第四十六話 シェンテラン家の狩猟小屋での告白
いよいよ立ち込める闇に踏み込む時が来たようです。
まずは見据える事で、一歩前進。
「リューム。オマエは何を言いだす・・・」
珍しくご領主様の言葉には動揺が現れておりました。
言葉じりだけではなく、その眼差しにもなので正直驚いてしまいました。
それはそれは顕著に眼差しが揺らいでおりますよ。
彼は一度リュームから顔を逸らしましたが、すぐにまた見下ろしてきました。
それは意識されてきつい眼差しをご演出されたものと、リュームは判断いたします。
何せ、瞳が潤み陰りを帯びていらっしゃいますから。
それは彼が心底哀れむべきものと出会った時だけ見せる色です。
例えば、そう。
リュームが死に掛けるほど無茶をやらかして幾日も寝込み、ようやく起き上がれるようになった頃などにですね。
そんな風に睨まれたとしてもあんまり怖くありません。
ですからいつもの様に、リュームが黙ってしまう事は無いわけです。
この方の顔色を窺い続けて早七年の、リュームの経験による勘を舐めないでいただきたいものです。
「ご領主様」
結論から申し上げましょう。
「もうじきこの呪いなるものは完成しますよね?発動してから十年、という歳月をかけて。ですから、リュームという存在は今後、もって三年です」
それはすなわち、彼と出会ってからちょうど十年と言う事でもありマス。
「呪いだと?オマエは何を根拠に言っているのだ?その柘榴石に関する噂が本当だと信じての事か?」
かつてそれでご領主様と言い争いになりましたものね。
『シェンテラン家の柘榴石。女主人の血潮を浴びて年経る毎に輝きが増す』でしたね、確か。
胸元のザクロ様が否定するかのように、いくらか冷たくひんやりとして感じられました。
(はい。そうでございますね、ザクロ様。リュームをシェンテラン家の主に相応しい花嫁と認めて下さって、感激でございますよ)
そう、心の中で語りかけ鎮めるかのようにそっと撫でました。
「いいえ。ザクロ様よりも何よりも、もっと昔からリュームにまとわり付いていた闇によるものですよ」
リュームは静かに首を横に振って、否定いたしました。
「あの日。シェンテラン家を後にした日、初めてこの目に闇なるものを見ました。それはリュームを探してその手を伸ばしておりました。その正体は何でしょうかとダグレスに尋ねたところ『闇』だと教えられました。それはリュームという存在を狙うもので、あのままシェンテラン家に居続ければ確実に・・・かく、じつに、りゅ、りゅむは死を、死を迎えると」
ご領主様は静かに聞き入るかのように、リュームの背を撫ぜてくれています。
それはまるで続きを促がすかようにでもありますし、慰めているかのようでもございました。
言葉に詰まると、ぽんぽんと軽くあやすように彼の手が背に当てられます。
それがどうしようもなく嬉しくて、温かくて、自然と瞳が潤みます。
「次に目にしたのはご領主様がルゼ様をお訪ねになった時です。リューム、その、ジャスリート家の塔からご領主様を見送った際にですね、またまとわり付く闇を見ました。ご領主様の背後にその闇は在りました。リュームの視線に気がつくと、その闇はリュームを狙って襲い掛かって来ました。ですが、このジャスリート家の結界に阻まれて霧散いたしました」
ぜはっと荒く息を吸い込みます。
息継ぎすら忘れて、必死で見たものの説明をしていたようです。
しばし、お互いの瞳を覗きこみます。
リュームはこれ以上の説明はもうご勘弁願いたいです。
おそらく、泣き出してしまうでしょうから。
ふと気がつけば、頬が濡れております。
もう、泣いておりましたか。
少し遅かったようです。
言葉になりません。
涙を封じ込めてしまおうと、きつく目蓋を閉じました。
呼吸が乱れ、身体が小刻みに震えます。
その間ずっと、ご領主様の大きな手のひらが背中を摩っていて下さいました。
彼の胸に身を預けて、呼吸と鼓動を整えます。
「ご領主さま。闇をふり払わねばなりません」
「どうやって」
「どうあっても。このタラヴァイエの最後の生き残りの血に賭けて、何が何でも勝たねばならない勝負に出る所存でございます」
「正気か。カラス」
カラス。
その呼び方には賞賛といくらかの畏怖が込められているのだと、つい最近知りました。
はい。カラス・カラス・カラス。
リュームの闇色の瞳と髪は、ある種の才に恵まれた証なのだそうです。
まだその才能は眠ったものであり、何とかたたき起こさねば使い物になりませんという注意書き付きですが。
「カラスであればこその決心ですよ。揺らぎません」
「どうやってだ!?」
「あらかた見当は付いておりますよ。だいたい」
「そんな言葉で誤魔化す気か!百年早い!」
さすが敏腕交渉人、ご領主様。
誤魔化されてはくれないようです。ばればれです。ちぇ―。
しかし、そこはそれ。開き直るしかありません。
はったりですがね、実は勝算が無いわけでもないので。
胸を張ります。
「百年後にはどちらにせよお墓の中です。下手したら墓標に刻まれた文字すらも風雨に晒され、誰にも読めなくなっていることでしょうね」
「リューム。どうした? 誰 の 入 れ 知 恵 だ ? 」
「む。ちょっとばかり、アレでしたか?賢そうでした?残念でした!リュームだって高尚な物の見方・言い方くらい出来るんですよ!」
「威張るな」
「つきましてわー」
「何だ」
「つきましてわですねー。ご領主様のご協力も必要となるんですよ」
「俺に拒否権は無さそうだが?」
「お察しの通りです。何せこれはシェンテラン家のかけた呪いですからねー」
「リューム。オマエ、どこまで知っている?」
「ご領主様が、リュームを呪った張本人だって事までですかね?」
リュームはなるたけ、なるたけ。
明るく悲観的にならない調子を心がけたつもりでしたが、どうでしょうか?
