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16感謝祭

 私もマーガスさまを見習って、手紙を燃やすことにした。とは言っても私は火の魔法なんてもちろん使えないから台所で、だ。かまどに手紙をくべていると、ミューティが背後からからかうように声をかけてきた。


「あー。奥さまもこの家のお作法が分かってきたみたいですね」

「そうね。この家の利益にはならないものだから、勢いよくやってしまうわ」

「それがいいと思いますよ」


 ミューティは目がいいから、私の肩越しにクラレンス家の家紋が見えているだろう。けれど、私の行動を肯定してくれる。皆が私を尊重して、やることを見守ってくれているから、日々楽しくやっていけている。


 ──そこまで考えて。利益にならない、とマイナスではないことは違うのだ、と思う。


 利益、つまりは私が居る事によって、この家をよくしていかなければいけない。私がこの家に呼ばれた理由はわからないけれど、少なくとも今はここに必要とされている。いつまでもうだうだしていても仕方がないから、自分で納得できる行動をしなければ。


 けれど、利益──?


「ねぇ、ミューティ。ブラウニング家の利益になることって、何だかわかる?」


 ミューティの黒い瞳が、いたずらっぽく輝いた。


「わかりますよ!」


 ミューティは自信満々に言ってのけたが、待っても説明はなかった。


「参考までに、私にも教えて」

「では、交換条件として、今晩の食事も魚料理にしてよろしいでしょうか?」


 ミューティはぴっと指を一本立てた。夕食のメニューは肉と魚が交互と決まっている。けれどミューティは山育ちだから、お肉よりお魚の方が今はもの珍しくて、毎日魚料理を食べたいと感じているらしい。


「マーガスさまが良いと言えばね」

「だからそこを奥さまからおねだりしていただければ、今週全部魚でも良くなるわけです」

「わかったわ……頼んでみるけれど、期待はしないでね。マーガスさまの健康管理が一番大事なのだから」


「お願いしますよ。では……お答えしますね。この家にとっての利益、それは……」

「それは?」


 ミューティは顎に手を当てて、言葉を選んでいるようだ。


「えー。なんて言うのかな。端的に言うと、愛と平和です」


「愛と平和?」


 随分壮大な話だ。けれど、ミューティは大まじめだ。私に嘘をつくような事は彼女はしない。流暢な喋りだからついつい忘れてしまうけれど、彼女は異国からやって来たから文化と言うか、表現のしかたに差異があるのかもしれない。


「そうです。旦那さまは自分が好きなもの、こと……その感情を貫くことに、重きを置いてらっしゃいます」


 噛み砕いて説明されると、ギリギリ理解が出来そうな気がしてくる。


「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。つまりマーガスさまのお気持ちに家全体で寄り添いましょうということよね」


「そうです。だから奥さま……アルジェリータさまもですよ。自分の意見ははっきりお言いくださいね。悲しい気持ちの人がいると、足並みが乱れますからね」


 ミューティは白い歯を見せて、むりやり笑みを作った。……まるで吹き出しそうになったのをこらえるみたいに。


「愛はわかったわ。平和って、平和でいいのよね?」


「まあ、家の中では平穏を望むということですね」


 波風が立っていなくて、わけのわからない刺激的な出来事がない。たいへんなお仕事をされているマーガスさまの事だ、きっと沢山辛い想いをなさっただろうから、家の中ではのんびり暮らしたい。つまりそういうことだ。


「わかったわ。つまりポルカが騒ぎたてないってことね」

「まあ、それもひとつではあるかもしれません」


「つまり、ポルカが騒ぎ立てなくて、問題が起きなくて、私がいじいじしてなければいいってことね」

「そうですよ。……わかっているなら、最初からそうしてくださいよ!」

「いじいじなんて……」

「してないと言えます?」


「し、してるけれど。最近は、こう、ちょっと調子に乗っているわ」

「ええ~? 例えば、どんな?」


「朝は林檎のほかにプラムを食べたし、お昼のお茶の濃さを二倍にしてみたの。秘密よ」


 私の言葉に、ミューティは大げさにため息をついた。


「あ~、もう、いいです。でも、食べるものがあるのに、あえて贅沢をしないっていうのもある意味贅沢ですかね。趣味でやってるってことですもんね」


 ミューティの言葉に感心する。確かに遠慮と見せかけて、清貧を心がけるのが私の趣味なのかもしれない。


「考えたこともなかったわ。貴女って色々考えているのね」

「村の若者のなかで特に気の利く奴を二、三人よこしてくれと言われて村長に選ばれたのが私ですから。あと兄。ここで色々な事を学んで、故郷に還元するのが私達の使命ですから」


