第三十六話 番外編 一人で祝う誕生日 後編
『十三歳にできる精一杯』
「本日はお誕生日おめでとうございます。ヴィン、セイル・シェンテランさま。
リュームよくよく考えてみましたが、若様にふさわしいお祝いの品はこれしか持っていませんでした。
どうか、その、わかさまに黄金の祝福がありますように」
幼い声音が厳かに告げた。
こちらの様子を窺いながら、リュームはためらいながらも俺の指先に指輪をはめようとしている。
元はといえばオルレイアにと贈られた女性用の物なのだ。男の指にそれは華奢すぎる。
それでもリュームは真剣な面持ちで、人差し指から始めて一本一本の指先にはめ込もうと試して行く。
やはり大きさ的にもそこに収めるしかなかったであろう小指へとそれは落ち着いた。
ひと仕事終えたとばかりに満足したらしい少女は微笑んだ。視線はうっとりと金の指輪を見つめたまま。
リュームはそこでようやく、一切こちらの動向を構わないでいた己に気が付いたようだった。
弾かれたように指輪から視線を上げると俺を見る。
リュームの表情が明らかに強張ったから、俺の眼差しはそれ相当のものだったのだろう。
浮べられた笑みが儚く消える。淡雪のように。
「あの、そ・の。ご迷惑でしたらその、あの・・・お取りいたします」
「リューム」
「か、勝手に若様のお許しも得ないで出すぎたマネをい・い、いたしまして」
語尾ですら消え入りそうなほどか細くなって行く。
「リューム。俺がこの指輪をまた放るとは考えなかったのか?」
「えと。その、おもいません」
「何を根拠に」
「若様、指輪持ってて下さいました」
「誰に訊いた?言え。叱らないから」
多分な、と内心では呟く。
「ヘンリエッタです」
「どう訊いた?」
「リュームが、悪かったのです」
「何!?」
「おかー様は内緒ね、と言ったのに嬉しくて見せびらかしたリュームの考えが足りなかったのです。
そのせいでお義父様のお気持ちや、おかー様の立場をないがしろにしてしまうところだったとお聞きしました。ああやってみなに見せて歩いては、リュームがおとーさまのことを忘れないでいると言う事になるのですね。こんなにも、お義父様に良くしていただいているのに。それを養女になった事を不満と取って、リュームをこの館から連れ出したい方がいるから気をつけるように言われたのです。だから、」
リュームは幼い思考を言葉にすべく、一生懸命だった。
そのたどたどしさにワケもなく腹が立って、途中で遮るべく口を挟む。
「出て行きたいか?」
「若さまが、そう望まれるのならば」
喜んで従いましょう、とリュームは頷いた。
唇を噛み締めるように引き結び、必死で震えを押さえ込んでいる様を嬲るかのように見据えた。
ゆっくりと閉じ込めるように、少女の脇の壁に両手を付く。
その噛み締められた事で増した紅さに目を奪われたまま、呟いた。
「俺とて・・・出来る事ならば」
何だという?
答えが何故か浮かばない。
気が付けばリュームの顎を捕らえて、眼差しですらそらせぬ様にしていた。
互いの息使いが頬をふれ合う程の距離。
その闇色の瞳を覗き込んで捕らえる。
ひゅぅ、とリュームが息を吸い込んだ途端に喉が鳴る音が耳元をかすめる。
取り繕う余裕も無かったらしいリュームの表情が歪む。
ぜ、ぜ、と苦しそうに吐き出される息が乱れる。
呼吸音も痛々しいまでに不規則だ。
「リューム!」
しまった、と思わず舌を打った。それを非難と受け取ったのだろう。
ひくっと少女の肩が上がる。息を飲む、その仕草がはっきりと怯えを表していた。
「ご、ごめ、さ・・・っ」
言い掛けてから、頭を打ち振って言い直す。
「もう、しわけありませ、ん」
そういえば、ここ最近謝る時はいつも『もうしわけありません』という言葉を用いている事に気が付く。
おおかた母親に言葉使いを教え込まれたのだろう。
たどたどしさにワケもなく腹が立つ。
その畏まった口調で話すぎこちなさがまた、俺の中の言いようの無い不快感を煽る。
「いいから。もう謝るな」
「はぃ、ごめんどうをおかけして、もうしわけありません」
俺のイラつきに過ぎるほどに反応する少女。
「もう、いい。戻るぞ」
またその身をすくい上げるため抱き寄せようとした途端、か細い両腕で拒絶のために突っぱねられた。
押さえを失った掛け布が、はらりと足元に滑り落ちる。
拾い上げようともせずに、リュームが傷ついたような表情を浮べたまま動かない。
その闇に溶けそうな眼差しとしばらく見つめあう。
そこにあるのは困惑と怯えの色だけだった。
それ以外は何も見出せない、絶望したかのような眼差しに今度は俺が射すくめられてしまう番だった。
不覚だった。またも、舌打ちたくなる衝動を堪えるために唇を噛んだ。
(そうだ。それでいいはずだ)
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コレは俺の。
俺の感情に左右される存在。
少女は最後のタラヴァイエの血筋なのだから。
シェンテラン家に捧げられた、生まれ付いての生贄。
そう。
それでいいはずだ。
どう扱おうとも――。
それなのにこの胸を占め始める軋みは何と説明すればいい?
