第十五話 シェンテラン家の乱入者
でしゃばり王が、毎度のことながらお騒がせします。
何でしょうか。強く惹かれる何かがあります。
リュームが皆さんに応えて振っていた手を思わず止めてしまうほどに、無視できないものです。
あの、聖堂の通路の向こう側。
ご領主様が入ってこられた扉の上、誰もいるはずの無い天窓辺りから視線を感じました。
そもそも足場など無いのです。隠れようもありません。
見上げましたが、べつだん変った所はないようです。
ただ、日が陰ったようだとは思いました。
天窓から明るく差し込むはずの日の光が、雲で遮られたように暗くなりましたから。
(あれ?お天気悪くなりそうなのかな?)
徐々にその暗さが増していく様を、リュームは目を逸らす事ができません。
「リューム?」
名を呼ばれたのはわかっていましたが、頷く事すら忘れて魅入っていました。
ご領主様も不審に思われたのでしょう。リュームと同じ方向を見上げます。
壇上の二人が何に視線を奪われているのか。
皆もそう思ったようです。当然、振り返り見守ります。
(闇が集まりだしている?)
そうとしか表現できません。
それは集まり凝りながら、ゆっくりと舞い降りてくるかのようです。
細かい闇のかけらの一つ一つが、まるで意志を持っているかのようです。それは、次第に大きくなって行きます。
それに伴なって、高みから見下ろされていたように感じた視線も、とても近く強さを増しています。
完璧な闇の塊が祝福の道に降り立つ頃には、それの輪郭もハッキリとしてきました。
闇の中からまるで一歩踏み出したかのように、蹄が現われて着地します。
それと同時に、闇の中心に紅い炎が二つ見えました。紅すぎて黒に近い、小さな火です。
火が瞬きました!まるで暗闇に火花が散った時のようです。
ソレが獣の眼だと理解するのに、そう時間は掛かりませんでした。
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きゃああああ!!
わぁああ、獣だ!
そんな悲鳴と共に駆け出す人もいれば、その場に固まってしまう人もいます。
「警備、皆を誘導しろ!駆け出させるな!術の心得がある者は残れ、援護しろ」
そんな的確な指示が飛びます。
ご領主様はルゼ様とフィルガ様を、背に庇うようにして下がります。
(ああ。なんだかんだ言ってもさすがです、ごりょうしゅさま)
意識のはじっこの方で、そんな事を思いました。
リュームと来たら、その獣から目が離せないのです。
引き剥がそうとは思うのですが、どうしてもその闇に釘付けになってしまうのはナゼですか?
いえ。そもそも、そんな気にすらなりません。
””人の子ども、散るがいい!我が用があるのは、コヤツだけだ””
闇色の獣は、大きく首をしならせると唸り声を上げました。
グルルゥ、と押し殺したかのように、牙の間から漏れます。
それがまるで何かを訴えているかのように聞こえてしまうのは、リュームの耳だけでしょうか?
(なあに?どうしたの?)
””人の子の分際で我を歌声で魅了した、そこの小娘だけだ!””
獣がひときわ強く唸り声を上げます。
蹄で『祝福の道』を一蹴り、二蹴りしたかと思うと、その一角を突き出すように構えました。
枝分かれした一角の先端が、リュームへと狙いを定めているようです。
(え!?)
空を駆け抜けた跳躍に、恐怖よりも感動してしまいました。
嫌に冷静にそうとしか感じないまま、身動きが取れませなんだ。
身震いした次の瞬間にはもう、獣の身体は目の前でしたから。
――ガ・キィッ・・・!!
明らかに聞き慣れない音がしました。何かが折れたかのような、不快な音に我に返ります。
「ご・・・ごりょ、しゅ、・・・ま」
「下がっていろ、リューム!」
目の前に飛び込んできた光景に、リュームは目を見開くしかありませんでした。
ご領主様は今しがた収めたばかりの了承の鞘を抜き、獣の一角を圧し留めています。
獣の跳躍もご領主様の剣さばきも、何もかもが一瞬の出来事でした。
しばらく押し合った後、獣が勢い付けて頭を持ち上げました。剣をいなそうというのでしょう。
ご領主様は獣の一角の枝分かれした部分に、ちょうど剣を掛けて圧し留めているのです。
獣も負けていません。その事を理解した上で、剣を引っ掛け上げようとしているようです。
しばらく睨みあった後、双方振りほどくようにそれぞれの武器を引き下ろしました。勢い良く!
