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恋と悪魔とマカロン大決戦ー彼女の余命はあと五日―

作者: あもと遊

『これで完璧! ギリシャ神話』『聖書』『世界の悪魔辞典』『闇魔術が導く、あなたの未来』『見え過ぎ注意! 禁断の占星術』『グリモワール―禁断の悪魔召喚―』


 がらんとしている我が高校の図書室で、ただ一人熱心に本をめくる少女がいる。

 その周りには少女を覆い尽くさんとばかりに、何やら怪しい本が積み上げられていた。彼女は時折顔を上げて、別の本のページを開き、ふむふむと呟いたのちに元の本に視線を戻す。

 少女が座る机には、「受付」「今日は九月十一日(月)、返却日は九月二十五日(月)」というデスクネームプレートが飾られている。ほんっとに、彼女は……。


「おーい、不知火。しっらぬいさん……不知火!」

「うわ、びっくりするじゃん。なになに、(なつめ)?」

「この図書館が陰気で誰も来ないとはいえ、その態度は図書委員として、あまりにも職務怠慢がすぎるだろ! 大体、その胡散臭い本はなんだ。ただでさえ幽霊が出るだの、呪われるだの、今でも怪談話が尽きないのに、エピソードを一つ追加する気か?」

「いいじゃん、誰も来ないんだからさ」

「それを図書委員が言っちゃダメだろ……」

「うんうん、棗は真面目で偉いねぇ」

 不知火は立ち上がり、隣で仏頂面をしている俺の頭をぽんぽん叩いた。ひとしきり叩くと満足したのか手が離れる。くそっ。


 不知火林檎。彼女は男女関係なく軽率に褒めるし、パーソナルスペースが狭い。こいつはラブコメの主人公でも目指してるのか? と疑いたくなるレベルだ。男子にモテるから女子には煙たがれるのかと思えば、そんなこともないらしい(クラゲみたいなショートボブに、溌溂はつらつとした目元が相まって、ボーイッシュな印象だからか?)。


 男女関係なく初恋泥棒しているところを見ると、いつか血を血で争う戦いが起こるに違いない。

 なぜ初恋泥棒していることを知っているかって? 

 ……棗カナタ、つまり俺が泥棒された側だからだ、不服なことに。


「やめろって。そんな風に話を逸らしたって、騙されないぞ」

「ちぇーっ。棗はロマンを感じないの? 悪魔の召喚方法とか、魔法陣の描き方とかさ。文化祭でやる占いのためにちょっと調べただけだけど、あたし面白くてたまんないのに」

 彼女は自作の魔法陣をひらひらと掲げながら笑った。

「マジで試してるのか、今にバチが当たるぞ」

「ただの、文化祭に使う飾り付けのモチーフ案だよ」

面白そうにふふんと笑いながら、彼女は紙を机の上に置いた。描かれている魔法陣は、血で少し滲んでいる。


「紙で指でも切ったのか?」

「あっ、ホントだ」

「どんだけ集中してたんだよ……」

 その集中力の一パーセントでも図書委員の仕事に使って欲しいものだ。

 俺は怪しい書物を雑に押しやって、自分の読書スペースを確保する。開いた小説に目を落としたそのとき、窓に木の棒か何かがぶつかる音がした。


 続けて、電車の中にいるかのような轟音と、時折甲高い女の声を思わせる風の音が部屋を取り囲む。

「秋は空模様がくるくる変わるよね」

彼女は息を潜めて、ぼそっとそう言う。

 天候はどんどん悪くなり、竜巻の中にでもいるのではないかと思われた。止むことはないと思われた頭に響く重低音は――。


「う、ぐっ」

 ――つんざく雷鳴によって突如として遮られた。彼女を受付カウンターの下に押し込んだそのとき、照明がばちんと一斉に消える。なんだか腹の底がざわざわと気持ち悪い。

「停電かな?」

「多分。しばらくしたら電気がつくだろ」

 俺はそう言って、カウンターにうずくまっている彼女を起こした。


「停電ではなーーーーーーーーーーーーーーーい!」

 高校では聞こえるはずのない、ガキの声がした。

 その声に応えるように雷が落ち、窓側の本棚が青白く光り輝く。

「ワシは全知全能の知能を持つアスタロト! さあ、お前の望みと対価を述べろ!」

 小学低学年程度の女の子が、本棚の上に立っていた。頭のてっぺんでお団子にして、アラビアの民族衣装(のようなもの?)を着用している。彼女は本棚から軽い足取りで飛び降り、あっという間にカウンターの上に立った。


