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戦姫

作者: タカクラ


 鬱蒼としていた山の木立がまばらに途切れ、うっすらと朝の弱い光が差し始めた。

 燃え尽きるには少し早いけど、そろそろ火勢が落ちてきている松明を、足元の湿った落ち葉に潜らせて、消す。

 松明を森の中に捨て、ひとつ、大きく伸び。

 深呼吸。

 つめたくて、湿っぽくて、さわやかな空気を、思いっきりおなかに吸い込んで。

「ぷぁぁぁぁぁぁ」

 そして、声を出しながらはきだした。

 息が、白い。

 収穫の秋が過ぎ、もういつ雪が降ってきてもおかしくない季節なのだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。

 でもそれに気が付いたのは、今朝が今年初めてだ。

 確か去年も、こんな風に気が付いた。

 おととしもそうだった。

 その前も。

 前の前もそうだった。

 こうして早朝の山の中、うつろう季節を知るようになったのは、いったいいつの頃からだったんだろう。

 初めて山に入ったのがいつだったのか、実はそれさえ覚えていない。物心ついた頃には、父様とともに山に入るのが日課になっていた。

 大天の鉞、戦神エールマン様に仕える神官の父様は、また自ら戦士でもある。毎朝の入山は鍛錬の一環で、その娘であるあたしも、幼い頃からの鍛錬を当たり前のように積んできた。

