第六十三話 神殿で迎えた決戦の日の朝
さぁ、いよいよ本番ですよ!
リューム、ヴィンセイル、がんばって。
例えばリューム自分より背の高い草をかき分け、かき分け進むような感覚です。
それよりもしっかりと絡み合う蔦をかき分けていると表現するのが相応しいかもしれませんね。
しっかりと絡み合う、幾世代にも及ぶ闇の想い。
闇連ねた想いを抱いたまま沈む魂の救済に当たるのですよ。
自分自身で。
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決戦の日、迎える心持はどんななのだろう。
リュームの事ですから?
朝から落ち着かず、そわそわしている事でしょう。
いやいや。
それ以前に前の晩、眠れるかどうかすら危ぶまれます~。
と、踏んでいたのですけれどもね。
ぐっすりでした!
あれ?
おかしいな。
リューム、もうちょっと繊細さんだった気がします。
そうリゼライさんに訴えたら「勘違いもはなはだしいんじゃないの?」と、ばっさりです。
「……あんたはまた見境無く魔物でも心を許したようね」
「なぜそう思われるのでしょう?」
リュームの衣装の着付けを手伝ってくれているリゼライさんに尋ねました。
リゼライさんは手を休めることなく、続けます。
「闇の気配が微かにする。ここは聖域なのよ? 少しでもそういう異質な気配をまとっていれば目立つに決まっているでしょう」
「そうですか。リューム自体が闇に染まっておりますから、問題ありませんでしょう」
「減らず口をたたくアンタのどこが繊細だ」
これもまた、どこかで聞いたような台詞ですね。
ふふふと小さく笑いを零すと、リゼライさんが何か言いたそうに見つめてきました。
素直に白状します。
この方を欺こうと思うことすら無駄ですから。
許したといっても明け方のほんの一時でございますよ。
そんな言い訳も通用しないリゼライさんです。
「先程まで夢を見ていました」
「何の?」
「そうですね。闇のとでも表現すればいいでしょうか?」
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にゃぁ――――ん!
闇の中で、こだまする可愛らしい鳴き声に呼ばれました。
リ ュ ー ム ぅ 。 久 し ぶ り だ ね 。
「お久しぶりですね。エキや?」
にゃ―――ん。
答える代わりに長々とエキが鳴きました。
真っ赤な舌が闇に閃きます。
それに真っ白く、鋭い牙も一緒に。
「いらして下さいな、エキ」
リ ュ ー ム こ そ 、こ ち ら に 来 て く れ な い の ?
長い沈黙が闇の中で続きました。
そんな間ですら飲まれていくかのよう。
にゃ―――んと可愛らしい鳴き声が響いて、沈黙は終わりとなりました。
歌 っ て よ 、 リ ュ ー ム 。
「ええ。もうしばらくお待ちくださいね、エキ。今日、祭典の時に歌いますから聞いていてください」
リ ュ ー ム は 誰 の た め に 歌 お う っ て い う の ?
「女神様やこの国の人々全てのために。そしてリューム自身のために」
ボ ク の た め だ け じ ゃ な い の ?
「ええ。エキのためだけではありませんが、エキのためにも歌うのですよ」
ま た 、要 ら な い 嫉 妬 を 買 う か も し れ な い の に ?
「いいえ」
きっぱりとリュームは首を横に振りました。
いいえ、それはありません、と。
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「エキの正体を、リュームはとうに知っておりますよ」
ふ ぅ ん 。リ ュ ー ム に と っ て ボ ク は 何 な の ?
「エキは――――。」
う ん 。
好奇心に満ちてまんまるの緑の瞳が、リュームを見つめています。
深く色鮮やかな常緑の色合いが、ご領主様と一緒です。
まるで森に恵まれた、この地に祝福されたような瞳です!
