Episode2 「ナロー村」
ようやく目的地であるナロー村に足を踏み入れるが、異様な雰囲気に戸惑った。
村中には赤と緑の装飾が施されており、村人の誰もが浮き足立っているような印象を受ける。
何か祭事の準備でもしているのだろうか?
華やかな街並みや、行き交う人々の楽しげな表情を見ているとどうにも居心地が悪くなってしまう。しかしまずは少女をどうにかしなければならない為、適当に村人の男を捕まえる。
「なぁあんた、この辺に医者はいないか?」
「医者? それならすぐそこの教会の横に…あんた余所者かい?」
立地的にも閉鎖的なこの村に訪れる旅人は珍しいのだろう。加えて見慣れない出で立ちの俺に村人は訝しげな視線を向けてくる。とは言え全身黒尽くめの服装に、凡そ普通の人間には到底扱えない無骨な大剣を背中に背負っているような男を怪しむなと言う方が無理な話だろう。
しかし俺の腕に抱えられている少女に気が付くと村人の態度が一変した。
「ラ、ライナちゃんじゃないか!?」
「ライナ?」
どうやら少女の顔見知りらしい。男は血相を変えて詰め寄って来た。
「森の中で倒れていたんだ、まだ息はある」
「森の中で!? またこの子は無茶して…! い、いやそれはいい、早く先生の元へ!」
慌てた様子で男は走り出すとこちらに手招きする。
また、ということは似たような事がよくあるのだろうか。大人しそうな顔をして割とやんちゃな少女なのかもしれない。
男の後を追うと教会の横にこじんまりとした診療所があった。隣の教会もそうだが、この診療所も他と同じように、金の鈴と赤いリボンが飾られた緑色のリースが扉に掛けられている。
男は扉を開き大声を上げるが、焦っている男とは対照的に白衣を纏った老人がゆっくりと顔を出した。
「騒がしいな…またライナか」
何処か呆れた様子だったが、俺の腕に抱かれたライナを見て老人の目が一瞬鋭くなる。
「…ふむ、とにかく中へ入りなさい」
促されて室内に足を踏み入れると、心地良い暖気に包まれると同時に薬品類の独特な香りが鼻を突く。診療所の中は外見通りこじんまりとしており、机とベッドの他は薬品や医学書が詰まった棚が所狭しと並んでいた。
医者であろう老人に指示された通りライナをゆっくりとベッドに下ろすとすぐに診察が始まる。
「ふむ…発見が早かったお陰か命に別状はない。後は私に任せたまえ」
不安気に見つめていた男はその言葉に胸を撫で下ろすと診療所を後にし、俺もそれに続く。
外に出ると突然男はこちらに向かって深く頭を下げてきた。
「何処の誰かは知らないが感謝するよ、あんたがいなければどうなっていたことか…」
「偶然見つけただけだ、それよりあんたはあのガキの知り合いか?」
最もな疑問を投げ掛けたつもりだったが男は意外そうな顔を浮かべた。
「あぁそうか、見た所旅人のようだね」
「旅人…まぁそんなところだ」
流石に殺し屋を名乗るのは憚れる。こんな小さな村に殺し屋が現れたなんて知られてみろ、間違いなく誤解と混乱を招きかねない。
「なら知らないのも当然だな、彼女はこのナロー村の村長さんの娘なんだ」
成る程、通りであんなに慌てふためく訳だ。だとすれば先程この男が溢した言葉が気になった。
「さっきまた無茶を…って言ってたな。よくあることなのか?」
「あぁ何だその…余所者に言うことではないのだが…」
言い辛そうに言葉を濁すが、溜息を一つ漏らすと男は頭を押さえながら話し始める。
「少し前からあの森は立ち入りが禁止されているんだが…ライナちゃんは何故かあの森に入りたがるんだよ」
それが頭痛の種であるのか男は今度は深い溜息を漏らす。
「森に何かあるのか?」
「それは分からないけど…何度も大人の目を掻い潜って森に入ろうとしているのさ」
「…ガキの冒険にしては危険だな」