ガッ!!とまた木の枝が軋み上がったかのような音が響きます。
渾身の力をぶつけ合ったのでしょう。再び、互いに後退して距離を保ちます。
「退け、四つ足風情が。聖堂に踏み入るとは身の程知らずが」
””ほぅ?貴様が新しいエキナルドの領主か、若造!””
カッ、カッ、と獣は蹄を鳴らしながら。ご領主様も同じように、重い靴音を立てながら。
一定の間隔を犯すことなく、左右を行ったり来たりを繰り返します。
互いの背後に回り込もう、回り込ませぬといった所でしょうか?
リュームは慌てて鞘を拾うと抱えました。
「ご領主様!剣はお収め下さい」
「正気か、カラス」
呆れたように、吐き捨てられました。しかも獣と睨みあったままなので、振り向きもせずに。
「だ、て、このコは、リュームに用があるみたいです!
それに、ご領主様のこと傷つける気ない・です。だから、剣向けちゃダメです」
「何を根拠に言うリューム。しかも俺に指図するか」
「ぅぐ・・・、ぇと。さ、鞘の役割ですから」
「警護!誰でもいいから、リュームを下がらせろ。そして今日はもう部屋から出すな」
にべも無い一言です。
「え、えと!獣さん!無礼をお許し下さい、驚いただけなのです!
もし誰も傷つける気が無いのなら、どうかどうかその場にお鎮まり下さい」
かくなる上はそう、直談判に限ります。リュームもその場に座り込んで、頼み込みました。抱えた鞘を下ろします。
獣の紅い紅い目が、リュームをじっと見つめています。
大きな身体です。立ち上がれば、リュームの背など軽く越す事でしょう。
シンラより一回りは大きいでしょうか。
打ち振る尻尾が、ふぁさふぁさと床を掃いています。
こうやって見ると、何て立派な獣だろうかと思いました。
「怒っていますか?ごめんなさい。わたくし、何か無礼な事、いたしましたか?」
諦めずに辛抱強く、声を掛けます。その瞳を見つめると、獣の方も逸らさず見つめ返してくれました。
しばらく見つめあった後、獣はおもむろに前脚を折ると次いで後ろ足も折りました。
通じました!
良かった。やっぱり、この子はイイコのようです。
獣はそのままくつろいだように、ごろんと身を横たえてくれました。
「まぁ!かわいらしい!――痛っ!」
そう手を叩いてはしゃいだと同時に、おでこを叩かれました。
ぺし!っと乾いた音が響きます。
言わずと知れたご領主様の仕業です。
何てことなさるんですか。また赤くなったら恥かくのは、ご領主様なんですからね。多分。
涙目を向けて、控えめに訴えてみました。
オ マ エ に は 警 戒 心 ・ 緊 迫 感 と い う も の が 無 い の か !
おそらくそんな所でしょうか。
ご領主様の様子から、そんな見当が付くようになってしまったリュームです。
「だ、だって、このコは怖い感じがしません。きっとご領主様のお祝いに来てくれた、いいコに違いありませ、」
せっかくの進歩ですが、残念ながら活かせていないようです。
相変らず彼の機嫌を損ねる方向にのみ、働かせてしまっている様子なのは明らか。
リュームを睨むご領主様の拳が、固く握ってげんこつを作っています!
ん、と言葉を飲み込むしかありません。
これ以上なにか言ったら次は、拳骨決定でしょう。
この方ならやります、間違いなく!ルゼ様の御前だろうと何だろうと。
(もう、ご領主様のおこりんぼ!短気!すーーぐ、そうやって睨むんだから!)