 疑問に思ったことが、ない訳じゃない。

 正直に言えば、イヤだと思ったことだって、何度もある。

 それでもやめたり休んだりしなかったのは、どうしてなんだろう。

 父様と言い争い、泣きながら厩で一晩過ごした朝も、あたしは父様の後を追って山に入った。

 あれは十歳になったばかりの頃だ。

 十三の時、あたしは、たまりにたまった不安を父様にぶつけ、母様の元に逃げたこともある。

 母様は天上の華、美の女神アルフリーダ様の神官で、あたしたちの村のアルフリーダ神殿の長でもある。

 夫婦仲に問題があるわけじゃなかったけど、二人とも神殿を預かる身であるため、あたしは主に父様の元にいたのだ。

 当時のあたしの不安は、けして小さなものではなかったと思う。

 父様は黙ってあたしの言葉を聞き、母様は黙ってあたしを抱きしめた。

 そして明くる日には、父様の迎えがあるわけでも、母様に送り出されたわけでもないのに、あたしは山に向かっていた。

 同じ神官になるなら、アルフリーダ様にお仕えしたいと思ったことも、何度もあった。

 けれど、そんな話をするたびに母様は言っていた。

 あなたはアルフリーダ様に愛されるほどに美しい。けれどその美しさは、エールマン様に愛される、あなたの勇ましさが生む美しさなのよ。

 その意味は、今もわからない。

 わからないけれど、母様もまたあたしがエールマン様にお仕えすることを望んでいるのだということだけは、しっかり伝わった。

 不安は、今も消えていない。

 でも、いつからかあたしは、疑問を持つことをやめた。

 考えても答えなんかでないし、それにあたしは、こうして修行することがけして嫌いではない、むしろ好きなのだと、いつの間にか気がついていたから。

 エールマン様の御心に触れてみたい。

 いつの間にか本気で、そう願うようになっていたから。

 確かにそれは、父様や母様に植え付けられた思いかもしれない。

 でも、父様に追いつきたい、母様に認められたいと思う心は、間違いなくあたし自身の心のはずだ。

 だからあたしは、今日も山にきている。

 迷うことなく、自ら望んで。

 不安を抱えながら、しかし、それを恐れないように。

 やがて白い吐息の向こうに、頂が見えてきた。

 ここまできても、もう息は切れない。

 狭く平らな頂に、祠が見えてきた。

 父様が少しずつ、毎朝の務めとして造り上げた祠だ。簡素ながら祭壇が奉られ、今ではここの世話はあたしの務めとなっている。

 祠の前に、人影があった。

 数年前から、一緒に修行をするようになったセリスだ。

 エールマン様に見初められたとまで言われる優れた資質の持ち主で、あたしのコンプレックスの一因でもある。

 美人で背が高く、力強く、優しい。年は確か、あたしより二つ上。

 彼女は父様の指導で、初めからあたしより険しい道筋でここまでやってくる。

 最初はあたしが待つ立場だったのに、すぐに待ったり待たせたりという風になり、いつの間にかあたしは待たせるばかりになってしまった。

 彼女の道筋は険しい分だけ短い道のりになっているのだけど、そんなことは気休めにもならない。

「おはようございます、エルマ」

「おはようございます」

 あたしの方が姉弟子だから、セリスの言葉はとても丁寧だ。あたしの方が年下だから、あたしも彼女には言葉が丁寧になる。

 二人で祠に入り、掃除をし、祈りを捧げる。

 祭壇の横には、訓練用の武具がある。これを使った模擬戦が、朝の修行の締めくくりだ。

 セリスは大剣。

 あたしは戦斧。

 もちろんほかの武器も扱う練習はするけど、人それぞれ気に入ったもの、合ったものはある。いろいろ試し、そしてたどり着いた武器がこれだった。

 父様の大戦斧に影響されていないと言えば、それはたぶん嘘になる。でも、エールマン様の象徴たる鉞のほうが、あたしにとって意味があるのだと思う。

 まだ、鉞は扱えない。

 重いし、大きすぎるから。

 でもいつか、扱えるようになりたいと思っている。だから、あたしは斧を使うのだ。

 祠の前。

 適当に距離をとって、一礼する。

 緊張する瞬間だ。

 訓練用の武器は刃を潰してあるし、防具も厚く、動きづらいほどキルトのクッションが詰めてある。

 実戦じゃない。

 危険は少ない。

 でも、緊張する。

 負けるのは、いやだから。

 セリスは強い。

 とても。

 父様から、一本取ったことがあるほどに。

 模擬戦訓練を始めてから、あたしはまだ、一度も勝ったことがない。

 勝ちたい。

「‥‥いきます」

 訓練の開始を告げ、あたしは一歩、踏み出した。



 気が満ちた。

 歩みを止めることなく戦斧が振り上げられ、気持ちがよいほど大振りな、思い切りのよい一撃が打ち下ろされる。

 私は大剣を斜めに掲げ、戦斧の勢いを反らして避けた。

 勢い余った戦斧の重量は、使い手を大きく振り回す。そのまま地面に突き刺さってもおかしくはない。

 けれど戦斧は巧みにコントロールされ、その回転力を生かしたまま、エルマは体勢を整えて見せた。

 曲芸のように大きな動作だ。しかし、驚くほど隙がない。早く、しなやかなその動きは、型にはまった戦士にはない、野生を感じさせる。

 立ち直りざま、未だ回転力を殺さぬ連続動作で、戦斧がまっすぐに突き出された。

 短いが、刃の先に突き出した柄の先端は、一応刺突に使えなくはない。だが、実際にそんな使い方をするものはまずいまい。エルマの武器は、斧槍ではないのだ。

 私はそれを横に飛んで避けた。

 当たり前のように避けたが、しかし、初めて今の攻撃に直面して避ける自信は、少しもなかった。

 何度となく手合わせしているから、予想ができる。同じパターンでも、本当に初めて見たときは、これほど切れる攻撃ではなかったから避けられたのだ。

 回を重ねるごとに、着実に切れ味を増している。いつか、わかっていても避けられない連携になるのではないか。そんな予感も、あながち的外れではないかもしれない。

 突きのまま私の横を抜けたエルマは、背中を晒している。見逃す手はない。

 大剣を横に薙いだ。

 あの連携のあとの、ほとんど確定した反撃の手だった。エルマはこれを、必ず伏せて避ける。そのあと左右どちらに転じて起きるかで、いつもなら状況が分かれるのだ。

 しかし、エルマは伏せなかった。

 伏せる代わりに、地面を蹴った。

 私の大剣を背で飛び越え、宙で後転を打ったのだ。

 両手で突き出した戦斧が、宙から振り下ろされる。

 エルマにとって振り上げる動作が、空中回転の反動と、振り下ろす攻撃を兼ねていた。

 連携の三撃目だ。

 これまでにない、新しいパターンだった。

 なぜかわせたのか、私にもわからない。

 振った大剣の反動に逆らわず、引かれるように飛んだのは、純粋に反射だったかもしれない。

「ちぇっ、駄目かぁ」

 着地したエルマの舌打ちが聞こえる。

「いい連携ですね。でも、これで仕切り直しですよ」

 冷静に、言葉を選ぶ。

 しかし、防具の下で吹き出す冷や汗は止められない。

「わかってます。もとより、こんなので決まるなんて、思ってません」

 エルマは、まっすぐに言葉を口にする。

 私なら、かわして当たり前。

 エルマは、間違いなくそう思っている。

 実際の差は、ほとんどないと言っていいのに、私と自分との差を、とても大きなものととらえているのだろう。

 エルマの考え方は、とてもわかりやすい。

 白なら白、黒なら黒。グレイを白と黒の間とは考えず、グレイはグレイと考える。

 力関係もそれと同じで、上は上、下は下。対等は対等。どのくらい上、とは考えないようなのだ。

 私を、彼女の父であるガイェン司祭様と同等とまでは考えないだろうが、上は上。エルマの中では、私は高い壁なのだろう。

 それでいい。

 いや、そうでなければいけない。

 私はまさに、そのためにここにいるのだから。

 大剣を、下段に構えた。

 私の、もっとも得意とする型だ。

 受けてばかりはいられない。エルマは日々強くなっている。かつてのように、一方的に攻めさせて疲れを待つ、なんていう手は、もう使えない。

 しばしの膠着。

 エルマは戦斧を中段に構え、私の出方をうかがっている。

 私の剣技は、現在の師は司祭様だが、元々は父の仕込みによる騎士のものだ。

 伝統的で、正統な、正攻法。

 長剣でなく大剣を扱うのは、父の流儀だった。戦場でものをいうのは、華麗さではない。長さと重量だ、と、父は経験を元によく話をしてくれた。

 幼い頃から、今では父の跡を継いで騎士となった兄と変わらぬほど大柄だった私は、兄と一緒に剣の稽古をさせられていた。

 父が女である私に稽古をさせたのは、我らが王国ならではだったかもしれない。

 我らがファルディーラでは、女の剣士も珍しくはない。数こそ多くはないが、王宮には女性騎士もいるほどだ。

 騎士の家に生まれ、そうした国に育った私は、剣の稽古を当然のことと思っていたし、騎士を目指すのは当たり前だと思っていた。

 けれど、稽古をつけてくれた父自身には、私を騎士にしようという考えはなかった。

 跡継ぎには兄がいたからだ。

 たとえ国柄がどうであれ、父はやはり、家督は長兄に継がせ、娘は嫁に出したかったのだ。

 剣の稽古をさせたのは、父にしてみればちょっとした思いつきだったらしい。

 私の気性を見て、仕込んでみたくなったのだろうと、母は言っていた。

 どちらかといえば文官肌の兄を刺激するのに、ちょうどよかったということもあったようだ。兄妹仲がよかったから、あまり稽古の好きでなかった兄も、私と一緒なら嫌がらずに稽古をするようになった。

 私が十歳の頃から十五歳になるまでの、五年間だけだったけれど。

 十五の春。

 私は父に、稽古をやめさせられた。

 剣を持つことを禁じられた。

 私が、明らかに兄よりも強くなってしまったから。

 今にして思えば、当たり前のことだと私にもわかる。

 騎士の長兄が妹よりも弱いなんて、どう考えても体面が悪い。妹は家督を継ぐわけでも、騎士になるわけでもないのだから。

 いや、むしろ騎士になられでもしたら、それこそ兄の立場がなくなるかもしれない。

 父は私の能力を冷静に評価したからこそ、そんな事態になることを避けた。

 私から、剣を奪うことで。

 だが、十五の私に、それは納得できることではなかった。

 私は剣が好きだったし、剣士に、騎士になるのが当然で、憧れでもあったのだ。そして、その道を私の前に示したのは、ほかならぬ父自身だったのだから。

 理不尽だった。

 我慢できなかった。

 だから、私は父の愛情を疑った。

 それまで確かに感じていたものが、信じられなくなっていた。

 父は私を見ていない。

 私に注がれていると思っていたものは、すべて私を通り過ぎ、兄に注がれていたのだと思った。

 逆恨みだと、今ならわかる。

 けれど、いったん落ち込むと、なにからなにまで呪いたくなるものだ。

 酷い仕打ちをした父を。

 期待を持たせた国風を。

 優遇される兄を。

 長兄相続の慣習を。

 後から生まれ、しかも女であった自分自身を。

 そして、私を生んだ、母を。

 どのくらい荒れたろう。

 父は私の言い分を聞こうともせず、反論を許さず、ただ叱った。

 兄は私を避け、常に父の陰にいるか、自室に閉じこもった。

 家の者は、私の癇癪にもただ愛想笑いを浮かべ、適当な相槌をうち、そしてすぐに逃げだした。

 母は、母だけは、ただ黙って私の言葉を聞いてくれた。

 母は真剣な目で、時に酷い言葉を使う私の声を、静かに受け止めた。

 なにも言わぬ母に、私は本当に酷いことを言った。感情にまかせて怒鳴り、わめき散らし、泣き叫んだ。

 返らない答えに苛立ち、腹を立て、感情をほとばしらせて。

 一週間か、十日か、それとも一月ほどだったろうか。

 ある日、母が私の言葉が途切れるのを待って、口を開いたのだ。

「騎士以外にも、お父様も認めてくださる剣の道はありますよ」

 挨拶以外で、久しぶりに聞いた母の言葉だった。このフレーズを、私はずっと忘れないだろう。

 あなたの頑固さはお父様譲りね、と言った後、母は私に、新しい道を示してくれた。

 僧門にはいること。

 猛き武の神、戦神エールマン様の御元にお仕えすること。

 エールマン様の教えは我らが王国の国教でもあり、貴族間においても神殿勤めは名誉と見なされる習慣がある。

 神殿には僧兵、あるいは神官戦士と呼ばれる武門職がある。そしてエールマン神殿のそれは、主格六神殿最強といわれているのだ。

 戦神エールマン様の神殿においては、他門と違い、武に秀でた神官戦士の地位は、智に優れた司祭と同格となれる。時にエールマン様の加護は、戦士として力のある者に強く与えられるからだ。

 それはある種、騎士の世界と似ている。

 仕えるべき主君がエールマン様となるだけで、そこは私の目指した世界と変わらないのだ。

 騎士の家に生まれた私は、もちろんエールマン様を信奉していた。よくわかってはいなかったが、父も兄もそうだから、私もエールマン様を我が神と思っていた。

 エールマン様にお仕えする。

 それなら父も反対はしないだろう。むしろ喜んで送り出してくれるかもしれない。

 今思えば、なんて打算的な考えだったのだろう。

 だがそのとき、紛れもなく私は、そんな不謹慎なことを考えていた。

 しかし、そんな打算がなくとも、私はこの道を選んでいただろう。あくまで騎士になりたいと思っていたとしても、間違いなくこの道を選んだと断言できる。

 母が言ったのだ。

「あなたならきっと、エールマン様の祝福が得られますよ」

 それに私は、頷いたのだ。

 たとえそのとき打算的な考えがなかったとしても、やはり私は頷いていたはずだ。

 なぜなら、そのときこそが運命の瞬間だったから。

 感じたのだ。

 そのとき、初めて。

 我らが神。

 エールマン様の御心を。



「これまで、ですね」

 セリスの言葉が終わるのと同時に、あたしの戦斧が大地に突き刺さった。

 鉄鎖の鎧とぶ厚いキルトを通して感じる、背中に押しつけられた切っ先。

 すれ違いざま戦斧をはねとばされ、つい動きを止めてしまった瞬間を、彼女は見逃してくれなかった。

「‥‥まいりました」

 戦斧を拾ってあらためて向き直り、お互いに礼をする。

 模擬戦は、またもあたしが負けて終わった。

 悔しいけど、セリスにはかなわない。

「やっぱり、強いね」

「でも、かなり危なかったんですよ」

 模擬戦闘の後の、少しの休憩。

 聖別された果実酒を少しいただいて、渇きを癒しながらの雑談は、たいてい模擬戦の講評になる。セリスの方から話し始めることもあるけど、ほとんどはあたしが訊いてしまうせいだ。

 一年くらい前、あんまり勝てないのでふてくされたあたしが、やけっぱちな戦い方をしたことがあった。べつにふざけていたわけじゃないんだけど、そのとき、セリスはとても怒ったのだ。

 意表を突くのと滅茶苦茶なのとは違うことです。

 そんな言葉から始まったセリスのお説教は、あたしにとって、とてもわかりやすい戦い方の講義みたいなものだった。

 振り返れば、こういう筋道の通った戦いの講釈は、それまで聞いたことがなかった。父様の教え方は実戦指導で、躰で覚えさせるやり方だったから。

 それがきっかけで、あたしはたびたび、セリスに質問したり、アドバイスを求めたりするようになったのだ。

 本当は本格的に教わりたいとも思ったんだけど、それはセリスに止められた。

「あなたの師は司祭様でしょう。司祭様には司祭様のお考えとやり方があるのですから、私が横から手を出すことはできません」

 と、言われて。

 セリスにしてみれば、確かにそういう立場かもしれない。

 でも、剣の基本を教わりたいと思うのは、今でも変わらない。

 だって、考えてみたら、あたしの稽古の始まりって、こんな感じだったのだ。

 ずらっと並ぶ武器。

 好きなのを選べって言う、父様。

 ちょっと考えて、戦斧を選ぶあたし。

 かかってこい、と言う父様。

 で、かかっていく、あたし。

 なにを聞いても、好きなようにやれとしか父様は言わなかった。せいぜい、こう持った方がその武器は扱いやすい、程度の助言があっただけだったのだ。

 だからあたしには、基本がない。

 筋金入りの我流、と言ってもいい。

 見よう見まねの父様流も入ってるけど、そんなの、どこまでいってもまねはまねだもの。

 基礎がなければ、強くはなれないと思う。

 セリスを見ていると、本当にそうだと思わされる。

 構え。剣の軌跡。間合いの取り方。

 なにからなにまで綺麗なセリスの戦い方。

 騎士であるお父様仕込みというそれは、やっぱりさすがだと思うのだ。

 でも、セリスは言う。

「目に見える形ばかりが基本ではありません。あなたには、もう基本はできていると思いますよ」

 あたしには、今ひとつその意味が理解できない。訊いても、セリスは父様に訊けと言うばかり。そしてもちろん、父様は答えてはくれない。

 修行の中で、自分で見つけろ。

 ほとんどのことを、父様はそれで済ませてしまうから。

「そのうちに見つかりますよ。必ず」

 セリスはいつも、優しげにほほえんでそんな風に言う。

 何となく、誤魔化されてる気もする。

 でも、父様とセリスの言うとおり、それはきっと、自分で見つけなきゃいけないものなんだろう。

 早く見つけたいと思う反面、あんまり焦りみたいなものはない。

 そんなに呑気な方じゃないと思うから、自分でも不思議なくらいに。

 毎日の鍛錬。

 日々繰り返される稽古。

 これまでも、これからも続いていく修行。

 目標は本当にたくさんある。

 だから、なのかもしれない。

 どうせ、なにもかもいっぺんに達成、なんてことはできないんだ。少しずつ、少しずつ、階段を昇るように、上に向かっていけばいい。

「今朝のあなたは、今までで一番強かったと思いますよ」

 きょうのセリスの講評は、そう言って締めくくられた。

 あまり言ってもらえないけど、時々でも進歩が実感できる瞬間で、とてもうれしい言葉だった。

 今までで一番強いあたし。

 明日のあたしがそれよりも強くなれるように、がんばろう。

 短い休憩を終え、あたし達は立ち上がった。

 下山は二人とも同じ道筋をたどる。登りのルートとは違う、第三の道だ。

 下りでもしっかり鍛錬となる、険しい道。

 父様はよくこんな道を見つけたものだと思う。

 初めのうちは、手も使わないと降りられないような岩場。陽がよく当たり、苔生していないのが救いなんだけど、安全とは言い難い。何かあったときのため、けして一人では通るななんて言い含められてもいる。

