170「別れ」
「魔王フレースヴェルグって……お前、何言ってんだよ。ルーナ」
「…………」
オレからの呼びかけにルーナは答えない。
ただ顔を背けたまま、静かに黙り込むだけ。
フレースヴェルグって、確か前にアリーシャが言っていた魔王のことだよな?
遥か前に存在した魔王で、古代文明イシタルを滅ぼしたとか。
けど、その魔王も確か滅びたって聞いたが……それがルーナ?
いやいや、冗談にしても笑えない。
もしかして、ダハーカに担がれているのかと疑うオレであったが再びルーナから信じられないセリフが飛び出す。
「……キョウ。私はもう自分の使命を思い出した。この世界の進化、人の成長、それらを完成させるわけにはいかない。もし、この世界が進化を行うというのなら私はそれを阻止する。たとえ、この世界にいる全ての人間を滅ぼすことになろうとも私はそれ実行する。人を高みの領域へなどあげない」
「なっ……」
何言ってんだ、ルーナと思わず叫びそうになるが、それより早く顔を上げたルーナがこちらを睨む。
「……ッ!」
その鋭い視線はこれまでのルーナとは全く異なるもの。
深い憎悪、あるいは感情を内に秘めた獣のような眼差し。
それは先ほど彼女が言ったセリフが冗談ではないとハッキリ宣言していた。
「ほ、滅ぼすって、なにバカなこと言ってるんだよ! ルーナ!?」
「ルーナおねえちゃん……」
「…………」
オレの叫びに対し、ルーナからの返答はない。
代わりにあったのは氷のように冷たい殺気のみ。
ルーナは静かに右手を上げ、そこにこれまで感じたことのない魔力を蓄積させる。
「る、ルーナ……! お、お前、何を……!?」
「言ったはずだ、キョウ。私は世界の進化を拒む。今、この世界においてもっともその中心になっているのはお前という存在。お前の魔物栽培というスキルによって世界の進化は加速し、残る生命の樹に実った実も最後の成長を行う。それをさせるわけにはいかない」
そう言ってルーナの右手に集ったのは、かつてない魔力の塊。
そのあまりの力の大きさに、城は震え、地面すら小刻みに揺れていた。
「故にお前の存在は容認できん。覚悟するがいい、世界の進化を果たす者は私が全て滅ぼす」
「……ッ!?」
何がなんだか分からないが、ルーナの瞳は真剣そのもの。
それは冗談ではなく、覚悟を決めた者がする目であった。
オレは思わず彼女からの視線に対し、目をそらす。
くそ、こんな何も分からないまま終わるのかよ!
ダハーカに無理やりさらわれ、ルーナが何者かも分からないまま、リリィ達とも別れを告げられないまま、こんな簡単に終わるなんて……!
悔しさと、何がなんだか分からない感情のまま奥歯を噛み締めるオレであったが、しかし、いくら待とうとオレの体に衝撃は訪れなかった。
恐る恐る目を開くと、そこには先ほどと変わらない表情のまま、しかし、その瞳から涙を流すルーナの姿があった。
「ルーナ……お前……?」
「……ッ」
手に溜めた魔力をそのままにルーナはオレに対し、それを放てずにいた。
自身の感情と、内に現れる何か。
それらが必死にせめぎ合うように、ルーナはその顔に確かな迷いを見せながら、体を震わせ、何もできずにいた。
……そうだ。
やっぱり魔王だとかフレースヴェルグだとか言っていたけれど、ルーナはルーナ。
オレ達の知る彼女に変わりないんだ。
「ルーナ。もうやめよう、そんなこと。今すぐオレ達と一緒に皆のところへ帰ろう!」
そう言ってルーナに近づくオレであったが――
「よせ! やめろッ!!」
ルーナはそれを拒絶した。
「何度も言わせるな! 私はお前達とは行けない! 私はこの世界の成長を阻む魔王フレースヴェルグ! 何があろうともそれは譲れぬ! もはやお前達の遊戯の時間は終わりだ! たとえお前やリリィ達が敵になろうとも、最後に私一人になろうとも私はその生き方を貫くッ!!」
「ルーナ……ッ!」
そんな悲しい宣言をする彼女に対し、思わず駆け寄ろうとするオレであったが、その瞬間、彼女の手のひらに掲げられていた魔力の塊がオレ達を襲う。
「なッ……!!」
真っ白な光に包まれ、オレやロック、ドラちゃん達の姿が消えていく。
そんな光の中、微かにルーナの声が響く。
「……たとえお前を殺すことが出来なくともお前をこの世界、この時代から消し去ることは可能……。お前さえいなければ、この時代における世界の進化はなくなる……私は目的を遂行できる……。さらばだ、キョウ。……僕の、好きになった人……」
「ル――!」
その一声と共にオレ達の目の前は真っ白になり、オレはこの世界よりその姿を消すこととなる――。
◇ ◇ ◇
「良かったのですか? あれで」
「…………」
残ったルーナに対し、声をかけるダハーカ。
しかし、返答はなくルーナは最初と同じようにうつむいたまま沈黙を行うだけ。
やがて、わずかな静寂の後、ルーナから放たれた答えは別のものであった。
「――このまま、この世界にいる全ての大勇者を滅ぼす。キョウがいなくなった以上、奴らこそがこの世界の成長を担う存在。奴らを消せば、世界の成長は止まる」
「……承知致しました。フレースヴェルグ様」
ルーナ――否、フレースヴェルグが放った宣言に対し、アジ・ダハーカは静かに傅く。
振り向いたフレースヴェルグの瞳はこれまでになく冷酷であり、それは彼女の中に眠った人間性、その全てを排除した面持ちであった。