そう感激してこのコに『エキ』と名づけたのはリュームです。
エキナルドの地名にあやかっての、エキ。
それだけではない事も、気が付いておりますよ。
エキ猫。
えきびょう。
―――疫病。
このタラヴァイエの血筋の身を犠牲にして、全て引き受けるよう命じられたこの地の災厄でもあります。
ですが、そこまでの正体を闇から引き出して差し上げねばなりません。
このコも犠牲になったひとりです。
そんな悲しいことを繰り返してはなりません。
必ずや光を引き連れて祝福の道を皆で歩み、人生を終えましょう。
「エキはエキですよ。真っ黒の可愛らしい、リュームの大事なカラス猫さんですよ」
――― そ っ か ぁ 。
ためらいながらも手を伸ばしました。
どこまでが毛並であって、また闇なのかもわからないエキに。
すり、とエキ自身がリュームの手のひらに頭をすり寄せてくれました。
――― ボクがリュームのエキでいられるように、歌ってね、リューム。
どこか満足したような呟きと共に、闇は薄れていったのでございます。
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「不思議と恐ろしくはありませんでした。闇はある意味ずっとリュームの側に寄り添っていてくれたものなのです」
ですからでしょうか。
少し物悲しくもあるのです。
厭ってふり払いたいと願いながらも、そんな寂寥すら覚えるのです。
リュームの独白に近い呟きに、リゼライさんはただ黙って耳を傾けていてくれました。
手を休めることなく、せっせとリュームの腰帯やら、飾りのついたベールやらを着付けてくれながら。
「出来たわよ、リューム嬢。いざとなったらこの編み紐を使うのよ。わかった?」
リュームにとあつらえていただいた衣装の腰を飾る編み紐は、とても眩い金の染めです。
そこに緑と白との染めを組み合わせてより、何やら不可思議な紋様が浮かぶように見えております。
それを手に取りながら、しっかりと頷いて見せました。
「これはどんな災厄が襲いかかろうとも、アンタの魂をこちら側に繋ぎとめてくれる命綱よ」
「はい。リューム、間違っても闇に囚われたりしません」
闇は誘いを掛けてくるでしょう。
ねぇ、こちらに来ない?
幾度かエキにもそう誘われておりますからね。
いつもうっかり頷きそうになる自分は本音でもあり、また、正気でもないと思うのです。
神殿の皆様方に言わせてみれば、闇という呪いはそこが目的として成る呪術だから当然なのだそうです。
そこに挑むのです。
挑まねばふり払えぬのです。
リューム、恐ろしいくらい完璧な装備だと思うのです。
それこそ闘いの最前線に臨む騎士様にだって負けないくらい、重装備だと言っても過言ではないでしょう。
姿身の前に立ち、リュームは自分自身の晴れ姿とやらを眺めました。
そして鏡越しにリゼライさんと確認しあいます。
身にまとう純白の衣はただの薄い布地を重ね合わせたものでしかありませんが、何。
ある種の頑丈さなら、甲冑にも負けませんよ。
何でも術句を込めながら織られた特別製の物なのだとか―――。
薄っすらと光に透けて浮かぶ紋様は、あの広場の中央に浮かび上がるものと似通っております。
まるで花びらのような、舞い落ちる雪のような。
そんな繊細でいて力強い、自然界の為す芸術品と同じ物なのです。
正直、胸元の布地の少なさに心もとない気もしないでもありませんが、そんな事をちらと考えようものなら『私を見くびるな。隠さずに見せ付けてこそ、力になるものを』という幻聴がきましたよ。
ザクロ様もとい、ひい・ひい・ひい・ひい・ギルメリアおじい様め。
リュームが言いたいのはそういうことではございません!
もう少し盛り上がりがあれば堂々としちゃいますよ、っていう女心です――!!
うう。
まぁ、いいですけど。
かつて付けた首筋の傷痕も隠さずに晒しますよ!