 難所は三カ所あって、その間はなだらかな傾斜地。深くはないけど森みたいになっていて、自然に休息もとれる道筋になっている。

 大変だけど、もう辛いとは思わない。

 見慣れた、いつもの眺めの中を、いつものように降りていく。

 それがいつもと違っていたのは、二つ目の傾斜地だった。あと一つ難所を降りれば麓という、木々の茂り具合もかなり豊かなあたりだ。

 異変には、どちらが先ということもなく気がついた。

 木が倒れている。

 それも、一本や二本ではなかった。

 単なる倒木というのではなく、へし折られているように見えた。

「なんだろう」

「調べてみましょう」

 あたしのつぶやきに答えるように、セリスが前に出た。

 倒れている木は、細いものばかりではなかった。頑張れば力持ちの男の人なら折れそうなのもあるけど、とても人間業とは思えないものもある。

 大型の獣か。

 あるいは怪物、だろうか。

 あまりこの山に出るという話は聞かないし、見たこともこれまでなかった。それほど高い山でも、人の寄らない山でもなかったから。

「足跡がありますね。大きいな‥‥」

 セリスの指し示す地面を見た。

 あまりはっきりとはしていないけど、かなり大きい。あたしの躰の幅よりも、ずっと大きな跡だった。言われなければ、足跡だとは思わなかったかもしれない。

「なんの足跡だろう」

「‥‥わかりません。でも、獣じゃありませんね。オーガか、あるいはミノタウロスか‥‥いずれにせよ、大きな怪物がこのあたりにやってきた、と考えておいた方がいいでしょう」

「父様に報告しないといけないね」

「そうですね」

 あたし達の村は、ここからそんなに離れていない。もし山に怪物が棲みついたりしたら、危険が及ぶこともあるかもしれない。

 山に入る狩人もいるし、用心に越したことはないだろう。

「急ぎましょう。少し遅くなりました」

「あ、いけない」

 朝の鍛錬は大切な修行だけど、修行はそれだけじゃない。神殿に戻ってからも、やることはたくさんあるのだ。



 間の悪いことに、ガイェン司祭様は神殿を留守にしていた。

 明日の祭事の準備のため、隣街の大きな神殿に出かけたとのことだった。帰りは今夕になるらしい。

 そういえば、明日は五年に一度訪れる『浮島の夜』だった。

 いにしえの神々が、呪われし古竜と戦うために浮かばせたという天空の島が、昼間の太陽を隠してしまう日だ。

 普段はあまりに高くて見えない神々の浮島が、見えないながらも陽光を遮る形で姿を示す日なので、たいていの神殿では神々の滅んだ肉体を悼み、また肉体滅びし後も加護を賜ることに感謝して、祭事を執り行っている。

 忘れていたわけではないが、私が神殿に勤めてからは初めてのことで、作法や支度のことなど、まるで知識がなかった。

 エルマに訊ねると、一般にエールマン神殿においては、この日はあまり重要視されていないらしい。祭事典礼も定められてはおらず、各地方神殿の裁量に任されているという。

 なぜ重要視されていないかというと、エールマン様は古竜との戦いの折、浮島には上がらなかったと伝えられているからだった。

 エールマン様は天を翔る戦車をお持ちゆえ、浮島に乗る必要がなかったのだ。

 それでも浮島の戦いの折、天を翔た武神の勇猛を伝える戦舞があり、ガイェン司祭様はこの日、それをエールマン様に捧げることにしているという。

 街の神殿に出かけられたのも、儀礼用の武具を受け取るためということだった。

 村の小さな神殿ゆえ、司祭様には特別補佐役などがいるわけでもない。神殿に常時いるのは、司祭様のほかには私とエルマを含む四人の見習いだけだ。

 年齢でいえば私が最年長で、お勤めでいえばエルマが一番の姉弟子になる。司祭様不在の折は、もちろんエルマが代行役なのだが、司祭様の言葉もあり、私はその補佐をすることになっていた。

 しかし、今回は少し事情が特殊だった。

 山で見つけた足跡の件だ。

「どうしよう?」

 司祭様の代行たるべきエルマは、少しばかり頼りない声で私に訊いた。

 筋でいうならば、まず村長に知らせるべき事柄だろう。兵士も騎士もいないこの村では、防衛は村長を中心に話し合って決めるべきことだ。

 だが、こういうとき頼られるガイェン司祭様は、夕刻まで不在だ。報告の席で、その後の話をうまく進めるのは、エルマには難しいかもしれない。

「エレノア司祭様にご相談なさってはいかがです?」

 エルマの母君にして、美の女神アルフリーダ様に仕える司祭のエレノア様を頼るのが、この場合は一番よいと思われた。

「そうか‥‥母様なら、うまくお話ししてくれるよね」

 エレノア様は、ガイェン司祭様と並ぶ村長の相談役でもあった。

 村長は、ことあるごとに二人の司祭様に感謝の言葉を述べている。今のこの村があるのは、お二人のおかげであると。

 小村に神官がいるだけでも稀なことなのに、司祭級の方が、夫婦であるからとはいえ二人もいるなんて、とても珍しいことなのだ。

 お二人がこの村にやって来られた頃、ここは今よりももっと小さな、畑の開墾もままならない寂れた村だったという。

 しかし、お二人が居を構えられてからは、事情が一変した。大袈裟なことではない。神官がいるといないとでは、本当に大きな違いがあるのだ。

 まず、辺境の村人と神官とでは、知識の量が全然違う。農村の人に比べれば、神殿で教育を受けてきた神官は、学者と呼んでも差し支えないほど博識だ。

 助言者の存在は、村の発展に大きく貢献する。

 また、神官には治療者としての側面もある。

 専門の薬草師ほどではないが薬の知識もあるし、応急手当の技術や、神の奇跡を持って重傷者を救うこともできる。

 エールマン様に仕える神官は武にも秀で、治安の向上にも貢献する。

 兵士もいない村が自衛するには、男達が組織する自警団くらいしか方法がない。しょせん素人の集まりだが、その軸にエールマン様の神官戦士が加われば、その質は明らかに向上する。武器の扱いや護身術の指導、警備の効率向上など、素人だけではできないことが、いくつもできるようになるからだ。

 神官がいることで、いくつもの安心が得られる。だから神官がいる村と噂が広まれば、移り住んでくるものもいる。人が増えれば村は発展しやすくなり、ますます安定していく。

 村長のいう『今のこの村』は、まさにそうして築かれてきたものだった。

 ガイェン司祭様が旦那様であるがゆえ、エレノア様は一歩引いた感があるが、この村における地位は、並ぶことはあれど劣ることはない。

 こんなとき、一番頼りになる方なのだ。

 エレノア様のいらっしゃるアルフリーダ神殿は、かつては普通の家だった建物を改築して造られていた。改築といっても内装だけで、見た目には本当に普通の家だ。

 エルマに手が掛からなくなるまでは、司祭様夫婦と一人娘の暮らす家だった。エルマが修行に入るとともに、ガイェン司祭様とエルマは神殿で暮らすことになり、それから家は、エレノア様のアルフリーダ神殿となった。

 私はもちろん、そこが普通の家であった頃を知らない。エルマやエレノア様に聞いた話である。

 私たちが訪れたとき、エレノア様は村の子供達に読み書きを教えているところだった。農閑期などには、無償で私塾のようなこともなされているのだ。

 私たちの報告に、エレノア様は少しだけ眉根を寄せられた。けれどその美しい顔が、不安に翳るようなことはなかった。

 決断はすぐに下された。

 私たちを伴い村長宅を訪れ、私たちの報告を包み隠さず伝えられた。

 言葉を巧みに選び、不安のないよう配慮された語り口は、とても今の私には真似できそうもなかった。

 今後のことはガイェン司祭様の帰りを待ち、あらためて相談しましょうというのが結論だった。当面、陽のある間はそれほどの心配はないと思われたが、一応自警の見回りを複数とし、瑣末なことも報告漏れのないように手配しておくことになった。

