11彼女のほしいもの(前)
「早朝がダメなら、一体何時ならいいのだと思う?」
「ぎゅっ!」
ポルカは私の問いかけに適当な相づちを打った。
人間が何らかの鳴き声を発している時は、適当に鳴いてやれば人間が喜ぶと学習しているのだ。
「マーガスさまって一体、何を考えていると思う? あなたは詳しいでしょう? このお屋敷で、何が起こったのか」
つっけんどんな言動のマーガスさまは恐ろしかった。きっと手紙の差出人に対して怒っているのだと思うけれど、優しい所と、厳しい所の温度差で風邪を引きそうだ。
「ぎっ、ぎぅーっ」
ポルカの声はたのしげだけれど、もちろん私の疑問に答えてくれるはずもなくて、真実にたどり着くことはできなさそうだった。
「話を聞いてくれて、ありがとう。私はお昼ご飯を食べるから、もう行くわね」
「きゅ~」
ポルカは私に向けて、からっぽの餌桶をひっくり返してみせた。ご飯を全部食べたんだから、おやつをちょうだい──彼女はそう言っているのだ。
「わかったわよ。ちょっと待っててね」
確か、青菜があったはず──裏の勝手口から厨房に入ると、ふわりと爽やかな香りが漂った。中を見渡すと、ミューティがはじっこで小さくなりながら林檎を囓っているのが見えた。今は林檎の季節ではない。何故だろう。
「旦那さまが北方から取り寄せてくださいました」
ミューティは私の疑問に答えてから「ちゃんと全員食べていいんですかって確認しましたよ」と付け加えた。
「お優しい方なのね」
全員と言えば、この屋敷にいる全員──つまりポルカも含まれるだろう。
「食べるなら、剝きますよ。お茶もお入れしましょうか」
「騎竜は芯まで残さず噛み砕けるから大丈夫よ」
と返事をすると、ミューティはあいまいな笑みを浮かべた。何か変な事を言っただろうか、と思いながら木箱から林檎を取り出す。焼き印が押されているのは高級品の証しだ。食欲旺盛なポルカに全部見せてしまうとそっくり平らげてしまうから、まずは一つだけ。
庭に戻ると、ポルカは地面を見つめながら、ゆっくりと歩いていた。
──何かを見ている?
目を凝らすと、緑の芝生の間で何かがうごめいているのが見えた。蛇かネズミ──いや、違う。
どうやら、ポルカは木の上の巣から落下してしまった小鳥を追いかけているようだ。小さな生き物をいたぶって遊ぶような性格ではないと分かっているけれど、小鳥からすれば生きた心地がしないはずだ。
「ポルカ、林檎よ!」
そう声をかけると、彼女はあっさりとこちらに向かってきた。一口で林檎を丸かじりしている間に、柵の中に飛び込んで、急いで小鳥を回収する。やはり、まだ巣立ち前のヒナのようだ。
極力痛みを感じさせないようにエプロンに包んで、林檎を食べ終えたポルカが「私の家に入ってこないで!」と怒り出す前にさっさと撤退する。
「やっぱり羽根が折れているわ」
手の平の上の小鳥は元気がなく、庭で親鳥が雛を捜している気配はない。このままだとそう長くはないし、今日を生き延びたとしても野生下ではとても成鳥になることはできないだろう。自然の摂理と言えばそれまでだけれども……。
──うまく成長できなくて、弱くて、親に見捨てられて。まるで私みたい。
そんな感情が胸をよぎって、どうしても、諦めがつかない。
じっと見つめていると、雛がうっすらとまぶたをあけて、私を見た。まるで「助けて」と言っているみたいだ。
──飼おう。
この部屋は「好きに使っていい」と言われたので、私が自室として使わせてもらっている場所だ。使用人用の空き部屋の中から、一番端っこの部屋を選んだ。二人部屋を贅沢に使っていて、窓もあるし、角部屋だから、人の迷惑にはならないだろう。
「マーガスさま、今少しだけ、お時間よろしいでしょうか」
