夜空
「マジか……」
ドラゴンを前にして、唖然としてしまう。
使い魔の卵は与えられた人間によって孵る種類が違う。
けれど、まさかドラゴンが孵化するなんて。
「くあー?」
「――あっと、そうだ」
使い魔が卵から孵ったんだ。
やるべきことをしないと。
「えーっと、まずは……目を合わせる、だったか」
ドラゴンと目を合わせ、じっと見つめ合う。
俺の顔を憶えてもらうためだ。
「くあー」
「これでいいのか?」
一応、なにかぴんと来るものがあったのか。
小さく飛び跳ねている。
「次は……エサか」
こんな時のために、卵の側に市販のエサを置いていた。
賞味期限切れが近づくたびに、乃々に上げていたっけ。
「ほら、エサだぞー」
角が取れたブロック型のエサ。
茶色いそれを自分の手から、使い魔に食べさせる。
こうすることで俺が主人、あるいは親だと認識させるためだ。
「くあー」
ドラゴンはまず匂いを嗅ぎ、次ぎにゆっくりとエサを噛む。
手を離すと、そのまま咥えて上を向き、噛み砕きながら飲み込んだ。
なんだか、ペンギンが魚を食べている様子に似てるな。
「くあっ、くあー」
エサを食べ終えると、催促するように首を伸ばす。
「もっとほしいのか? ほら」
またエサを摘まんでドラゴンに与える。
「くあー」
「まだ足りないのか?」
その言葉に反応してか、ドラゴンは頭を縦に振る。
そして、大きく口を開けた。
ペンギンの次ぎは、雛鳥を連想させられる。
「よし。じゃあ好きなだけ食べな」
「くあー!」
小さな身体でも大食漢なのか。
結局、用意してあったエサのすべてを平らげてしまった。
「くふー」
流石に満腹になったのか、満足そうに鼻息を漏らしている。
これでようやく、次ぎの段階に移れそうだ。
「あとは……名前をつける、だな」
使い魔に名前を付けることで契約を結ぶ。
この契約がなければ、人は魔法を使えない。
つまり、このドラゴンに名前を付ければ、俺はようやく魔法使いとして胸を張れる。
「ずっと考えていたんだ」
そう言いながら、ドラゴンを抱え上げた。
小さい身体だが、ずっしりとした重みがある。
その重みが、俺に卵が孵ったのだという実感を与えてくれた。
「いろいろと候補はあったんだけどさ。決めたよ」
その中から似合ったものを付けようと思っていた。
そして、このドラゴンの姿を見た瞬間にこれだと決めた。
「――アイル」
その名の意味は、翼。
「お前の名前はアイルだ」
そう名付けると、アイルはきょとんとした顔をした。
小首を傾げて、俺の目を見つめている。
けれど。
「くあー! くあー!」
すぐに、その意味を理解した。
尻尾を無造作に振り回し、その両翼がバサバサと羽ばたく。
「そうか、そうか。そんなに嬉しいか」
「くあー!」
精一杯首を伸ばし、頬を何度も舐められる。
それだけ喜んでもらえると、ずっと考えていた甲斐があったと言うものだ。
「くあっ、くあっ」
アイルは俺の腕をよじ登り、肩を通って頭の上に乗る。
「お?」
そして、そこから羽ばたいて窓まで飛んでみせた。
「もう飛べるのか」
卵から孵って間もないというのに。
いや、でも、まぁ、そうか。
生まれた途端に固形のエサをあれだけ食べられるんだ。
普通の生物とはやはり、根本から造りが違う。
飛べても、不思議はないのか。
「くあー、くあー」
窓辺に乗ったアイルが鳴く。
窓ガラスをこんこんと叩いて、こちらを見る。
開けてくれ、外に連れて行ってくれ。
そう言っているみたいに。
「そうだな。行くか」
「くあー!」
「よし、掴まれ」
掌を差し出すと、アイルは窓辺から飛んだ。
狙いは正確で、きちんと掌の上に着地する。
俺はそのままアイルを抱きかかえると、急いで自室を出た。
階段を急いで駆け下り、玄関で靴を履いて、すぐに外へと飛び出す。
そうして満点の星空の下に出た。
「くあー!」
初めて見た外の世界の広大さに、アイルは天に向かって一鳴きする。
そして、俺の手元から羽ばたいて飛翔し、思う存分に天を舞う。
ドラゴンとしての本能がそうさせるのか。
飛び回るアイルには、喜びで満ちているように思える。
「楽しそうだな」
アイルの姿を見て、思わず口をついて言葉が出る。
それがアイルに聞こえてようで。
「くあー!」
アイルは一鳴きすると、その姿を変貌させた。
小さな身体から、大きな身体へと急成長を遂げる。
どっしりと重い音を立てて着地したアイルは、俺の背丈を優に越えていた。
「凄いな……そんなことまで」
自分の大きさまで変幻自在か。
「――」
大きく成長したアイルは、低くうなる。