 私やエルマでも同じ結論を出せたろうが、始めから終わりまで村長に不安を抱かせないなんて、おそらくできなかっただろう。

 村長の家を出て、エレノア様と別れた。

 私とエルマは神殿に戻り、ガイェン司祭様のお帰りを待ちながら、自警団の連絡役を務めることになった。

 エルマはきっと、見回りに行くと言い出すだろう。止める必要もないが、待つことの大切さを説いておくのも悪くはないかもしれない。

 エルマの補佐役としては、難しいところだ。

 ガイェン司祭様なら、どうされるだろう。



 待つのも大切だってことくらい、あたしにだってわかっている。

 言われるまでもないことだ。

 でも、じっとしていられない。

 母様とセリスと村長のお話の間、あたしには頷いたり、相槌を打ったりすることしかできなかった。

 あたしは父様の代理なのに、エールマン神殿の代表なのに、なんの役にも立っていなかった。

 そりゃ、最初から母様を頼ってしまうくらい、自分が頼りないことはわかってた。父様の代わりも、母様の代わりにも、今のあたしじゃなれるわけがない。

 でも、それでもきちんと発言し、参加しなければいけないはずだった。

 でも実際には、あたしがしなきゃいけないことは、みんなセリスに任せっきりになってしまっていた。

 いや、任せたなんて立派なものじゃない。あたしがうまくできないから、セリスがやってくれただけのことだ。

 あたしはセリスのことが好きだ。

 強くて、綺麗で、頭も良くて、しっかりしていて、エールマン様に認められた神官で、厳しいけど優しいセリスのことを、尊敬しているし、本当に大好きだ。

 でも。

 ううん、だから、かもしれない。

 あたしはセリスが嫌いだ。

 ときどき、もう一緒にいたくなくなるほど、嫌になってしまう。

 セリスは父様のお気に入りだ。

 あたしがいなければ、父様の代行は絶対にセリスだった。お勤めの長さなんか、関係なしに。

 下の子達だって、あたしが姉弟子でも、あたしよりもセリスの言うことをよく聞いている。同じ父様の弟子でも、セリスはすでに神官でもあるのだから、無理もないことだけど。

 セリスはなぜ、いまだに見習いの身分なんだろう。

 彼女はエールマン様の御意志を感じることができるし、奇跡を賜ることもできる。あたしやほかの弟子達とは違って、神官位を戴いてさえいるのに。

 それはたぶん、あたしが司祭の娘だからだ。

 たとえエールマン様の御意志を感じたことがなくとも、あたしが父様の娘だから、だからセリスは、あたしを立ててくれるのだ。

 父様もセリスも、もちろんそんなことは言わない。

 言うわけがない。

 父様はあたしのことを思ってしているのだろうし、セリスも不満に思ったりはしていないだろう。

 わざわざ口に出して、あたしを傷つけようなんて思う人たちじゃない。

 二人とも優しくて、あたしを愛してくれているから。

 あたしは頼りなくて、まだまだ子供だから、大切にされているだけなのだ。

 嬉しいし、ありがたいけど、でも、単純に喜んでだけいられるほど、あたしは素直じゃないし、子供でもない。

 そんな風に扱われるのは、ときどき無性に我慢できなくなる。

 セリスとなんか、二つしか違わない。

 なのに変に大人っぽいセリスがいるから、あたしはよけい、子供に見えてしまうのだ。

 だからあたしは、セリスが嫌いになる。

 セリスがいなきゃ‥‥

 ううん。

 そうじゃない。

 わかってる。

 本当に嫌なのは、嫌いなのは、そんなことを考えてしまう自分。

 セリスと二人なら平気なのに、そこに他の人がいると嫌な子になってしまう、わがままなあたし。

「神殿にはセリスがいるからいいでしょ!」

 こんな勝手なことを言ってしまう、あたし自身なんだ。



 結局エルマは、見回りに出てしまった。

 決定はエルマが下すべきものだから、それはそれでかまわない。しかし、なにやら癇癪を起こしていたようで、問題はむしろそれだった。

 最近のエルマは、情緒が少し不安定気味だ。あまり表面には現れないが、私には、はっきりとわかる。意志の強い娘だから、揺れる感情を懸命に抑えているのだろう。が、それでも現れてしまうことがあるのだ。

 特に、彼女を刺激する原因に対するときがそうだ。ほとんどそのときにしか現れない、と言い変えてもいい。

 エルマの感情を逆立てる原因。

 それは、間違いなく私だった。

 私の存在が、エルマを苛立たせている。

 初めから危惧していたことで、避けられるものなら避けたかった。しかし、避けることができるとも思えず、避けるわけにもいかなかった。

 私がエルマのそばにいる限り、それは起こるべくして起こる。そして私は、エルマのそばにいなければならないのだ。

 今の私とエルマの関係は、かつての兄と私の関係によく似ている。

 私は兄が好きで敬愛していたが、騎士を目指したい私にとって、兄は邪魔でしかなかった。能力で私が劣るとは思わなかったけれど、自分ではどうしようもない部分で、けして兄には勝てなかった私。

 エルマが私に敬意を抱いているのは確かだろう。年長者であり、武芸に勝り、神官の位を戴いている私を、エルマは確かに好いてくれている。

 しかし、ガイェン司祭様を継ぐものとして、エルマは私に劣っているわけにはいかない。

 エルマは、ただ司祭の娘であるという地位に甘えられる娘ではない。彼女の性質が、そこにふさわしい自分を要求するからだ。

 勝たなければならない自分が、勝つことができない相手がいる。いつか、いつかと努力してもなかなか届かなければ、心が後ろ向きになることもあるだろう。

 そうなれば、思うことは一つだ。

 相手がいなければいい。

 相手がいなくなればいい。

 かつて私が味わった苦しみを、今はエルマに、私が味わわせている。

 しかし、私に対する兄と、エルマに対する私とでは、決定的に違うところがある。

 兄は、それを望んでいなかった。そうなることを予期してもいなかったし、それは不本意なことだったはずだ。けれど私は、そうなることがわかっており、そして、本当の意味で避けようとはしていなかった。起こるべくして起こることを、回避するつもりはなかったのだ。

 誘導したとさえ、いえるかもしれない。

 私には、そうしなければならない理由があった。

 私は、エルマの前に立ちはだからねばならない。

 生来の才に恵まれたエルマを伸ばす。

 私はそのための、礎とならなければならない。

 ガイェン司祭様が私をこの村に呼んだのは、そのためだった。それは司祭様だけの意志ではない。神殿の、ひいてはエールマン様の御意志でもあった。

 そしてその任を承ったとき、それは私の意志ともなり、使命となった。

 簡単なことではない。

 あらゆる面でエルマに勝り、エルマを導いていこうとするのは、たやすいことではない。

 私とて、いまだ修行の身であることに変わりはなく、ことお勤めに関して言えば、エルマよりも遙かに短い経験しかないのだ。

 二年の年の差など、どれほどの意味があるだろう。

 私にとってこの使命は、厳しい修行でもあるのだ。

 一歩でも半歩でも、エルマに先んじなければならない。

 素直で人懐こく愛らしいエルマを、追いつめねばならない。

 エルマのために。

 そして、私自身のために。

 すべてを知ったとき、エルマは私をどう思うだろう。

 私が兄を許せたように、エルマは私を許してくれるだろうか。

 神殿を、司祭様を憎んだりしないだろうか。

 ときどき、不安に思うこともある。

 でも、私は信じている。

 エルマなら、必ず私たちの期待に応えてくれる。

 私の好きなエルマなら、きっと。



 父様が帰るまでの間、問題は何一つ起こらなかった。

 陽の落ちる頃に戻った父様は、セリスの報告を受け、すぐに母様を伴って村長の家に行った。

 あたしはその報せを、村外れの見張り小屋で聞いた。報せにきたのは、一番若い、まだ十二才の弟弟子だった。

 小屋に詰めていたのはあたしだけだったので、弟弟子には次の交代で戻ると伝言だけを託し、戻らせた。

 少し前まで夕焼けで真っ赤だった空が、いつの間にか紫色の闇に包まれている。

 篝火の用意をしないといけない。

 戻ってくる見回りのために、やかんを火にかけておかないと。

 次の巡回の指示は、どうするんだっけ。

 小屋詰め番だって、見張りの大切な仕事だ。ぼんやりしていていいわけがない。

 なのに、あたしはこの小屋で、いったいなにをしていたんだろう。

 勢いで飛び出したはいいけど、頭の中に自己嫌悪が渦巻いて、まるで躰が動かなかった。

 ただこの小屋で、半日窓から外を眺めていた。

 弟弟子の報せを聞いて、ようやく頭が回転し始めたけど、躰はやけに重たいままだ。

 理由は簡単。

 なんとなく、帰りづらいから。

 セリスには会いづらいし、父様の顔もまっすぐ見れない。

 帰るのが嫌なんだ。

 いつまでもここにいられるわけじゃないけど、帰りたくなかった。

 考えたくないから、なにも考えなかった。

 考えるのも、嫌なんだ。

 すっきりしない。

 はっきりしない。

 嫌だ嫌だと思うばっかりで、ちっとも先に進まない。

 そんな風な自分も嫌だ。

 帰るのも嫌。

 帰らないのも嫌。

 なんてわがままなんだろうって、自分でも思う。

 でも、どっちも本当のあたしだ。

 のろのろとでも頭が回り出すと、嫌なことでも考えられるようになってくる。

 いつも、そうだ。

 気持ちが落ち着いてきたら、二つのあたしを比べてみる。

 どっちが嫌なのか。

 きまってる。そんなの、初めからわかってる。だから、考えるのをやめてたんだ。

 嫌なのは、一番嫌なのは、うじうじしてるあたし。

 帰るのを先送りして、誤魔化してる自分。

 もう、はやいとこすっきりしよう。

 帰って、セリスに謝ろう。

 篝火を用意しよう。

 やかんを火にかけて、温かいお茶をすぐ飲めるようにしよう。

 もうすぐ見回りも、交代の人もやってくる。

 そうしたら、すぐに出られるように。

 決めると、とたんに躰が軽くなる。

 頭がすっきりして、そして、力がわいてくる。

 よし。



 ガイェン司祭様は、なにもお訊ねにならなかった。黙って私の報告を聞かれ、すぐに村長のところへと向かわれた。

 司祭様が留守の間、特に問題がなかったのは幸いだった。足跡一つでそこまで不安がる必要はないのかもしれないが、やはり留守を預かる緊張感が酷く増していたらしい。お見送りしたあと、思いのほか深いため息をついていた。