「召喚者! さっさと言わんか。ワシがいかに寛大で、召喚満足度が星四・八じゃとしても、いよいよ堪忍袋の尾が切れるぞ」

 アスタロトは不知火を指差して叱責した。

「ええっ、あたし? ……あの、ごめんね。間違って呼び出しちゃったみたい」

 不知火は先ほどの魔法陣を取り出して、小さい子供をあやすように謝った。アスタロトは不満げに魔法陣をぶん取って、しばしフリーズする。


「なぁっ、にーーーーーー?! そんなこと認められるか! 許せん! ワシは魔界と人間界を繋ぐあのくっさい道を通ってきておるのじゃぞ!」

 彼女の叱責は、せきが切れたように止まらない。

「どれだけの通過料がかかるか、お主ら考えたことはあるか? ないじゃろうの、あったらそんなことは口が裂けても言えんはずじゃ!」

「ごっ、ごめんね」

「悪かったよ、ほらこの通りだ」

 俺と不知火はぷんぷん怒る悪魔を前に、とりあえず謝る。


「ごめん? 悪かった? そんなもんで「今回は何をぶん取ろうかな?」「愚かな人間を何人嘲笑あざわらえるかな?」というワックワクの、ドッキドキの代わりになると思うのか! ならんわっ、対価じゃ! 対価としてお主の魂をよこせぇ!」

 悪魔は不知火のことをビシッと指差してそう言った。


「そんなこと認められるわけないだろ! お前はただこの場でギャーギャー騒いでいるだけで、不知火に何かしてやったわけでもない。どうして魂なんてくれてやんなきゃなんないんだ」

「ふんっ! じゃあ貴様はガキが誤って宅配ピザを頼んじゃったとして、代金も払わないのか? ガキにピザを頼む意図がなくとも、提供側は作って持ってくる労力を払ってるじゃろ!」

 なんだよ、その庶民的な例えは!

「それにしたって代償が高過ぎだ! ガキの間違いで代金以上払う馬鹿はいない」

「ワシはルシファーに並ぶ地獄の支配者ぞ! ちょっと知識をくれてやっただけで、一族の魂を丸ごと献上したやつもいる! むしろ優しいぐらいだ、感謝しろ」

 ワシがもっと強欲なら、のっぽの魂も頂戴してたな! とアスタロトは付け加える。


 のっぽって、俺のことか。こいつ、人間を舐めやがって。

 俺はペンケースにつけていた十字架をずいっと掲げた

「お前がどうしても不知火を狙うっていうなら、この十字架で追いかけ回してやる。悪魔っていうなら弱点だろ」

「あたしも……追い回しちゃうかも」

 不知火もいつの間にかカウンターに積み上げていた聖書を、しっかり胸に抱きしめていた。


「むう、まあ、確かに。ちょっと、それは困るかなあ……困るか? まあ、困らないこともないか……」

 アスタロトはなんとも言えない顔で、ぶつぶつ独り言を続ける。

「よしっ! 決めたぞ」

「何をだ」

 どうせロクでもないことに決まってる。


「のっぽ! お前、「まかろん」とやらを作れ! 金曜までじゃ! 手作りで、ワシが感銘のあまり、涙ほろりする味わいじゃなきゃダメじゃぞ。満足できたら、堪忍してやる」

「はあ、マカロン? 俺、目玉焼きすら作れないんだぞ」

「知らん! ワシは前の召喚者がついぞ寄越さなかった「まかろん」とやらが食べたいんじゃ! あいつ、ワシが目元をうるうるさせて懇願したのに、目の前でバリボリ完食しよった。そっくりのお前が作るのが筋ってもんじゃろ」

