ボクの世界の終わり方
『どうする?』
『国外逃亡待ったなしww』
「それな。でも、逃げるったってどこへ行くよ? 隣国じゃエルサトルの奴隷待ったなしだぞ」
深夜一時。僕は電気もつけずにパソコンの明かりだけで文字を打ち込んでいた。
相手はSNSで知り合ったゲーム仲間。ボイスチャット主体の交友アプリ、ライフコードの小規模なコミュニティが今日はいつになく盛り上がっていた。
いつものFPSゲームの話ならいいが、話題はもっぱら政治情勢。興味のない僕は話半分にスクロールして流し読みしていたが、いつまでたってもその話題で持ちきりなので、僕もちょくちょく参加していた。
ボイスチャット欄に仲の良いネッ友のアイコンが見えたので、お堅い政治の話に飽きてきた僕はすぐに参加する。
「どーもー」
『ちーっす』
『おっ、マートじゃん。お前確かイリニエール住みじゃなかったか?』
「え、そうだけど……」
突然僕の国の話題が出てきたあたり、ボイスチャットでも政治の話をしてるらしい。
『お前どうするよ。隣国に逃げんの?』
一番仲が良いネッ友に聞かれ、仕方なく参加することにする。
「まさか。チャットでも言ったけど、そんなんエルサトルの奴隷待ったなしでしょ」
おどけてみせると、ドッと笑いが起きた。僕も嬉しくなる。
『でも、お前もニュース見たろ? エルサトルが戦いの神を汚す隣国を許さないって声明出したらしいじゃん』
僕に同調する意見が溢れる中、イエールのよく通る声がヘッドホン越しに届く。かなり若いらしいが、いつも冷静でこのコミュニティの中でもかなり大人びているコイツとは仲がいい。
「あー、あれだろ? 見たよ。宗教戦争ってやつ? 俺はそういうの興味ないや。そんなことよりFPSで銃バンバンだろ!!」
僕がふざけるとまた笑いが起きたが、さっきより小さかった。
『でもあの声明、どう考えても隣国のイリニエールのことだろ?』
『あぁ、ネットでもテレビでも実質宣戦布告って言われてるよな』
『さすがに逃げるんだろ? どっか遠くへ』
「あー、いや……」
ない頭を巡らせ、少しは考えてみる。
エルサトルは、戦いの神エルサートルを信仰する隣の大国。エルサートルは戦いに勝利をもたらす神様で、それを裏付けるようにエルサトルは戦争で勝ち続け、世界一の大国となったらしい。詳しくは知らない。
一方僕の住むイリニエールは平和の神イリーニを信仰する小さな国。あらゆる攻撃を時間停止に似た力で命を奪うことなく"止める"平和の神の教えに従っていれば自国の平和は保たれると信じている平和ボケした国民が大勢いる弱小国家。
不戦条約を結んだこの二つの国で、今戦争が起きようとしている。
「……正直、考えたこともなかったな」
ボイスチャットでは今日一番の大きな笑いが起き、僕は居心地が悪くなる。
『マート、ボイスチャット2に移らね?』
察したのかイエールがすぐに助け船を出してくれ、僕らは二人ですぐ下のボイスチャットに移る。ライフコードでは一つのコミュニティの中でボイスチャットの場を複数設けることができた。
『なぁマート、お前マジでどうするよ?』
「イエールまでその話かよ……ったく、みんなおかしいよ。他人事だと思って」
『他人事だと思ってねぇからみんなゲームそっちのけで心配してくれてんだろ?』
イエールの言う通りだった。何も言い返せず、少しの間沈黙が降りる。
破ったのはイエールだった。
『実はさ、俺もイリニエールなんだ、出身』
「え、マジかよ!?」
僕が思わず飛びつくも、イエールは至って冷静なままだ。
『あぁ。首都からもエルサトルからも離れてるし、大丈夫だとは思うけど、それでも家族が早く逃げようってうるさいんだ。でもさ、俺もお前と同じだよ。逃げるったって、どこへ行くんだ?』
「だよな?」
乗り出していた身を引っ込め、僕は安堵する。
『エルサトルは大国だ。軍事力も世界レベル。そんな国が自分と解釈が違う奴らを皆殺しにするってんだ。逃げられるわけない。それに、イリニエールの血が流れた俺たちを匿ってみろ、間違いなくエルサトルに目の敵にされる。どこへ行ったって迫害されるだろうぜ』