「ガイェン様は相変わらず厳しいのかい」

 私のそんな仕草を見てか、声をかけてきたのは、司祭様がお連れしたお客様だった。

「はい、厳しくはあります。けれど、そういう意味はありません」

「ふぅん。そう見えたけどなぁ」

 くだけたしゃべり方をするその方は、ダイノス司祭様という、ガイェン司祭様の初弟子だった方だ。私たちの遠い兄弟子に当たる、ともいえる。

 ダイノス様は特定の神殿に身を置かず、旅をしながら修行を続けている神官戦士だといった。旅の合間、たまたま立ち寄っていた街の神殿でガイェン司祭様と鉢合わせ、ついでにこの村へも同行されたということらしい。

「この村には三年ほどしかいなかったが、『住んだ』っていえる最後の場所でもあるんだよ。親無しだった俺には、いってみりゃ故郷みたいなものなのかもな」

 ついつい質問調になってしまう雑談に、ダイノス様は懐かしそうにお話くださった。

「前に立ち寄ってから五年振りくらいかな。ずいぶん挨拶を欠かしちまったもんだ」

 エルマが生まれたのを期に、ダイノス様はガイェン司祭様の元を離れ、旅立たれたという。それからも一年おきくらいで訪れてはいたらしいが、大陸を離れる旅などもあり、ここしばらく戻れなかったのだそうだ。

 私がこの村にきてまだ三年。なるほど、お会いする機会がなかったわけだ。

「ただいま戻りまし‥‥あっ」

 談笑しているさなか、声と共に扉が開いた。隙間から顔がのぞくと、様子を伺うように抑えめだった声が、突然に大きく跳ね上がった。

「ダ、ダイノス兄様っ」

「いよぅ、久しぶりだな、エルマ」

 驚いたエルマの顔が、喜びの笑顔に変わる。

 立ち上がり、両手を広げたダイノス様の胸に、エルマは飛び込んでいく。

 エルマにとっては、五年ぶりの再会ということになるのだろう。こんなに嬉しそうなエルマを見たのは、初めてだった。

 エルマの顔が、少し幼くなったように思えた。不思議な感覚だ。ダイノス様に甘えるように抱かれるエルマは、実際五年前と同じ気分なのかもしれない。

 格別、気を利かそうと思ったわけではなかったが、私は二人を残して自室へ戻った。

 残って話に加わると、嫌でも足跡の件を話さなければならなくなりそうだ。せっかく再会したところなのだから、そんな話はガイェン司祭様が戻られてからでもかまわないだろう。

 それに、少し休みたかった。

 司祭様が戻られて、ようやくほっとできるのだ。お客様のお相手を任せられるのなら、素直にそうしたかった。

 身を横たえて、少し目を閉じていたい。

 就寝前にそんなことを考えたのは、久しぶりだった。思っていたより、ずっと疲れているらしい。

 今横たわれば、きっと寝入ってしまう。

 わかっていても、ベッドの誘惑は断ちがたかった。

 身を横たえると、心地よく全身が弛緩する。

 目を閉じると、穏やかに意識が沈み込んでいく。

 微睡みという、闇へ。



 驚きと嬉しさが重なって、気がついたら胸にしがみついていた。

 軽く抱きしめられたところで、情けないことに我に返ってしまう。返らなきゃ、いいのに。

 それでも我に返れば、理性があたしに声を出させる。礼節。欠かすべからずは、挨拶。

「‥‥お久しぶりです‥‥ダイノスに‥‥司祭‥さま‥‥」

 当たり前の言葉が、妙に照れくさい。

 上目遣いに見れば、見下ろす視線とぶつかる。すぐにダイノス兄様は、大きな声で笑い出した。

「なりはでっかくなったが、変わんねぇなぁ、エルマは」

 大きな腕に包まれ、頭を撫でられる。

 何年ぶりだろう、この感覚。

 ダイノス兄様は父様の弟子だった人で、あたしにとっては唯一の兄弟子になる。とはいえ物心ついた頃にはすでに父様の元を離れていて、時折遊びに来るお兄さんというのが、あたしにとってのダイノス兄様だった。

 たまにしか会えなかったのに、あたしはなぜかよくなついていた。昔から厳しかった父様と、一歩間をおいて見守る母様の中にあって、踏み込んでくるような接し方をしてくれるダイノス兄様は、幼いあたしにとって特別な存在だったのだろうと思う。

 そのせいか、今でもたぶん、一番甘ったれなあたしが顔を出すのは、この人の前だ。

 セリスが見えたのに、セリスに言わなくちゃいけないことがあったのに、きちんと決めていたはずなのに、ダイノス兄様が見えたとたん、逃げてしまった。

 久しぶりに会えて、ほかのことを忘れるくらい嬉しいのも本当。

 でも、目の端に映るセリスのことを意識してたあたしも、やっぱり本当。

 兄様の腕の中で、ドアが閉まる音を聞いた。セリスが出ていったんだな、と思い、少しほっとした自分が、嫌だった。

「なにしょげてんだよ」

 頭を撫でていた手が、止まる。

「‥‥なんでもないよ」

「なんでもないってこたぁないだろ」

「‥‥なんでも、ないの」

 ぽんぽんと頭を叩かれて、兄様の手が解かれた。

「ふぅん。なりだけじゃなく、ちゃんと育ってたんだな、エルマも。色々あるってぇワケだ」

「なんでもないってばっ」

 思わず顔を上げ、ムキになって繰り返す。

 兄様はそんなあたしを、穏やかな笑顔のまま見下ろしていた。

「なんだよおい、反抗期か」

 雑で乱暴な言葉と裏腹に、ダイノス兄様の声は優しい。昔と変わらず、いや、昔より深みを増した穏やかさで、あたしに語りかけてくる。

 いらついた自分が、恥ずかしくなった。

「‥‥ちょっと、そうかも」

「ほぉう。きいてやろうか」

 不思議なくらい素直にうなずいて、あたしは話し始めていた。

 きっと、自分でも話したかったんだと思う。ただ話せる相手がいなくって、きっかけがなかっただけなんだ。

 不安なこと。

 不満なこと。

 父様のこと。

 母様のこと。

 セリスのこと。

 溜め込んでいたものが、ゆっくりと吐き出されていく。

 あまり上手には話せなかったけど、ダイノス兄様は最後まで黙って聞いてくれた。

 気がつけばいつになく真剣な面差しで、気遣うようなまなざしで。

「ありがとう、兄様。聞いてもらったら、なんか楽になったみたい」

 兄様は答えない。

「ごめんね、なんか、変なことばっかりいっちゃって。まだまだ、修行が足りないってことだもんね」

 兄様の手が、また頭にのった。

 口が開かれた。

「俺には、あまり言ってやれることはない。悩むなとも、考え込むなとも言わない。だがな、絶対に自分を疑うことだけはするなよ」

「‥‥どういうこと」

「言葉通りさ。知ってるだろう。エールマン様を信じる、信じる自分を信じる。それが修行の本質だろ。結果はこの際、問題じゃない」

 信仰は、心の問題だ。繰り返し説かれる、基本的な心構え。結果を求めるな。表れる結果は努力の賜物で喜ぶべきことだが、修行の目的はそこにはない。

「わかってるけど、むつかしいよ」

 あっさり弱音を吐くあたしに、兄様は苦笑する。

「強くなるのは、同時に弱くなることでもある。高まり、深まることで、脆くもなっていく。苦悩は真摯さの裏返しであり、努力しなければ挫折もまた、ない」

 ダイノス兄様は、呪文を唱えるように言った。何度か、父様の口からも聞いたことがある言葉だった。

「意味、わかるか」

 あたしは首を横に振る。

「全部はわからない。特に初めの二つは。父様は、そのうちわかるって言ってた」

「そうか。そうだな、それは教わることじゃない。自分自身で知ることだ。でも、それなら後半はわかるんだろ」

「まじめにやってるから悩む。失敗して辛いのは一所懸命やってるから、だよね」

 もちろん、まじめにやらなきゃ悩まなくてすむ、とか、一所懸命にやらなきゃ失敗しても辛くない、なんて解釈じゃない。

「そうそう、だいたいそんなところだ。わかってるじゃねえの。今なら実感もできるんじゃないか」

「え‥‥わかんないよ」

「謙遜しても意味がないぜ。それともおまえはまじめに、一所懸命やってないのか」

「ううん、やってる‥‥と思う。すくなくとも、そのつもりだよ」

「ああ、そうだろ。だから悩みも深くなる。あの言葉通りじゃないか」

「‥‥そう、かもしれないけど。でも、どうしたらいいのかはわかんないよ」

「本当に、わかんねぇのか」

 兄様の目が、あたしの瞳をのぞき込む。

 厳しい目だった。

 父様と同じ、厳しい目だった。

「‥‥ごめんなさい。わかってる。あたし、甘えてるだけなんだよね」

 兄様の手が、頬に触れた。

 大きくて、ごつごつした手のひら。

「そうだな。でも、もう大丈夫だろ」

「うん」

 一人で考えてたときより、ずっと気持ちがすっきりしていく。

 結論は同じだけど、ダイノス兄様はそれを確かめさせてくれた。

「ありがとね、ダイノス兄様」



 私の大剣が先輩の長剣を叩き落としたところで、朝の訓練が終わった。

 月に一度、見習い達で行われる模擬戦トーナメントの日だった。私はもう、半年近く負け知らずで、その日のトーナメントも当たり前のように優勝していた。

 神殿に勤め始めて一年ほど。

 お勤めに学ぶべきことは山ほどあり、とても退屈などとはいえなかったが、大好きな剣に関しては物足りなさを感じ始めていた。

 訓練の大半は、見習い同士で行われる。指導に当たる上級僧兵ももちろんいたが、直接相手をしてもらえる機会は平等で、あまり多くはなかった。

 ほかはともかく、私の場合は剣の腕だけは抜きん出ていたから、見習い仲間相手ではほとんど練習にならないのだった。

 位が上がれば、より強い人に指導してもらうこともできるから、格別不満には思わなかった。むしろそのせいで、半ば気を紛らわすためにほかの修行にのめり込むことができたので、よかったとさえいえるかもしれない。

