第六十二話 神殿で交わす新しい契約
暑いですね~
そう。
おかー様は耐えられなかったのです。
二度も夫に先立たれて、心が折れてしまわれたのでしょう。
折れたなんてかわいいものでは無しに、壊れたのだと言うのが正しいのかもしれません。
おかー様を責めるつもりなど全くございません。
ですが、どうなってもああはなるまいと心に誓いました。
『おかー様?』
おかー様はお義父様との婚礼の衣装を身に着けて、彼の棺の横で永遠の眠りに付かれておりました。
きゃああああああああ―――――――――!!!
正気など保てるはずもありますまい。
リュームは空っぽのまま、ただただ叫び続けたようです。
その時、力強く抱きこまれて視界を遮られた事だけは記憶にあります。
あれはどなたの腕であったか等と、今更問い掛けるのは愚問でしょう。
今、その腕に抱かれているのですから。
おとう様方だけを見つめて他を省みないという事は、残された者に空しさと無力感だけを押し付けます。
オルレイアの瞳に映っていたのは、シェンテランのご領主様だけ。
おかー様らしいといえばそうなのですが、だとしたらリュームの存在って何なのでしょう?
あなたさまの前にいてもリュームは何の助けにも慰めにもなりはしない、と直接言われるよりもヒドイ仕打ちでした。
おかー様が自ら命を絶たれてから、その想いを見つめるのは恐ろしかったですよ。
彼女の中のリュームの存在のちっぽけさを、改めて思い知るってモノでしょう。
何もかもどうでもよくなってしまうほどまでに、男の方を想う事が出来るおかー様がまるで知らない人のように感じられてしまうのです。
おかー様は生涯「オルレイア」という、ただ一人の女性であったというまでの話でしょうかねぇ……。
同じ女として少し羨ましいような、そうでもないような複雑な心境になります。
それはリュームが彼女の娘だからでしょうかね。
思い出したくない、見つめたくない未消化の想いを抱いたまま彼を見上げます。
そこにはおかー様と似通った想いを秘めた瞳がありました。
「領地など。オマエとは比べ物にならないくらい、何の価値も無い」
ああ、やはりと思いました。
やはりこの方もヴィンセイルとしてしか、今が見えていないと思いました。
「ふ、ふざけないでください! リュ、リュームが何故、貴方様をご領主様と呼び続けるのか、お分かりにならないのですか!?」
「何だ」
「ご領主様はご領主様なのです! このエキナルドの地を任されたご領主様なのです。任命式の時、ルゼ様の御前で、皆様方に誓ったのです。それをお忘れにならなきようにという願いを込めて、そう呼び続けております」
「リューム」
「リューム、ご領主様の鞘、ですから! ご領主業を、領地をそのようにないがしろにされるのならば、今すぐルゼ様にお返しに上がりましょう」
リュームはきっと彼を睨みつけました。
「いつだって貴方様は勝手ばかり通される! そんな事は許されません。何人たりとも愛しい者の旅立ちの時に、献花を阻むなど……あってはならないはずです!」
おかー様の事を思い出したせいでしょうか。
あの日の無念を思わず口にしていたようです。
「何だ、恨み言か」
「ご領主様はリュームに献花をする必要など無い、リュームの事を呪いに差し出した二人などに哀れみは不要と仰いたかったのですね」
「そうだ」
「それとこれとは別ですよ」
どんっと腕を掴まれたまま、彼の胸を両拳で打ち据えました。
「恨み言ならもっと他に言う事があるだろう。この際だから全部言ってみろ」
「他にですか? ああ! 先程の皆様方に対する態度は、もうっ! 何事ですか。そんなところまでギルメリアおじい様に似なくていいのですよっ」
もう、ギルメリアといいご領主様といい、困ったものです。
気に入らない事があるとむすっとして黙り込むなんて、まるで子供です。
リュームが怒ると、ご領主様はため息と共にリュームの肩に大きな手を置きました。
「そうではなくて」
何を仰いますやら! 大切な事ですよ、と言葉を続ける前に抱き込まれてしまいました。
「恨み言ならもっと他にあるだろう。おまえを呪いの生け贄として差し出した俺に対する恨み言が」
「いいえ」
「リューム」
腰と背に回った腕に持ち上げられるように抱き上げられました。
少しだけ、踵が浮きます。
爪先立ちになるので、自然と彼の胸に体重を預ける格好になります。
これ幸いとばかりに、その耳元に囁きました。
「もしも。もしもの場合、ご領主様はリュームに最後に献花をしてくださいますか?」
それは懇願に近かったと思います。それなのに彼ときたら!