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「ご、ごめ・なさい、も・もうしわ、」
「謝るなと何べん言わせる気だ!」
「・・・・・・!」
苛立ちはそのまま怒声となって現れる。
今度こそ震えだした身体を勢いのまま抱き上げた。
苦々しい気持ちのまま、掛け布で厳重に包みこむ。
「悪かった。オマエが悪いのではないから、もう謝らなくていい」
「ぅ、やっ!ううっ、っく、ぇくっ」
ひっ、ひっ、と嗚咽まで加わりリュームは苦しそうに喘いでいる。
呼吸が狭まる恐怖と、怒鳴られる恐怖とに苛まれては一たまりもあるまい。
胸をかきむしる様に両手を当てて身体を預けてきた。
「悪かった。謝らねばならないのは俺の方だから、謝らずとも良い。悪かった。せっかく、オマエが祝ってくれていたのに心ない事を言うた俺を許せ」
言い聞かせながら、その身体をあやすようにゆすり上げる。
しゃくり上げながら、リュームは大人しくしていた。
俺にしては珍しく、声に動揺が含まれていたように思う。
実際その通りだったと認めざるを得ない。なぜなら、俺は驚いていた。
何故、俺の誕生日を祝う?
これだけ、酷い扱いをされておきながら一体どういった思考が働くのか。
心底驚きを隠せないほどに覚える。
抱え上げ、あやしながら急ぎ温かい部屋を目指す。
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次々と謝りの言葉を紡ぎ出す若様に、リュームは驚きが隠せませんでした。
でも呼吸が苦しくて、うまくお答えする事ができません。
ただただ、小さく首を縦にふるのがせいぜいです。
そのまま寝台に下ろされる頃には、リュームは瞳を開けていることができないくらい眠たくて仕方がありませんでした。
ひっぅ、ひっくとしゃくりあげてしまう度に、微かに意識が戻るくらいです。
そ、と気使うように幾度も頭を撫でられているようです。
「悪かった。何も気に病まず、休め」
そう幾度も繰り返される言葉を聞きながら、リュームは眠りに落ちて行きました。
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リューム!
(ヘンリエッタ!)
呼ばれたので振り向きました。
そこにいたのはいつもの少しお姉さんではなくて、先程の綺麗なオトナの女性でした。
若様くらいのお年と、ちょうどつりあう様に思います。
リューム、驚いた?ごめんなさいね。ワタシよ。ヘンリエッタ!
さっき見た絵もワタシ!
今まで見せていた姿もワタシ!
(そ、ですね。そのようですね。ヘンリエッタ・・・さまは、やはり妖精なのですね。
お好きな姿に変えられるのですね!すごい・すごい・すごいです!)
ふふふ。では、そうしておきましょうか。
ヘンリエッタは一瞬目を伏せましたが、にこにこしています。
見た?あの子の驚いた顔!見ものだったわねぇ。ああ、いい気味だこと。
これで少しは反省してくれればいいんだけど。
(反省?)
うん。リューム、ごめんね。あの子、ばかで。あなたはいい子なのに。ごめんね。
・・・これからもあの子をお願いね。
(へ、ヘンリエッタ?)
なでなでと何回も頭を撫でられました。
ワタシ、もう行かなくちゃならないの。もう、これでアナタに会うのは最後。
(嫌!行っちゃ嫌!ヘンリエッタ、また遊んで下さい!)
突然の言葉にリュームは反射的に飛びついていました。
うん。あのね、アナタもうオトナになるのね。そうなると、やっぱりワタシのような者が関わるのは難しいの。
うーん。うまく言えないけど、ワタシのこと自然に忘れちゃうようになるものなのね。それが自然なの。
あの子なんて物凄く早い段階でオトナ意識に成長してくれちゃって、ワタシの事なんてすっかりキレイに忘れ去ってくれてるわね。
それで、いいのよ。うん。
妖精が見えるのは子供の心を持った者だけ、って決まりだから。
なんてね。妖精じゃなくて、亡霊だけど。
(ヘンリエッタは妖精です!!いえ、亡霊でも妖精でもヘンリエッタはヘンリエッタです!ずっと一緒に居たいですから、行かないで下さい!)