 そういって、カウンターの上で地団駄じだんだを踏む。

「という訳じゃ! 「まかろん」ができたら、声をかけろ」

「おい、確定事項かよ!」

「ワシ悪魔なのに、ちょっとイイコトしちゃった気分よ。女神のワシが頭を覗かせておる。お主ら、運が良かったのお!」


 じゃあの、と残して、アスタロトは煙に紛れて消えた。彼女が消えるのにあわせて、部屋の照明がぶん、と一斉につく。

「あれ、何……?」

 不知火は自身を上回る破天荒な存在に、放心したようにそう呟いた。

 俺は黙って首を振るしかない。


 火曜日の放課後。俺は市販のマカロンを手に図書室にいた。

 うちの図書室は、放課後は希望者のみ開放だ。常時オープンの昼休みでもガラガラなので、今は俺だけしかいない。

 不知火にも今からやることは話しておきたかったが、結局何も伝えていない。

「ぶふっ、あんなの白昼夢に決まってるよ? 信じるなんて、(なつめ)は可愛いねえ」と昼休みに軽くあしらわれたのだ。


 完全に昨日の出来事は現実のものと捉えていないらしい。自分の命が危ういってのに、どうしてそんなに余裕なんだか。

 俺はお前のために、一世一代のハッタリをかますってのに……。

 いや、それに関しては、俺に料理スキルがあれば、そんな必要もなかったのだ。

 消し炭の塊しか生み出せなかった自分が恨めしい。昨日一晩台所に立ったが、得られたものは家族の冷やかしだけだった。


 というわけで、マカロンを自作することを完全に諦めた。

 市販のマカロンを箱だけ詰め替えたことがバレるとは思えないし、バレたとしても召喚者でもない俺の振る舞いで、彼女の命が危うくなるとは思えなかった(最悪、俺の命を差し出す……とか言えば、なんとかなるだろう)。

 そういう意味では、俺もあの悪魔を舐めていたといえる。


「おい! マカロンだ。早く出てこい」

「もうできたのか? 随分と早いのう。お主はぎりぎりに提出してくるタイプかと思ったが」

「俺は夏休みの宿題も瞬殺するタイプだ」

「ほれ、さっさと出せ」

 俺はアスタロトの呼びかけに、用意したマカロンを取り出した。近所でも評判のケーキ屋のマカロンだから、味は一級品だ。

 アスタロトは受け取ってすぐ、箱ごと地面に叩きつけてぐしゃりと踏みつけた。

「……悪魔相手に謀りか」


 その声はいつものガキの声ではなく、明らかに成人男性のものだった。外見に反したアンバランスさに思わず肩が竦んだそのとき、背後の壁に叩きつけられる。

 アスタロトの右腕は、そこだけ溶接したように巨躯のものへと変化していた。腐敗したかのような青緑の腕に押さえられ、俺の体はミシミシと音を上げる。

「っ、くそ」

「お前、あんまり頭が良くないのか? 謀りはワシらの専売特許だというのに」

 アスタロトは口角を上げて嘲笑う。

「ごほっ、俺が……悪かった。だけど、不知火は関係ない! これは俺の独断だ。悪魔が契約を重んじるというなら、今回の件で不知火には手を出すなっ」

 アスタロトはポカンと見つめたのちに、口を開く。


「のっぽ、今言うことはそれでいいのか」

 ガキの声に戻っていた。同時に、壁に磔にされていた体も解放される。突如として抑えがなくなったことで、派手に前に倒れ込んだ。

「がはっ、ごほっ」

「うーん、調子が狂うのお。ワシの原型である女神アスタルテが、容赦してやれと囁いてくる。本当に困ったものじゃ……まあよい。次に同じことをしたらお主を八つ裂きにして、死肉を下等魔族にくれてやる」

 アスタロトは哀れみの視線と共に、情けをかけてくれたらしい。腕の一本や二本は持っていかれそうな勢いだったから、かなり拍子抜けだ。


「のっぽ、他の人間が同じ目にあっていたら、こんな凶行に出たのか?」

 彼女は不思議そうに、分かりきっている質問をした。 

「するわけないだろ」

 俺は半径一メートルしか興味がないタイプだ、と吐き捨てるように言った俺に、悪魔はぐふふと笑う。

「そこまで好意を抱いている相手なら、手を繋いだか? キスはしたか? それ以上は……のっぽには刺激が強すぎるかのぅ?」

 お前はたちの悪い酔っぱらいか! 

「〜〜〜お前っ! ずかずか詮索すんな!」

 相手にされとらんのか、可哀想じゃのお! と高笑いをしてアスタロトはどろんと消えた。


 一緒に図書委員をやってんだから、他の男子よりはマシだ! 今の世の中、あけすけに色々聞いてくるのはセクハラだぞ。お前は歳を喰ってるから分からんだろうがな!

