11 公爵夫人(エリザベート)視点
悪役令嬢の母親の苦悩を描いています。優しい人に囲まれているシェリーメイより、むしろ彼女の方が一番辛い人間かもしれません。
私はエリザベート=リリースリー。
アランティス=リリースリー公爵の妻で、ヘルベルト現国王の妹、そしてシャルロッテの母親です。
二十年前、シャルロッテが生まれた時、周りの人々はそれはそれは大喜びでした。その家の初めての子供が生まれたのですから、それを喜ぶのは当たり前の事なのでしょうが、娘が例えば私似だったら、これ程でもなかったのではないかしら、と娘を抱きながら私は思ったものでした。
娘は夫と同じ銀髪の中に金髪が混じっているメッシュヘアーでした。これは王家の血筋だという事を示しているのです。血統主義者の夫が大喜びするのは当然でしょう。
しかし、私の母である王太后の喜びようは尋常ではなかったように思えます。ただ周りの人達は、国王である三つ年上の兄と私が母親似で単なる金髪だったから、それで余計に喜んでいるのだろう、と思っているようでしたが。
兄も確かに母親似で、母と同じ金髪でしたが、瞳は父親と同じ金色の瞳でした。それに比べて、私には亡くなった父親に似ているところが全くという程ありませんでした。
父親はその事に対してさほど気にしてはいなかったようですが、私は家族の中においてずっと、いつも言葉では言い表わせない違和感を覚えていました。
しかし、私が十六歳でリリースリー公爵アランティスとの結婚が決まった時、私はもしや?という疑惑が浮かびました。それは私の護衛騎士が私の嫁ぎ先の従属になると聞いたからです。
彼はディート=ヘッセマンといい、伯爵家の三男で、元々は母であるアンナ王妃付きの護衛騎士でした。
彼は父親がお手付きにした平民の使用人との間に生まれた私生児でした。しかし、父親を夢中にさせた母親によく似て、彼は幼い頃からとても美しい少年だったようです。その上立派な体躯をしていて、邪魔者として放り込まれた騎士養成学校で優秀な成績を残したため、伯爵である父親は彼を手放すのが惜しくなったようです。そこで父親は彼を認知し、王宮騎士になるように手を回したらしいのです。
これは貴族の家ならばどこにでもある話なのでしょうが、その話を聞いた時、私は酷く不快になったのを覚えています。そうです。私はとても心の弱い人間で、王族とか高位貴族には向いていないのです。
今頃になって思うのです。
もし私が母親の毒を少しでも奪って生まれてきたなら、あの母親も少しはましな人間として過ごせたのではないかと。そしてその毒を私が多少でも持ち合わせていれば、リリースリー公爵である夫にもっと抵抗して、娘を世間から非難されるような人間にしなくてもすんだかもしれないと・・・
娘の瞳の色が護衛騎士のヘッセマンと同じアイスブルーだった事で、私は彼が本当の父親である事を確信しました。
ヘッセマンの私を見つめる目は、幼い頃よりとても慈愛が籠もっていたのです。もちろん、他の人には気付かれないように、彼は細心の注意を払っていましたが。
宮廷の護衛騎士ヘッセマンは、何度も大会で優秀するほどの剣の使い手で、しかも城内一美丈夫だったので、女性には大変もてていました。しかし、彼は特定の女性は作らず独身を貫いていました。
彼が私の嫁ぎ先へ同行する事を希望した時、『何故?』と母が思わずこう呟いたのを私は聞いていました。夫である国王が亡くなって一年が経ち、ようやく喪が明けた頃だったので、これからは彼と堂々と付き合える、と思っていたからなのかも知れません。私は母がヘッセマンに言い寄って、それをやんわり拒絶されたのを知っていました。
多分昔、母の方がまだ若かったヘッセマンに一方的に言い寄って、関係を迫ったに違いありません。真面目で忠誠心の強いあの人が、どんなに苦しみ悩んできたか、想像するだけで胸が締め付けられます。
私は許されない事と思いつつも、ヘッセマンに対しての肉親の情を捨てられませんでした。そしてその罪の意識で苦しんでいた私を救ってくださったのが、王都で一番古い教会のシスターのアリス様でした。
私は幼い頃より、ローゼス公爵家のマリエッタ様に誘われて、町中の教会で奉仕活動をさせて頂いていました。
その教会は王都の中でも最も由緒ある教会でしたが、建物が老朽化し、しかも質素な造りだったので、貴族達は足が遠のいていました。
しかし、王宮にある聖殿や王都の華美な教会よりも、その古い、厳かで質素な教会にいると、心が穏やかになりました。
多分、アリス様をはじめ、シスターの皆様のお心が清らかで、慈愛に満ちていらしたからでしょう。
私はマリエッタ様がいらっしゃらなくなってからも、ヘッセマンと共にその教会に通っています。ですので、ローゼス公爵家の方々とは今もお付き合いをしています。もちろんリリースリー公爵家の者達には秘密にしておりますが。