リューム、この中で一番警戒しなくてはならないのは『貴方』だと思っていますから。ええ。
それに比べたらこの獣様なんて、本当に何てことありませんのに。
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「素晴らしいわ、『剣』と『鞘』のお二人!『合格』よ!」
突然の賛辞の声は、ルゼ様のものです。拍手までなさって、満面の笑顔です。
「驚かせて悪かったわね。これはジャスリート家の守護獣よ。フィルガの『聖句の徒』だから大人しいわよ、大丈夫」
言いながらルゼ様が、獣の傍らに立ちました。
「二人とも予想以上の器だとわかりました。ヴィンセイル殿の采配も、リューム嬢の場の収め方もお見事の一言!
このエキナルドは安泰でしょう。安心して任せられます」
(ほぅら!大丈夫だったでしょう?やっぱり、心配要らなかったでは無いですか?)
ホレ見たことか!とリュームはちょっと得意げに微笑んで、ご領主様を見上げました。
「リューム」
すぐさま氷点下のお声が降って来ました。
(はい。いい気になって、申し訳ありませんでした!)
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「かぁわいい、いこ、いぃこ、いこ」
しゃがみ込んだまま『よしよし、よしよし』とその巨体を抱きとめて、毛並にならって撫で付けてやりました。
””フィルガ、ルゼ””
「いけません」
ルゼ様が厳しく言います。
(いいこ、いいこ、するのはいけませんか?)
””まだ、何も言っていない””
「いけません。これ以上、口にするのもいけません」
(いいこ、いいこ、って言ってもいけないですか?)
””コヤツも嬢様の遊び相手に、ちょうど良いのではないか?何より、この歌声!””
リュームは咎められたのかと驚いて、お二人を見上げます。
「黙らんか、ダグレス」
フィルが様まで、拳を握り固めています。
しかも持ち上げて見せ、今にも振り落としてきそうな構えかたです。
(ぶったら、ダメです!)
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角があるので、頭全体を抱えきる事はできません。
それでもリュームは、なるたけ庇うように獣を抱きしめました。
「だぐ、れす?だまる?」
何のことでしょうか。ルゼ様もフィルガ様も、このコに向かってお話されているようです。
””この娘は『獣耳』ではないようだな。残念だ ””
ダグレスは抱かれたまま、紅い眼だけを動かしています。
「ダグレスとはこの獣の名ですよ、リューム嬢。これは『獣』ですからね。一応賢い。
我々はこの獣と意思疎通が可能な『獣耳』なものですから、この獣が何を言うているのかわかるのです」
””一応とは何だ、若造。貴様よりも賢さ品位共に、はるかに凌ぐ我をつかまえてその言い草は。礼儀が足りぬわ!””
腕の中のこの獣は確かに、何か唸っているように聞こえなくもありません。
でも体の割りに大人しい、とてもいいこです。
「ステキですね!お話できる、なんて。何て?このコは何て言っ・てぃるのですか?」
「この獣は貴女の歌声が、たいそう気に入ったそうですよ。出来ればもっと聞きたいらしい」
ですがどうかお気になさらずにと、フィルガ様はダグレスを睨みました。なぜでしょう?
「だぐ・・・れす?」
””そうだ。娘。軽々しく我の名を呼ぶなど、本来ならば『嬢様』以外許されぬのだぞ ””
答えるようにダグレスが、リュームに身体をなお一層すり寄せました。甘えているのでしょうか。かわいいです!