「じゃあイエールはどうする?」
『静観する。何も起こらないと願って、ただただじっと待ってる。うちの家族だって今は逃げようってパニクってるけど、どこにも逃げ場はないってわかってんだよ』
「そっか。……ホント、平和の神なんているなら、今こそ出てこいって感じだよな」
言いながら、速報が入って騒がしくなったテレビに何気なく目を移す。見るからに慌てているようで、アナウンサーの背後のガラス越しに見える局内では人が右往左往しててんやわんやになっていた。
『ーーーーえぇ、速報です、速報です』
しかし、流れ出した映像とテロップに、驚愕することになる。
「神の奇跡?」
『どうした?』
「なぁイエール、テレビ見てるか? なんか、変だ」
『待て、今つける。何番ーーーー』
答える前に、イエールの声が不自然に途切れた。おそらく同じニュースを見てるんだろう。
『マジかよ』
テレビでは、何事か叫んでいる古ぼけた白いカーテンのような衣装を来た金髪の男が戦闘機に向けて手を掲げている。直後、戦闘機から放たれたミサイルがすぐそばの林へ落ちたが、爆発が起きず、ドッと歓声が上がった。そして何かのコールが始まる。熱狂的なコールだ。
「イエール。これ、なんて言ってるんだ?」
『イリーニやエルサートルの教典を書くときに使う言語だ。平和の神がどうとか、救世主だって言ってる』
「救世主?」
『新興宗教団体"平和の手"は、平和の神イリーニ様の生まれ変わりだと自称するエイン氏の、神の奇跡をこの目で見た、彼は間違いなく平和の神の生まれ変わりであり、我らの救世主だとコメントしておりーーーー』
「"平和の手"って、あのーーーー」
『ーーーーあぁ、最近なにかと話題のカルト教団だ。間違いなくこのエインとかいうやつと一枚噛んでるな。この映像もどうせCGだろ』
イエールの言葉を聞きながらパソコンで調べてみると、肯定的な記事がかなり多くヒットした。
「あ、でも、このミサイル無力化したやつ、相当たくさんの人が目撃してるらしいぞ。ほら、これなんかかなり有名なジャーナリストの記事だろ?」
イエールにもその一つをリンクで送る。
『ん? 確かにそうだな。でも余計に怪しくないか? ニュースじゃエルサトルの戦闘機の攻撃を止めたって言ってるけど、ミサイル自体は止まらずに落ちてるし、なによりそんだけたくさんの人が都合よく目撃してるのは不自然だろ』
「それはそうか」
『新興宗教団体"平和の手"は、エイン氏の神の奇跡によってエルサトルとの戦争を終結させるとしていますが、専門家の○×さん、これについてどう思われますか?』
映像の専門家にカメラが向けられる。
『まず、今回の映像についてですが、まったく同じような様子が違う角度から複数投稿されています。今回の映像には映っていませんが、このあと戦闘機が墜落する映像も含めて、CGである可能性は低いです。目撃者の中には生放送でこの様子をネットに流している方もいました。発言の真偽はともかく、映像自体は本物だと思います』
「本物だってさ」
茶化すように言う。イエールは答えない。
「イエール?」
『なぁマート。見てみたくないか?』
「え?」
『神の奇跡だよ! 本物だって言うなら、見てみたい』
「イエール、お前、何言ってんだよ」
困惑した僕は思わず冷めた態度を取ってしまったが、イエールは電話越しに見たい見たいと子供みたいにはしゃいでいる。
イエールのことを冷静で大人びていると思っていたが、リアルの友達と比べれば僕らはまだまだ知り合って日が浅い。僕が思っているよりずっとイエールは年相応に子供なのかもしれなかった。
『近々エルサトルとの国境近くの○×地区で神の奇跡をやるんだってさ! なぁ、見に行かないか?』
「いや、見に行くったって……」
『ほら、俺たち二人、ずっと会いたいって言ってたろ? ここで落ち合おうよ! それがいい!!』
「ちょ、待てよ……どうしたんだよ、そんな興奮して」
『いやだってさ、攻撃を無力化するなんて、バーナみたいだろ?』
「え、あぁ、まぁな」