「断る」
「即座に」
「オマエが俺にそうしろ。俺よりも長く生きて見せろ」
「お断りします」
「オマエに献花をするなど考えたくもない」
「リュームだってそうでございますよ」
「だったらもしもの時などと二度と口にするな」
苦しそうに吐き出された言葉は、リュームの胸を締め付けます。
無言のまま彼の腕の強さに身を任せました。
彼の胸に押し付けたリュームの耳に、紛れも無く彼の鼓動が響きます。
日も傾きゆっくりと夜闇が忍び寄ってきていました。
彼の鼓動に耳を澄ますうち、リュームも落ち着きを取り戻せたようです。
「いい加減にしませんか」
「そうだな」
「二人、今度こそおじいさんとおばあさんになってみませんか?一緒に」
二人、額をくっ付けあって祈りました。
そして誓い合います。
「この闇を終わらせましょう」
「今度こそ」
「二人で、いえ、皆様のお力をお借りして」
「終わらせる」
「ええ。そうしたら、一緒におじいさんとおばあさんになりましょう。リューム、ご領主様が偏屈おじいさまになってもお側におりますよ」
「断定なのか。俺が偏屈になると」
「否定できませんよね?」
「リューム」
「ふふ。二人、ギルメリアの血を引いておりますからね。きっと口にして発した言葉は何よりも確かな呪文になりますよ」
そう確信して微笑むと彼の指先がリュームの唇をなぞります。
くすぐったいのと、説明の付かない部分がどこかしら震えたのを感じて、身をすくめました。
「リューム。闇をふり払い、シェンテラン家に新たな光を寄こせ。俺に跡継ぎとなる子を授けろ」
「ええ。お約束いたしましょう。闇ふり払われた暁には必ず」
「誤解の無いように言っておく。別に―――男児でなくとも良い。俺とおまえの子であるのならば」
「ええ。解っておりますよ、ご領主様」
彼の指先がリュームの頬に掛かる髪を、後ろに梳いてくれるのを心地よく感じます。
争いもひとまず落ち着いたせいでしょうか。
リュームはふと、先程感じた疑問を彼に尋ねようと思い立ちました。
「ご領主様。あの、お尋ねしても良いですか?」
「何だ」
「きんよくって何ですか?」
じろりと睨まれます。
(アレ? 何かまたご機嫌を損ねるような事を言ってしまいましたでしょうかっ?)
かと思ったらぐいと腰を引かれ、耳元で囁かれました。
「オマエに宛てた手紙の内容を、一つ残らず実行する事を慎めという事だ」
(ええ、えええええええ――――!? アレはそういう意味でございましたか。リュームはてっきり、欲張ったりしちゃいけないというか、節制しなさいとかそういうものかなぁと思っておりましたよ!)
あうあうあうあ! 解りました、解りましたから!
言葉にならないまま、寄せられる唇に身を捩ります。
禁欲っ、禁欲です! 禁欲はどこに行っちゃったのですかっ!?
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ガササッ! と茂みをかき分ける音に驚いて振り返りました。
「さぁて、時間だぞっと」
そう呟きながら向こう側から出てきたのは、所々に葉っぱを付けたギルムード様でした。
「はーい、そこまで!」
パンパン! と手を叩きながら近付いてきたのは、リゼライさんです。
「ヴィンセイルは俺たちと宿舎で寝泊りな。早くしないと夕飯、食いっぱぐれるぞ」
「リューム嬢もお部屋に戻るわよ。そして私と呪句の練習」
――――ゆ、油断なりませんね、神殿。
そんな狼狽を込めてご領主様を窺えば、彼もまったく同感のようで力強く頷かれましたよ。
ご領主様はそのまま首筋をギルムード様に腕をがっちりと回されて、リュームはリゼライさんに手首をしっかりと引かれて、お互い逆方向へと引き摺られて入ったのでした。
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夜も更けました。
リゼライさんにおやすみなさいと告げたすぐ後です。
それと入れ違うようにダグレスがやってきました。
今日は人型です。
珍しいですね。リュームと二人きりになる時は獣様の姿でいる事が多いというのに。
(きっとリゼライさんから何やら誤解されたくないからだろうと、リュームは踏んでおります。)
「嬢様も神殿に参られた」
「ダグレス」
彼はリュームの顔を見たと同時に、唐突に呟きました。
驚いて言葉を失うリュームに、彼はひとつ頷きます。
ダグレスが嬢様とお呼びする方はただお一人です。
あの紅い髪が見事な、優しいあのお方です。
「このダグレスが付き添ったが、お一人で参られたのだ。これから神殿の奥で監視される。もちろん祭典に臨む事など望めやしない。それでもオマエの力になるために、この神殿の奥で静かに祈って下さるのだぞ。心して臨め。失敗は許されぬぞ。我とて許さぬ。嬢様の気持を無下にするマネなど許さぬからな」
「お一人でですか?」
「フィルガは許されなかった。まだな。アヤツも反省牢行きだ」
姿勢を正しました。
ダグレスの紅い眼には、すべて何もかもがお見通しのようです。
この身勝手な想いも含めて、全て。
「心します、ダグレス。その紅い眼に焼き付けてくださいませ」
「うん」
「ダグレス」
彼らしくない、幼く感じるような返答です。
彼もまた不安なのかもしれません。
ディーナ様にはディーナ様の戦いがある。
それに臨まねばならないとは、お聞きしております。
ダグレスをそっと抱き寄せました。
今、彼はオトナの男の人の姿ですが、いつもの可愛らしい獣サマに見えます。
「リューム」
「必ずや生きた喜びを噛み締めて見せましょう。そしてダグレスも、皆様とご一緒にリュームとヴィンセイル様の結婚式にご参列くださいませ」
リューム、ダグレスの力を身に潜ませておりますから?
彼の気持ちは、リュームも一蓮托生なところがあるのです。
「ダグレス。今日はいつものダグレスの姿に戻って、リュームと一緒に休みましょう?」
「うん」
そっと項を撫でながら囁くと、ダグレスは大人しく頷いてくれたのでした。
『二人の将来設計』
恐るべし、神殿。
本当に二人きりになりたいのならば、闇をふり払ってからですね。
仮タイトルは『ケンカの続き。闇』でした。
わかりやすい。
リューム、ちょっと母性発動中かな、と思いながらの六十二話でした。