なるたけ平常心を保ってお伝え――出来ましたでしょうかね?
・・・・・・どうでしょうか。
いい感じで日も暮れ始め、辺りに夜闇が忍び寄ってきております。
「リュームを呪うほど、厭わしいと思われていらしたという事ですものね。承知いたしておりますよ。あ、でも大丈夫です!なるべく長生きして、呪われ続けようと思いますのでご安心下さい。それでご領主様が安泰ならお安いものです!」
「リューム!!」
怒鳴りつけられて、びっくと大きく肩を上下させてしまいました。
「あ、あの。お薬も欠かさず飲んでがんばりますから」
ぐいっと顎を持ち上げられます。
「リューム。もうこれ以上俺を責めてくれるな」
「え・・・?責める?ご領主様を?」
言い終わるや否や、きつく抱きしめられます。
この身長差ですから、抱え込まれていると言った方がいい状態に身を任せます。
彼の手はやはり幾らか冷たく、リュームの熱を奪って行きます。
いいえ?どうぞ、リュームの熱をこのお方にお分け下さいと思いました。
ご領主様の両手が頬を包み込み、リュームの頬から項を撫でさすります。
リューム、心地よくて微笑んでしまいました。
その途端、彼の表情が曇りました。
息を飲み、信じられないものを見たとでも言い出しそうなお顔がおかしくて、ますます笑ってしまいました。
こんなに、神妙な彼は初めて見た気がします。
その間、ずっと一言も発される事はありませんでした。
すなわち、それが答えと言う事でしょう。
どうぞ、刹那ではありましょうがリュームの存在をお確かめ下されば幸いです。
刹那、刹那。切のうございます。
ほんの瞬きの間でしかない、リュームという存在の許された時間をこの方と惜しむにはまだ早すぎます。
何せ、まだ三年という猶予があるのですから。
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『ヴィンセイル・シェンテランがジ・リューム・タラヴァイエをこの呪いの生け贄とする』
どうかそのような記憶、間違いであって下さい等と祈った所で仕方がありません。
記憶の片隅にある深いはっきりとした呪いの言葉は、リュームがこの方に対する悪印象から練り上げたものと思っていたかったですが、闇の正体を明かそうとなると無視するわけにもいきませんでした。
何せ情報が少なすぎるわけです。
ですからリューム、嫌々ながらどんな些細な記憶にも向わねばならない破目になっております。
いいですけど。構いませんけど。辛いったらありゃしません。
わざわざ深々と封じていたものを己で掘り起こさねばならないのですから。
もちろん、そんな作業は封じた自分がやる以外誰がやるのかって話ですけど。
ダグレスに何ぞ心当たりは無いのかと問われ、そういえばとお伝えしたところ””そんな重大な手掛かり!あるならもっと早く言え、ばか者!””と怒鳴られました。
だって。夢だったかもしれませんし。
あやふやな記憶ですから、最近まですっかり忘れ去っていました。
まあ・・・時おり、思い出しては苦しくて忘れてしまおうとしていましたけど。
「違う。オマエが都合良くしまい込んでいただけに過ぎない」
とまあ、にべも無いお言葉でばっさりと切られました。
””いいか!お前自身が真向かうと覚悟を決めて臨まねば、闇などふり払えるか。その正体すら見えぬわ!””
鼻息も荒いったらないダグレスの、容赦の無いお小言は延々と続きました。
””オマエは!何故そう緊張感が無いんだ?まるで他人事のような口調で話しおってからに、忌々しい!いいか、人の子の生み出した闇は人の子にしか見据える事が出来ぬのだぞ。我を当てにしすぎるな。ましてや嬢様やルゼを巻き込むな!フィルガなら構わぬが。あああ、もう!面倒だ面倒だ!こんな厄介な小娘今すぐシェンテランの若領主に返してきてやる!!””