夫のアランティスは恐ろしいほど頭が切れ、ぬかりのない男ですが、社会貢献や奉仕活動などには全く関心がありません。もちろん教会にも。貴族なら普通例え宗教心がなくても形式上礼拝に通うものですが、夫は冠婚葬祭以外で教会に通う事はありません。
案外、天罰が怖くて教会へ足を向けられないのかもしれませんよ。あの人は神をも恐れないような数々の恐ろしい事をしてきましたからね。
でも、もし多少なりとも罪悪感があるとすれば、夫は私の母親よりはマシという事でしょうか? あの人は教会に火をつけて燃やしたり、神の樹木を切り倒したり、聖女様を暗殺しようとしたのに、いつも平然と教会へ通っていますもの。
私は娘を真っ当な人間にしたかった。娘にしっかり向き合い、愛して育てたつもりでした。しかし、シャルロッテは自分の都合のよい、心地よい言葉しか受け入れない子供で、まさしく夫と母の血を強く引き継いでいました。
シャルロッテがただの気まぐれ、嫌がらせでシェリーメイ様の婚約者に手を出し、婚約破棄をさせ、その挙げ句にその男性を捨てた時、私は目の前が真っ暗になりました。娘は私の母親と同じ種類の人間でした。
夫の側室を襲わせて妊娠させ、不義の子を産んだと断罪して、夫の側室を投獄したあの母親と。
泣きながら叱った私に、娘は平然とこう言いました。まだ十六なのだから失敗してもしょうがないでしょう?と。すると夫も、騒ぎを起こすような失敗は二度とするな。次はもっと上手くやりなさい、と言ったのです。
そして懲りずに、シェリーメイ様の新しい婚約者に再び手を出そうとしたので、今度こそはそれをやめさせなければと私は思いました。
三番目の婚約者オットー=ラウヘェンは、二番目のヴィルヘルム=コッフルとは違い、シェリーメイ様をお好きなのが分かっていたからです。そして真面目で人柄も良さそうでしたから。
しかし、それがかえって災いとなりました。
私はラウヘェン卿に娘のこれまでの行いを話し、娘に注意し、近づかない方がいいと警告しました。すると彼は顔をしかめ、なんと私に同情するような顔をしたのです。そしてこう言ったのです。
「エリザベート嬢のおっしゃっていた通り、公爵夫人はいつまでも過去の失敗に拘って、心改めた娘をいまだに信じられないのですね。お気の毒です。でも、人は変われるものなのです。どうかご自分の娘をもっと信用して下さい。エリザベート嬢は今はとてもご立派な淑女でいらっしゃいますよ」
と。私は瞠目しました。確かに娘はもう少女ではありませんでした。多くの経験をして、私が思っているより彼女は、さらに狡猾になっていたのです。私が邪魔するのを最初から見通して、先に手を打っていたのです。こうなったら、私が何を言ったとしても、彼はうがって捉える事でしょう。
後になって、ラウヘェン卿が実の母親から幼い頃より虐げられて育ったという事実を知りました。だから娘も自分と同じだと思い込み、同情してしまったのだと。
せっかく忠告してくださったのに申し訳ありませんでした、と彼から謝られました。そして、ラウヘェン卿はコッフル卿とは違い、シェリーメイ様にも心から謝罪し、復縁を求めるような真似はしませんでした。
甘いかも知れないですが私はラウヘェン卿に同情し、彼に仕事を斡旋しました。それは隣国の騎士団です。私の母親アンナは隣国の元王女で、現在の国王は私の従兄弟にあたり、昔から交流がありました。その伝手を使ったのです。
彼は犯罪を起こした訳ではありませんが、この国で騎士を続けるのは辛いでしょう。二大公爵家に疎まれてしまったのですから。あのコッフル卿のように。
彼は私に感謝して隣国へ向かいました。私は彼に言いました。これからは隣国に忠誠を尽くせ! そして簡単に人に同情したり、自分とシンクロさせるのはよすようにと。
私がシェリーメイ様と前公爵夫人であるセリーヌ様に今回の件を謝罪すると、お二人にはかえって感謝されてしまいました。
いくら真面目な男であろうと、簡単に人に騙されるような人間では、領地と領民を守れない。しかし、だからといってラウヘェン卿の人生をこのまま終わりにしてまうのは忍びなかったと。
私はいつかは娘も私の思いに気付いてくれるのではないかと、娘が成人を迎えてもその望みをなかなか捨てられずにいました。しかし、二十歳を過ぎてもこれでは、本人がよほど痛い目にあわないと改心する事はないでしょう。
私はついに決断しました。
ローゼス家の方たち、娘の婚約者である義理の甥ヘルマン=ヘルツ、実の父親ディート=ヘッセマン、そして聖女メアリーナ様・・・
この方々と共に真実を詳らかにして、膿を出し切ろうと。
読んで下さってありがとうございます。