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ケツダイナマイト純文学

ちょっとだけお尻を壊されようとも

作者: しいたけ

 その二つをほぼ同時に気付けた事は、私にとってとても幸運な事であった。

 【前門の虎後門の狼】という言葉があるが、虎に道を塞がれた後に後ろから狼が姿を現したとなれば、混乱極まった脳が絶えず危険信号を鳴らし続けるしかないだろう。

 しかし虎と狼が同時に現れたとなれば、出来事は速やかに一つの流れとなる。


 全裸に手足の鎖と尻の違和感は、正しく、前門の虎後門の狼と呼ぶに相応しい出来事だった。

 公園のブランコで使われるような太めの鎖の手枷足枷は、私の自由を瞬く間に奪い、後ろ手にされたままな上に足も上げられないとなれば立つのも一苦労だ。


 私の頭はやや落ち着いていた。三回目の挑戦で立ち上がり、摺り足で歩き始めたが、鎖の音が壊れた風鈴のようで気味が悪い。なるべく音を立てぬように試みるが、足枷の鎖を張ったままではとても歩き辛く、とてもじゃないが雑なペンギンごっこもいいところだ。

 なにより尻の違和感のせいであまり力を入れることが出来ずにいたため、寝ていたソファから僅かに歩いただけで静止を余儀なくされてしまった。


 後ろ手で尻の違和感とやらを探ってみる。指先に尻から出ている細い紐状の物が触れ、それは固めの筒状の先に繋がっているようであった。私の記憶の中で似た形状の物を検索するに、蝋燭やダイナマイトに近い形だろう。

 固めの筒状の外側は手触りから紙で出来ている様に感じられ、太さ的にはトイレットペーパーの芯より少し細いくらいだろう。私の記憶の中で似た材質の物を検索するに、ダイナマイトに非常に似ていると言えるだろう。


「…………ダイナマイトか、コレ?」


 そんな訳があってたまるだろうか? 善良なる一市民が起きたら鎖で手足を拘束された上に尻にダイナマイトを入れられていただなんて、あって良いはずがない! あるわけがない!

 それまでやや落ち着き払っていた私の脳が、冷や汗をかくように冷静さを失いつつある。まるで腰に手を当てた老人の如くその姿勢で考えるが、答えは何一つ見付からないまま事態は次の展開を迎えた。


 目覚まし時計のアラーム音が隣の部屋から聞こえてきたのだ。咄嗟にテレビの上の壁掛け時計に目をやると、時刻は午前七時。いかん、彼女が起きてしまう時間ではないか……!


 三度目のアラーム音が途中で止まり、ベッドの布すれ音が聞こえる。どうやら彼女が目を覚ましたようだ。

 しかし彼女が目を覚ました以上、私は物音を立てるわけにはいかなくなってしまった。何故なら彼女は耳が良い。僅かな物音ですら聞き分け、落とした硬貨の種類すら分かってしまう耳の持ち主なのだ。

「真平さん、もう起きてる……?」

 彼女の声が隣のベッドルームから聞こえた。私は呼吸を整え、冷静に、至って普通に返事をした。

「ああ、おはよう柚葉」

 朝の挨拶を扉越しに交わすと、ついにその扉が開かれた。

 眼を閉じたままの彼女がトイレへと向かう。私はその場から動かず立ったままだ。今この場で鎖の音を立ててしまったなら、私は悪役プロレスラーか何かの真似をして怪しまれないように鎖を激しく鳴らすしかないだろう。

 彼女が私の隣を通り過ぎトイレへ入ると、私は冷や汗だらけの脳にお疲れさまと心の声を掛けた。


 彼女、織部柚葉(おりべゆずは)は高校三年生の時に両目の視力を失った。いくら検査しても原因が掴めず、視力が戻る見込みは無いようだった。彼女は酷く荒れ、両親も彼女に掛ける言葉が見付からなかった。いや、誰一人として彼女の悲痛を推し量れる人物など、当時は居なかっただろう。