 しばらく恨み言を思い浮かべたのち、へなへなと座り込んだ。

「やば、かったな……」

 結果的に損害はなかったが、アスタロトは俺を殺すことも視野に入れていた。あの様子を見るに、金曜までに絶品マカロンを作れなければ、本当に不知火は死ぬだろう。

 そんなことはさせない! と息巻いた俺はその日の夜、全く膨らまなかったメレンゲを前に撃沈したのだった。


 時の流れは早く、もう水曜日となっている。自力でのマカロン作りを諦めた俺は、なんとか不知火に助力を頼もうと決めた。あいつの問題なんだし、ちょっとは汗水流すべきだ。

 俺は昼休みに図書室へ足を運び、先客がカウンターですやすや寝ているのを見つけた。

「……不知火」

「ああ、来てたんだ」

 ふわあ、と大きくあくびをして、彼女は上半身を起こした。呑気な声とは裏腹に、首元にはひどい炎症の痕がちらりと見える。


「これ、いつからだ」

 首元の髪を持ち上げると、炎症を強く掻きむしったのか酷い有様だった。アレルギーでこんな状態になることはあるけど、この状況であの一件が関係していないとは考えにくい。

「なつめぇ、積極的だねえ」

「誤魔化すな」

「ちぇ……月曜の夜からだよ。まあでも、それ以外に困ったことはないけど」

 大丈夫だよ〜、と不知火はへらへら笑う。顔色は青白く、目元の隈を必死に化粧で隠している跡がある癖に。

 こいつ、馬鹿じゃないのか。


「そんなに俺に借りを作るのが嫌なのか? 死んでも構わないほど」

「悪魔に魂を取られちゃう〜なんて、本当に信じてるの?」

「一番信じてるのはお前だろ? 化粧で隈が隠しきれてないぞ」

「うっ」 

 痛いところを突かれたのか、ばつが悪そうに俯く。


「別に諦めたわけじゃないよ。あんなの両者の合意があった契約とは言えないし、反故にできないか調査中」

「そんなことしなくっても……」

「マカロンはアスタロトちゃんの方便に過ぎないよ。その証拠に「感銘のあまり、涙ほろりする」なんて条件だったでしょ」

 彼女は諭すようにそう言った。

「悪魔との契約を反故にする方法なんて、たった五日で調べられるかよ」

「分かんないよ、イケメンのエクソシストが助けに来てくれるかも」

 全く、意地の悪い返答だ。


「不知火、よく聞け。昨日、市販のマカロンを手作りだと言って、アスタロトにくれてやった。まあ、その案は上手くいかなかったんだが、あいつは俺にも君にも危害を加えてない」

 不知火の口が何か言いたそうに開いたが、手のひらで塞ぐ。

「んぐっ」

「アイツは悪魔の中じゃ、理性的なほうなんだと思う。それに元は女神だったらしいし、完全に方便であんな事を言った可能性は低い……んだろう」

その言葉が癇に障ったのか、俺の手のひらに容赦なく噛みつかれた。

「はぁ。棗はちょっと好きになった女の子全員に対して、そんなに献身的なの? それとも、困ってる人がいたら放っておけないタイプ? そんなんじゃ、いつか大変な目に合うよ」

 全く、どいつもこいつも俺のことを博愛的だと思いやがって……いや、それよりもちょっと待った。


「好きになった……? 誰が、誰を」

「棗が、あたしを」

「それは、えっと、なんで。根拠は? いつそう思ったんだ。俺は君に告白とか、してないんだが」

 彼女の顔が見れない。何で断言できるんだ。

「図書委員が決まって、最初に自己紹介したときあったでしょ。そのとき、全然あたしの顔を見ないし、耳が真っ赤だったし。高校生になって、そんな分かりやすい人がいるんだってびっくりしたよ」

 そのあと慣れたのか、挙動不審じゃなくなって安心したけどね、と彼女は付け加える。

「ちょっと、待った。それって、つまり最初っから――」

 穴があったら入りたい。

 確かにかわいいなとか、女の子ってどうやって喋ったらいいんだ、とか思ってた。けど、そこまで顔に出るか過去の俺!