書斎の扉をノックすると、マーガスさまが思いのほか早く顔を出した。彼の表情は、普段と変わりがなく、朝の不機嫌の名残は見当たらない。
「どうかしたか」
マーガスさまにじっと見つめられて、声が出せなくなってしまった。彼の名誉のために言うと、恐ろしいわけではない。ただ、自分に自信のある人は視線をぶつけることにためらいがないのだな、と文化の違いを感じてしまう。
「話にくいことなら、中に」
「い、いえ、すぐに終わります」
希望を伝える、ただそれだけの事に、そこまでマーガスさまのお時間を奪う事はできない。
「一つ、お願いがありまして……」
「君のお願い、とは珍しい。聞かせてくれ」
「あの、その……お給料の、前借りを、お願い、したいのですが」
私の言葉に、マーガスさまの目が少しだけ見開かれたのがわかった。
「どうしても欲しいものがありまして……」
言ってしまった。言ってしまった! 数日しか働いていないのに、給料の前借りなんて、浅ましいことを言ってしまった。マーガスさまは案の定呆れているのか、眉をひそめて、言葉もないようだ。
私のお給料がいくらかはお尋ねしなかったけれど、お給料から生活費が天引きされて、今月分はマイナスに違いない。だって、布団はふかふかだし、毎日お湯を使って、服も化粧品も用意されていて、三食お腹いっぱい食べている。専門的な知識が必要な仕事とは言え、新入りが言っていいことではなかったかもしれない、と不安になる。
「今月が足りなければ、来月分からでも……」
けれど、小鳥の面倒を見ると決めたのだ。恥ずかしくても、情けなくても、今はマーガスさまに頼みこむしか無い!
「給料……? ああ、そういう事か。いくらを希望する?」
「ええと……銀貨が30……いえ、50ほどあれば足りるかと」
「そんな小銭で……何を……買うつもりだ?」
「小鳥の身の回りの品と、往復の交通費です」
小鳥? とマーガスさまは首をかしげた。その仕草が、ポルカにそっくりだったので少し笑いそうになってしまう。正しくは、ポルカがマーガスさまの真似をしているのだろうけれど。
「木から落ちてしまった雛を拾いまして。面倒を見てやりたいのです」
「ああ……。なるほど。わかった。それ以外は?」
会話が続くとは思っていなくて、無言になってしまった。他には何か報告はないのか? ということだ。毎回些細な事で指示を仰がれてはかなわないだろう、忙しいのだから。
「林檎をありがとうございました。ポルカは喜んで食べていましたよ」
「……人間用だ」
「ミューティもおいしいと」
「君は?」
「食べていません」
マーガスさまはがっくりと肩を落とした──ように見えた。
「あれは……君の為に取り寄せたのだが。気にするだろうなと思って全員分だ、とは言ったがまさか食べてすらいないとは……」
「わ……わざわざ、申し訳ありません。ありがたくいただきます」
「いや。確かに、贈り物にしてはいささかわかりづらかった。すまない」
私が「林檎が好きです」なんてどうでもいいことを口走ったせいだ。余計な気を遣わせてしまった。
「す、好きは好きです。本当に。私は本当に好きなんです」
苦し紛れで林檎が好きと言ったわけではなくて、本当に林檎が好きなのだ、今は食べる時間が無かっただけで、後でありがたく頂戴するつもりだと主張したかっただけなのだが、あまりに見苦しさからか、マーガスさまは口に手を当あて、私から目を背けた。
「すみません」
「謝る必要はない」
頭を下げて俯いていると、頬に手を当てられて、びっくりしてしまった。マーガスさまの、アイスグレーの瞳がじっと私を見つめている。
──その寒々しいけれど優しい冬の色をした瞳に、見覚えがあった。一体どこで──?
「給料の前借りだったな。──行こう」
マーガスさまがふいと視線を外し、それ以上記憶を辿ることが出来なかった。