体勢を低くし、首を地面すれすれまで下げた。
「乗せてくれるのか?」
「――」
またしてもアイルは低くうなる。
その返事を、俺は嬉しく思った。
「よし、頼むぜ。アイル!」
勢いよく、その逞しい背に跨がる。
そうするとアイルは力強く羽ばたいて、天高く飛翔した。
はるか上空から眺める夜の街。
深い闇に宝石が鏤められたかのような絶景に、思わず唸った。
「ありがとな、アイル」
「――」
全身で浴びる夜風が心地良い。
ずっとこうしていたいくらいだ。
まるで夢のように感じてしまう。
俺は本当に、アイルと契約を結んだんだ。
「……そうだ。アイル」
ふと思い出して、アイルをあるところへと誘導する。
そこは昔から馴染みのある場所。
その地点にまでたどり着くと、俺は携帯電話を鳴らした。
「――もしもし。いま大丈夫か?」
「うん、大丈夫だけど。どしたの?」
「ちょっと窓の外、見てみな」
「窓の外? なーに? どういう――」
そうして窓のカーテンが開かれる。
姿を見せたのは、乃々。
この場所は乃々の家だ。
「よっ」
「な……なななななっ!?」
すぐに窓が開かれ、乃々が身を乗り出す。
「どっ、どうしたの! って、ドラゴン! ドラゴンに乗ってるっ!」
乃々の慌てふためき様は、期待通りのものだった。
「あぁ、さっき卵が孵ったんだ」
「孵ったって、じゃあ」
「そうだよ」
これでようやくだ。
「約束を果たしにきた」
卵が孵ったら一番に見せる。
それの約束を果たす時がきた。
「――よかったー!」
そう叫びながら、乃々は跳んだ。
二階の窓から、こちらへと。
「わっ――あっぶねぇ!」
突然のことに驚いたが、なんとか乃々を抱き留めた。
受け止められたから良いものの、損なっていたらと思うとぞっとする。
「お前なぁ」
「よかった。本当によかったよ」
その声は震えていた。
「なんで乃々が泣くんだよ」
「だ、だってぇ。ずっと、翼が悩んでたの知ってたからぁ」
「あー、もう。ぐずぐずになってる」
昔から涙もろい幼馴染みだったけれど。
久々に見た気がするな、嬉し泣きは。
「しようがない。アイル」
「――」
呼びかけに応え、アイルは低くうなって飛翔する。
空を飛ぶ速度は、先ほどよりすこし速い。
それで涙を乾かすにはちょうど良いくらいの風が吹く。
「わぁ……すごいね」
乃々を抱きかかえたまま、夜空を舞う。
上空には星の瞬きが、地上には光の煌めきが。
これだけ綺麗な光景を見れば、涙で滲んではいられないだろう。
「本当に、翼の使い魔なんだ……アイルって言うの?」
「あぁ。翼の生えた奴なら、俺と同じ名前にしてやろうと思ってさ」
物の見事に翼の生えた使い魔が孵ってくれた。
まぁ、それがまさかドラゴンだとは思いもしなかったけれど。
「やっと胸を張れるね。魔法使いとして」
「ようやくだ。ようやく、魔法使いになれた。これで落ちこぼれも返上だ」
明日から俺も立派な魔法使い。
今まで苦汁を舐めてきた分、これから取り返すとしよう。
「――コラー! そこの! 使い魔の夜間飛行は禁止されてるはずでしょー!」
「あっ、やっべ」
「飛行警ら隊の人だっ!」
空のパトロール隊。
大鷲に乗った女性警官に見つかってしまった。
「はーい。おねーさんについて来なさーい――って、ドラゴンっ!?」
警ら隊の人にも驚かれる。
そうして俺たちは地上に降りた。
そして、こっぴどく叱られた。
けれど、それだけだった。
「ま、この時期だしね。ようやく使い魔が孵って、はしゃいじゃったのはわかるわ。それもドラゴン……だしね」
お姉さんの視線が、俺の頭の上に向かう。
アイルは俺の頭の上が気に入ったのか、ずっとそこに乗っている。
「くあー」
あくびまでする始末だ。
「だから、今回だけは特別に、とーくーべーつーに、大目に見てあげる」
「あ、ありがとう御座います!」
「でーも、次ぎからは容赦しないからね。あと、未成年のうちは彼女を夜中に連れ出さないこと! じゃあね」
「あ、ちょっ――べつに彼女って訳では――」
しかし、言葉は届くことなく、大鷲の羽ばたきに掻き消されてしまった。
「行っちまった」
とりあえず、大事にならなかったようで、ほっと胸をなで下ろした。
「悪かったな、いろいろと」
「いいよ、私も楽しかったし。今度は歩いて帰ろ」
「あぁ、捕まらないようにな」
そうして俺たちはゆっくりと歩きながら帰路につく。
ちょっとしたハプニングはあったものの、今日は記念すべき日になった。
その希望に満ちた夜が明ければ、期待の朝が幕を上げる。
俺の逆転劇は、ここから始まる。