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ヒリー

 ふざけた女に会う朝が来た。

 もしかしてこれが悪いんじゃないか?


 人間関係が俺の欠点である可能性を、今から確かめに行こう。


 動きやすくて汗を吸う木綿のシャツを着て、くるぶしから下を包む軽量な革靴の紐を締め、俺はランニングに出かける。


 石畳の街路はこの時間、まだ人出は少なく、ラフな格好のおっさんがあくびをしながら歩いていたりする。

 しっかりあごを引いて前を見ながら、できるだけ飛ばす。

 足腰と心肺をこうして毎朝いじめないとと基礎体力を伸ばすことはできない。


 タッ、タッ、タッ、タッ……。

 近所を五周してから大通りを下ってスパートをかける。


 視界が開けて「噴水広場」にたどりつき、足を止めた。


 立派な建物にぐるっと囲まれた正方形の敷地。

 レンガや大理石で造られた官庁舎、礼拝堂、大貴族の屋敷、時計塔、商業組合の会館などが立ち並ぶ。

 首都の繁栄を象徴するかのようなエリアだ。


 真昼ならこの噴水広場は大騒ぎになる。

 数百の露店が集まり、なんでも買えるバザーが開かれるからだ。


 早朝の景色はそれとは違い、だだっぴろい石畳の上を鳩が歩き、わずかに風の音が聞こえ、平和な時間が流れている。


 バザー用のテントやパラソルを建てる商売人の姿はまばらだ。

 場所取りをこんなに早い時間からやりたがる店は少ない。


 俺はとある店に近寄った。



「ようチーズ屋。今朝も早いな……って、あれっ、いない!?」



 少女がさっきまでテントの下で木箱に座ってゆったりと足を組んでいたはずだが?


 のんびりした声が真後ろから聞こえる。



「おやおやー、ウキョウさん、どこを見てるんです? こっちですよー、こっちー」



 そこか、と振り向いたところに少女の姿はない。

 背中側に逃げられたようだ。

 で、また振り向いたら、また後ろに回られた。



「ふふっ、甘いですねー。一子相伝で四千年の歴史を持つ神秘の格闘術『ホーリーポラリス』を極めた私に敵うとお思いですか? まー、そんな流派は今私が考えたんですけど」



 早く終わらせたい。

 右回りに振り向くフェイントを入れてから左に振り向いてみる。

 またまた逃げられた。



「おおっと、ちょこざいな。四千年のホーリーポラリスはこんなところで負けません。ほらほらー、私はどこでしょう?」



 めんどくせえ……。



「……もういいだろ。無駄な時間を使わせないでくれ」


「ええー。まだ遊びたかったんですがねー。まー、このくらいにしときましょうかー」



 少女が俺の後ろから現れて肩をすくめた。


 ややまぶたを下げて飄々とした笑みを浮かべている。

 両目の色はおだやかなブラウン。

 ショートカットの栗色の毛先が内巻きになって頬を包んでいる。

 年齢は知らないが、十五歳の俺と変わらなさそう。


 ウール生地のケープを羽織っている。

 肩から腰までをふわっと覆って袖がない上着だ。

 黒にかなり近い紅色に染められていて、それを寒がりなのか三枚重ねで着ていた。

 春の盛りなのに冬みたいなファッションだ。

 両脚はスエード革のニーハイブーツが膝全体とその下を覆っていて、これもケープと同じ暗い色をしている。


 ヒリー(Hilly)と彼女は名乗っていた。

 俺はチーズ屋と呼ぶことが多い。



「開店時間はまだですよ? それともあなたは上京してきてまだ三日目のビギナーさんだから道案内をしてほしいんですか?」


「三ヶ月住んでるし挨拶に来ただけだ」


「しょうがないですねー。このあたりの道はそこそこ教えてあげられますよー、ビギナーさん」



 いらない道案内を始めるヒリー。



「あそこの大通りを三つ進んで左に入って、その右手に並んでる四軒目の、外壁が白いアパートの、二〇三号室を訪ねてください。『美容師めざしてます。あなたの髪を切らせてください』っていうけどめちゃくちゃヘタな人が住んでますよ」


「そんなやつに用はない」


「ご近所さんがタダでカットしてもらって、焦げた野菜炒めみたいな頭にされました」


「タダほど怖いものはねえな……」


「その人、右手が震えてハサミがカチャカチャ鳴るんですよ。あがり症なので」


「美容師向いてねえよ!」


「まー、全部私の作り話ですけど。そんな人がいたら怖いじゃないですかー」


「……そりゃそうだ」



 想定内だった。

 いつか良妻賢母になれそうなおとなしい見た目なのに、口を開けばいつもこの種の適当なことばかり言っている。



 出まかせばっかりよく思いつくな。


「えへへー、お褒めに預かり光栄です」


 けなしてるんだよ!


「さてさてウキョウさん、冗談はさておき、おはようございます。今日もトレーニングお疲れ様です」


 ああ、おはよう。



 木箱に座って足を組んだヒリーがまた冗談を言いそうなニヤけ顔になる。



「そういえば何か賞をもらったんですよね? 何だったか忘れましたけど」


「覚えてて言ってるだろ」


「『この国でいちばん寝グセがすごいで賞』でしたっけ?」


「違う」


「『足の親指の爪が固いで賞』?」


「固くないッ」


「そんな!! 他に表彰されるようなウキョウさんのとりえがあるんですかっ!?」


「決闘の優秀新人賞だよ! 前に教えただろ!」


「冗談ですよー、わかってます」


 ……でも、まあ、どうでもいい賞だ。

 上に新人王もいるし。


「謙虚ですねー」


 現時点の強さより、最後に最高ランクに立っているかが大事なんだ、決闘ってやつは。


「言うことが深いなあ。こないだ親戚が奥歯を抜いたあとの穴みたいに深いです」


 馬鹿にされてる?