 光を奪われた彼女を励ましたい一心で、私は点字のラブレターを送った。当時の私は彼女にとってただのクラスメイトだ。私からしたら片想いの相手なのだが、彼女はそれどころでは無い。悲しみの海に叩き付けられた彼女の無念だけが渦を巻き、同情こそされど、その渦に吞まれる彼女を救うべく差し出される手はありもしなかったのだ。


 トイレの水音が私の濁った思考を洗い流すかのように、現実に思考を呼び覚ます。根本的な解決策は未だ見付からず、手枷足枷を外せる見立ては当然着かない。

 朝起きたら彼氏が全裸で、手足に枷と尻にダイナマイトを着けている事を知ったら、私なら間違いなく現実を見失うだろう。故に私はこの事実を彼女からひた隠しにしなくてはならなくなった。なにより彼女を悲しませることはしたくなかったからだ。


 トイレから出て来た彼女を見て、私はあることに気が付いた。それは彼女は何もされていない、と言う事だ。この変態染みた所業の犯人は私だけに特別な仕打ちを施し、彼女には何もしなかった。たまたま彼女の存在を認知できなかったか、私に施した時点で満足したのか、そもそも犯人はホモで私が狙いだったのか……。真相は謎だが彼女が酷い目に遭わなくて本当に良かったと思う。

 彼女がソファの上を手で撫でて、物が置いていない事を確認すると、ゆっくりとその腰を下ろした。テレビを着け、お気に入りの朝のニュースへとチャンネルを変える。


「真平さん、トイレットペーパーを足して貰えないかな?」

 ふと彼女の顔がこちらを向き、酷く心臓が跳ね上がる思いがした。私は「わ、分かった」と直ぐに返事をし、足枷の鎖を強く張ったまま、雑なペンギンごっこを再開した。

 脱衣所に設けられた棚の上、そこにトイレットペーパーは置いてある。手を伸ばせば直ぐに取れる位置だ。しかし今は当然手を伸ばすことは叶わない。

 脱衣所の鏡に映る私の顔は、いつも通り子ども染みており、未だに自分の存在に価値を見出せていなかった。特段暴行を受けた気配も無く、痣も無い。やはり枷とダイナマイトだけだ。


「どうしたの真平さん?」

 動きの遅い私を彼女が心配した。マズい。早くトイレットペーパーを補充して安心させないと、全てが露見してしまう。

「先に顔を洗わせてよ」

「ええ」

 私は後ろ手で洗面台の蛇口を開けた。濡れた手は手拭きまで届かず、仕方なく洗濯籠に引っかかっていた雑巾で手を拭いた。

 蛇口から出る水音は椅子を運ぶ音と鎖の音を見事に掻き消し、私は脱衣所に小さな椅子を備える事に成功した。

 ゆっくりと椅子に登り新しい袋をどうにか手にすると、中からトイレットペーパーを一つ手に取る。ついでに洗面台の鏡でダイナマイトとやらを目視してみたが、どう見てもそれはテレビドラマ等でいつも目にするダイナマイトに相違なかった。火薬全般の処理法を知らぬ私にとってそれは触れるとかぶれる漆であり、ドドメ色の薔薇であり、抜いて良い物か分からずとりあえずそのままにした。

 そして雑なペンギンごっこをトイレまでやり、後ろ手で補充を終えると安堵のため息が漏れた。


「真平さん今日の朝ご飯は?」

 蛇口を閉め雑巾で手を拭いた私に向かって次なる試練が到来する。確かに朝食を作らねばならないのは私の役目だ。こんな時ばかり彼女に変わって貰う訳にも行かず、越えたばかりの険しい山がちんけに見えるほど高く聳えた山脈に、私は目を泳がせ悩まされることになる。


