第五十二話 ジャスリート家で目覚めた意識
世界は何て眩しいのでしょうか。
眩しいです。
久方に闇から抜け出た瞳には、何とまばゆいのでしょう。
まるで生まれて初めて光を見た時のよう。そんな感覚を錯覚と呼ぶのでしょう。
そもそも、そのような記憶はございませんですよ。
自分が生れ落ちた日の事など、人は記憶を持たないはずですからね。
持ち上げた目蓋を瞬かせながらも抗います。
目蓋よ、落ちてしまわないでと。
眩しすぎる視界に影が差し込んでくれました。
おかげで何とか薄目を明けていられるようです。
この柔らかさをなぜかしら感じさせてくれるのは、人影です。
逆光になっているため、どなたかは判別できませんでしたが迷わず両手を差し伸べていました。
ああ、きっと、あの方ね。
確信に満ちてそう思いました。
焦点を定めます。
瞳に染み入る、緑の眼差しが覗き込んでくれていました。
それにまた、光を浴びて輝く金の御髪がまた目に沁みますこと。
(ああ、やっぱり。ご領主様でしたね。また会えました、良かったです。良かったぁ)
そう安心したはずなのに、指先に手を絡められた途端に身体が強張りました。
ナゼ?
取り繕いようも無いほど、大きく身体がしなりました。
意識のない拒絶ほど、人を不快にさせる事もないでしょう。
ですが説明がつきません。
「リューム、気が付いたか!?」
「・・・・・・?」
頬を包み込む大きな手にも怯えてしまいます。
「リューム、リューム。相変らず目覚めるのが遅い」
「・・・・・・?」
こ の ひ と は だ あ れ ?
リューム自身がそのように感じた事に驚きました。
(ご、ご領主様に決まってらっしゃいますよ、えええ!?)
ええ。そうです。間違いありません。
ご領主様。シェンテラン家の現御当主様で、おおいばりんぼのリュームの・・・何でしたでしょうか?
あ!そうそう。一応、義兄さまですよ!
ヴィンセイル・シェンテラン様ですよ。
そう自分自身を宥めてみますが、何の効果もございません。
むしろつのるばかりの不信感は、恐怖へとなり変わって行きます。
ち が う ! ご 領 主 様 な ん か じ ゃ な い わ !
「リューム?」
「ギル、メリア?」
リュームの表情が意思とは関係なく歪みます。
対するご領主様の表情も厳しいものでした。
「リューム、ギルメリアとは誰だ!?俺は、」
きゃ、ああああああぁぁぁぁぁ―――――!!
気が付けば大絶叫。
なかなか見事な大声っぷりに病弱の名残もありませんね。――って!?
目の前のお方に抱き上げられそうになった途端、自分でも思いもよらないくらい大きな声が出ておりました。
「リューム、どうした?大丈夫だから落ち着いてくれ」
「嫌、嫌、放して、嫌ぁ―――っ!!」
制御がききません。
どうしちゃったのですか?
何をそんなに怯えているのでしょうか?
狂ったように泣き叫びながらも、頭の中は嫌に冷静なのです。
頭の中で大丈夫だから、この方は無理やりな事はしないはずですから!(多分。言いきれない所がなんともはや。)と、宥めるのですが感情はいう事を信じてはくれません。
(シュ・リューカ?)
なにやら心の隅っこで微かに応えが返りました。
もしかして、シュ・リューカに同調しすぎて、その意識ごと目覚めちゃいましたでしょうかね?
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「何事だ!?リューム、どうした?」
勢い良く扉が開きました。
「ダグレス。リュームが目覚めたのだが様子がおかしい」
「いつもおかしいではないか」
「いつも以上にだ!」
おお!何だかお久しぶりですね、ダグレス。
一言余計なのも相変らず! そしてご領主様までなんですか!
