第四話 シェンテラン家で掲げた旗
『いい度胸』を保ち続けていた、リューム嬢でしたが。
もう誰とも、あまり口をきかないことにしよう。
――・・・それがいい。そうしよう。
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ずる――っと来て、ぐいっと。で、ぽい。どさ。
・・・・・・どさっ。
はい。まずいです。生まれてから最高にまずかった時を上げろと言われたら、まず間違いなくためらわず『今』を上げます。
この怒りも頂点なんだよ、な御領主さまに――。
組み敷かれちゃってますよ、な状況の只今。ほんの少しばかり時を戻していただけるのでしたら、殴ってでもリュームの
『いい度胸』とお褒め頂いた『先ほどの』行動を諌めたいと思います。
ですが!もう、どうしようもございません。なので、悔やんでも仕方ありません・・・・・・が。
潔く諦めの早いリュームの割りに、今回ばかりは抗った方がいい気がしてなりません。
それこそ全力で。涙なんか見せてる場合じゃないです。とにかく――とにかく!!身を早い所起こさなければ・・・・・・!
このやたらに寝心地のヨロシイ寝台は、リュームごときが背を預けていいはずがありません!ええ。絶対に!
大体からにしてなぜ?こうやって事もあろうに、ご領主様の寝台に?リュームが?
――そりゃ・・・まるで荷でも放るかのように、ぽいっと投げたはこの部屋の主様ですけれども。
それでも・・・・・・降りなきゃ。早く。降りたい!
そう思って身体を起こそうにも両腕を押さえつけられていては、ただごろごろと転がるばかりです。
(どうしよう・・・どうしよう・・・!・・・・・・どうにもならない?)
そう思い当たったところで、また新しく涙が溢れ始めました。それこそ盛大に――。
アレだけ泣いてもまだ枯れ果てないのか、涙よ?それこそもう、自分で自分に呆れ果てますよ。
「・・・・・・””花を売る””等と言っていたな、リューム?」
「――――・・・・・・。」
はい。それが何か?神殿前の広場はお祈りに向かう方々が、お供えするお花やお菓子を求められるので市が出ているのですよ。
売り子さんたちもたくさんいて。昔、おとー様が亡くなって間もない頃。リュームは広場で商人の子達と、花とお菓子を商った事があるのです。――楽しかったな。
思わず頬が緩みます。あの時は路頭に迷う寸前ですよ!という恐怖感もあったけれども、それより何より。
どうにかするぞ〜!お〜!!という気持ちのほうが勝っていたから。身体も心も元気で自由で・・・楽しかったな。
(事情を話したら『しょうがねーなぁ!手伝わせてやるよ!』って。言ってくれたあの子達・・・元気かな?また会えたらいいな)
あれからもう七年と言う月日が経っているというのに、リュームの心はまたしてもあの時の活気に満ち溢れた広場にあったようです。
あの明るい日差しの下、微笑みあう人たちの輪の中の記憶。新参者のリュームを面倒くさいと言いながらも、あれやこれやと世話を焼いてくれた人たちの・・・あの陽だまりの中に、どうかどうか――もう一度。
「おい!リューム、おまえはまた・・・・・・意識をどこに飛ばしている?ちゃんと俺の話を聞け。質問には答えろ」
苛立った声に一瞬で我に返ってみて、また改めて自分の置かれた状況に驚いてしまいました。
「――っ・・・・・・!?」
自分を見つめ下ろす深緑の瞳は、まるで深い森に迷い込んだかのごとく。
そんな幻想を抱かせるには、痛いほど充分です。この方の眼力に囚われたら最期。いつもそう思ってしまいます。
リュームごとき小娘なんぞ、実に取るに足らない相手でしょうに。ご領主として渡り合わねばならない方々に比べたら。
「リューム?おい・・・おまえ!聞いていなかったのか?””俺の質問に答えろ””と言うたのだ」
「――しつ、もん?」
「・・・・・・””花を売る””等と本気で言っているのか、と訊いたのだ。答えろ」
「はな」
売りたいです。また広場の皆と陽だまりの中で働いて、身を立てていけたならどんなにか素晴らしいでしょう。
そう考えたので頷きました。ためらいも無く。こく、と小さく顎を引いたと同時でした。
「!!?」
大きな手に右肩を押さえつけられ、襟元に手が掛けられてそのまま乱暴に引き下ろされました。
あまりの勢いに首の後ろが持ち上がるほど、のけ反ります。ビッと胸元の衣が引き裂かれた証拠に、鈍い音が空気を裂きましたが・・・・・・。
それをどこか遠くで感じてしまいました。
リュームはといえば一連の動きに頭の方が付いていけず、一体何事がこの身に起こったのかと状況を把握するのが精一杯でしたから。
「――リューム」
今までに無い何の感情も見出せないほど、静まりきった声音に名を呼ばれ身体が跳ね上がりました。
