ディナー
チーズ屋のヒリーがカウンターの五つ隣の席で山盛りのシチューを食べながらこっちを見て、目を丸くした。
「おや、ウキョウさん? こんな庶民の店にいらっしゃるんですかー」
首都で暮らして三ヶ月以上。
行きつけの食堂を見つけるくらいには住み慣れてきた。
そこは朝から晩まで老若男女がワイワイしている大衆の世界だ。
ケンレー卿の屋敷はいつでも俺に三食を出す準備ができているらしいが、外のことを自分で見聞きする機会が大事だと考え、なるべく頼らないようにしていた。
退勤後の夕方、料理とジュースを注文。
溜息。
どう考えても今の俺は順風満帆な日々を送っている。
「ぼんやりした欠落」を感じる理由がさっぱりわからない。
いろんな検証のために今日一日を無駄にした。
これじゃ部屋で筋トレとかしてたほうがマシだったのでは?
――ってなことを考えていたらヒリーが声をかけてきて、俺が隣へ移動する相席の流れになったわけだ。
横にならんだ二人の男女。
ただの知り合いだからムードなんてない。
とりとめのない世間話をするだけだ。
俺はなんとなくメレアガンのアサの話をした。
新人王だか何だか知らないがどんなやつでも構わない、もし対戦があれば俺が勝たせてもらうけどそのとき以外は興味がない、でも勝手な想像をするなら、王妃陛下がお越しになる式典をサボるくらいだからかなり図太い女だろう、男相手にひけをとらないレスラーみたいな風貌かもしれないな、「フンガー!」とか言いながら対戦相手を蹴散らしていく様子が目に浮かんできそうだ、ハハハッ、まあどうでもいいけど。
と、その場で思いついたことを喋っただけだ。
そしたらチーズ屋がどす黒く笑う演技をした。
「おやおやウキョウさん……メレアガンのアサを知らないとは愚かですよ、実に愚かです……」
「あんた、そいつのこと知ってんのか」
のんびりした様子に戻り、
「普通の女の子ですねー。決してパチパチに張った顔のレスラーではないけど、美少女だと言い張る自信もなく、ひっそりと町に紛れているようです。まあ、ちょっとはかわいいと自惚れててもそれを主張できないのが女というものでしょう。要するに彼女はルックス的にはどこにでもいる一般人だと、私は噂で聞いたわけです」
市民はよく決闘のことを話題にする。
エキサイティングな見せ物として楽しみつつ、選手のプライベートについての与太話も好きだった。
どこのどいつが二股したとか、金に困って怪しいビジネスを始めたとか。
つまらない噂で言いたい放題されるところは歌手や舞台俳優に近い。
そんな世間のゴシップに少しアサのことも含まれていたみたいだ。
「……ふーん、あっそう」
「興味ありませんか?」
「所詮ルックスは決闘に関係ないからな」
「ちなみに彼女はあなたを知っていて、成り上がろうと常に努力するウキョウさんのピュアな心を尊敬し、『私はいつも邪念や人並みの欲があって別のことばかり考えてるから、あんなにまっすぐにはなれないわ。うらやましい……』と嘆き悲んで、『できれば戦いたくないなァ……』と思いつつも、『なんかの拍子で戦うことがあれば必ずぶちのめしてやらあ私は新人王サマだぞオラオラァコンチクショーメェ!』って意気込んでいるらしいと話題になってますよ、ちまたで」
「……なんかあんたが適当言ってるみたいだな。その噂は誰から聞いたんだ」
「職場の上司のいとこの彼氏の内縁の妻の親友が又聞きしたそうです」
ズコーッ!!
俺は椅子からずり落ちそうになった。
極めてしょーもない話に耳を傾けてしまった。
全部冗談ですよ引っかかったなベロベロバーという顔をチーズ屋がしている。
ふざけてないでもっと真面目な生き方をしたらどうだと言いたい。
……気持ちを切り替えよう。
俺は知識を広げるためにこうして外食している。
他の誰かが有用なことをしゃべってないだろうか。
横からヒリーがまだ何か言うのを完全無視して耳をそばだてる。
早速それらしいことが聞こえた。
二人の男が酒を飲み、テーブルにめりこみそうなくらい酷くうなだれ、嘆いている。
足元に武器や兜を置いているので決闘選手のようだ。
「俺たち、五番大橋に行けてないんだな。情けない……」
「まったくだ。俺も行けてない……」
首都ミッテルダムは王国の領土のど真ん中にある。
まわりが平原なので街道をさえぎるものがなく、陸運に恵まれていた。
それに対して、水運を担うのはヴィルトエンテ川。
北から南へ流れて首都を中央で二分する。
川には九つの橋が建設され、そのうち五番大橋が一番古い。
周囲は人や荷車でごったがえす交通の要衝だ。
二人の嘆き節が続く。
「五番大橋の別の顔。ああ、ずっと憧れの舞台だった……」
「まったくだ。『宵闇月が浮かぶ頃』にそうなるんだよな……」
別の顔?
宵闇月?
五番大橋は古い木造橋だから、夜になると通行禁止になって毎日メンテナンスされているとは聞く。
でもその話ではないようで、
「子供のころからのロマンだよ。だって夜中に集まってくるんだぞ? 決闘のトップランカーが」
「まったくだ。あの橋は最高技術がぶつかりあう戦場になる。はじめは禁断の集まりだったが王室のお恵みによって今は黙認されるってのもロマンだ」
「メンテナンスってのが実はウソで、夜中に観客が集まって騒がしくなるのを当局が防いでるっていうのも実にロマンだなあ」
「まったくだ。しかし俺たちの実力は及ばなかった。道端の低レベルな決闘でも勝ったり負けたりだ……」
「あの橋で戦うのが夢だったけど、遠い夢だったなあ……」
「まったくだ……」
宵闇月が浮かぶ頃、実力者たちの橋、最高技術のぶつかりあい、ロマン!
未知のイメージが急速に俺の胸をつかむ。
マーリンの「通信教育」では教わらなかったことだ。
こういう思わぬ収穫があるから自分で外を出歩く価値があるといえる。
そしてそろそろ俺はトップ選手と対戦してもいいだろう。
上位選手に勝てばランクアップは近くなる。
選手の昇格・降格は国家機関により決められ、どんな基準でされているかは非公開だが、いわゆるジャイアント・キリングが大きな評価ポイントのひとつなのは間違いない。
実際、番狂わせをした戦士は、そのあとすぐに昇格することが多かった。
ひとまず「ぼんやりした欠落」のことは忘れよう。
日々鍛錬し、目の前の一戦ずつに向き合う、いつもの俺に戻ろう!
応援してくれる人たちの期待に応えて勝ちまくり、最高速で成り上がるべきだ!
大鎌使いの青年と決闘したばかりなので、魔法量がほどよく回復するであろう四日後に、五番大橋へ行くことにした。