 十五での弟子入りは、けして早いとはいえず、どちらかといえば遅い部類にはいる。私はその遅い分を取り戻さなければならなかったから、かなりまじめに修行に取り組んでいたと思う。

 その日は、そうした努力が認められた、記念すべき日になった。朝の訓練のあと来るようにと、司祭長様に呼ばれていたのだ。

 私たち見習が、直接司祭長様に呼ばれるということには、特別の意味があった。

 それ以外、司祭長様は見習い相手に用などないのだ。

 それは、昇格を伝えること。

 神官の位を戴く、略儀を行うことだった。

 お勤めして一年で、というのは異例の早さだと、指導の神官は驚いていた。

 私自身も驚いていたけれど、それよりも喜びの方が勝っていた。トーナメントの優勝も昇格の手土産、みたいな気分だった。

 司祭長様の執務室には、司祭長様のほかに見たことのない司祭様がいた。その司祭様は、小さな村落の神殿を預かるガイェン様だと紹介された。

 司祭長様は話された。

 突然のことで、すぐには理解が及ばなかった。

 要約すれば、私が神官位を戴けるのは、ガイェン司祭様の元へ派遣するための暫定処置だという話だった。

 少しだけがっかりしたが、派遣されれば神官位が戴けることに変わりはない。

 異存はなかったが、なぜ派遣されるのかは知りたかった。

 そこで私は、エルマのことを聞かされた。

 ガイェン様の娘で、そして、十五年前に御神託により予言された娘であることを。

 御神託は、エルマだけを予言していなかった。エルマと共にあるべき者も、同時に示していた。

 それが、すなわち私だった。

「‥‥幼き日に導きし姉巫女、やがて姫巫女を支えし杖となる‥‥」

 ガイェン司祭様は仰られた。

「娘を導き、支えて欲しい」

 それから三日後、新しい土地で私は、私の姫巫女と出会った。

 十四歳のエルマは、明るく素直で、元気な神官見習いだった。年の近い娘のいない村で、私が来るのを楽しみにしていたという。

 エルマは御神託のことを聞かされていない。

 変に意識させずに育てたいというガイェン様のお考えがあったからだ。なんとなく、わかる。

 初めて会い、言葉を交わした日。

 嬉しげに手を引き、小さな村を案内して回ったエルマの笑顔。

 セリス、セリスと何度も私の名を呼び、駆け回るエルマ。

 その日を、私はけして忘れない。



 一番鶏が鳴いた。

 夜明けが近い。いつもなら今頃起き出して、山に向かう時間だった。

 あたしは昨夜から礼拝堂に座し、瞑想をしようと努力し続けていた。

 昨夜、ダイノス兄様とお話をしているうちに、父様は戻ってきた。村長と話し合い、足跡を確かめ、危険なようなら近いうちに山狩りを行うと決められたらしい。

 山狩りには人手がいる。村人だけでは心許なく、街の神殿と領主様に兵の手配をお願いしなければならない。

 父様は、これからすぐに足跡を確かめたいと言った。足跡の場所は、簡単に説明できる。いつもの通り道だから。

 夜の山は危険だからと、あたしもダイノス兄様も止めた。しかし『浮島の夜』の前に知るべきことを知り、するべきことをしておかなければならないと、父様は聞き入れなかった。

 父様は強く、経験も豊かな神官戦士だ。けれど、もしかしたら本当に怪物がいるのかもしれない夜の山は、安心して送り出せるところじゃない。

 不安がるあたしを見てか、ダイノス兄様は同行を申し出た。父様は兄様に、自分の留守を頼もうとしていたらしかったが、あたしは兄様の同行に口添えをした。

 少なくとも、村には人手があり、見回りもしている。不安がないとは言わないけど、父様を一人で行かせたくはなかった。本当なら、あたしも一緒に行きたいと思うくらいだ。

 なぜだろう。

 なぜだか、とても心配なのだった。

 父様はただ、足跡を確かめに行くだけなのに。

 結局父様は、兄様の同行を受け入れた。

 二人が急ぎ身支度をしてる間に、セリスの部屋をのぞいた。着替えもしないまま床につき、寝入っていた。疲れていたのだろう。毛布を掛け、そっと部屋を出た。

 父様はセリスを呼ぼうとしたが、あたしは止めた。寝させてあげたかった。

 なるべく早く帰る。後を頼む。

 短く言い置くと、父様達は山へと向かった。

 昨夜の、夜半前の出来事だった。

 それからあたしは、ずっと礼拝室にいた。

 落ち着かなく、眠れそうもなかったので、夜番をすっかり引き受けて下の弟子達は床につかせて。

 祭壇の向こうの壁に掛けられた、鉞と大剣。

 エールマン神殿には、礼拝のためのご神体はない。シンボルとしてあるのは、二つの武具だけだ。エールマン様を表すのに、それ以上のものは必要ないのだ。

 あたしは物心ついた頃からエールマン様にお仕えしてきた。礼拝や瞑想のとき、何度も何度も心の中でエールマン様に語りかけ、お話ししてきた。

 だけど、エールマン様に何かをお願いしたのは、これが初めてだったかもしれない。

 あたしは懸命に願っていた。

 父様達に、何事も起こりませんように。

 無事に帰ってきますように。

 心を落ち着けようとしながら、何度も、何度も。

 そして気がつけば、一番鶏が鳴く時間になっていた。

 遅い。

 見に行っただけにしては、絶対に遅い。

 そう感じながらも、祈ることに集中しようとした。

 膨らみ始める不安を、押さえつけるように。



 鶏の声が聞こえたような気がして、目が覚めた。

 何か夢を見ていたようだったが、覚えてはいなかった。

 寝返りを打つと、毛布が頬に触れた。

 毛布を掛けて寝た覚えはなかった。誰かが掛けてくれたのだろうか。

 そうか、たぶん、エルマだ。

 外はまだ暗かった。寝過ごしたりはしていなかったが、昨夜、なし崩しに寝入ってしまったのは少しまずかったかもしれない。

 司祭様と村長の話し合いは、どうなったのだろう。

 エルマはもう、出かけてしまっただろうか。

 部屋を出ると、下の弟子が掃除を始めていた。訊ねると、エルマは礼拝堂にいるという。

 礼拝堂に向かいながら、陽の出の気配が感じられないのに気がついた。すぐに今日がなんの日だったかを思い出す。

『浮島の夜』だ。

 朝から陽が昇らず、昼過ぎにようやく姿を見せるはずだった。

 礼拝堂では、祭壇の上に、小さなランプだけがともっていた。その前に座したエルマは、目を閉じ、瞑想に励んでいるようだった。

 邪魔をしない方がいいか。

 そうも思ったが、よく見れば肩が小刻みに震えていた。ときどき躰を揺すっているのもわかる。あまり集中はできていないようだ。

「父様‥‥」

 エルマの口からつぶやきが漏れた。

 小さな声だが、確かに震えていた。

 胸騒ぎがした。なにが起こっているのか、確かめないわけにはいかない。

「おはようございます、エルマ。どうしたのです」

「セリス‥‥」

 エルマが振り返る。挨拶を忘れるほど動転しているのが、すぐにわかった。抑えよう、抑えようとして、エルマはいつも無理をする。

「なにかあったのですか」

 極力穏やかに、問う。しかしエルマの口からは、言葉が出てこない。すがるような弱い目が、エルマの状態を表していた。

 寝ていないのだろう。赤くなった目と艶のない顔色が、よけいにエルマを弱々しく見せていた。

「司祭様はどうされたのです」

 重ねて問うと、エルマの肩が震えた。

 かすかに唇が動き、聞き取れないほど小さな声が漏れた。

 何度か、口の中で繰り返された言葉は嗚咽と共に大きくなり、そして、ようやく耳に届いた。

「‥‥山から‥‥帰ってこないの‥‥」

 小さくしゃくり上げるだけで、エルマは懸命に鳴くのを堪えていた。大声を上げれば、下の弟子達に聞こえてしまうからだろう。本当に、この子は‥‥

 エルマを支え、立たせると、彼女の部屋へ連れていった。私室なら少しくらい声が大きくとも、聞き咎められる心配はない。

 歩く間、エルマは私の腕に顔を埋め、声を抑えていた。部屋についても離そうとせず、やむなく並んで寝台に腰を下ろした。

 座るなり、エルマは泣き始めた。声を押し殺した啜り泣きなのが、エルマらしかった。

 司祭様が山から戻られない。

 エルマの言葉を反芻すれば、それだけでもおおむね想像がついた。おそらく夕べのうちに、足跡の確認に行かれたのだろう。司祭様なら、あの足跡だけで怪物の正体が分かるかもしれない。相手が何かを知らなければ、その後の対策も立てにくい。

