序章 死にかけ少年の落とし物
すべての物には、値段がある。
〈初級ポーション〉 10ゴールド
〈ホーンラビットの角〉 25ゴールド
〈マシュマロ・マッシュルーム〉 125ゴールド
この世界では、どの国の、どの村の、どんな商店に行っても、同じアイテムは一定の値段以上で買い取ってもらえる。
中央の大都市でも、はるか辺境の田舎町でも、この最低買取価格は変わらない。
少しでも商取引をかじった者なら、すぐにおかしいと気づくだろう。
どんな品物でも、保管や流通にはコストがかかる。
それなのに、薬師協会の工場がある北部の都市と、西部の砂漠地帯のオアシス都市で、どうして〈初級ポーション〉の最低買取価格が同じなのだろう?
オークがウロウロしている山の麓の農場と、魔物の影など見かけもしない王都の肉屋で、〈オーク肉〉の重量当たりの最低買取価格が同じなんて、ちょっと変じゃないだろうか。
もちろん、個人間で行う取引なら、品物にどんな値段をつけるかは売り手の自由だ。
つまらない〈青銅の剣〉でも、ドロップしたダンジョンの踏破に苦労したのなら、高い売り値をつけるのは人情というもの。
希少な〈ホワイト・クリスタル〉でも、河原にゴロゴロ転がっているような産出地の住人なら、タダ同然で売り渡したって損をしたとも思わないだろう。
けれども、商店での取引は、そうではない。
どんな商店に、どんな品物を持ち込んでも──武器屋で〈薬草〉を売ったり、魔導書店のカウンターに〈古代の鎧〉を引っ張り出しても、店員は当然のように最低買取価格以上の金額を提示して、品物を引き取ってくれる。
……いったい、なぜ?
ひとつの模範解答は、「〈見分けのレンズ〉があるから」、だ。
商人たちにとって欠かせない鑑定魔道具、〈見分けのレンズ〉。
商業ギルドや各国の徴税局に行って開業届を出すと、受け取ることができる支給品である。
〈鑑定〉系のスキルがなくても、それを品物に向けさえすれば、ほぼすべての商品について、基本的な情報がわかるし、スキルでは知ることのできない最低買取価格まで確認することができる。
実のところ、専門外の品物については、実勢買取価格=最低買取価格という店も多い。
あまり知識のない種類のアイテムについて、転売したらいくらで売れるのかなどと、投資価値をあれこれ考えるだけ時間の無駄……商人たちの間では、それが常識的な感覚だからだ。
店に品物が持ち込まれると、店員たちは当たり前のように〈レンズ〉を向ける。〈レンズ〉の示す価格で品物を買い取り、店で不要な専門外の商品は商業ギルドに回す。
商業ギルドは、どんな品物でも最低買取価格に1割から2割程度、色をつけて買い取ってくれるので、手間損にはならないという算段だ。
それが、この世界で店を構えている者の誰もが、営々と繰り返してきた営み。
だからこそ、どんな国の、どんな街の商店でも、同じ最低買取価格が維持されている──。
『でもね、パーシャ……もっと、よく考えてごらん。どうして、そんな経済が成り立つと思う?』
少年は、死を目前に、幼い頃に聞いた父の言葉を思い浮かべていた。
そう……
世の中の人は、「商業ギルドが最低買取価格を決めている」と思っている。
商人であってもほとんどの人はそう考えていたし、そんなふうに誤った理解をしていても、日々の商いに支障はない。
でも、真実は、もう少しだけ、深いのだ。
──ああ、父さま、ごめんなさい……ボクは父さまのように、偉大な〈なんでも屋〉にはなれませんでした……。
ここは、辺境のダンジョン、第5階層。
目の前には、〈真鍮の剣〉(最低買取価格: 200ゴールド)を振り上げる骸骨兵。
石の床にへたりこんだパーシャには、すべてがスローモーションに見えていた。
死ぬ。このままでは、確実に死ぬ。
そうとわかっているのに身体は動かず、なんの対応もできない。
ここが、自分ひとりで踏破できるような場所ではないことは、最初からわかっていた。
わかっていたのだ……それなのに、発見した古代のマップから未知の通路を見つけたとき、どうしても先を見たくて無茶をしてしまった。
『〈なんでも屋〉は、冒険者じゃないの。商人なのよ。無理は禁物、命あっての物種。それが守れないなら、ダンジョンに潜るのは禁止ですっ』
母だって、パーシャが傷を作って帰るたびに、そう言っていたのに……。
首筋に向かって長剣が振り下ろされたとき、パーシャの口からポロリと言葉がこぼれた。
「かあさま……」
ガキィィィィンッ……耳元で激しい衝撃音がした。
パーシャは思った。
ああ、死んだっ……景色が横倒しに見えているんだもの。
きっと、ボクの首は打ち落とされて、床に転がっているんだ。
アハハ、アハハハ、アハハハハハ……。
そんなパーシャのぼやけた視界の中で、突然グシャリと骸骨兵が崩れ落ちた。
目の前にコロコロと頭蓋骨が転がってくる。
さっきまで、呪われたアンデッドらしく、真っ赤な魔力の炎を宿していた眼窩は、真っ黒で虚ろな穴になって、ジトッとパーシャの顔を見つめていた。
「ヒィィッ!」
少年は、バネが弾けたように飛び上がった。
壁にへばりついて、首に手を当てる。
──えっ、つつ、つながってる?
「なんで……? なんでっ……? ボッ、ボク、死んでない──!?」
「落ち着いて」「はい、メガネ」
「あ、ありがとうございます……」
差し出されたメガネを何気なくかけてから、パーシャは悲鳴をあげた。
「ええっ……イヤァァァァァァッ!」
暗がりに、少女が立っていた。
丸っこいショートボブの髪は、半分が輝くような銀髪、半分が闇に溶けそうな黒髪。
あどけなさの残る顔には、両目の間を切り裂いた手術の縫い痕……けれども、どういうわけか左右の顔がちがう。
クリクリして、トロンと甘い愛らしさのある、青い左目。
キリッと力強く、斬りつけてくるような、鋭い鳶色の右目。
──ぜんぶ、はん……ぶん……こ?
「ヒィィィィィッ、助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……!」
なななんだっ、なんなんだ、このしゃべるアンデッドッ!?
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
そう叫びながら暗闇を全力疾走していく少年を、少女は、ただただ呆然と見送った。
「助けてって……」「今、助けたのだけれど」
独りごちた少女は、手にした剣を鞘にしまうと、ふと足元に散乱した少年の荷物に目をとめた。
得体の知れないキノコ、光を失ったクリスタル、何かの機械の部品……。
ガラクタとしか思えないような品物が、投げ出された鞄から転げ出ている。
「あら」「これは……?」
少女はガラクタの中から、緑色の皮表紙の本を取り上げて、パンパンと土埃をはたく。
銀の鎖で封印されたその書物は、少女の手の中でポウッとわずかに光った。
サラサラとペンを走らせたように、金色の文字が表紙に浮かびあがる。
〈存在するすべての目録〉──
2022年初投稿です!
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お正月はスタートダッシュで、そのうちペースをつかめればと思ってます。
なにごともコツコツ! がんばりますー