「あ、ごめん。直ぐに作るよ」

 不器用な手付きで冷蔵庫を開けると、幸いにも昨日のチャーハンが一人分残っていた。器を咥え、手前へと引き寄せる。背中の手を思い切り上へと向け器を掴むが、勢いが強すぎて隣に置いてあった片手鍋の取っ手に器が引っかかり、鍋は虚しくも崩れ落ちるビルの如くその御身を床に叩き付けられ、汁が飛散した。


「大丈夫!?」

 彼女の心配する声がしたが、私は「大丈夫!」と早口めに答え、一先ずチャーハンを電子レンジに入れた。口でスイッチを押し、雑巾をこぼした味噌汁の上に置くと、味噌汁は忽ちに雑巾をその身で浸食していった。

 雑巾を後ろ手で絞る様は実に見事なまでに情けないアライグマかラッコであり、今この瞬間を会社の人間にカメラか何かで記録でもされたりしたものなら、舌を噛み切って死んでやろうと思った。


 電子レンジがチャーハンの出来上がりを伝える笛の音を鳴らし、後ろ手で器を掴む。少し熱いが彼女のためならこのくらい平気だと自分に言い聞かせ、引き出しから出したスプーンを口に咥え、雑なペンギンが彼女の座るソファへお茶運びのからくり人形のように無心で歩き続ける。

「少し熱いから気を付けて」

 チャーハンとスプーンを慎重にテーブルに置くと、彼女は手を合わせスプーンをいつもの位置から手に取った。チャーハンを腫れ物を触るかのように、熱さを確かめながら触り、そして安全を確認した後に食べ始めた。


 雑なペンギンは「後片付けをしてくる」と、そそくさとキッチンへ逃げるとしよう。彼女が食べている間に手枷を取らなくてはならないからだ。チャーハンは終わりを告げる砂時計、いや、スプーンの音は刻を刻む時計の針そのものだ。タイムイズマネー、行動は素早く的確に行うべし。

 手枷は所謂手錠みたいな物で、それにしてはチェーンがやたら太く、これでは破壊することは不可能。なので他の方法を捜すとしよう。

 私は足枷に鍵穴があることに気が付いた。そもそも鍵穴が無ければ二度と開けられないのだから、あって然るべきなのだが、今の今までその点を失念していた。鍵穴があれば鍵があって当然だ。そしてその鍵は…………どうすればいいんだ?


「大丈夫? 外せそうかな?」


 私の残念な頭は、その言葉の持ち主を特定するのにとりわけ時間を要した。

 彼女が置いたスプーンの音がまるで薄氷の鏡にヒビを入れる杭のように、歪んで写し出された私の顔を袈裟斬りに鋭く分断した。

「……え? …………えっ?」

 見えていない彼女が視えているのは私なのか? 太く輝く鎖が結んでいるのか私の手と足なのか? 疑問と混乱と戸惑いと疑念とが入り混じり鎖となって私の心臓から生えてくる。それは彼女へと伸びており、鎖の端は彼女の手の中に見事に収まっている。

 笑っていない筈の彼女の口元が動く度に笑っているかの様に見えてしまい、それは道化の化粧のようだった…………。



 私のとても残念な頭は惚ける事を選んだ。それは蟻地獄へと落ちるアリさながらの様相を呈しており、実に滑稽で現実的な選択だった。

「な、何の事かな?」

 必死で藻掻くアリの最後の抵抗。しかしいくら藻掻いても結末は変わらない。

「なにって……鎖で動けないんでしょ?」

 彼女の返事は早かった。砂を伝わる振動で獲物を察知する蟻地獄の素早いアゴが、私の脳に深く食い込む。

「ハハ……」

 空笑いが出た。もうアリは死んでいる。行列からはぐれ、さまよい、果てに落ちたアリの結末は実に呆気無いものだ。

「昨日友達と飲んで帰ってきた時にはそうなってたじゃない。飲み過ぎて忘れたの?」

 どうやらこの蟻地獄は、砂の中で更なる地獄へと続いているようだ…………。


 私は慌てて電話の方へと向かった。雑なペンギンのふりを止め、鎖を酷く鳴らしながら机へと向かった。そしてタッチペンを咥え、啄むようにスマホを操作し、スマホで飲み友達に電話をかけた。

