13 侍女(エルザ)視点2
再びエルザさんの登場です。彼女が一番全体を把握している人物です。
シェリーメイの辛い幼少期の出来事がわかる章です。
シェリーメイ様が三度目の婚約を破棄されてからは、さすがに煩い親戚縁者達も新しい結婚話を持ち込んではこなくなりましたよ。その事にローゼス公爵家の者達は全員ホッとしていましたが、女主と若い執事の思いと、それ以外の者達の思いは多少の違いがあったと思います。なぜなら・・・・・
シェリーメイ様と若い執事アマンド=ドーテがお互いに思い合っている事は、屋敷の者ならば誰でも気づいている事でした。それなのに、人よりずっと優秀なお二人だけがまだその事に気づいていない事に、周りの者は苦笑いをしております。
シェリーメイ様はアマンドよりも七歳も年上という事で、そもそも自分が彼の恋愛対象になるとは露ほどにも思っておられません。しかも、ご自分を三度も婚約破棄されている傷ものだと思っていらっしゃいます。
シェリーメイ様の三人の婚約者は全て周りの者達が勝手に決めたもので、本当にろくな者がおりませんでした。恐らくは親類縁者にとって都合の良い男と結婚させて、少しでも自分達も利益を得ようと考えていたのでしょう。そうでもしないと、優秀なシェリーメイ様からおこぼれを頂戴できないからと。
全く愚かな事です。誠実に接すればそれだけで良かったものを。余計な事をしたばかりに、彼らは名門ローゼス公爵家を醜聞まみれにしました。
シェリーメイ様は、そんな彼らの欲に溺れた悪意に対して何の感慨も抱いてはおられませんでしたが、愚かな彼らに傷つけられていた事は事実です。
それらによって今彼女の自己肯定感は底辺まで落ちています。まあそれは彼らだけのせいではなく、子供の頃からの生育環境によるものの方が大きいのかもしれませんが。
ともかく、あの方は、アマンドの事は実の弟のように大切に思っていらっしゃいますが、まさかご自分が彼にとって自分の命をかけてでも守ろうとしている存在だとは、夢にも思っていらっしゃらないのです。
そして、すっかり結婚をする事を諦めたご様子でした。
そして、アマンドの方も自分がシェリーメイ様に思いを寄せてよい人間だとは全くもって思っていないのでしょう。彼は自分の事を、主を不幸のどん底に落とした悪の元凶だと思い込んでいますから。
シェリーメイ様が幸せな結婚が出来ないのは自分のせいだと、彼はいつにも増して落ち込んでいました。
アマンドはリリースリー公爵が旅先の居酒屋で働く女給に生ませた子供です。
血統主義者で貴族以外は人とも思っていないあの男が、何故そんな卑しい女と関係を持ったのかはわかりません。普通なら知り合う事すらないでしょう。彼がたまたまアマンドの母親と関係したのか、それともシェリーメイ様のご両親に罠をしかけるために関係したのかはわかりません。
ともかく彼らの企みで、私がお仕えしていたトーマス=エドワード男爵一家は崩壊したのです。
私はローゼス公爵家から全権を任されていた執事、フォルト=グロースベルク子爵様から懇願されて、マリエッタ様とシェリーメイ様と共に、シュナイエルという地へ向かいました。ローゼス公爵の領地の一つで、王都から一番離れたかなり地方の田舎です。
公爵様ご夫妻とご嫡男ご夫妻は、マリエッタ様がご存命中には一度も会いに来られませんでした。そして次期当主となるシャルドネ様がマリエッタ様の訃報を聞いてシュナイエルの屋敷にやって来られた時、彼は初めてご自分の姪にあたるシェリーメイ様を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしていました。
シェリーメイ様は顔中が腫れ上がり、頭から額にかけては包帯でぐるぐる巻になっていたからです。
「この包帯は誰が巻いたのだ?」
シャルドネ様がこう尋ねられたので、私ですと答えると、何故医師にやってもらわないのだと叱責されました。そこで、私はこう言いました。
「お医者様を呼んで欲しいとお願いしましたが、ローゼス公爵家の恥になるような真似は出来ないから呼べないと執事様に言われました」
すると、シャルドネ様は烈火のごとく怒り、執事に一刻も早く医師を呼んでくるように命じました。
お医者様はシェリーメイ様を診察して治療をなさった後でこうおっしゃいました。
「何故もっと早く私を呼ばなかったのですか? あざはいずれ消えるでしょうが、額の傷は膿んでしまったので、恐らくは痕が残ってしまうでしょう」
私は愕然としました。私のせいです。屋敷の者達が呼んでくれないのなら、私が呼びに行くべきでした。しかし、お嬢様が私の手を離してくれなかったのです。私が離れたら、お嬢様まで奥様のように川に飛び込んでしまうのではないかと恐れ、私はお側を離れられませんでした。