 ミューティは薄くて華奢な胸を張った。二人は、しっかりしているしきちんと将来を見据えているのだ。日々を生きる事で精一杯で、自分の事すら分かっていない私とは大違いだ。


「本当に、偉いのね」

「という訳で、私と兄の見識をさらに深めるために、奥様には奥様活動を積極的に行っていただきたく」

「わかったわ。魚料理ね」

「それはもちろんですけど。ブラウニング家の一員である奥さまの、利益になることはなんですか?」

「私の?」

「私は奥さま係なのですから、なにがしたいのか、それともしたくないのか。お付き合いしますので、聞かせてください」


 わかっていないと自覚した事を尋ねられても、わからないものはわからない。


 少し前までは、仕事をして、いつかはウィリアムと結婚して、仕事を辞めて家庭に入って……子供を産んで、育てて。そんな未来が来ることを疑ってはいなかった。


 それがあっさり崩れて、でも仕方ないと自分に言い聞かせて、そうしたら私の人生に突然マーガスさまが現れた。


 正直、今の生活は、楽しい。ウィリアムには心底呆れてこんな人と結婚していなくて良かったとも思うし、騎竜の里に心残りはあるけれど、こんなにも楽過ぎて罰が当たりそうだと思う事がある。


 望みは、現状維持。それだけだ、多分。


「……私に優しくしてくださるマーガスさまが幸せに暮らせることかしら?」

「うーん、なるほど。今より幸せ、ですか……。これはなかなか手ごわそうですね」


 そう。壮大な話だ。けれど、マーガスさまは立派な、これからの国を背負って立つお方だ。私も国民として、この家の一員として、マーガスさまを幸せにして差し上げなくては。


「そうなのよ。大変なことよね」

「なんで他人事なんですか? これから見つけましょう、旦那さまの喜ぶことを」


 ミューティの言葉に私は目を丸くした。だって、そんな漠然としたこと──?


「考えてください。なにも無くても、奥さまが旦那さまの事を考えるだけで旦那さまは幸せなんですから。よかったですね、仕事がみつかって」


 ミューティは両手を合わせて、にっこりと微笑んだ。微笑まれても、何も思い浮かばない。


「ええ……邪魔せずに、マーガスさまを喜ばせること……?」


 家をピカピカにする。ポルカをピカピカにする。それはもうやっている。おいしいお料理……それはミューティがやっている。けれど、この案はいいかもしれない。失敗したとしても、自分で処理すればいいのだから。私がより上手く出来そうな料理……。思いつかない。視点を変えよう。平和からアプローチする。平和、料理、平和に感謝……。


「わかったわ!」

「ええ?」


 パンと手を叩くと、ミューティは私が解決策を提案すると思っていなかったのか、驚いた顔をした。


「いい事を考えたの。いまから、感謝祭のパンを作りましょう」


 驚いていたはずのミューティの顔が、すっと落ち着いたものになった。


「……なぜパンを? 店から取り寄せた、ふかふかのパンがたくさんありますし、明日も配達が来ます。今日のパンは今日中に食べてしまわないと」

「感謝祭と言うのはね、この国で代々行われている国家安寧のお祭りよ。その時は各家庭で焼いたパンを……」


「それは知っていますよ。かったいかったい、かったーい保存食のパンを作って、神妙な顔でお清めした水と一緒にそのかたいパンを流しこむ風習ですよね?」


「そう、それよ。すごいわ、今年この国に来たばかりなのに文化にも詳しいのね。時期は違うけれど、せっかくだから今年の分をやりましょう」


 マーガスさまは愛国心の強い方だ。屋敷で感謝祭をすれば、ラクティスとミューティに文化を伝える事ができる。マーガスさまもお誘いして、皆でパンを作るのだ。きっと楽しくなるだろう。


