13悪夢
買い物自体はすぐに終わって、特に寄り道をすることもなく、追加で無花果のジャムを購入して、小鳥の元へ向かった。
林檎の木箱の中で、小鳥は小さな肺を膨らませて、じっとしている。なんとか付け焼き刃の知識で添え木をしてやってから餌と水を用意したけれど、小鳥は相変わらず民芸品のおみやげ物のようにじっとしている。
「痛くないわ」
そっと手をかざして魔力を込めると、小鳥はわずかに身震いをした後、ゆっくりと餌を食べ始めた。痛みが和らいだのだろう。私の力は騎竜だけではなく、小鳥にも効果があるのかもしれない。もしそうだとしたら、嬉しい事だ。
「よかった……」
だましだましではあるけれど、痛みを紛らわせながらも餌を食べて体力を回復してゆけば、飛べるようにはならなくとも命をつなぐことはできるだろう。
嬉しくなって、そのまま小鳥が餌を食べるのをじっと見つめていると、すっかり夜が更けてしまっていた。
廊下に出て「私の部屋」へと向かってみる。部屋のドアは少し開いていて、寝台の上に寝間着が置いてあり、ランプには灯りがともされていた。きっと毎晩用意されていて、部屋の主人が──私がやってくるのを静かに待っているのかもしれない。
けれど、今は極力小鳥を動かしたくない。まずは経過を見届けてからだ。そのあと、まだ私の仕事があるとしたら、移動をしよう。
廊下に出ると、書斎の扉が少し開いていて、柔らかな光が漏れているのに気が付いた。マーガスさまはまだお仕事をしているのだ。
昼間の会話が蘇る。お手伝いをするのも、妻の務めだと。
──何か、できる事はあるかしら?
私が妻だと言うのなら、書斎を訪ねるのは別におかしな事ではない。だって、本当の所はマーガスさましか知りえないのだから。皆がそういったルールで行動している以上、私が輪を乱すのもよくないことだ。
──お声をかけてみよう。これは、大事な話なのだから。
深呼吸をしてから、控えめにドアをノックした。返事はない。
「マーガスさま……?」
返事はなかった。すでに寝室へとお戻りになったのかもしれない。
おそるおそるドアを開けてみると、机に人影はなかった。代わりに、マーガスさまがソファにもたれかかって眠っているのが見えた。やはりお疲れなのだ。
……話をするのはどうやら失敗のようね。
起こすのは気が引けるし、抱きかかえて運ぶことなんてできやしない。毛布を持って静かに書斎に戻ると、マーガスさまの眉間にしわがよっていた。
先ほどまではそのような様子では無かった。どうやらマーガスさまは今、嫌な夢を見ているようだ。
「マーガスさま」
もう一度、声をかけてみる。返事はないけれど、眉間のしわがより一層濃くなった。怒りと言うより悲しみ、苦しみ──ランプの灯りに照らされたマーガスさまは、とても悲しそうに見えた。
「……失礼します」
うっかり触れてしまわないように、そっと額に手をかざして魔力を込める。ぼんやりとした魔力では、まぶしさで目を覚ます事はないだろう。
上手くいくかどうかは分からないけれど、きっと何もしないよりはマシだろう。悪夢を見て、冷や汗をかきながら目覚めることほど嫌な事はない。夢の中で痛みや苦しみを感じているのなら……私の力が、少しでもいい方に作用してくれたら。こんなにいいことはないのだ。
しばらくそのままでいると、マーガスさまの表情が少しずつ、やわらいできた。効果があった……のかもしれない。
普段の威厳のある姿とは違って、少年のような寝顔を見ていると、不思議と私の気持ちまで温かくなってくるような感覚がある。
──いけない、そんな事思ってはいけないのに。
私はあくまで仕事として雇われているのだ。出過ぎた感情を持てば──きっと、またつらい目に遭う。これ以上を望むのはやめよう。
かざした手をそっと引っ込めようとした、その時。
「アルジェリータ……」
急にマーガスさまが、私の手首を掴んだ。
「……っ」
心臓が飛び出そうになった。叫び声を出さなかった自分を褒めてあげたいぐらいだ。
「……」
名前を呼ばれたけれど、マーガスさまのまぶたが開かれて、その瞳が私を見つける事はなかった。どうやら夢の中に私が出演していて、その拍子に名前を呼ばれただけのようだ。
──起きたわけではなくて、よかった。
もし、マーガスさまが目覚めたら。きっと嫌な気持ちになるだろう。私が眠っている所をじっと見られていたら恥ずかしいもの。
息を押し殺して硬直していると、マーガスさまの手がゆるみ、私の手首は解放された。口元がわずかに微笑んでいるので、私が夢の中で怒られている可能性はないみたいだ。
毛布をかけて、足音を立てないように静かに書斎を出て、一息つく。
マーガスさまはきっと、戦場だったり、公爵家のいざこざだったり、とにかく嫌な夢にうなされているのだろう。
──それに比べると、私の悩みなんて、なんて小さなことか。
煩わせるようなことはやめようと、静かに部屋に戻った。