女の顔を見て一瞬だけだったが顔色を変えた。
もしかしたら、あの時彼女が自分が探していた女性だと気づいたかもしれない。
セシリアは自分の弟の妻。
だとしたら彼女のことを諦めるしかないのだ。
ニコラはやるせない思いを抱えながら、手のひらをぎゅっと固く握った。
「そうか。わるかったな。変なこと聞いてしまって…」
「別に良いよ。じゃあ、仕事の件だけど午後から宜しくね」
ニコラはグレンの部屋を後にした。
無言で廊下を歩きながらニコラは考える。
セシリアとニコラは期限付きの契約結婚。
ニコラはグレンに抱えきれないほどの恩があった。
彼に恩を返したいと思い、今まで動いていた。
当主の座がそのうちの一つだ。
だけどセシリアを渡せば自分の恩は全て返せる。
自分の思いに蓋をすれば。
自分さえ我慢すれば、きっと全て上手くいくはずだ。
兄のグレンは自分よりもセシリアを大切にしてくれる。
自分は彼女を金で買った。
三年後の離婚するという契約があろうとも、自分の都合でセシリアを巻き込んだのだ。
そんな彼女に何度も救われて、何度も励ましてもらった。
誰かを愛するつもりはなかった。
愛されるつもりもなかった。
だけどセシリアのことを愛してしまった。
セシリアの幸せを願うならばきっとグレンの傍にいた方が良い。
グレンならばどんなことがあっても彼女を守ってくれるはずだ。
当主に相応しくない自分よりも。
「セシリア…」
グレンはセシリアへの想いに蓋をしようと決めた。
エゴだとしても彼はそれを選ぶことしか出来なかった。