「だぐれす、いいこ、いいこ、かわいい、かわいい!」
嬉しくてぎゅうぅと抱きしめました。
”” 娘。なかなか抱かれ心地が良い身体をしているな。何、我の嬢様には劣るが。
それに、娘よ。オマエも闇の気配がするな。我、と同じ ””
「ダグレス。それは、後で」
””気が付いているだろう?フィルガ。この娘、闇に魅入られているぞ。『今すぐ加護が必要だ』という事くらい””
「黙るんだ、ダグレス」
始終温厚であったフィルガ様が今までに無い厳しい表情で、ダグレスをたしなめました。
「フィ、フィルガ、さま?ど、どうされたのですか?」
「ああ、リューム嬢。この獣は自分とお揃いの闇色まとう貴女を、心底気に入ったようだ。
だから不躾にもジャスリート家に『今すぐ招待したい』と言ってきかないのですよ。
館には彼の仕える私の婚約者も待っているものだから、会わせたいらしい。
貴女の素晴らしい歌を彼女にも聞かせたいと、ね」
””何だその、当たり障りの無い通訳は。我は不満だぞ、フィルガ ””
「ダグレス、本当?りゅ・・・わたくしの歌で良かったら、喜んで!」
””決まりだな。では””
とてもゆっくりと、ダグレスが前脚を立てました。
リュームの腕がほどけてしまわないように、気を使ってくれたのでしょうか。
まるで背に乗れというかのように、あごをしゃくり上げます。それすらも、とても慎重にゆっくりとでした。
「ダグレス、待て!今はまだリューム嬢を連れまわして良いわけが無いだろう」
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カツッと靴先を鳴らして、ご領主様はダグレスの前に立ちはだかりました。
「せっかくのご招待だが、コレはあまり丈夫ではない。また熱でも出されて寝込まれては厄介だ。
しかも、コレの館内行き倒れは日常茶飯事。招かれた所で、公爵家にも迷惑を掛けるのは想像がつく。
よって、ご遠慮願いたい。リューム。その獣から離れろ」
「・・・・・・。」
(嫌です。ずっと抱っこしていたいです。だって、すごくツヤツヤでステキなんですもの。カワイイし、キレイで最高なのに!)
拒絶の言葉はきっと許されません。だからせめて、無言でダグレスに強くしがみつくだけです。
「リューム」
「ダグレス」
挟まれるように双方から、低い声が振って来ました。
「痛っ!」
””何をする!””
――しかも、拳骨付きでございましたとも。
「まぁまぁ二人とも」
ルゼ様の笑い声が響きます。その笑い飛ばしてくれる明るさが、せめてもの救いです。
それなのにご領主様と来たら、まったく怒りっぽくていけません。
「リューム!オマエは、まったく!!」
リュームはご領主様に引っ張り上げられて、耳元で思いっきり怒鳴られたのでした。ううぅ。
「ダグレス・・・・・・抱っこ」
腰回りをがっちりと拘束されては、駆け寄ることも出来ません。
それでも未練がましくダグレスに向かって、両手を差し伸べていました。
「リューム。いいかげん聞き分けろ」
ぺしぃ!とまた、リュームのおでこはいい音を立てたのでした。
『闇色おそろい獣様』
今回の(仮)タイトルでした。わかりやすい。
女子供には割合甘く、野郎には手厳しくがモットーの
実にわかりやすいダグレス。
間違いなく『タラシ。』です。ええ。
『どうでもいい★小話劇場』
(あああ〜リューム嬢・・・もう駄目だな。見逃せないな、コレは)
すっかり獣を手なずけてしまった彼女を見る。
(ま、俺は楽しいからいいけど。姉さんが怒るだろうなぁ)
『術の心得がある者』として、援護するつもりで残ったのだが自分は必要なかった。
(彼女もこれで『有資格者候補』確実となった)
ジ・リューム・シェンテラン嬢。彼女の事は上に報告せねばなるまい。
★ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ★
「まったく。ダグレス!悪乗りしすぎだ」
””ふん。盛り上がったではないか””
「 や り す ぎ だ 」
””お?我を責めるか?そもそもルゼの提案だぞ””
「公爵」
「いいじゃない。盛り上がったんだし」
””頭が固いな、フィルガ””
「ねー。本当にこの年寄りよりも、年寄り臭いったら」
””全くだ、我よりずっと若造のくせに。なぁ、ルゼ””
「・・・本当にダグレス。気に入ったからという理由で『誘拐』まがいの行いはするなよ!」
””さぁな””
「〜〜〜ダグレス!リューム嬢は『特に』駄目だ!」
””確かにあの若造が怒り狂うだろうな””
「それは――見ものよねぇ」
””だろう?””
フィルガはぐったりとうな垂れた。
(リューム嬢・・・おそらくこの先スミマセン。)