死の予言
「とろわ村ノ血ヲ引クあさハ、血祭ノゴトク死ヌ。赤ク濡レタ髪ガ、大地ニヘバリツク――これが、あなたの未来よ」
宵闇。
その中でも比類のない暗さの路地裏で、突然宣告された。
(……は? それは私に言ってるのか?)
末路を聞かされた少女が、そう思ってすぐに不機嫌な声を返す。
「確かに私はトロワ村から来たアサという名の女です。それは認めます」
「……」
「でも、あなた、そもそも誰です? こんな陰気な場所に手紙で呼び出して、名乗らず顔も見せず、いきなり変な予言をするなんて失礼じゃないですか」
「……」
会話の相手は春霞の夜空から降るわずかな星の光で照らされている。
アサに背中を向けており、顔がわからない。
立ち姿や最初の声から推測すると、おそらく二十代ほどの女。
クセ毛の黒髪が背中側に垂れている。
魔術師のように杖を持ち、黒紫の尖った帽子をかぶり、黒紫のローブを着ている。
長いローブにより体形が隠れているものの、痩身という感じではない。
多かれ少なかれ大人の身体をしていると想像できる。
一方、死を予言された少女は、星の光さえも遮られた完全な影に立っている。
その表情も背格好も闇に溶け込み、誰も見ることができない。
アサが上下左右を苦々しく見回す。
「ほんと、陰気すぎますよ、この場所……」
よく通う食堂の裏手がこんなに暗いとは思わなかった。
グレティーン王国の首都、十七万人都市のミッテルダム。
城壁に囲まれた市街地は面積が限られて人口密度が高い。
それだけ人が集住していれば、どこの街路にも少しは人の目がありそうなものだ。
しかしこの場所は誰も来る気配がなく、見られている感じもない。
周囲の建物に全く窓がなく、そびえるような煉瓦の外壁だけが路地を囲んでいる。
窓や扉が偶然ことごとく他の場所にあって、ここは市民の死角になっていた。
春の夜はまだ寒い。
空虚な夜風の音が響く。
暗闇の中だからアサは若干、身の危険を考える。
上着のふところに右手を入れて武器をひそかに握った。
西海の果てから輸入されるコシガタナという短刀だ。
細い片刃で、反りがあり、鍔はなく、柄とシームレスにつながる黒色の鞘に納められており、一般的な呼び方をするなら匕首である。
国内産の短剣と比べ、軽くてコンパクトで握りやすく、しかも丈夫なので、少女はこの舶来品を高値で買って常に携帯していた。
事情があって刃を鈍らせているが、不審な女に襲われたとき撃退するくらいの威力はあるだろう。
向こうが武器や魔法で攻撃してきたとしても、勝つ自信はある。
アサは反射神経と身のこなしを長年鍛え、今年度に「三十五勝二敗」の成績を挙げて国家に認められた「決闘の新人王」であり、その誇りを持っているのだ。
それに、相手の背中を見ていると「気味が悪い」とは感じるが「強そう」という印象は薄い。
強い人間は常に戦闘の準備ができており、体の向きや手足の位置、指先や足先の小さな動作からそれが読み取れるものだが、不審な人物にそんな様子はない。
戦いに慣れていない……というか、戦うつもりもなさそうだ。
(……だとすると、こいつは喧嘩を売りに来たんじゃなくて、単純に「死の予言」を伝えに来たってこと? 何のために?)
「アナタ、地獄に落ちるわよ!」と脅して、そこから助かる方法を示すって手口の宗教勧誘でもやってるんだろうか?
あるいは、アブない妄想を披露したくなったヤバいお姉さんか?