「いやですよ」


 ミューティは手の平を私の目の前に出してきた。「拒否」のサインだ。


「どうして。見聞を広めるためにやってきたんでしょう? なら、損にはならないわ」


「経験の上では損にならないかもしれませんが、せっかく食べるものが選び放題の環境にいて、固い保存食のパンを食べる気にはなれません。旦那さまが良いと言っても、私と兄はご遠慮します。つまり多数決で二対二、同点です」

「そんな……一緒にブラウニング家のために頑張ってくれるんじゃないの?」

「私はおいしいものが食べたいです。今日は舌平目のムニエルにすると決めました。牛乳とバターたっぷりのソースを作って、それにふかふかのパンを浸して食べるんです。かたいパンはソースが染みないから無理です」

「結構、慣れると素朴な味でおいしいのだけれど。……無理強いはよくないわね」


 これは私の押しつけでしかない。材料だけは用意して貰って、台所でひとりでパンの生地をこねていると、いつの間にかマーガスさまが戸口に立っていた。


「非常食を作って、山歩きでも?」


 感謝祭のパンの素材は少ない。私が豪勢なパンを作っているのではないことはマーガスさまにはすぐに知れたらしい。


「感謝祭のパンを作っています」

「そうか。感心なことだ」


 ミューティの言った通りだ、と私はほくそ笑んだ。


「はい。愛と、平和は何よりも大切な事ですから」


 私の言葉に、マーガスさまは首をかしげた。どうやら、家庭内で標語として掲げられているわけではないみたい。


「君がそう思うのなら、そうなのだろう。俺も手伝っていいだろうか」

「閣下にパン作りを!」

「野営は得意だ。遭難した時や、敵に追われた時に一人で何もできないのでは、どうにもならないからな」

「失礼しました」


 マーガスさまが私の隣で、神妙な顔つきでパン生地を平べったく伸ばし、型押しで装飾をつけていく。……なんだか不思議な光景で、夢ですと言われた方が納得できる。


「確かに、自分で作ったことはないな。君は手慣れている。毎年やっていたのか?」

「ええ。家では毎年」

「そうか」


 マーガスさまには少し、意外だったのかもしれない。ああ見えてクラレンス家は外聞を気にする家なので、こういったお祭りや風習などには積極的に参加をしていた。感謝祭のパンは作られるけれど、家族はおいしくないと言って一口も食べなかった。見栄のために作られたそれを食べるのは全部私の役目だったけれど……。


 かまどにパン生地を入れ、焼きあげる。今日食べる分を取り分けた後、保存の為に二度焼きをする予定だ。それによって、非常に固く、保存性のあるパンになる。


 二人でじっとかまどの火を眺めていると、ふと騎竜の里にいたときの事を思い出した。騎竜は食欲旺盛で与えられた物は何でも食べてしまうのだけれど、ウェルフィンは私がパンのかけらを持っていくと、嬉しそうに食べていたっけ。


「うまいな」


 焼き上がったパンを、マーガスさまがひとつ取って味見をした。生地自体は固くて味気ないものだけれど、焼きたてはなんでもおいしい。


「君は、凄いな」

「私の力ではありません」

「そんなことはない。子供の頃に食べたものよりずっと美味い」


 本当かしら、と私も一つ、食べてみる。確かに一人で作っていたときよりもずっとおいしい。素材がいいものだからなのか、それともマーガスさまがほめてくださったからだろうか……。


「子供の頃は悪さをすると食事がこれになった。祖父は厳しい人だったからな」


 これなら別に毎日でも構わない、とマーガスさまはもう一口食べた。


「マーガスさまのような良い子でもですか!?」

「良い子だと言われたのは、数えるほどしかない。俺は祖父譲りの頑固で気難しい、そのくせ妙な所で恥ずかしがりの扱いにくい子だとばかり言われていた」

「そんな事は思いません。マーガスさまは、優しい方ですよ」

「そう思ったままでいてもらえるように、努力しよう」


 マーガスさまはばり、と音を立ててパンをかじった。


「子供の頃は嫌で嫌で、家に居た騎竜にこっそり分けてやっていた。……あんまり喜ぶから、悪さをしたのを忘れてまるで良い事をしているような気分になったものだ」


 どこの騎竜も皆、パンは喜んで食べるのだと、懐かしい気持ちになった。

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