その際「緊張感ですか。あるような、ないような?」などと間の抜けた返事をしたせいで、堪えきれなくなったらしいダグレスに滅茶苦茶怒られて体当りを食らいましたが、ディーナ様とルゼ様が止めて下さいましたよ。
リューム、部屋の隅に吹っ飛ばされたまま丸まって動けずにおりました。
痛みからではありません。
恐怖とその恐怖に向う勇気を持っていない自分自身が情けなくて、です。
(だって。見たくないです。怖いですもの。そんな闇の正体なんて。それが、その正体がもしも・・・だったら、リュームは平伏してしまいます。一生、面を上げられません。それこそ闇を見据えるのを恐れたあげくに瞳を閉じてしまうのはまた新たな闇を見てしまうって、堂々巡りではないですか!?)
そんな恐怖から身体が震えました。
リューム、往生際が悪いったらありゃしませんね。
だって、怖いです。
そんな事実を認めなきゃならないなんて、どれだけ救い様がないんでしょうか。
(リュームが恐れているのは、後三年しかこの身が持たないかもしれない、という事ではないのですよ。ダグレス)
いいえ、まあそれも怖いですけどね。
怖いというよりも哀しいですけどね。
皆様よりお先にお墓の中は寂しいですね。
――何よりも、ご領主様ひとりを置き去りにしてなんて。
彼の側で一生を共にする伴侶となる女性は、そんな期限付きであってはなりません。
そうでしょう?
彼の跡継ぎとなる子供を産み、育てる体力が必要でしょう。
まぁ何とか三年の間に成そうと思えばやれるかもしれませんが、その後は?
もしも運よく母となってから、幼い子を残してご領主様も残して立ち去らねばならないなんて、耐えられません!
その後はご領主様にとっても子にとっても、記憶の中でしかないリュームという存在に成り下がるのですか?
そんなのはどうしたって嫌です。
リュームはどうしたって生きたいという、欲が出てきてしまいます。
だったら、この身に降りかかる闇をどうにかするしかないわけです。
その諦めにも似た境地でせめてと望むのは事実です。
リュームは、このお方の口から直に事実を語っていただきたいのです。
まあ、諦めなどと表現致しましたがこの境遇を諦めてはなるものかと思っております。
要は運命とやらをですね、受け入れましょうって意味での諦めでゴザイマス。
この呪いとやらを我が身に降り注ぐ災厄ではなく、貴方との絆としようという心意気をどなたか買ってやって下さいませ。
そうでなければ何のためにリューム、カラスで生まれたのか?で、ございますよ!
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ご領主様の表情はもはや窺う事はなりませんでした。
でも彼が心底、哀れんでくれているのだけは伝わってきます。
どうしてそう言い切れるのでしょうね?
それはリュームの希望がそう思わせるだけかもしれないのに?
「リューム、幼い頃から寝込んで大人しくせねばならない分、そりゃあ色々と考えましたよ」
「例えば?」
「どうしてこのシェンテラン家に来てから身体が弱くなったのだろうか、とか。そもそもどのような流れで、おかー様がこの家の『お妾ではなく後妻様』に収まったのだろうか、とか。お義父様はリュームになぜこんなに良くして下さるのでしょう?その反面、若様はどうして義兄とも呼ばれるのすら厭うのでしょうか?再婚されてからすぐにではなくてその四年後の、今から三年前、お義父様はおかー様にどうしてザクロ様を贈られたのだろうか、とか。そうしてお義父様が亡くなられ、おかー様が亡くなられてから一年も経たないうちに何ゆえご領主様がリュームにザクロ様を下さったのか、などなどなどです」
「答えはでたのか」
「まぁ、リュームなりに」
「聞かせてみろ」
「おかー様はリュームをシェンテラン家に売ったのですね?ですから後妻様という立場を手に入れたのでしょう?お義父様は『タラヴァイエのリューム』が必要だったのです。若様の安泰のために」
背を撫でてくれていた、ご領主様の手が止まりました。
「リュームは、薄々勘付いておりましたよ」
「これだからカラスは小賢しいというのだ」
お互い少し前の関係の時のような棒読みです。
『呪いとはこの身に降り注ぐ災厄ではなく』
じゃあ、何とするのか。
リュームの答えは出ていました。
迷いながら、怯えながらの決断です。
今回、リュームがぐだぐだと『闇なんてやっぱり見たくない。このままでいい。このままで・・・知らないフリのままで』という気持ちらしく、書いてもなかなか進みませんでした。
見たくないよね、闇なんてさ。
そうは思いつつ、やはり闇を見据えるところからじゃないと始まりません。
リューム、辛そうだ。
普段、ノーテンキな気質の子なだけに、この落ち込んでる感じが調子狂います。
辛すぎて感覚が麻痺している模様です。




