9暇をもてあます(後)
嫌味ではなく、率直な感想、もとい忠告である事は明らかだった。
何しろ私は騎竜の里からほとんど着の身着のままでここにやってきた姿のままだからだ。
騎竜やクラレンス家の人間は私がどんな服を着ていても気にしないけれど、ここではそうもいかない。お金や実用より、人にどう見られるか気にしなくてはいけないのだ……。
「そ……そうよね……」
また、羞恥に顔が赤くなる。昨日、匂いがついている、と言われたばかりなのに。
「わたしは別に、いいと思いますけれどね。旦那様がうるさいので。どのようなものがお好みですか?」
優しく問いかけられたけれど、どのようなものが好みですかと問われても、今まで選べるような環境にいなかったので、何が流行しているのか分からない。
おそらくリリアナが着ていたような袖がひらひらしていて、薄い生地を何重にも重ねた妖精のドレスのような物が人気なのだろうけれど……。
似合うとも思えないし、それを着て作業でもしようものなら、あっと言う間に木のささくれに引っ掛けて破いてしまうだろう。
「アルジェリータ様?」
いよいよ不審げに問いかけられて、慌てて顔を上げると、ミューティの着ている服をまじまじと見る。
汚れの目立たなさそうな黒地に、清潔感を足すための白い襟がついたレースのワンピース。身頃と袖に大きめのボタンがついていて、袖をまくり上げるのも、脱ぎ着するのもやりやすそうな……。
「ええと……その、私、あなたが今着ているような服が……いいかなって。品があって……」
ミューティはますます変な顔して、一歩後ろに下がった。
「アルジェリータ様改め、奥様」
「は……はい」
奥様、と言われてまだ納得がいっていないけれど、彼女は明らかに私に向かって話しているのだから、返事をしないのも気が引ける。
「これは公爵家の使用人に支給されているワンピースですよ?」
「あっ、そ、そう、知らなくて……ごめんなさい」
使い勝手が良さそうだし、それが純粋に好ましいと思ったのも本当だ。しかしそんな事に思い至らないあたり、本当に私は愚図なのだろう。
「在庫はありますから、すぐにお渡しは可能です。けれど奥様の希望と言えど、そのような事をしては、わたしが叱られてしまいます」
彼女の発言はもっともだ。けれど、どのみち作業用の服は必要だとは思う。
「でも、私は騎竜の……ポルカのお世話をするためにやってきたのよ」
ミューティはそこで初めて、得心した顔をした。なぜ私がマーガス・フォン・ブラウニングの妻を名乗る事になったのか、私にも、もちろん彼女にもわかっていなかったのだから。
案内されたリネン室には石鹸と糊の清潔な香りがした。外の空気は好きだけれど、洗濯後の清廉な雰囲気ももちろん好きだ。
ぱりっとした生地には一か所のほつれもなくて、白蝶貝でできたボタンは光を受けてまろやかな光を放っていた。襟のレースは手編みだ──私が自分で編むより、ずっと網目が細かくて、変に引き攣れたところがない。
「とてもよくお似合いですよ。あ、これは嫌味じゃないです」
同じ服を着た同族意識のようなものが芽生えたのか、ミューティは緊張が和らいだ様子で、にんまりと笑った。
新しい服に着替えると、なんだか胸が弾むような気持ちになって、鼻歌など歌いながら
「ミューティとは話が出来たか?」
木の陰からマーガス様が顔を出した。木の幹が太くて、全く人が居ることに気が付かなかったのだが……歌を聴かれてしまっただろうか?
マーガス様は笑うでもなく、
「はい。とっても親切な子でした」
抜け目なさそうな目をしているけれど、野性味があって、どこか騎竜に似ていた。
「交代で御用聞きにやってくるから、頼み事があれば何でも言うといい」
「お二人は、マーガス様の信頼が篤いのですね」
私は慎重に言葉を選んだ。マーガス様には、なにか人を信じられなくなるような出来事があったのだ。
「あの二人は、元傭兵だ。山岳に詳しくてな。行方不明者の捜索などをさんざん手伝ってもらったものだ。言動は少しばかり慣れていない面もあるが……彼らには世話になったからな。王都を観光したいと言うので、身元引受人になってやった」
行方不明者。私は戦争に出たことがないけれど、その言葉にきゅっと心が痛んだ。マーガス様はお優しい方だ。それはきっと、想像も付かないような苦労をなさったからなのだろう。
マーガス様は私をじっと見つめていた。
「あ、あの、何か……変でしょうか」
「いや……なぜ使用人の制服を?」
「申し訳ありません。作業服にちょうどよいかと、用意していただきました」
「服を買え、と言ったはずだが」
「あの……ここに着てきた服よりは、とても素敵だと思うんです……その……ほかの騎竜の匂いもついていないでしょうし」
私が自分で同じ服を用意してくれと頼んだのだ、と告げてマーガス様はようやく了承してくれた。