バーナというのはイエールがよく使っているゲームのキャラで、敵の銃弾やミサイルを一時的に無効化する能力がある。そういえばイエールはバーナの話をするときだけはこんな風にはしゃいでいた気がする。
結局そのまま強引に押し切られ、神の奇跡を起こす日の発表後、当日に現地で落ち合おうという話になった。
最初こそ僕は乗り気じゃなかったが、いつもゲームの中でしか味わえない戦争を間近で見られるかもしれないというイエールの甘い誘いに、FPSゲーマーとして乗らない手はなかった。正直、僕も現実の戦争には前々から興味があった。
しかしその日の夜、エルサトルとイリニエールの情勢に大きな変化が起きる。エルサトルが侵攻を開始したのだ。興味がないこともあってほとんど気にしていなかったが、事態は僕の想像を遥かに超える深刻さだったようだ。
「……なぁ、ホントに行くのかよ」
『決まってんだろ! "神の手"も明日○×地区でエインの神の奇跡を再び起こすって声明出してるし』
「でも明日の早朝って。さすがに早すぎんだろ」
翌日の朝。目覚ましこそかけたものの、僕は時間になってもイエールとの集合場所には向かっていなかった。いつも通り家で家族と朝食を済ませ、普段通りSNSを見ながらライフコードのコミュニティでだべっていた。
エルサトルがイリニエールに侵攻を始めたのは本当らしく、ネットにはエルサトルの軍が撃ち込んだミサイルによって爆発する建物や、ミサイルが発射される映像が腐るほど出回っていた。残念だったのはどれも遠くから撮った緊迫感のないものばかりで、中には爆撃を受けている様子を窓から見ながら歓声を上げて家族と盛り上がっている音声が入っている投稿者までいた。
「なんだ、こんなものなのか」
映像を見ながら本音が口に出た。僕は本物の戦争というものを恐れすぎていたのかも知れない。イエールのように戦争を楽しんである種の見せ物として楽しんでいる人はこの国にも大勢いるようだ。
イエールから『約束、覚えてるよな?』というダイレクトメッセージが飛んできた。
「ごめん今起きた。でも、ちゃんと覚えてるぜ」
僕は貯金箱からお小遣いをかき集めて身支度を整えると、タクシーで現地へ向かうことにした。
イエールから電話がかかってきた。すぐに出ると、イエールは不満げだった。
『なんだよ、結局まだ来てないのかよ』
「だから、さっき今起きたって言ったろ? 大丈夫、ちゃんと向かってるから。タクシーの運転手に危ないからって途中で降ろされてさ。まだ少し時間かかりそう」
『早く来いよ。こっちはーーーーぞ!!』
電話越しに爆音が轟き、ノイズとなってイエールの声をかき消す。
「何? なんて言ったんだ?」
『すげぇ、また爆発した!! 今度はすぐ目の前だよ! お前も早く来いよ。終わっちゃうぞ』
「ハハッ、それは困るな。でも、こっちも見えてきたぞ、爆発。多分、イエールが見てるのとは違うだろうけど」
国境付近に向かうにつれ、遠くで煙が上がっている建物が散見されるようになってきた。確かに、これは面白い。
「ゲームどころの騒ぎじゃないな。まるで映画みたいだ」
『だろ!? 俺以外にもおんなじように見物に来た人がいっぱいいてさ、みんな盛り上がってんだよ』
先ほどからイエールの背後で歓声が上がっているのが聞こえていたが、そういうことだったのか。
「いいなぁ。俺もすぐ行くよ」
最初は戦争の話題で持ちきりで、爆発が起きるたびに飛び上がって喜んでいる様子だったイエールだが、そのうち慣れてきたようで、次第に戦争の原因である教典の話題になった。
『なぁ、知ってるか? イリーニやエルサートルたちの教典って、元は誰かが暇潰しで書いた小説みたいなものらしいぞ』
「え、そうなのか!?」
『まぁ一説によると、だけどな。でも、そんなくだらないことが原因で戦争するなんて、ホント馬鹿げてるよな』
「あぁ。俺たちみたいにゲームで戦争してる方がよっぽど楽しいのにーーーー」
遮るように、電話越しに悲鳴が上がった。イエールの声も途切れる。
「どうした? イエール?」
『わからない、みんな逃げ始めてる。え、何? ーーーーマジかよ……』
