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遥かなる幸福の都  作者: 叶 響希
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プロローグ

この作品は、2003年に某雑誌の付録(CD-ROM収録)として取り上げていただいたものを、加筆修正したものです。


 町は、荒廃していた。

 中心部から外れた場所に点在する家屋は崩れ、通りには扉を閉ざしている商店が目につく。

 長く続いた戦争に人々は疲れ果て、生活からは秩序と名のつくものはおよそ消え失せていた。隣国との戦争には勝利したとはいえ、国はその機能を十分に保つほどの豊かさを失ってしまったのだ。戦火にまき込まれなかった場所ですら、人々の生活は荒んでいる。

 地方の町や農村では泥棒や夜盗が当たり前に出没し、女子供を狙った人攫いが横行する。復興の兆しを見せている都でさえ、まだまだ人々の生活は平穏とはいえない。夕暮れが近づけば、誰もが家の戸をぴったりと閉め、息を潜めて浅い眠りにつくのだ。

 そんな時世に、少女がたった一人で旅をするというのは、ほとんど自殺行為に近い。いかにすっぽりとフードを被っているといっても、華奢な体格は隠せない。袖から見える労働知らずの白い指先は、少女が悪党にとって絶好の獲物であると知らしめているようなものである。

 実際、彼女がこの小さな町まで無事に辿り着いたのは、普通に考えれば奇跡に近いものだった。わずか五日間のうちに、何度も危ない目に遭遇しかけたのは事実である。しかし彼女は、そういった危険を未然に予見し、数少ない善良な人々をうまく利用し――もとい、好意に縋ることで、危険を回避してきたのだ。

 かといって、彼女にはどうしてもこの町を目指さなくてはならなかった理由もない。彼女の目的は今のところ旅そのものであり、真実を言えば、彼女は家出中の身の上だった。

「この町も……冴えないところね」

 不機嫌そうに呟く彼女は、先の戦争で没落した貴族――カスタント伯爵家の五女で、名前をラティフィーネという。



 町の片隅では、奴隷市が開かれていた。

 戦争中、とくに活発に行われていたこの類の市は、数ヶ月前の終戦宣言と同時に禁止されたはずである。しかし、実際のところは役人の目を盗んで、あるいは役人やその上の高官に利益の一部を握らせることで口を封じ、都や町の片隅で行われていることが多い。

 奴隷として売られるのは、人攫いの手に落ちた子供や、戦争で捕虜となった者がほとんどだった。そして両者の違いは、見た目の特徴ではっきりわかる。

 この国の人間のほとんどを占める人種と、先の戦争で侵略に成功した国――海峡を隔てた向かい側の国の大部分を占めるタークル人とでは、髪や目の色といった特徴が違う。この国の民の多くが金髪や赤毛で、比較的色素の薄い目の色をしているのに対し、タークル人は石炭のような黒い髪と灰褐色の目を持つのが特徴だった。

 奴隷は一人ずつ壇上に上げられ、値踏みされて、別の仲買人に買われるか、下働きを欲しがる都の豪商や貴族の館などに連れられていく。

 そして今、粗末な壇上で震えているのは、まだ幼い少年だった。外見は、典型的なタークル人である。

「このガキは、簡単な計算ならできる。歳は今年で七つだ。従順で大人しいぞ」

 奴隷商の濁声が、その場に集まった人買達の頭上に響き渡る。

「もう少し大きくなりゃ、肉体労働にも十分使える。タークル人は身体が丈夫だと重宝がられるからな。買うなら今のうちだ」

 酒樽のような体格をした奴隷商は、そう言いながら床に鞭を降ろした。

 ピシィッと尖った音が響き、痩せた少年は、びくりと身体を震わせる。伸び過ぎた髪や擦り切れた服はみすぼらしく汚れ、裸足の足首には枷がつけられて身動きもとれない。泣くことすらできずに、幼い少年は虚ろな視線を群がる人垣へ向けている。