ですが、いい所に来てくださいました。
どうしましょうか、この状況。
不安に泣き叫ぶシュ・リューカの意識に閉じ込められたまま、ダグレスを見やります。
軽口を叩きながらも、ダグレスの紅い瞳も少しばかり揺れて見えました。
様子を窺っているようです。
(そうなんですよ、ダグレス! おかしいんですよ~!どうしようもないんですよ、ご領主様が怖くって!)
それでもダグレスの登場に少しだけ、シュ・リューカが落ち着いたようです。
人型の獣サマの黒い髪と紅い瞳に釘付けです。
「ギルメリア様、どこ?ギルメリア・・・様は?ねえ、どこにいらっしゃるの?」
どこ、この方は誰? ギルメリア様は、どこに?
それだけを繰り返し呟きながらご領主様の腕の中で、ダグレスへと両手を差し伸べるのはシュ・リューカです!
シュ・リューカの意識ですから!ご領主様!睨まないで下さいませ~と思いつつ、何となく後ろめたい気分のリュームです。
シュ・リューカ、しっかり。
あれはダグレス、獣様ですよ。貴女の愛しいギルメリア様ではありません。
「今は眠っている、シュ・リューカ」
さ迷う視線が縋るようにダグレスを見つめました。
「そう・・・・・・。お会いできないの?」
「今は眠っているからな。だが、すぐ側にいるから安心していい」
確かにその通りかもしれません。
ギルメリアの意識は、ご領主様の意識の深く深くで眠っているのでしょうから。
ダグレスがご領主様に目配せを送ります。
適当に話を合わせろ、といった所でしょうか。
ご領主様が頷いて請け負います。
「ああ。深く眠っている。だが、すぐ側にいるから何も心配はいらない」
「ええ、わかったわ。お寝坊でらっしゃるのね」
くすくすとシュ・リューカが笑いました。
(シュ・リューカ)
それが何とも言えず彼女が儚げに思えて、泣けてきます。
幼さを感じさせる無邪気な微笑みに憐れみを感じてしまいます。
シュ・リューカは少し壊れてしまっていたのかも、しれません。
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シュ・リューカがふいに、リュームの横髪を一ふさ摘み上げてしげしげと眺めました。
視界に入って不思議に思ったのでしょう。
当然です。シュ・リューカは綺麗な金の髪ですから。
「まあ?これはわたくしの髪なの?真っ黒だわ」
(うっ。すみません、シュ・リューカは見事な金髪ですものね)
「そうだ」
「ねぇ、瞳の色は?」
「同じだ。鏡を見てみるか?」
「ええ!見ますわ」
静かに答えるご領主様に嬉々として尋ねました。
シュ・リューカは寝台に上体だけを起こして、大喜びで鏡を受け取ります。
手鏡を覗き込むと確かめるように頬や、唇をなぞりました。
くすぐったそうに肩をすくめながら、またくすくすと笑います。
シュ・リューカは鏡に向って、満足そうに微笑みました。
「このコ・・・綺麗ね」
「ああ」
「まあまあな」
シュ・リューカが二人に問い掛ければ、すかさず答えが返ります。
(きょ・恐縮でございます!)
「わたくしとはまるで違う。恋焦がれたあの方と同じ色彩。忌まわしい軽薄な金髪でも翡翠の眼でもないわ」
(えっとぉ。シュ・リューカ、目の前にいらっしゃるご領主様にケンカ売ってますよ。冷や冷やします!)