 いつ頃ここを出られたのかはわからないが、エルマが取り乱すほどだ。私が寝入ってしまってからそうたたないうちに、ということなのだろう。

 ダイノス様はどうしているのだろう。おやすみなのだろうか。それとも、ご同行されているのだろうか。エルマが兄とも慕う方が、こんなときにのうのうと寝ているとは思えない。お客様とはいえガイェン司祭様の一番弟子だった方なのだ。私なら、同行を申し入れる。だからおそらく、そうしているのだろう。

 しかし、そうして考えると、どうしてエルマがここまで取り乱すのかがわからない。

 帰りが遅いと言っても、ガイェン様とダイノス様なのだ。心配は確かに心配だが、不安より、お二人なら大丈夫だと、私には思える。

 エルマがナイーブなことはよく知っている。けれど芯も強い娘で、そうそう物事に動じない子のはずだった。

 このところ不安定な精神状態が、影響してしまっているのだろうか。

 エルマの嗚咽がおさまってきた。

「落ち着きましたか」

「‥‥うん。ごめん‥‥」

 ようやく、エルマは顔を上げてくれた。泣いてすっきりしたのか、少しはましな顔つきになっていた。

 訊ねると、今度はしっかりした答えが返ってきた。おおむね、私の考えたとおりだった。

「確かに心配ですが、でも、どうしてそんなに取り乱してしまったんですか」

「わかんないけど‥‥でも、凄く不安で‥‥うん、父様が見に行くって言ったときから、ずっと、なんか怖くて‥‥」

 エルマには、はっきりした理由はないようだった。勘とか、予感といった類だろうか。

「本当にごめんなさい。セリスの顔見たら、なんか、安心しちゃったのかな。おたおたしてちゃ、いけないのにね。もっとしっかりしてなきゃいけないのに‥‥修行が足りないよね‥‥」

 顔を伏せて、エルマは言う。

 そこまで自分を責められたら、補佐役を任じられているのに寝入ってしまっていた私は立場がない。

 エルマの責任感と優しさは、ときにこんなにも負担になるのだということを、見せつけられる思いがした。

 私はエルマに、なにを言えばいいのだろう。

 気の利いた言葉なんて、一つも出てこなかった。

 私もまだまだ未熟だった。修行が全然、足りないのだ。

「エルマ、私たちは留守を任されたのですよね」

「うん」

「ならば、そのお言葉に従いましょう。お二人は大丈夫ですよ。私たちが心配しなければならないような方々ではありませんから。信じましょう」

「‥‥そう、だね」

 エルマは再び顔を上げ、今度は笑顔を作って見せてくれた。

 しかし不安は拭いきれないのか、どこか弱々しい微笑みだった。



 セリスの顔を見て、少しは元気になれたはずなのに、不安は全然消えてくれなかった。

 予感と言うより、それは確信に近く、あたしの心に横たわっている。

 なにかあったんだ。

 父様達は戻ってこれないでいるんだ。

 どうしてだかわからない。でも、心の中で警鐘が鳴り続けていた。

 あたし達にできることは留守を守り、待つだけ。

 セリスの言葉に間違いはないと思う。

 父様達のあとを追っていく。そんな衝動に駆られても不思議はないのに、そんな考えはほとんど浮かんでこなかった。

 セリスに言われるまで、思い浮かびもしなかった。

 あたしは待たなきゃいけない。

 押しつぶされそうに怖いけど、不安だけど、待ってなきゃいけない。

「どこに行くのです」

「え‥‥うん。礼拝堂」

「この部屋にいてもいいんですよ」

 そうか。そういわれればそうかもしれない。

「うん。でも、礼拝堂にいなきゃ」

 どうしてだろう。

 わからないけど、今はあそこにいなきゃいけない。

「わかりました」

 セリスが先に立って、戸を開けてくれた。

「礼拝堂で待ちましょう」

 セリスは多くを訊かない。

 少ない言葉であたしを気遣い、そばにいてくれる。

 彼女がいてくれてよかった。

 セリスの存在が、こんなにもあたしを助けてくれる。

「ありがとうね、セリス」

「はい、エルマ」

 不安感はますます募り、いよいよ厳しい重圧が、あたしの心を押しつぶそうとしてくる。

 でも、セリスが支えてくれるのがわかるから、今度は取り乱したりしない。

「ごめんね、セリス」

「いいんですよ、エルマ」

 やっと、やっと謝れた。

 心のつかえが消えていく。

 大丈夫。もうこれで、大丈夫。

 すうっと晴れた気持ちで、広がる不安と向き合えたそのとき、心の警鐘がひときわ高く鳴り響き、はじけた。

「セリスっ」

 来た。

 そして、あたしは走りだした。



「エルマっ」

 突然走り出したエルマを、私はあわてて追いかけた。

 何事かと思う間もなく神殿を飛び出し、村の東を睨むエルマに追いつく。

「どうしたのです」

 訊ねた直後、聞き違えようもない悲鳴が、その方向から響いてきた。

 東は、例の山の方角でもあった。その事実に気づき、戦慄が走った。

「父様達、止められなかったんだ」

 エルマがつぶやく。

 陽の昇らない今、村を照らすのは点在する篝火と、早起きの家の明かりだけだった。薄暗い世界は見通しが利かず、なにが起きているのかはわからない。

 エルマには何かが見えているのだろうか。エルマはなにを感じているのだろう。

 私にはわからない何かを、エルマは確かに見据えている。

 何か大きなものが崩れる音が聞こえた。

 野太い吼え声が響き、か細い悲鳴がそれにかき消された。

「守らなきゃ」

 エルマが走り出す。

 何事かと下の弟子達が追ってきた。

「私とエルマの武器を。急いでっ」

 命じて、すぐにエルマのあとを追う。

 あれほど不安に怯えていたエルマだったが、走る姿にはなんの不安も感じさせなかった。

 むしろ今は私の方が、不安の高まりを感じていた。

 異変を察知した村人達が、顔を出し始めていた。エルマは走りながら、逃げるように警告を発している。私もそれにならい、大声を張り上げて走った。

 逆に走る数人の村人とすれ違う頃には、異変の正体が目に入ってきた。それは、巨大な襲撃者だった。

 家が一軒、潰されていた。

 農家のオンドールさんの家だった。

 襲撃者が振り回している脚は、オンドールさんのものだろうか。それとも、奥さんのものなのだろうか。いずれにしても恐ろしく、胸の悪くなる光景だった。

 襲撃者の身の丈は、軽く三メートルはありそうだった。岩のように巨大な体躯は、全身が緑色の肌で覆われていた。大きな顔の半分は裂けたように広がる口が占め、中身の少なさを示すように極端に額は狭く、頭髪はない。耳は尖り、鼻は低いが横に大きく、全体の風貌は人間に似ていたが、そう言うにはあまりにも醜く、歪だった。

「トロル‥‥」

 見たことはなかったが、知っている怪物だった。知性が低く、凶暴な、巨人族のはしくれ。肉食で飢えると見境がなく、欲求のままに暴れまわる。怪力だが頭はすこぶる悪く、極端な嫌光性のため光に弱いと弱点も多いが、異常な回復力と暗闇を見通す視力を持つため、闇の中で出会うのは最悪と言える怪物だった。

 トロルはどうやら、最初の食事を終えようとしているところのようだった。

 鋭い乱杭歯ののぞく巨大な口が赤くぬめり、圧倒的な大きさと共に恐怖をあおる。

 沸き上がるべき襲撃者に対する戦意が、表れる前に潰されていく。なにもしないうちから、無力感と敗北感がのしかかってくる。

「こぉんのぉぉぉっ」

 叫びと共に躍りかかる人影が目に入った。

 エルマだった。いつの間にか、武器代わりに鍬を手にしていた。

 振り下ろされた鍬が、トロルの右脚に刺さった。渾身の一振りに柄は折れ、刺さった刃も反動で跳ね飛んだ。

 トロルが吼えた。巨大な腕の一振りがエルマを襲う。エルマは後ろに飛んで避けたが、彼女の手には折れ残りの柄しかない。

「エルマ、下がって」

 とっさに私は短い祈りの言葉を唱え、両掌を突き出した。エールマン様によりもたらされる奇跡、聖なる気弾がはじけ飛ぶ。

 しかし、トロルの巨躯にはあまり効果的な攻撃ではなさそうだ。牽制にもなっていない。

「エルマ様っ」

「セリス様っ」

 下の弟子達が、大剣と戦斧をおのおのに持ち、駆けつけてきた。

 前でトロルと睨み合うエルマは下がれずにいる。戦斧も私が受け取った。

「少し離れていなさい。そして、祈りを」

「はいっ」

 戦うばかりがエールマンの神官戦士ではない。エールマン様に祈りを捧げ、戦う仲間に力添えを願うことも重要な役割だ。

「エルマ、戦斧をっ」

「上に投げてっ」

 叫び、トロルの腕をかいくぐり、エルマは突進した。私はエルマの意図を察し、トロルの顔をめがけて戦斧を放り投げた。次いで、私も突進をかける。

 エルマは折れた柄を、鍬が付けた傷に突き刺した。その傷は思っていたより小さかったが、ささくれた棒は深々と突き立った。

 トロルは悲鳴を上げ、敵を叩き潰さんと腕を振り回す。エルマは突き立った柄を蹴り、上に飛んで避けた。少し前屈みになったトロルの眼前で飛んできた戦斧に追いつき、その柄を掴みざま、振り下ろした。