ううん。行ってしまうのはあなたの方なのよ、リューム。あなたもだんだんと・・・成長して行く。
ワタシを置いて。だからまだこうやって夢に介入してお話できるうちに、お別れの挨拶を済まそうと思ったの。元気でね。ずっと見守っているからね。
(夢?これは夢なのですか?)
ヘンリエッタが優しく頬に触れながら、リュームの耳元に唇を寄せてくれます。
ためらいがちに、そっと。それはそれは気使うような、優しいものでした。
そしてそれはとても温かかったのです。
リュームは瞳を閉じてその温かさを噛み締めます。
それはリュームの頬を伝う涙と混ざってしまいます。
その途端、また頬に温かさが戻ったような気がしました。
も う こ れ 以 上 は だ め よ ヴ ィ ン セ イ ル ! ま だ ね ?
遠くでヘンリエッタがくすくす笑いながら、そう呟いた声を最後に聞いた気がしました。
それきり、リュームは瞳を開ける事が出来ませなんだ――。
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ピィチチチチチ!
差し込む朝の陽射しと小鳥のさえずりとで目を覚ますと、リュームが寝台に横たわったまま俺の方を見ていた。
昨晩は、傍らの椅子に腰掛けたまま寝入ってしまったらしい。身体が軋む。
先に目覚めていたらしいリュームは、俺と目が合うとにこりと笑み浮べる。
そっと起き上がり、いくらか声をひそめて言った。
「おはようございます。小鳥、きたみたいです。赤い実、いくつ、食べてくれましたでしょか?」
「ああ。そうだな」
リュームは寝起きとは思えないほど、上機嫌で窓枠に駆け寄った。
「赤い実、いこ、にこ、さんこ、残ってるだけ!」
きゃあぁ、と嬉しそうに声を上げた。
「すごいです、赤い実、にじゅういこ、並べたからじゅ、きゅこも、お願いできますよ」
にじゅいこ。発音が今ひとつ不明瞭だが、おそらく二十一個と言っているものと思われる。
俺が迎えた歳の数。それ引くことの三でじゅきゅこは、十九個か。
近付き、背後から閉じ込めるように抱きしめた。
腕の中で身を捩り向き合った、頼りない身体からおずおずと抱き返される。
その途端に伝わる熱は確かなもの。
「何をお願いしましょうか?」
「リュームの身体が健康であれるように祈ろう」
雪に反射する朝日にリュームは眩しそうに瞳を眇めている。
かすかに涙のあとが見て取れる目元に自然と唇を寄せていた。
昨晩と同じように。
ちょうどその時、ニーナがやってきた。
驚いたらしく、手にしていた水差しを落とし掛けて慌てていた。
当然といえば当然だろう。
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あれから、祝い事の行事は毎年恒例化したと言っていいと思う。
おおよそ一年分、一括まとめての俺の懺悔も。
その度に飾られる赤い実は増えまた、小鳥がついばむ数も増えて行く。
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「ごりょしゅさま、只今お時間よろしいでしょうか?」
あれから五年という月日を味方につけた少女が自ら、珍しく執務室を訪ねて来た。
正直、年々娘らしさの増す少女との関係のぎこちなさは増すばかりである。
それにともなって互いの関係は悪化の一途を辿っている。
こちらが思う以上に怯え、べそをかくその様が俺の中の嗜虐心を煽るのだ。
それゆえ歯止めは利かなくなりつつある。
俺にも説明は付かない。
無論その結果、清清しいほどまでに避けられているというのに。
それだけでも驚きなのに――。
「リュームはもう健康になりましたから、一人で生きていこうと思います!今までお世話になりました。ご領主様もお迎えになられる奥方様と、幾久しくご多幸で在れますように、リュームはお祈りいたしておりますわ」
そうやたらにはきはきと、滞りなく告げるリュームを眺めた。
こんなにも得意げなのは何故なのだろうといぶかしむほどだった。
その勢いもあってか、無言でその様子を見守ってしまった。と、いうよりも呆気に取られてしまった。
ごきげんよう――。
そう優雅に礼をとると、くるりと背を向けられた。
闇色の髪がひるがえる。
は?
(出て行く?一人で生きて行く?健康になった?)
どこに?どうやって?誰が?
「ジ・リューム・タラヴァイエ!!」
気が付けば、精一杯の音量で怒鳴りつけている自分がいた。
『十三歳(の後半。)にしても許される 精一杯!』
えーと?
にぃさん、自制をお願いします。色々と。
はい。
おそれず・ひるまず・この気持ちを差し出せたならば――をテーマに書き上げてみました。
ある程度幼く、素直さを持ち合せた方が力を発揮できているかもしれません。
長々・長々~お付き合いありがとうございます!
次回は本編戻ります。
『離れていてもBA★カップル候補』の予定です。