押さえつけられているので、そう大きく身動きは取れませなんだが。
「あ・・・・・・?」
気が付けば鎖骨の辺りが空気に晒されており、より一層この冷え切った室内を体感しておりました。
それより何より。この大きな節くれだった手の関節が――。リュームの首筋に当たる感触が嫌に冷たいのです。
ふり払おうと背けかけた頤を、捕らえられてしまいました。
容赦の無い指先は力強く、また乾燥していて肌を傷つけるようです。
恐怖からくる焦燥感からか、泣きすぎたためなのか。いずれにせよ喉の奥からカラカラに干上がってしまったかのようで、一向に声を発することが出来ません。
抗いようも無く、暴力を待つ身なのだとは理解できます。はたしてそれは、平手打ちを喰らうのか。拳で殴られるのか。
――このまま首を締め上げられるのか。そうやって『始末』とやらをされるのか。
ただ待つ身というものは辛いものです。ましてやこれから自分に訪れるであろう『痛み』を、身構えて待つというのは。
いっそのこと一思いに、その剣で一突きしてくれたらそれで済むのに。思わずそう願ってしまいます。
この先行きの見えないほどに、怒気を孕んだ眼差しに晒され続けるくらいなら・・・・・・いっそ。
それもまたケジメの付け方として、いいかもしれません。
そりゃあ、はっきり言って怖いですよ?でも、先ほどから『もう、いいや。どうなっても。』という結論が出ておりましてですね。
無意識なんだか意識的になんだかわかりませんが、どうにもその『どうなってもいい』方向へと、己自身で誘導しちゃってますよね?私よ?そんな受け答え方をしたり、がぶりといった日には・・・ねぇ? どうなるかわかってますよねぇ?
――答えは『ハイ』ですからねぇ。わかっていてある意味この方を挑発してしまった自分に呆れたところで、何の解決もしませんけど。
やだやだ。後ろ向きで、暗くって。辛気臭いったらないですね・・・・・・。
これだから。これだから、嫌なんですよ。体力が付き掛けたときの思考は。ろくな物じゃないのは確かですから。
先ほどのいい度胸で溢れかえっていたリュームでございますが。気力体力ともにアレで、すっかりキレイに消耗してしまった様子です。え?何?振り絞っちゃいましたか、全て?蝋燭が勢い増してから、燃え尽きる直前と同じ現象のごとく。
ええもうほんとうにどうせ『脆弱なつくり』でございますよ―・・・だ。
延々、延々とこのように考えることにすらくたびれたので、目を閉じました。
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「リューム?」
――なんでございましょう?
そろと様子を窺うために薄目を開け、答える代わりに小首を傾げて見せました。依然顎は掴まれたままですが。
「オマエは””花を売る””というのが暗に何をさしているのか、知っているのか?」
――存じ上げません。
今度は首を横に振りました。無言のまま。ふるふると振る途中で顎を掴んだ指先が、食い込みました。――痛い。
「・・・・・・なぜ、言葉を発さない。質問には答えろ」
――貴方が耳障りと言うたからに決まっているではありませんか。
「・・・・・・・・・・・・・。」
黙秘。
「 リ ュ ー ム 」
睨みつける眼差しが、凄まれた低い声音が。どうやら再び『いい度胸だな』とお褒め頂いているようです。
黙秘続行――を試みましたが。どうにもリュームが、何かしら述べないと進まない模様。大体からにして、コレだけ強く顎掴まれてるとますます発音する気も失せます。失せてます。
も・いいや。だんまりで・を続行。そんなリュームを見据えながらご領主さま、表情ひとつ変えずに一言。
「ああ、そうか。ならばシンラを」
「・!みっ・耳ざわり、・・・と、ぃ・い け な から」
リュームなど。いつも渡りあっていらっしゃる方々に比べたら――。それを思わぬ所で見せ付けられたのだけは、わかります。リューム脅しに、あっさりと。弾かれた様に答えておりました。
「薬をちゃんと飲め。いいな?」
どこでどうやったらそのようなお言葉が出てくるのでしょう?ソレほどまでに『耳障り』なのが、癪に障るのでしょうか。
だとしたら、なおの事いやです。飲みません。癪に障り続けて下さい。
「・・・・・・。」
首を横に振り拒否を表したいところでしたが。またお怒りを買うのは必至なので、何の反応も出しませんでした。
もうこの方の世話にはなりたくありません。自立と掲げた目標の旗。リュームはもうそれを振ってしまったのです。
そうです!旗を振り続ける覚悟であります。例えその先に待つのが『敗北』であっても。
・・・・・・・そうなっても負けを認めた白旗なんぞは、断じて振りませんよ!