「その子、わたしが買うわ」

 突如発せられたよく通る声は、かなり場違いな少女の声だった。

 その場に居合わせた輩が、一斉に声の主へ注目する。

「嬢ちゃん、大人をからかっちゃいけないぜ。とっととお家に帰りな」

 濁声の奴隷商がわざわざ猫なで声でそう言うと、どっと笑いが起きた。

 しかし、少女は負けていない。人垣を潜り抜け、壇上に上がる。

 彼女がすっぽりと頭から被っていたフードを外すと、周囲からは動揺の声が広がり、遅れて野卑なからかいや下品な嘲笑が湧き上がった。

 まだ幼さの残る少女――ラティフィーネの容貌は、彼等の言葉を借りるなら「なかなかの上玉」というやつで、肩の下できっちり切りそろえられた赤毛や薄い蒼色の瞳は、彼女が生粋のこの国の人間であることを物語っている。

「代金を払えたら文句はないでしょ?」

 周囲のざわめきに冷ややかな一瞥を投げつけ、彼女は鬱陶しそうに、少々乱れた髪を掻き上げた。細い金環の耳飾りが、赤毛の中で揺れる。

「これで足りる? 言っておくけど、ちゃんと本物よ。疑うのだったら、鑑定士を呼んでもいいわ」

 首の後ろに手を入れ、彼女が衣服の下から手繰り寄せて取り出したのは、幾つもの宝石が連なった首飾りだった。これだけあれば、一般市民ならば丸三年は遊んで暮らせるほどの品だ。

 一目で価値を見抜いた奴隷商に断る理由もなく、あたふたとそれを受け取ると、少女に命じられるまま、幼い少年の足枷を外した。

「そうえば、この近くに宿を知らない? なるべく不潔じゃなくて、食事も出るところよ」

「ああ、それだったらひとつだけ……町外れの宿屋が」

「それって、この道を行けばいいの?」

「ふたつ目の角を曲がれば、すぐでさ。なんなら、ご案内致しましょうかい?」

 態度を一転させた奴隷商の仰々しい言い種に、少女はわずかに眉根を寄せる。

「結構よ。宿屋くらい、勝手に行くわ」

「そ、そうですかい。しかしまあ、なんでまたお嬢さんのような方がこんな奴隷のガキを?」

「それは……前に飼っていた犬に似ているからよ。ちょっとみすぼらしい感じなんてそっくり。何か文句ある?」

 それには、文句なんてあるわけないわよね、という意味が滲んでいる。

 少女は立ち尽くすばかりの少年の手を取ると、唖然呆然としたままの人垣をすり抜け、宿があるという方向へ歩き出した。

 完全に毒気を抜かれた人々が騒然となるのは、しばらく後のことである。




 早足の少女に手を引かれて、少年は転ばないように必死でついていく。

 少女は自分よりずっと幼い少年には目もくれず、しかし握った手だけは離そうとしない。

「……あ……あのっ」

 少年は、小声で声をかけた。

「ご主人様……」

 その途端、ぴたりと少女の足が止まる。

 少年は、びくりと肩を震わせた。

 呼び方を間違ったのだろうか。ぶたれるだろうか。少年は恐る恐る、自分を買った少女を見上げる。

「ラティフィーネ」

 少女は、愛想もなくそう告げた。

「あんまり好きじゃないけど、それがわたしの名前よ。あんたはわたしに買われたんだから、わたしの言うことは聞かなくちゃいけないの、わかる?」

「……は、はい」

「だったら、ご主人様なんて変な呼び方しないで。あんたは今から、わたしを名前で呼ぶの」

「ラテ……ラティ、フィーネ?」

「ラティでいいわ」

 少年がうまく発音できないのを察すると、少女はあっさり妥協した。

「あの……ファルド、です。僕の、名前……。よ、よろしくお願いします」

 少年のおずおずとした自己紹介に、少女は初めて小さな笑みを浮かべた。

「じゃあファルド、ついていらっしゃい。今からあんたは身体を洗って食事をして、その伸び過ぎた髪を切るのよ。でなきゃ、わたしの助手としては使えないんだから」

「……助手?」

「わたし、占師なの。幸福の都を探す旅をしているのよ。旅を続けるには、助手は必要だと思うわ。だから、わたしと一緒にいらっしゃい」

 少女はにこりともせずに言うと、そのまま再び歩き出した。

 薄汚れた少年の手を、しっかりと握り締めたまま。




 このとき十四歳の少女と七歳の少年だったラティフィーネとファルドは、こうして旅に出る。

 いつか、幸福の都に辿り着くために。

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