「本筋に戻ると。あたしが棗に助力を頼まなかったのは、棗がいい人で、あたしを好きだからだよ。助力まで頼んだら、行方不明になったときのダメージが大きくなっちゃうでしょ」

 彼女は百面相しているだろう俺を無視して、シリアスムードに戻る。

「今なら、ちょっと好きだった子が行方不明になるだけだよ。傷は浅い方がいい。だから、放っておいて、ね?」

 つまり、不知火はほとんど自分のことを諦めているんだろう。契約を反故する調査だって、納得するための儀式なのかもしれない。

「大丈夫。学生時代の恋って、すぐ忘れちゃうっていうしさ。あたしとは知り合って半年ぐらいなんだし、次の恋もすぐ見つけられるよ」

 ほんっと、恋愛経験が豊富なやつの意見はこれだから嫌いだ。

 分かったようにすました顔で、恋愛を語ってきやがって。俺はどうせ、付き合ったこともなければ、手を握ったこともないよ。


「あのなあ! 俺は初恋の子を墓場まで忘れるつもりはねえよ! そんな子があと二日で行方不明になったら、助力をしてようがしまいが、十年は引きずるね。婚期を逃すに違いない!」

 ああ、かなり恥ずかしいこと言ってる気がする。これって、ほぼ告白じゃないのか。

「巻き込んだことに負い目を感じるなら、助かろうとしろ。俺がマカロンを作るのを、必死に手伝え! 君の努力の方向はそっちに傾けるべきだろ」

 言いたいことを全部言った。俺はぜえぜえと息を整える。


「ふははははっ」

 不知火はなにやらツボに入ったらしく、俺のその言葉に爆笑していた。何がそんなに面白いんだ。俺は、いたって、真面目に。

「棗って、ふふっ、ほんっと。気が変わった、マカロン作り頑張ろう! 今日中にアスタロトちゃんのほっぺが落ちるようなアイディアを考えとく。それで」

「それで?」

「明日の十時に、うちで集合ね」

「はあ?!」

 決定事項だから、と彼女は胸を張ってそう言った。ふふんと、上機嫌で図書室から出ていく。

 呆然と立ち尽くす俺、授業開始のチャイムがいつも通り鳴っていた。


 女の子の家に行くってのは、恋愛においてかなり高いステップだ。ずる休みをして、親に内緒で、なんて素行不良としかいいようがない。俺の人生にそんなイベントが発生しうるとは……。

「おはようっ! さあ、上がって。うちの親は共働きだから、今いないし」

 不知火の実家は、閑静な住宅街にあった。今時珍しい和風の家で、玄関には松が植えられている。シンプルな藍色のワンピースに身を包んだ彼女は、いいとこのお嬢さんという雰囲気で、なんだか自分が酷く悪いことをしている気分だ。

 

「おじゃまします……」

「どーぞ、マカロンのことなんだけどね――」

 抹茶マカロンを作ろうとしていること、参考にしようとしているレシピ、既に材料は揃っていること――を説明してくれた。

 和風に挑戦するのは、アスタロトは西洋に馴染みが深いため、意外性があると考えたらしい。


「バターとか、それだけでいいのか?」

「ん? 一回のレシピで百グラムだから、結構使うと思うけど……」

「俺はその三倍は使ったぞ」

「……早めに協力したらよかったね」

 か細い声で唸りながら、彼女はそう言った。

「俺の料理音痴をなめてもらっちゃ困る」

「わあ、前途多難! まあいいや、頑張って、マカロンを作るぞ! せーの」

 作るのは俺だぞ……と思いながら、一緒に腕を高く掲げた。長い一日になりそうだ。

「打倒、アスタロトちゃん!」

「「おー!」」


 マカロンを作る工程は、想像していたほど複雑ではない。他のお菓子を作ったことがないから分からないけど、ショートケーキのほうがよっぽど難解だろう。

 マカロンの大変なところは、一つ一つの工程に技量が求められることだ。しっかりときめ細かいメレンゲ、それに他の粉類を混ぜるときのやり方、絞り出した後の乾燥時間……どれも、きちんとレシピ通りにしないと、ぺしゃんこになったり、膨らみすぎたりする。

 まあ、俺たちが直面したトラブルには、それ以前のものも多く含まれたわけだが。そのドタバタは、女の子の家にいるという俺の動揺すら吹き飛ばすものだった。


「アーモンドパウダーを測ってるんだが、全く重量計が反応しないぞ! これ壊れてるんじゃないのか?」「壊れてる? そんなはずは……これ、重量計のクリアカバーをとってないじゃん!」

「この電動泡だて器、充電は?」「あっ、やば」

「作ったメレンゲ生地を鉄板に絞り出してるが、これ大丈夫か? 形がその、真円とは程遠いんだが」「うーん……あっでも、この辺りはいい感じだよ!」

「クリームって、本当にこのレシピであってるよな? ほとんどバターを練ってるだけみたいに思えるんだが……」「あたしも正直そう思うけど。でも、間違いない。レシピを信じよう!」