このままではわからない。
相手の意図を知るために問いかけた。
「この大都会に上京してからずっと本名を隠してる私のことを、どうやって調べたんです? あなたの仕事は探偵さんですか?」
「――わたしは占い師」
不審な人物が振り向かずに答える。
「呪術文字の神託が瞳の中に浮かんでくるの。そうやってわたしは未来を知り、未来を伝え、他人の人生を動かしてきた」
「へえー」
「『とろわ村ノ血ヲ引クあさハ』絶対に『死ヌ』わ。覚悟しなさい」
「そうですか、そうですか。人間誰しも『死は最後に行く道』だと、昔の詩人が言っていた気がします。古今東西でわかりきったことを覚悟しろなんて、素晴らしいご忠告ですね」
「あなたの破滅は昨日今日とは思わないけど、今年のうちに訪れる。『血祭ノゴトク』残酷な形でね」
「ずいぶんと自信がおありで。どれほどハッキリした幻覚が見えてるんでしょう?」
「神託を信じないようね」
「あんまり変なことばかり言ってると、私帰りますよ?」
不審な人物が少し焦ったみたいに、杖を持つ手を震わせる。
が、その後はむしろ冷静な口調になった。
「――別に、田舎で穫れた乳臭い娘が勝手に終わるだけなら、わたしは止めないわ」
「はあ? 私は花束みたいにいい香りのする、うら若き十五歳なんですが?」
「冗談には付き合わないわ。そして、あなたの破滅は悪影響を広げる。腐った汁が飛び散ると、周りをも腐らせるようにね」
「……私を腐った汁に喩えるんですね」
乳臭いだの、腐った汁だの、いちいち鬱陶しい言い方をしてくる。
こんな表現をすれば相手が嫌がるだろう、という配慮が一切ないようだ。
大体、この言葉選びが意図的だとすると、それは何のためだろう。
本気で占いを聞いてほしいなら、普通は相手の歓心を買おうとしたり、悩みに寄り添う態度を示したりするはずだ。
(キツい言葉のほうが私には効くって思われてるとか? だとしても、やっぱり変だ。どんなに高慢な占い師でも、「あなたのために予言します」っていう親身な感じを一切見せないのはありえない。そんな人は誰にも頼られずにすぐ廃業すると思う。でも、こいつは、私に信頼されなくても構わないって態度だ……)
信じてもらえない占い師はホラ吹きと変わらないはず。
すると、この不審人物の言動はいっそう不可解だ。
アサに死を宣告しておきながら、それを信じさせる努力を怠るなら、あんたは何をしに来たんだって話になる。
(それは結局、私のためを思ってないってこと? じゃあ実際は誰のために予言してるんだ……? 自己満足のため? それとも……? うーん……?)
考えてもピンと来る答えが浮かんでこない。
次第に少女は複雑怪奇な難問を見ているような気分になっていく。
そのとき相手が言った。
「『彼』との関わりをやめなさい」
「……彼?」
「夢に向かってまっすぐ頑張っている少年のことよ。思い当たるのは一人だけのはず。彼と話すのも会うのもやめなさい」
「なんで『あの人』が出てくるんです!! 関係ないでしょう!!」
思わずアサが叫ぶ。
会話が弾み、やさしくされ、最近は心の支えのようにも感じている、あの人。
貧しい故郷を救うという純粋な夢を持つ、あの人。
彼との交流を断て、だと?
今までの放言は許せたがこれは駄目だ!
不審な人物は冷静を通り越して冷徹な空気を漂わせる。
「彼は腐った汁に最も影響されてしまう。夢を失い、嘆きつづける亡霊のようになるの」
「何を根拠に!」
「自分が不幸をふりまく穢悪だと、あなたも自覚してるでしょう?」
「ワザワイ? 自覚?」
「このままではあなたの破滅が彼をも破滅させる」
「意味がわかりません!」
「あら、わかってるくせに。道理に合わないことを望み、大切な人を裏切り、善良な人々を押しのけて私欲を満たそうと執念を燃やしている――それがあなたという女でしょう? そして、その悪人は周りも不幸にする。悲しみを振りまき、ネガティブな思考を伝染させ、あわよくば不幸の道連れを探している。違うかしら?」
「!」
一瞬、少女が息を飲む。
インチキいちゃもん占い師と思っていたが、どうやって見抜いたのか、少しは私について知っているようだ、と感じたので。
ただし、アサは打たれ強いし、頭も回る。
不敵に笑い、決別のつもりで言い返す。
「――ハハッ! あなたが名探偵でも節穴探偵でも関係ありません。言われたことに私が従うかどうかは別問題です。当然、無茶苦茶で馬鹿らしい予言には従いません」
「強情ね」
「出会ったばかりの不審者に、他人の人生を変える権利がありますか?」
「………………………………………………………………………………………………………………………………」
相手は長い間黙っていたが、静かに声を発した。
「……………………予言は伝えたわ。あなたは破滅する。彼との関係は断つべき。それが迷惑をかけない死に方よ」
「へえー、そうですか」
「また説得しに来ると思いなさい」
「願い下げですね!」
遠くの街区に建つ鐘塔が、ひどく暗いこの路地裏にもガラン、ガラン……と時を告げる。
新しい日付が始まった。