「よう、どうした?」

「どうしたもこうしたも無い! これは一体どういう事だ!? 何故俺は鎖に繋がれてケツにダイナマイトを入れられているんだ! 分かるように説明しろ!!」

 電話に出た友人に強い口調で説明を求めた。我ながら何を言っているのか自分でも分からないが、それが真実なのだから仕方ない。

「昨日祥平のサプライズバースデーだったの忘れたか? まあ、お前来る前から大分酔ってたからな」

「…………」

 はっきり言ってしまえば、昨日の記憶は無い。真っさらだ。

「他に誰か居たか?」

「俺とお前と祥平と晶子、それに美春だ」

「…………」

 美春、と聞いて少しずつ答えが見えてきた。

 美春とは中学の時に好きだった女子で、体育館裏に呼び出してまで告白したが、結果は惨敗。それ以降会話もぎこちなく、そして中学卒業と共に会うことは無くなった。

 恐らく昨日の私は、久方振りの美春に会うのが怖くて酷く酒を煽り、そしてサプライズバースデーへと向かったのだろう。

「それで、鎖とダイナマイトは?」

「鎖はお前が面白がってそのまま帰って彼女をビックリさせてやろうとしたんだろ? ダイナマイトは知らねぇ。いつの間に入れたんだ? 俺これから仕事だから、じゃあな」

 電話はそこで切れた。振り返ると、静かに佇む彼女がいた。


「お尻にダイナマイトが入ってるの……?」

 彼女の疑問は至極当然の事だ。普通なら気が狂っているとしか思えないからである。しかしどうやら昨日の私はそれを平気でやるくらいに気が狂っていたようだ。

「ご、ごめん……」

「ダメだよ! お尻にダイナマイトを入れちゃダメなんだよ!」

 彼女が泣きながら私に向かってきた。鎖が鳴り、彼女が私にぶつかる。今の私には彼女を抱きしめる事すら出来ない。彼女が私にしがみつき、その手が手枷へと触れた。私は何とも言えない罪悪感に襲われた。

 彼女が手枷を触っていると、突然右手が軽くなった。そして左の腿に何かがぶつかり、私が手を前に回そうとすると、それはいとも容易く行われた。右手と左手が自由になり、左手にはまだ枷がぶら下がってはいるが、右手にはもう何も無い。

 枷をじっくりと観察すると、どうやら鍵穴はダミーで、実は横にある小さなボタンで開く仕組みのようだった。

 私は直ぐさまに左手も自由にしてやり、足枷も同様に外す。雑なペンギンごっこと別れを告げ、ケツのダイナマイトへと手をかけた。

 するとダイナマイトは思ったよりも柔らかく、まるでハリボテのような感じだった。

 抜き取ったダイナマイトは僅かに湿り気を帯びており、私はそっと導火線を引いた。


 強烈な破裂音と激しいカラーテープの波が押し寄せ部屋を一瞬でパーティ色へ染め上げる。驚いた彼女が耳を塞いだが、直ぐにクラッカーだと気が付いた。

「……HappyBirthday祥平…………」

 恐らく昨日も言ったであろう祝福の言葉を、今もう一度述べる。


 そして彼女に滅茶苦茶怒られた…………

読んで頂きましてありがとうございました。

普段は童話やコメディを書いておりますので、お時間があるときにでも宜しくお願い致します!

(*´д`*)

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― 新着の感想 ―
[一言] いや、なんか、こういうの、結構好きw
[良い点] 主人公のわけのわからなさがひしひしと伝わってきて、でも最後にほっこりしました。
[良い点] 自身の目に飛び込んできた情報の羅列は、凝り固まった頭に驚愕と驚嘆の入り交じった衝撃を与えるには十分過ぎる代物だった。 久しく味わうこの感覚。普段使っていない脳の一部が、ゆっくりと稼働を再…
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