「レシピには書いてないけどさ、クリームにあんこいれてみない?」「冒険は危険じゃないか?」「絶品マカロンのためには、時には挑戦も必要なのです! なんちゃって」

「オーブン見てるけど、メレンゲ生地が焦げてないかな?」「何、取り出したほうがいいか?」「うーん、どうだろ。触んない方がいい気もするし……」「早く決断してくれ! 焦げるぞ」


 そんなすったもんだを繰り返し、五時間ほど時間をかけて、ようやく目の前に一五個ほどのマカロンが完成した。そのうちいくつかの形は酷いもんだが、五個ぐらいは見どころがある。

「はあ、なんとか完成した。味は――」

 俺は一番形が酷いものを手に取って、口に放り込んだ。

「おお、マカロンの味がちゃんとする。ただ、ねちょっとしている気が……?」

「それは大丈夫! 十二時間ぐらい密閉容器に保管してたら、美味しいマカロンになってたから」

 昨日自分で作って実証済みだから安心して! と彼女は胸を張っていった。

「ということは……」

「ことは?」

「これで完成か?!」

「完成だーーーーーー!!!!」

 彼女はどーんと俺に向かってぶつかってきた。俺は満面の笑みでそれを受け止める。ミュージカル映画だったら、くるくる回っていたに違いない。まあ、俺にそんな度胸はないので、恥ずかしくなってそっと離れるだけだったのだが。


「ごほんっ! マカロンもできたし、明日の朝にこれを持って登校するよ」

「ちょっと待った。ラッピングも用意しているから、絶対これに入れてきてね。こういうのは、包装が結構大事なんだからさ」

 丈夫な紙の箱に透明の蓋が被せてあるギフトボックスだった。蓋に貼りつけられたプレートと四葉のモチーフが可愛らしい。

「任せてくれ!」

「じゃあ明日、決戦は放課後の図書室で」

 俺たちは晴れやかな面持ちで、どちらからともなく笑った。その笑いは、あと一五分でお母さんが帰って来るや、という不知火の独り言まで続いた。


 いよいよ、金曜日になった。泣いても笑っても、これで最後だ。

 俺はかなりドキドキしながら、ラッピング前にもう一度試食した。ねちょっとした食感がなくなっていることに、胸を撫でおろす。これなら、あの悪魔だって納得するに違いない。

 そう、そのはずだ。


 放課後の図書室は、いつも通りじめじめと湿っぽかった。不知火と俺は扉の前で、心を落ち着けるために深呼吸をする。

「開けるぞ」

「うん」


 想像よりも大きな音で開いた扉の奥に、アスタロトはいた。月曜日と同じようにカウンターの上に立っている。腰に手をあてて、尊大なポーズだ。

「マカロンはできたのか? 謀りはもう許さんぞ」

「ちゃんと、作ってきたよ」

 俺はマカロンが四つほどラッピングされた箱を手渡した。彼女は受け取った箱をじろじろ眺め、宝物のようにマカロンを取り出す。


「緑色をしとる! あいつが食べてたやつじゃ」

 そう言って小躍りしている悪魔の口は、馬鹿みたいにぽかんと開いている。

 意外性を求めた抹茶味というセレクトは、思わぬ形で功を奏したらしい。それにしても、前の契約者も日本人だったのだろうか。もしかすると、自分たちとそんなに年が変わらないのかもしれない。