現地の人と何事か話しているようだが、電話越しでは内容まではわからなかった。ただ、イエールの声があからさまに覇気がなくなり、いつものはきはきとした様相ではなくなる。
「どうしたんだよ?」
僕が笑いかけるのと、電話の向こうから特大のノイズが走ったのはほとんど同時だった。
「イエール!?」
呼びかけても応答がない。たくさんの人の悲鳴や怒号だけが聞こえる。僕はイエールのいる国境付近へ行く足を速めた。
『ーーーーんだ!! エインが死んだっっ!!!! 銃で心臓を撃たれて、倒れたらしい!! 真上にーー機が飛んでる!! ヤバい、こんなのーーーー』
ノイズに混じって砂が巻き上がるような音が響く。
「イエール? イエール!?」
電話は繋がったままだったが、いくら呼びかけても返事がない。国境まではまだ少し距離があったが、それでもイエールがどうなったか知るには十分すぎた。
「なんだよ、これ……」
そこら中の建物が倒壊したそこは、地獄だった。
すぐ目の前の瓦礫の中に血だらけの足が見え、僕は思わず携帯を投げ捨てて瓦礫をかき分ける。
「は……?」
あったのは、膝下でちぎれた足だけだった。
「うわぁぁっ」
気持ち悪くなって、たまらず放り投げてしまう。足は跳ねず、大穴が空いた道路の上にべちゃりと落ちる。
足を軽く持っただけなのに、僕の手は血だらけになっていた。
「うっ」
満足に息をすることもできずその場で吐いた。朝食べたものを全部吐き出しても、まだ足りなかった。
すぐ上をいくつもの戦闘機が横切っていく。そのうちの一つが撃墜されて、倒壊した建物の中に落ちて爆発した。
それなりに距離があったのに、爆風の熱気が顔にかかる。
逃げなくちゃいけない。
今更のように気づいて、僕は走った。国境から離れられるなら、行き先なんてどこだって良かった。
僕もイエールも、なんて馬鹿だったんだろう。いや、僕らだけじゃない。目の前で爆撃が起きてるのに歓声を上げて動画を撮っていた奴、イエールとともにいた見物人、あてなんか考えずに避難しなかった奴、エインなんていうただの男を救世主に仕立てあげた新興宗教団体、それを信じたネット記事。
みんな、みんな馬鹿だ。
すぐ後ろで大きな爆発が起きた。
鼓膜が破れたのか、キーンというつんざくような音のあと、まるで何も聞こえなくなった。爆風で体が吹き飛び、数メートル先のアスファルトに顔面を強打する。
立ち上がろうとして、恐ろしい感覚に気づいた。
「は?」
手をついて上半身を起こし、振り返る。
左足がありえない方向に折れ曲がっていた。
「ーーーーああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」
途端に痛みだし、あまりのことに意識が朦朧とする。寝返って仰向けになると、左足がねじれるのが感覚でわかった。
視界のあちこちから爆炎が上がり、頭上を戦闘機が飛び交う中、僕は悟る。
戦いの神エルサートルも、平和の神イリーニも、きっとここにはいない。
僕らが巻き込まれたのは、誰かが暇潰しで書いた物語の、食い違う解釈を巡った子供の喧嘩なんだ。
だけどそれは確かに戦争と呼ぶべき代物で、首を突っ込む野次馬は、大馬鹿野郎だ。僕らは平和の神こそ信じてなんかいなかったが、不戦条約によってもたらされた一時の平和は、馬鹿な僕らをボケさせるには十分すぎた。
途切れそうになる意識をなんとか保ちながら、僕はうつ伏せになってアスファルトを這う。
その前に、薄汚れた細い足が立ち塞がった。
「犬死だ!!」
見上げると、小さな子供が僕を指差して笑っていた。
「お前も、アイツも、ドイツもコイツも、ボクも! みんな!! ハハハハハハハハッッーーーー!!!!」
返す気力も、言葉もなかった。
意識がいよいよ遠ざかる。目の前で起きた爆発によって、小さな子供は爆笑しながら吹き飛んだ。
真っ黒な煙に呑み込まれ咳き込むとあっという間に喉が焼けた。
ポケットにさしたペットボトルのジュースを飲むこともできず、僕はどんどん眠くなる。
僕の世界の終わり方は、こんなにもみじめで、こんなにも、滑稽なのか。