「オマエはリュームではないのか?」
ご領主様が慎重に声をかけました。
「リューム?そう、このコはリュームというのね。そう――。わたくしの名前はシュ・リューカといったはずなのだけれど」
シュ・リューカはゆったりと微笑むと、また手鏡を持ち上げました。
「不思議ね。このコ、わたくしなのね」
しげしげと持ち上げた手を眺めてから、再び鏡を覗き込みました。
そこに映っているのは間違いなくリュームです。
闇色の髪と瞳の、カラス娘でございます。
はっと思い出したように、シュ・リューカの眉根が寄りました。
「あの方はどこかしら――?」
また泣き出しそうな声です。心細いのでしょう。
「オマエの目の前におるが今は深くに眠っている」
すかさずダグレスが、同じ事を答えてくれました。
「ああ、そうなのね」
「そうだ。だからオマエもしばしの眠りにつくといい。シュ・リューカよ」
「ええ、眠るわ。これは夢?夢の中で眠りに付いたら、あちらでは目覚める事になるのかしら?」
「そうなるのかもな」
「そうなのかもしれないわね。だってわたくし、ひどく眠くて眠ったはずだったもの。それにしても何て素敵な夢かしら。理想のわたくしの姿になっているのですもの。目覚めてもこのままのわたくしであったら嬉しいのに!そうしたらあの方の前に堂々と立てるわ」
「あの方?」
ご領主様が尋ねると、シュ・リューカはうっとりと微笑みました。
「ええ。ギルメリア様よ。ギルメリア・シェンテラン様。ご領主様なのよ。黒い髪で黒い瞳の素敵な方で、わたくしの旦那様なの」
そ し て ね 、 わ た く し を 呪 っ た 方 な の 。
そうシュ・リューカが、声をひそめて付け足しました。
そこに哀しみや恨みは感じられず、むしろ誇らしげに響いて聞こえます。
ご領主様の身体が強張ったのが解りました。
「シュ・リューカよ。くたびれただろう?しばし眠れ」
ダグレスがあやす様に言葉を掛けながら、頭を撫でてくれました。
何とも眠気を誘う手つきです。
そのまま、目蓋が下がるのに抗えないようです。
「もう少し、もう少しだけ・・・こうしていたいのに、眠い」
少しだけ抵抗を試みているらしいシュ・リューカの視界を、ダグレスの手が優しく覆いました。
「ああ。少しの間だけ休むといい」
「何て素敵な夢かしら。もっとこうしていたいのに。でも眠い。とても眠いわ」
もったいない、そう呟くとシュ・リューカは再び眠りの淵に誘われて行きました。
そこにギルメリアもいる事を祈ります。
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目蓋を覆っていた手が外されます。
一度かくんと全身の力が抜けてしまいました。
それをご領主様が受けとめて下さっているのでしょう。
自分の身体が横たわる事はありませんでした。
温かさが心地よくて、力強いです。
間違いなく、彼の腕の中にいます。
闇なんぞではなく、リュームは今、彼の腕の中にいます!
そのまま、落ちた目蓋をこじ開けました。
「ご、ごりょ・・・ごりょう、」
「リューム?」
上手く言葉が紡げません。
久しぶりにどもってしまいます。
何てもどかしいのでしょうか。
伝えたい想いで言葉が詰まってしまうのです。
伝えたい気持を言葉に出来ず、千切れんばかりに首を縦に振りました。
「ご領主様」
「リューム!」
ハイ、リュームです。ジ・リュームです。
頷くたびに涙が零れます。
「ご、ごりょ・・・っ」
「ヴィンセイルだ」
「ヴィン、セィル、ヴィ、ヴィンセ・・・ル!」
「リューム」
リューム、リューム、リューム、リューム。
力一杯頷きながら彼の名を呼びました。
その合間にも彼に名を繰り返し呼ばれ続けます。
「ヴィ、ン・・・っんんっ」
呼ばれた分だけ答えようと思ったのですが――。
温かく押しつけられたそれに、甘く封じられてしまっては答えようもありませんでした。
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「おまえら。我の存在を忘れていちゃつくのはやめろと何べん言わせる気だ!」
そんなダグレスの叱責もどこか楽しそうに聞こえたのは、都合のいい解釈でしょうか?
『シュ・リューカ意識が邪魔をする』
仮タイトルです。
おかしいな、ぜんぜん邪魔しなかった。
本当はもっと乗っ取られましたリュームさん、
みたいな展開を期待したんですがね。
何だか憐れなシュ・リューカを、無理やり起こして申し訳ない感じです。
さ。
次は小話です。
皆様、良いゴールデンなお休みを!!