5 義母(セリーヌ)視点
私セリーヌ=ローゼンは、エローベンス辺境伯の娘として生まれました。父は国の守りの要の国境の領土をしっかりと治め、国内でも一目置かれる存在でした。
幼い頃から高位貴族から婚約の申込みが多数ありましたが、父は最高位の公爵家の中でも中立的な立場に立つローゼン家の長男を私の相手に選びました。それが四年前に流行病で亡くなった夫、シャルドネでした。
大分後になって、あのリリースリー公爵家からも婚約の申込みがあったという事を知りました。公爵自身よりも息子であるアランティスの方が、自分よりライバル公爵家ローゼン家の長男を選んだ事を根に持っていたようです。
会った事もない娘であろうと、自分の申し出を受けなかったというだけで憎しみを抱くとは、本当に自己中心的で身勝手で傲慢な男です。
つまり私は義姉のマリエッタ様と同様な立場だったのです。それなのに、当時はそんな事とは露知らず、義姉の事を私はずっと目障りな存在だと思っていました。結婚前も結婚後も。ですから私は大きな罰を受けたのでしょう、きっと。
十六年前、私は義母の命令で義姉と義姪の様子を見るために、都から北へ遠く離れた領地シュナイエルの屋敷を訪れました。
主人の姉であるマリエッタ様は婚約者がいる身でありながら、男爵だった男と駆け落ちし、ローゼン公爵家の家名に泥を塗った方です。
もっとも、元々恋人がいる事を知りながら、無理矢理に別の男との結婚を強要した義父にも問題はあったのでしょうが。しかも、よりにもよってライバル公爵家のリリースリー公爵家のアランティスのような男と。いくらなんでも人を見る目がなさ過ぎますよ。
義姉の駆け落ちは私の結婚前に起きた事で、マリエッタ様は体を悪くして療養の為に領地に帰って籠もっていると私は聞かされていました。しかし、彼女が駆け落ちしたというのは、半ば公然の秘密でした。
結婚後夫からは秘密にしていた事を謝られましたが、私は責めるつもりなど全くありませんでした。いえ、私は義姉のマリエッタ様と接しなくてすむ事を、むしろ心の奥底では喜んでいました。
私は物心ついた頃から夫と婚約をしていましたから、当然マリエッタ様とも交流がありました。
マリエッタ様は本当に女神様のように神々しい美貌をお持ちでした。それなのに少しも気取る事もなく、優しく私の事も実の妹のように接してくださったので、私もマリエッタ様が大好きでした。
しかし社交界にデビューするようになると、マリエッタ様の存在は私にとっては非常に重いものになっていきました。
マリエッタ様のいない場所では、やる事なす事マリエッタ様と比較され、莫迦にされ、見下され、謂れのない噓を流され、人の目のつかないところで嫌がらせを受け、虐めを受けました。何故自分がそんな目に合うのか私には全くわかりませんでした。
私は自分でいうのもなんですが、そこそこの容姿をしているつもりでした。礼儀作法もダンスも学問も一流の先生から学び、将来の公爵夫人として相応しいものを身につけていると自負していました。それなのに何故そんな理不尽な事をされるのか。
私はその事を誰にも話せませんでした。社交界に友人は一人もいなかったし、虐めを受けている情けない女だと思われるのが怖くて、婚約者に相談することもできませんでした。
私は一年ほど一人でじっと耐え忍んでいました。しかし、ある日、母から誕生日プレゼントだとして贈られたお気に入りのドレスを着て、とある公爵家のパーティーに参加した時、薄水色のドレスに赤ワインをこぼされ、スカートの裾を踏みつけられました。
私はもう我慢が出来ずに、走ってその場から逃げだそうとしました。その時です。
「キャッ!」
私ではなく、私に赤ワインをこぼした女が悲鳴をあげました。思わず振り返ると、先程の女のドレスにストロベリーアイスがべっとりとついていました。
「おお、私としたことが、とんだ粗相をして申し訳ありません。婚約者の姿を見て思わず後を追おうとして、周りをよく見ておりませんでした。ドレスは弁償させて頂きますので、どうかお許し下さい」
ブルネットヘアに濃紺の瞳の伯爵令嬢の顔は青褪めて立ち尽くしていました。
その令嬢に向かって、今日は参加する予定のなかったローゼン公爵家の嫡男であるシャルドネ様が頭を下げておりました。そして姉とそっくりの美しい顔で周りを見回した後、この屋敷の使用人に向かって、彼女を控え室に連れて行って、ドレスの汚れをとってやって欲しいと依頼しました。そして、
「私は、どなたかに誤ってワインをかけられてしまった婚約者を連れて帰らなければなりませんので、これで失礼します」
そう言うと、私の腰に手をやって、私を屋敷から連れ出してくださいました。
ローゼン公爵家の馬車の中で、それまで我慢していたものが洪水のように溢れ出しました。
シャルドネ様は私の背を擦りながら、何度も何度も私に謝罪しました。しかし、私は何故彼が謝罪されるのかわかりませんでした。私はお礼を言う立場でしたから。
しかし彼は、私に対する嫌がらせはローゼン公爵家のせいだと言いました。マリエッタ様があまりにも完璧だったために、みんなは彼女を、妬み憎んだが、貴族最高位にいる為、直接手は下せない。しかも、聖女のようなマリエッタを虐めている事がわかったら、殿方達に悪役令嬢の烙印を押されてしまう。それを恐れて何も出来ずに鬱憤が溜まったところに私が社交界に、ちょうどいいターゲットとして登場してしまったというのだ。未来の公爵家夫人とはいえ、まだ結婚前の辺境伯令嬢だからである。
いずれは公爵夫人になるだろうとわかるのに、何故そんな事が出来るのだろう? その頃には虐めた相手を忘れてくれると、都合良く考えているのだろうか? 私はお礼は忘れないタイプなので、ちゃんとお返しをさせて頂いたけど。
ともかく、この事があってシャルドネ様は私を大切に守ってくれるようになり、まあ、色々ありましたが、夫が四年前に亡くなるまで夫婦円満でした。
夫は姉に負けず劣らず美しい人で、文武に優れた立派な人でした。しかし、それでも幼少期から優秀過ぎる姉と比較されて劣等感に悩まされていたようで、私達は似た者同士だったのでしょう。
しかし後で分かった事ですが、私が虐められたのはマリエッタ様だけが原因だったのではなく、姉に負けず劣らず人気だったシャルドネ様を慕う女性達や、あの蛇男のリリースリー公爵の息がかかった者達からのものも多かったようです。特に陰湿な虐めや嫌がらせは蛇男のせいだったのです。
私達夫婦も結局、あの悪役令嬢達同様、嫉妬で罪のない相手を憎んでいたのです。
そしてその報いでしょうか。私達夫婦には子供が授からず、義父母から責め続けられ、夫は無理矢理側室をもたされましたが、結局子供は出来ませんでした。側室になった女性は愛されず、子供も出来ず、辛い思いをした挙げ句、病で亡くなりました。本当に申し訳無い事をしました。
義父母からは遠縁の子供を養子にするように言われましたが、私は断固拒否をしました。そんな顔も知らない子供より、夫と血の繋がった姪を養女にしたかったのです。
義父母は家名に泥を塗った義姉を許してはいませんでした。そして父親そっくりの娘も。
二人を領地に引き取ってからも、一度も会いに行かずに亡くなりました。
しかし私達にとっては、むしろシェリーメイがマリエッタ様に似ていない方が幸いだったのです。彼女の面影を重ねなくてすんだので。
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