ふと隣に立っていたシャルドネ様を見ると、彼も医師の言葉に呆然としていました。そして医師が帰って暫くしてから、ベッドの上のお嬢様の姿と薄暗い物置き小屋のような狭い部屋を見回した後、静かに部屋を出て行かれました。
そしてその直後にガタガタ!という机だか椅子がぶつかる騒音と、数人の悲鳴が上がりました。その後すぐにこちらへ戻ってきたシャルドネ様は、眠っているシェリーメイ様を抱き上げて、屋敷の中で一番陽当たりのよい広い部屋に連れて行き、そこのベッドへ寝かせました。
後になって大きな物音が、執事がシャルドネ様に殴られて、椅子とテーブルにぶつかった音だったと知りました。
当時は存じていなかったのですが、シャルドネ様は大変穏やかで優しい方だったので、今思うと人を殴ったなんて信じられないくらいです。まあ、殴られて当然の男でしたが。いくらわけありといえ、公爵家の娘と孫の二人を物置きのような日当たりの悪い狭い部屋に、長らく閉じ込めておいたのですから。しかも医師にも見せず、薬も飲ませず。
奥様やお嬢様、それから私をその領地へ連れてきた執事フォルト=クロースベルクさんは、普段は王都の屋敷を守っていました。そして公爵家の皆様は社交シーズン以外は、南方の気候の暖かな領地で過ごしていました。
フォルトさんは皆様に一度シュナイエルへ、お二人の様子を見に行って欲しいと何度もお願いして下さっていたそうです。
しかし、公爵様のマリエッタ様への怒りは相当だったようで、家族にも会いに行ってはいけないと強く命じていたらしいのです。そして二人の事はあそこの執事に任せているから大丈夫だと。
シャルドネ様はフォルト様の言葉に耳を傾けなかった事を酷く後悔されました。別れてから一度も会う事もなく、たった一人の姉を無惨に死なせてしまったのですから。
そしてシャルドネ様は残された、たった一人の姪の為になにか償いたいと思われたようですが、シェリーメイ様は当初、叔父上の顔を見ると酷く怯えて、私にしがみついていらっしゃいました。
一言も口をきいてくれない姪に、次期当主様はほとほと困りはてていらしたので、私はこう慰めて差し上げました。お嬢様はシャルドネ様ご自身を怖がっているわけではありませんと。
そうです。シェリーメイ様は叔父上様が、ご自分の母親にそっくりだったから怖がっていらしたのです。
そりゃあそうでしょう。シェリーメイ様は一年前に、父親を包丁で刺す母親を見ていたのですから。そしてあの日からちょうど一年経って、今度はその母親から何発も殴られた挙げ句、頭に花瓶をぶつけられたのだから。
マリエッタ様は毎日、今日は何日なの? とお尋ねになっていましたが、あの日、私が昼食を作りに行っている間に、たまたま部屋の前の庭を歩いていたメイドに声をかけられたようです。
「今日は何日なの?」
そしてメイドの返事を聞いてマリエッタ様はその日が自分達の結婚記念日で、夫を刺した事を思い出されたようです。そして目の前にいらした、夫であるトーマス様に瓜二つのシェリーメイ様と、浮気をした夫の姿が重なったようです。
しかし、私がお嬢様の名前を呼んだ事で、奥様は正気に戻られたようで、ご自分が愛娘にした仕打ちに恐れ戦き、
「わ、私はなんて事を・・・
許して、シェリーメイ!」
そう叫ぶと、部屋を飛び出して行かれました。ですから、私は私を呼びに来た若いメイドに、奥様を追うように命じました。私の足では到底追いつけませんからね。それにお嬢様の止血をしなければなりませんでしたから。
私がずっと側に居られたなら、もしかしたら最悪な事だけは避けられたかもしれません。しかし、お二人のお世話は私一人で全てしていたので、そういうわけにはいきませんでした。
あの日あの時、私は厨房で、三人分の遅いお昼の準備をしていました。そしてその厨房はお二人の居たお部屋から遠く離れていたので、騒ぎが起こってもすぐには気付く事ができなかったのです。
メイドの一人が呼びに来て、慌てて部屋に戻ると、頭から血をどくどくと流して倒れているお嬢様と、呆然と立ち尽くす奥様の姿が目に入りました。
私を呼びに来る前に止血しろ! 私は憤りで頭の血管が切れるかと思いながら、お嬢様に駆け寄り、お名前を呼びました。すると、お嬢様は薄っすらと目を開け、私を見るとホッとしたように小さく微笑んだので、私もようやく安堵しました。しかし、その後であの悲劇が起きたのです。
私の話を聞いて、シャルドネ様は顔を歪ませ、何とも言えない悲愴感を漂わせました。闇の深さを知り、このままでは姪まで壊れてしまう、そう思われたのでしょう。
シェリーメイ母娘やエルザさんに酷い仕打ちをした屋敷の人達のその後は、次章で明らかになります。