ep.1 お母さんは気に入ったわ(1)
辺境の宿場町ストラーナは、ほんとうに何もない街だ。
ツルの歪んだメガネを直しながら、パーシャは仏頂面で街道を歩く。
──ひょっとして、これは何かの呪い……? たとえば、あの半分の女の子の亡霊に……?
パーシャは、ブルッと身震いした。
あのさびれたダンジョンから命からがら逃げ出して半日とちょっと経つのに、不幸の連鎖から抜け出せそうにない。
まず、とにもかくにも、母さまに怒られた。
パーシャは、母の機嫌を損ねる、あらゆる地雷を踏みまくっていたのだから当然といえば当然だ。
単身ダンジョンに潜り、未知のフロアに突入し、格上の魔獣に挑んで殺されかけ、オマケに家業の生命線である〈目録〉を落としてくるという大失態──。
その日の夕食だけでなく、次の朝食まで抜きになったのは、いまだかつてなく厳しいお仕置きだった。
「はあ……」
空きっ腹を抱えたパーシャが昼前に訪れたのは、小さな街の中心部にある冒険者ギルド。
とにかく、あの落とし物を回収しなければならない。
母のソフィアからは、無期限のダンジョン出入り禁止を申し渡されていた。そのくせ、〈目録〉は自力で回収しなさいという。
「お母さんは、手伝ってあげませんからねっ」
ピシャリと言った母のふくれっつらは、いつもながら妙にかわいかったのだが、今はそれどころではない。
──落とし物の回収を頼むなんて、恥ずかしすぎるよ……。
自分も登録している冒険者ギルドに、踏破に失敗したダンジョンでの落とし物の回収依頼を出すなんて、マヌケにもほどがある。
しかも、せっかく古代の地図を読み解いて発見した未踏破エリアの情報を、ギルドの連中に開示しなければならない。
──ボクだけの未踏破エリアだったのに……。
「マジかよ。あいつ、あんなしょぼいダンジョンから逃げ帰ってきたのか?」
「ハハッ、荷物を拾ってきてほしいとか、冒険者が頼むことかい?」
ギルドの受付嬢が掲示板に依頼を貼り出すと、早速、嘲笑する声があがった。
いつもなら、こんな時間にギルドで油を売っていたりしないはずの先輩冒険者たちが、なぜか今日に限ってダラダラと酒を飲んでいたものだから、無遠慮な笑い声とひやかしの声は輪唱のように、いつまでも続いた。
──うるさいっ、うるさいうるさいっ、みんなだって、いきなり骸骨兵にからまれてみろよっ……。
顔から火が出るような思いをしながら、パーシャはギルドを後にした。
唯一の慰めは、受付のナターシャさんが小声で、「あのダンジョンで、未知のエリアを見つけるなんて、すごいですね」と耳打ちしてくれたことだけだった。よしよし、と頭を撫でられたのは余計だけど……。
そんなこんなで、街道に出たパーシャは不機嫌に叫ぶのだった。
「もぉぉっ、どいつもこいつも、バカにしてっ!」
パーシャだって自覚はある。
14歳にしては小柄……商都マシャンテではさして気にならなかったけれど、幼い頃から野山を駆け回ってきた辺境の子供たちに囲まれるようになってからは、自分の身体の貧弱さが悩みの種だった。
13歳で冒険者ギルドに加入してからも、やれ「モヤシ」だ「メガネ」だと小馬鹿にされてばかり。うっかりギルドで「母さまが……」と言ってしまってからは、「おぼっちゃま」なんてからかわれるようにもなってしまった。
ちなみに──
自意識過剰なお年頃のパーシャは気づいていないけれど、実のところ、ギルドの冒険者たちに大した悪意はないのだ。
ろくな産業もない街とはいえ、南西部への山越えの街道筋にあたるストラーナのギルドには、流れ者の屈強な冒険者が立ち寄っては去っていく。みな、口は悪く、気性は荒い……お互い口に出さないだけで、スネに傷を持つ者だって多い。
そんなギルドで、パーシャはある意味、マスコット的な地位を獲得しつつあった。
カネにもならないガラクタを野山やダンジョンで集めては、まるで宝石でも鑑定するように真剣にメガネを光らせる少年。
その姿は、多くの冒険者たちにとって微笑ましい原風景なのだった。誰だって最初は、探検や宝探しに夢中になって、冒険者への第一歩を踏み出したのだから。
だから、冒険者たちがパーシャをいじるのは、むしろ親愛の情の裏返しだったのだけれど……パーシャ本人は、周囲の生あたたかい視線の意味がわからず、くやしくて仕方がないのだ。
ふくれっつらのまま、ズンズンと表通りを歩いてきたパーシャは、街はずれの店の前に来ると仁王立ちになって、フームと鼻を鳴らした。
〈とろける魔法の豆スープの店〉
こっぱずかしい店の名前が問題なのではない。
店主たる母が機嫌を直して、昼食を許してくれるか。それが問題だ。
チリリン……。
ドアベルを鳴らしながら扉を開く。
6つあるテーブルは5つが埋まっている。昼時としては、そこそこの入り。
「パーシャ、おかえりぃ〜」
「今日もかわいぃねぇ〜」
通り向かいで雑貨屋をやっているターニャさんとアーニャさんの姉妹が、フニャッとした声を出す。
猫耳の獣人である雑貨屋のふたりは、母の店の常連客だ。
「どーも」
パーシャは生返事をして、店の奥を目指す。
このふたりには、いつ会っても、かわいい、かわいいと言われてばかりだ。
かわいいっていうなら、ふたりのほうがずっとかわいいじゃないか……しっかりしてきたとか、冒険者らしくなったとか、なんかもっと他の語彙はないわけ!?
「……ただいま戻りました」
おそるおそる、厨房に立つソフィアに声をかける。
「おかえりなさい。よかったわ、パーシャ。ちょっとお願いしたいのだけれど」
「え……どうかしたんですか?」
今日はお昼も抜きよ、とでも言われるかと思っていたが、忙しそうに調理をしている母は、まったく違うことに気を取られているようだった。
「3番テーブルのお客さまね……スープをひと皿、飲み終わってから、ずっとあそこに座っているの。もう1時間」
「1時間も……?」
チラリと客席をのぞく。
マントのフードを目深にかぶったその客は、うつむき加減に座っている。旅人たちがするように地図を広げているわけでもなく……それどころか、しばらく見ていても、身じろぎひとつする様子がない。
あの姿勢で1時間、じっとしていたのだとしたら、ちょっと異様だ。
「わたし、手が離せないから……お勘定をして席をあけてくださいってお願いしてもらえないかしら。暴れるような人じゃないと思うけど、丁寧にね」
「わかりました」
さげていたポーチと帽子を置くと、パーシャはシャツの袖をまくって店に出た。
近づいてみると、3番テーブルの客は華奢な体型で、マントの裾からのぞいた脚は細くスラッとしている。
──女の人……女の子?
「あの、大変申し訳ありません。お昼時なもので、もし他にご注文がなければ、お席を──って!?」
言いかけたパーシャの腹にグシャッと鞄が押しつけられていた。
「落とし物」「届けにきた」
顔をあげた3番テーブルの客を見てパーシャは甲高い悲鳴をあげる。
「イヤァァァァァァァァァァァァァァッ……!」
何もかも半分ずつの少女は、{困ったような/憤慨した}顔で絶叫する少年を見つめていた。