「食べていいか? なあなあ」

「アスタロトちゃんのために用意したものだよ、けど食べたら……」

「分かっとる。ワシは契約を守る悪魔じゃ。召喚満足度は星四・八と言ったじゃろ?」


 そう言ってアスタロトはマカロンに齧り付いた。凝視する俺たちなんて気にせず、彼女は黙って完食する。

「想像していた味とは違うのお。いやっ、これは……食べてるとぼろぼろ壊れそうじゃ」

 そんな独り言をぶつぶつ言いながら、アスタロトはもう一つ口に運ぶ。俺はいい加減焦れてきた。四つ全て食べ終わるまで、これを続ける気だろうか。

「あのなあ」

 感想を教えろよ! と声に出そうになったそのときだった。


「想像以上の、サクッ、フワッで口の中からすぐ消えよる! なのに結構満足感もあって……こりゃ、みしゅらんとかいう奴らも、星を百個は付けるに違いない!」

「それって……」

「合格じゃ。作り方を教えろ! どうやって作るんじゃ?!」


 アスタロトはそう言って、隣にいた不知火に飛びついた。彼女は突然の攻撃に驚いたのか、後ろにちょっとよろめく。

 俺は慌ててしがみついたアスタロトを引きはがした。

 そのときちらりと見えた不知火の首元に、もう先日の痣はない。胸の奥がじんわりと暖かくなる。ああ、本当に、よかった。


「レシピ? ああそれなら、コピーしたものがあるから」

 通学鞄からコピーしたというレシピを取り出した。そこには彼女が書き加えたであろうアドバイスも載っている。

「これでできるよ、アスタロトちゃん」

「完璧じゃ……ようやくあいつに一泡吹かせられるわ。感激して涙がちょちょぎれるかもしれんな!」

 アスタロトはレシピを大事そうに胸に抱えて、小躍りしている。


「まあ、俺でも作れたんだし。お前にもできると思うぜ」

「のっぽ、不器用そうじゃからな」

 にしし、と可笑しそうにアスタロトは笑う。

「レシピも手に入れたし、一刻も早く取り掛かるぞ! では、お主らさらばじゃ!」

 アスタロトが召喚されたときと同様に、竜巻の中にいるかのような暴風雨が学校を襲う。照明がその役目を放棄し、図書室は暗がりに包まれた。けれど、月曜日のような悪寒はもうない。

「頑張ってね、アスタロトちゃん!」

「おう! のっぽも頑張れよ。キッスするなら今じゃ!」

「うるせえ! 何がキッスだ」

 最後の一言は余計だ。図書室が再び明かりを取り戻したとき、どういう顔をしたらいいんだよ。俺が気まずくないよう、頭の中でシミュレーションしていたとき、不知火から能天気な声が聞こえた。


「あっ、アスタロトちゃん。二つマカロン残ってるのに、忘れちゃってる。そういえば、あたし完成品は試食してなかったな……」

 ほらな、こいつは俺の好意に気が付いてたって、応える気はさらさらないんだ。あんなことをアスタロトが言ったって、全く気にしない。まあ、分かってたけどさ……。

「残ってるなら、今食べたらどうだ? 二つともやるよ、俺は家にいくらでもあるし」

「ねえねえ」

 不知火がそっと、俺のセーターを引っ張る。

 不機嫌丸出しで俺が彼女の方を向いたとき――何か暖かいものが唇に触れた。人の体温が、ふわりと香る花の匂いが、日常ではあり得ない距離に誰かがいることを伝える。俺は思わず目を瞑ってしまった。


 リア充が! 恋愛初心者をからかうためなら、キスなんてお手の物ってか? 助けてくれたお礼でこんなことまでできるのかよ。俺はそんなの好きな人以外にはそんなの無理だけどね!

 言いたいことは山ほどあるが、喉元から上がってこない。俺の役立たずな口からは、声にならない呻きが漏れるのみだ。

 結局何も発せぬままに、まぶたをそっと開けた。


 暗がりでは見えなかった不知火の表情が、突然眼前に現れる。ちょっと俯いて、耳が真っ赤だった。視線だってあっちに来たり、こっちに来たり。

「……やっぱり、一日置いたほうがおいしいね」

 照れくさそうにぽつりとつぶやく。誰だ、このかわいい女の子。上目遣いが国宝級だ。

「そうか? 俺はあんまり分かんなかったけど」

 あまのじゃくな台詞が思わず飛び出した。いや、だって、そんな。


 その言葉を聞いて、不満げな視線が俺に注がれる。じとりと見つめるその眼は、俺から逃げの選択肢を奪う。

 ああもう、こんなことは二度と言わない。キザったらしい台詞なんて、生涯一回だけだ。見たことない顔をしている彼女に煽られなきゃ、しねえし。

「一口じゃ分かんねえよ。だから、もう一回――」


 五日に渡る悪魔との大決戦は、人間側の大勝利に終わった。マカロンみたいに甘ったるい、馬鹿みたいな結末で。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・不知火さん宅でのわちゃわちゃ料理感好き ・棗くんが必死で駆けずり回ってるとこ ・不知火さんのからかい方がかわいい [気になる点] ・最初三人称神の視点の書き方かと思っていたけれど「ほんっ…
[一言] 登場人物全員かわいい。ヒロインの可愛さがしっかり伝わってきてよかったです。
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