 側頭部から頬骨を抜け、上下の顎を刃が薙いだ。

 ほとばしる絶叫の中、私もトロルに迫っていた。横を抜けるように、その左脚を薙ぐ。

 肉を抉る手応えの後、刃が骨に当たり、振り抜くことはできなかった。しかし、かなりの手応えだった。

 すさまじい怒号が響いた。

 私の横を轟音と共に風が抜け、風圧でよろめいた。一瞬何かと思ったが、それがトロルの腕だったのはすぐにわかった。

 くぐもったうめきと衝撃音が耳に届いた。

 着地寸前のエルマがはじき飛ばされる光景が、それに重なる。

「エルマっ」

 飛ばされ、転がり、数メートル向こうで、エルマの躰は止まった。

 トロルの脚が動いた。あれだけの手応えだったのに、この怪物はそのままエルマの方へ歩こうとしている。見れば私の記した大きな傷は、すでに半ばほども塞がりかけていた。

 なんてことだ。

 驚異的な回復力と聞いてはいたが、見ているうちに塞がるほどとは思ってもみなかった。鍬の傷も小さかったわけではなく、塞がりかけてそう見えただけだったのだ。

 またしても戦意が萎えていくのを感じる。

 しかし、このまま見過ごせば、エルマが餌食になってしまう。

 私は気力を振り絞り、大剣を振りかざした。

 トロルの気を引かねば。

 エルマから、注意を逸らさねばならない。



 体中が痛い。

 涙が止まらない。

 呼吸が乱れて、おさまらない。

 なにが起こったのだろう。

 あたしはなにをしているのだろう。

 力が入らない。

 考えがまとまらない。

 わかるのは、かすかに聞こえる声。

 耳慣れた響きは、そうか、祈りの言葉だ。

 深く穏やかな声は‥‥父様‥‥

 ちがう。

「‥‥ダイノス‥‥兄様‥‥」

「エルマ、気がついたか」

 よかった。無事だったんだ。

「父様は」

「怪我はなされているが、大丈夫だ。歩けないんで残してきた。さすがのガイェン様も、そろそろ年かもな」

「やっぱり‥‥戦ってたんだ」

「二体はなんとか仕留めたが、一体に逃げられちまってな」

 見れば兄様も、無傷ではなかった。革鎧は裂け、額に血が固まり、左腕は力無く下がっていた。

「よりによってでかいの残しちまったもんで、慌てて追ってきたんだがな。ちょいと遅れちまった」

 あたしの様子を見て、兄様は立ち上がる。

「骨が折れたりはしてないようだし、もう動けるだろ。下がってな」

 兄様は脚も引きずっていた。愛用の重戦棍を杖代わりにして、かろうじて歩いていた。

「兄様っ」

「大丈夫だよ。セリスだって、いつまでももたねぇしな」

 兄様が前を向く。

 そこには巨大なトロルがいて、傷つきながら大剣を振るうセリスがいた。

「セリスっ」

 力を入れようとすると、全身が悲鳴を上げる。でも、立ち上がれる。まだ、動ける。

「あたしが行く。兄様は援護して」

「おい、無理は‥‥」

「大丈夫、動けるよ。兄様が助けてくれたから、まだ戦える」

 そうだ、戦える。

 あたしは戦える。

 戦うことしか、できないから。

「そうかい。なら、ほれ」

 兄様が重戦棍を差し出す。そういえば、手元に戦斧がなかった。どこかに飛ばされてしまったらしい。

「いいか、トロルを倒すには、やつが回復しきれないくらいぶちのめすしかねぇ。馬鹿力だが動きは早くねえ相手だ。動いて、殴り続けろ」

「はいっ」

 答えて、あたしはセリスの元へ走った。

 背中から兄様の祈りの声が聞こえ、力がみなぎるのを感じる。

 あたしには、兄様やほかの弟子達のように、エールマン様の力を受け、伝えることができない。まだエールマン様の御意志を感じることができないから。

 でも、それでもあたしはエールマン様の僧兵だ。奇跡を導くことができなくとも、怪物と戦うことはできる。

 だから、引くことなんてできない。

 戦うこと。

 戦うこと。

 戦うこと。

 それがあたしの進める、ただ一つの、エールマン様に近づく道だから。

 トロルは強い怪物だ。

 でも、無敵なんかじゃない。

 倒せる。

 絶対倒せる。

 信じる。

 あたしと、セリスと、みんなの力を。

 必ず勝てる。

 信じて戦えば、絶対に。

 セリスは大剣を、あたしは重戦棍を振り回し、叩きつけ続けた。

 トロルは雄叫びをあげ、吼え、暴れ回り続けた。

 トロルは傷つけられた端から回復し、まるで疲れを知らない。

 あたし達は萎えそうになる気力を振り絞り、精一杯戦い続けた。

 でも、人間はトロルとは違う。

 疲労がどうしようもなく、動きを鈍らせていく。

「エルマ、下がりなさい。もう無理です」

 セリスが声を張り上げる。

 でも、セリスだって限界が近い。あたしは気がついてる。セリスは懸命にあたしを守ろうとしてくれている。

「大丈夫、あたしのことは気にしないでっ」

 負担になりたくない。あたしなんかを気遣ってたら、セリスだって危ないのだ。

 振り下ろされる拳を避ける。

 自分の動作で躰がふらつく。

「早くっ、逃げなさい」

 セリスに気遣われるのは、あたしが弱いからだ。

 でも、弱いのは嫌だ。気遣われなくてもすむくらい、強いあたしでいたい。

「エルマぁっ」

 向かい来る拳を、思い切り殴りつけた。確かな手応えのあと、躰がふらふらと後ずさる。背が壁に当たると、その壁が強くあたしを押し包んだ。

「ぐぅっ」

 掴まれた。

 凄い力で握りこまれ、内蔵が飛び出しそうになる。

「このぅっ」

 セリスが叫び、斬りかかる。あたしを助けようと跳んだところを、もう一方の手に払われた。

 叫ぼうとしたのに、声が出なかった。

 セリスはゆっくりと舞い、落ちた。

 あたしのせいだ。

 あたしが弱いから、未熟だから、力がないから、またセリスの足を引っ張った。

 こんなの嫌だ。

 弱いあたしは嫌だ。

 みんなを守れない無力なあたしなんて。

 トロルの顔が近づいた。

 牙の並ぶ口が大きく開かれた。

 このまま終わりたくない。

 負けたくない。

 怪物に勝って、セリスを、兄様を、みんなを守りたい。

「うわぁぁぁぁっ」

 叫びが、あたしの喉を突き抜けた。

 そして、あたしは声を聞いた。



 輝きを見た。

 苦痛の中のぼやけた視界だが、見間違いではなかった。

 トロルの左手が、いや、そこに握られたエルマが輝きを放っていた。

 人とは思えない叫びの轟く中、エルマが白銀に輝いたのだ。

 眩さに目を伏せ、トロルの手がゆるんだ。

 エルマは易々と抜け出し、大地に降り立った。

 エルマの喉からあふれる叫びは、流麗に響く祈りの言葉へと変わっていた。

 瓦礫の中に、もう一つ輝きが現れた。

 エルマの取り落とした戦斧だった。

 エルマは戦斧を拾い上げ、身構えた。

 少し前とはまるで違う。

 その姿は、闘志と力に満ちあふれていた。

 輝きにひるむトロルに、エルマは躍りかかった。

 素早く、力強く、華麗な攻撃だった。

 祈りの言葉は途絶えることなく続いていた。

 美しいソプラノが、まるで歌うように流れていた。

 深いバリトンが、そこに加わった。

 ダイノス様の声だった。

 それは高位の神官のみが導ける、エールマン様の奇跡。

 戦う者の闘志を鼓舞する、『エールマンの戦歌』だった。

 私の唇も、自然に動き出した。

 エルマの動きにつられるように、ダイノス様の歌声に誘われるように、私のテノールが加わった。

 目にはエルマの舞が映り、耳からは戦歌のハーモニーが流れ込み、心にはエールマン様の御意志が満ちあふれていた。

 エルマの舞が激しさを増し、戦歌の旋律が大きくうねる。

 エールマン様の意志に触れる喜び。

 エルマが神官の力に目覚めた喜び。

 戦うことそのものの喜び。

 いくつもの喜びが体内を駆けめぐり、満たしていく。

 そして、勝利の喜びがもたらされる瞬間が訪れる。

 戦歌がやむ。

 エルマの舞が終わる。

 怪物が倒れ、静寂が訪れる。

 空が明るくなってきた。

 いつの間にか『浮島の夜』は終わり、昼の日差しが降り始めていた。

 エルマが振り返った。

 虚脱したような顔が、ゆっくりと笑顔に変わった。

「セリスーっ」

 大声で私の名を呼び、駆け寄ってきた。

「セリス、あのね、聞こえたよ、初めて、エールマン様の声っ」

 息を弾ませ、足をもつれさせたエルマは、私の胸に倒れ込んだ。

「聞こえたんだよ、あたしにもっ」

 私の胸にしがみつき、エルマは喜びの涙をあふれさせた。

 私の目にも熱いものがあふれたが、おさえようとは思わなかった。

「おめでとうございます、エルマ様」

「‥‥さま?」

「はい、エルマ様」

 不思議そうな顔で見上げる若く愛らしい神官戦士は、そんな風に呼ばれたらくすぐったいよ、と、照れたように微笑んだ。

 そして、甘えるようにまた、私の胸に顔を埋めた。


あらためて読むと、百合要素少しありますね。

フレーバー程度ですが。


これも20年以上前に書いてますが、ファンタジーは書かれた年代があまり気にならないのがいいですね。

自分でわからないだけで古臭い文章になっているのかもしれませんが、少なくとも登場するガジェットではおかしなことにならないので。

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