『薬代だってバカにならない出費のはずです。これ以上ご厄介になる気もありませんし。要はリュームが言葉を発さなければ済む話ですから、そうします。』
そう口に出して言う勇気は、ちょっと無いのが情けないです。だからこそ態度で示す――その構え。
「〜〜〜 お ま え は !」
――お?何ですか。何か?やりますか?
閉じてしまいそうになる瞳を、必死でこじ開けたままでいようと唇を噛み締めました。
逸らしてなるものか。受けて立ちますよ。視線に嬲られるのにも、もういい加減慣れましたものね・・・・・・。
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――そうは思うのですが。ナゼに。何ゆえ視界がぼやけるのでしょう?
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「――ジ・リューム。このカラスが」
底意地の悪い笑みを浮べたご領主さまの薄い唇に、忌々しそうに名を吐き捨てられました。
その真正面から見下ろす瞳がふいに外され、さらさらの髪が頬を掠めました。その金糸の束が、視界を占めたと思ったと同時に。
「痛・い!?」
がぶりと首筋に噛みつかれて、悲鳴を上げていました。
ひっと息を飲み込み、痛みに顔を歪めて逃れようともがきます。
しかし、もがけばそれだけ苦痛が、また新たに押し寄せるという仕掛け。まるで害獣狩りのための足環に嵌ってしまったかのようです。
アレはもがけばもがくほど、足の腱に食い込んで引きちぎるという・・・たいそう無情な造りをしているのです。
アレとまったく同じです。――罠に掛かった獣は大抵、そのままそこで死と言う闇に飲まれてしまうのです。
「””花を売る””のだろう?――だったら俺が買ってやる」
――意味がわかりません!!
唇をわずかに浮かせただけで、ご領主様の表情は見えません。
そのあまりにつまらなそうに言い捨てる、その売買の意味を尋ねようにも言葉は出てきません。
「いや!ぃ・・・っ、いやいやぃあいーやぁぁぁぁ・・・っ、いーやーぁー・・・!!」
身体の奥底から這い上がってくる吐き気に抗えず、逃れたい一心で半狂乱で泣き叫びます。
緩むどころか込められる手の力に、戒めのごとく首と肩を押さえつけられては、貼り付けの刑に処せられた気分です。
ずきずきと脈打つ鼓動が、すぐ耳元で聞こえているかのような早まり具合にも更に気が遠くなります。
(手も眼差しも冷たいくせに・・・いやだ!逃げたい!気持ち悪い!)
この方の持つ意外な熱を直に押し付けられて、こみ上げてくるのは気持ちの悪さだけです。もちろん逃れたいのは、痛みからもですが。
この身を捩じらせるのは恐怖でもなく羞恥心でもない、嫌悪感なのです。
(触れられたくない!例え髪の一筋であっても!!)
それはそれは強烈な想いでした。何かが腹の方からせり上がってきます。
それを飲み下そうとするものの、次から次へと上がってくるので一苦労です。
そうこうするうちにぜっと呼吸が狭まり、あの慣れ親しんだ恐ろしい予感にも震え上がりました。
しばらく解放されていたので忘れていましたが、コレは・・・・・・。胸を締め付け、かきむしりたくなるこの感覚は――。
ぜっ、っぜっと小刻みに身体を震わせるリュームの予感に、同じく長年つき合わされているご領主様も異変に気が付いたようです。
「リューム!このバカ!何が『健康になった』だ!」
――・・・・・・・返す言葉もございません。
リ ュ ー ム こ の ば か 、 誰 か 医 師 を 呼 べ !
とか何とか。浮遊感と共に耳を掠めた怒鳴り声に、思わず眉をしかめます。
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『にゃ―――おぅう!』
は ぁ ――― い 。 時 間 切 れ だ よ ―― 。
猫さん?どこですか?
耳を澄まし、その姿を探るために瞼を閉じて――そのまま持ち上がりませなんだ。
でも確かに意識を手放す直前に、猫さんのからかう様な声を聞いたのでした。
はい。
15禁〜まだまだ、手ぬるいでしょうけれども。
危なかったですね、リューム。
気が付いていない辺り、アレです。
彼女もまだまだ、幼いのです。
『初・義兄とバトル』くらいにしか思ってません。