「まさか。私はウキョウさんを尊敬してますよ、目標に向けてまっすぐでピュアなところを」


 ああそう。


「ちなみにその奥歯を抜いた親戚も実在しませんのであしからず」


 だろうな……。



 このいい加減な少女と毎朝言葉を交わしていた。

 関係性は一応、客と店員。


 何度も買い物をしているしランニングでいつも見かけるのに、あいさつだけで済ませるのは愛想がないと思い、会えば雑談するようにしているのであり、決して相手が女だからではない。


 強調しておこう、「相手が女だからではない」。


 知り合ったのは確か二月のこと。


 そのとき俺は昼間の噴水広場をなんとなく歩いていて、この店を見かけ、ギョッとして立ち止まった。


 奇怪なチーズを売っていた。


 全体が血や腐肉のように赤黒く、見るからにブヨブヨしている。

 しかも膿のような黄色のドロドロが断面から噴き出ている。

 グロテスクな腐乱状態にしか見えないが、なんとこれがチーズだという。


 店員(ヒリー)が商品の由来を語った。



『王国北東部にデメンシャー(Demenschjr)という小さな村があります。今から二百四十年前、そこは春に竜巻、夏は山火事に襲われてしまい、畑と牧場が壊滅。難を逃れた食料の貯蔵も秋の終わりには底をつき、飢饉になりました。

 真冬になると、村人はキャベツの根からヘチマの種まで食べきって、もうどうしようもありません。

 凍える風、降りしきる雪。デメンシャーの住民は一軒のボロ家で体を寄せ合い、ボロ布を纏って、寒さと飢えに耐えています。


 そんなとき、村の鍛冶職人のジョンおじさんが震えた声で言いました。


「お、おい……! こりゃチーズじゃないのか……!?」


 赤黒いブニョブニョの物体が家主の枕の中から出てきました。それは確かにチーズのにおいがします。


 ですが家主のおばちゃんによれば十二年前、作ったのを忘れて放置していたらこんな風になっていて、食べるのは気持ち悪いけど捨てるのも勿体ないと思い、そこで枕カバーの中に入れて、低反発でひんやりした寝心地を実現していたのです。

 そう言われるとなんだか、おばちゃんの頭皮のにおいもするかもしれません。


 全然食べたくない代物ですが、今は飢饉。背に腹は代えられません。

 勇気のある少年が毒見を買って出ます。

 赤黒い外側をスプーンで崩し、中の黄色いドロドロをソースのように絡め、ひと思いにパクッ!


「うっ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ん? え? うわっ、うまい!!!!」


 ピリピリッとしたクセと、ムワムワッとした香りの中に、旨味が凝縮されていました!


 村人はチーズを食べて冬を乗り切り、やがて製法を研究・開発してブランド物として売ることで裕福になり、それから現在に至るまで子孫代々、幸せに暮らしているのでした。めでたしめでたし。


 ――以上が、私の作り話の出まかせです。

 デメンシャーって村が存在するところから嘘です。

 ご清聴ありがとうございましたー』



 ……最初に出会ったときからこういう冗談人間だった。


 その後、試食をするよう迫られ、こわごわと味見すると普通に旨かったので、俺はこの店で定期的に買うようになったのである。


 ちなみにヒリーは店主の家族ではなく単なる従業員。

 去年田舎から出てきて住み込みで働いているという。



「しかし毎朝バザーの場所取りなんて眠いだろ」


「そもそも私がやると言いましたからねー、これ」


「へえ?」


「手足が冷えるのだけ我慢して、店長が商品を持ってくるまでダラダラしてれば給料が出るし、早出したぶん退勤も早い、というわけです。個人的に夕方や夜の自由時間が多いほうが都合がいいんですよー。我ながらいい働き方を考えたものです」


「へえー(どうでもいいやの気持ち)」


「ウキョウさんはいつも私を気にしてくれますねー、ありがとうございます」


「ただの人付き合いだ」



 さっきも言ったように客と店員という関係のなかで適当に愛想良くしているにすぎず、全然気は使っていない。


 別れ方も毎朝適当だ。



「じゃ、そろそろ行くわ」


「そうですかー。帰りは気をつけてくださいね、朝帰りのおじさんを踏んだりしないように」


「踏まねえよ! どうやって踏むんだ」


「たまに酔っぱらいが曲がり角で雑魚寝してますからねー。ま、さておき、いつも買ってくださるチーズは五日後に入荷です。またよろしくー」


「ああ、じゃあな」



 フルスピードで近所をあと五周するのが俺の日常だ。


 背を向けて再び走り、走りながら思案する。


 ううーん……ふざけたチーズ屋との交流は有益ではない。

 ただの雑談からは何も得るものがない。


 けれど有害とも言えない。

 悪意のない冗談を聞くだけなので。

 もっと真面目でタメになる話をしてくれる知り合いがいれば当然俺は嬉しいけど、そんな知り合いが絶対に欲しい、いてくれなきゃ駄目だ、と思うわけでもないし。


 人間関係に欠落があるという説は、ああー……とりあえず……保留……?


 チーズ屋以外の知り合いも検証してみようか……?


 と考えていたら、曲がり角の地べたで寝ていた中年男性を本当に踏みそうになった。




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