何となく、この傷痕すらも愛しく感じてきておりますから。
指先でなぞります。
あの方が唇でなぞってくれた時のように、そっと。
「何、赤くなってるのよ?」
リゼライさんにからかわれました。
えぇっと、えへへ~と誤魔化して、指先をそのままザクロ石の中央に滑らせました。
頭の中央にはティアラ。
そこに付いた額にまで零れ落ちるかのような形の宝石は、緑玉であの方の瞳とお揃いなのです。
両手首には細かな飾りが身動きする度に、しゃらしゃらと音が零れるような素敵なものです。
そしてそして胸元にはザクロ様。
リュームの心臓の真上にあるのです。
皆様の想いをぞれぞれの形で具現化された物なのです。
それをどうぞ、どうかお力添えになりますようにという言葉と共に、いただいたのです。
そんなにも得難い宝物を贈られて、身に付けることの出来たリュームは只今最強の気分です。
その気持ちに報いねば、タラヴァイエの生き残りの名が廃ります!
先程から湧き上がってくる雄々しい気持ちと、それを受け止める心持ちが奇妙な静けさとなって、この胸に横たわっているのです。
間違いなく勝利を収める確信をもって、戦いに臨みます。
ええ。臨めるのです!
皆々様方のおかげで!
つぃと手を引かれました。
そのまま、ぎゅっと強く手を握られました。
お互い強く迷い無く、微笑みあいました。
いよいよですね。
いよいよ、ね。
無言で交わす、そんな決心とも諦めとも言えなくない気持ち。
「はい。ありがとうございます、リゼライさん」
「どういたしまして。さあ、行くわよ。覚悟はいい?」
リュームは無言で頷きました。
リゼライさんも無言で頷くと拳を突き出してきます。
お互いに力強く頷くと、拳同士をつき合わせました。
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舞台の袖で向かい合って、ご領主様と二人きりです。
静かです。
ただ遠くから微かに人々の歓声が届くだけです。
二人の間を、あたたかくてやわらかな陽が差し込んできています。
お互いの手には、今日摘んだばかりのフィローの真白い花。
花びらが重なりあっているせいか、華やかに見えます。
白い白い真の純白とは正にこれと評するに相応しい、お花です。
リュームの髪には既にそのお花が飾られてあります。
巫女王様、ルゼ様、ミゼル様、ニーナ、リゼライさん、ディーナ様の代わりにダグレスが、それぞれ射してくれたものです。
その純白に想いを込めながら見つめます。
彼の装備もまた完璧でした。
濃い青地の長い上着を着こなし、鈍く輝くような布地のマントを羽織られております。
色味こそ違いますが、その気配がリュームの衣装と同じ作用を秘め持つものと同じようです。
きっと彼の事も守る力となってくれるでしょう。
裾と襟に配された紋様の刺繍にも安堵します。
……何て格好良く見せるのでしょうか。
ちょっと、どうしたらいいか解らない気にさせられます。
しかも腰に下げられた、ルゼ様から賜った孔雀の羽根模様の鞘に収まった剣が一際目を引きます。
ど、どこの騎士さまでしょうか?
――― 恐れ多くもリュームの、騎士様です。
そう思い当たった途端、頬が勢い良く火照りました!
「リューム?」
リュームの挙動不審ぶりにまたか、というような怪訝な声をかけられて我に返りました。
そうでした。
照れている場合ではありませんでしたね。
儀式とやらに乗っ取って、跪く彼の額に唇を寄せました。
「祭典の誉れ高い騎士に女神様の祝福が賜りますように」
「乙女の加護を得て災厄を封じ込める剣舞を務めきると誓う」
誓いを述べられた後、彼は持つ花をリュームの左の耳上に差してくれました。
にっこりと微笑むと、彼の表情も淡くほころびました。
この身が有限であり、無期限のものではないと知っております。
しかし今ひとつピンと来ないのもまた確かでして。
(どうかこの時が永遠に続きますように。そう願う瞬間をたくさん、積み重ねて行けますように)
リュームも彼に倣って同じように耳の上、髪に花をさしてあげました。
『エキの正体。』
まだまだおぼろげですが、ハッキリして来ましたね。
決戦中にクッキリさせたい所です。
やはり決戦を迎えるまでが落ち着きませんが、来ちゃえば大人しくなるしかないですよね、リュームさん。
いよいよです。
本当にがんばってくれ、二人+α !!