森に漂っていた不気味な気配は大の大人ですら踏み込むのに躊躇してしまうだろう。まして立ち入りが禁止されているということは害獣の噂も村中に広まっているはずだ。にも関わらず子供が一人で立ち入ろうとするのはただの好奇心で済む話ではなさそうだ。
「此処まで辿り着いたってことはあんたあの森を?」
「あぁ、そこであのガキも見つけた」
「はぁ…見つかったから良かったものの…もっと監視の目を厳しくするよう村長に提言しないとな…」
そう言って何度目か分からない溜息を漏らすと男は立ち去ろうとするが聞きたいことがまだ山程ある。しかし男は村長にこの件を一刻も早く伝えたいらしく、話を聞きたいのなら…と喫茶店の場所だけを伝えて去って行った。
言われた通りの場所へ向かうと一際派手な飾り付けのされた家屋を見つける。玄関に聳え立つ大きな針葉樹には大量の装飾と何かが書き込まれた札がいくつもぶら下がっていた。
「…何だこりゃ?」
目を凝らし札の一枚を見てみる。
「魔剣が欲しい…アントニー…?」
何だこれは、冥界と交信でもしているのか? はたまた悪魔崇拝の宗教でもあるのか…。
他の札にも目を通してみる。
「クマのぬいぐるみが欲しい…レナ…大きなケーキをたくさん食べたい…ボブ…」
どれも子供が書いたような字で、内容も殆どが何かが欲しいといった願いばかりだ。中には神の力が欲しいなどと不遜な奴もいたりと実に様々である。
その場で腕組みして考えていると扉が開き、中からは気の優しそうなヒゲを生やした男が現れた。
「お客さんかい?」
「…この喫茶店の店主か?」
「あぁそうだよ、立ち話も何だし入りたまえ」
言われて店内に入るとカウンターに腰を下ろす。
「コーヒーでいいかい?」
「頼む」
マスターは手慣れた様子で豆を挽き始め、その間にお湯を沸かす。
「うちのコーヒーはナロー村で採れる豆を使っているんだ、他所じゃ味わえないよ」
「ほう、そりゃ楽しみだ」
「見た所旅人のようだね、こんな辺境の村に何用だい?」
「…森に害獣がいるらしいな」
「まさかあんた討伐に?」
「そんなところだ」
その言葉にマスターの手が一瞬止まるが、ドリップが終わるとカップに勢い良く注がれ出来立てのコーヒーが目の前に置かれる。立ち昇る湯気と香りが不思議と心を落ち着かせた。
カップを手にし匂いを嗅ぐと確かに他では嗅いだことのない香りだ。
試しに一口含むと独特の風味に少し強めの酸味を覚えるが深いコクがそれを気にさせない。
「どうだい、ナローブレンドは?」
コーヒーなどに造詣は深くないが、今まで飲んだことのある物とは明らかに違うことが分かる。
「…悪くないな」
「そりゃ良かった。で、まさか一人で森の中の怪物に挑むつもりかい?」
「だったら何だ?」
「知っているとは思うが…何人ものハンター、王国の討伐部隊が挑んで敗れている」
「らしいな」
「それを一人で倒そうなんて…無茶な話だ」
冗談と受け取られたのかマスターは呆れたような顔で笑う。しかし冗談でも何でもなく俺は一人でやるつもりだ。
「しかしあんた変わってるね、そんな大剣持った奴なんて王都でも見たことがない」
そう言って俺の背中にある大剣を意味深な視線で見つめてきた。
「王都にいたのか?」
「元々はこの村の出身だけどね、この店を出す為の資金稼ぎにしばらくいたことがあるんだ」
資金稼ぎ…一体何をしていたのだろうか。表向きには穏やかで戦いとは無縁のように見えるマスターだが、無骨な手はただコーヒーを淹れているだけとは思えない程の傷痕が残っている。
しかしそんな事を尋ねる訳にもいかず、何かを見透かすようなマスターから視線を逸らした。
「…どうやら腕に相当な自信があるようだ」
「さぁてね、相手の正体が分からないんじゃどうしようもない。何か知ってることはないか?」
マスターは何か考えるような素振りを見せると、それまでの穏やかな表情が一変して険しくなった。
「…あんた、悪魔の存在を信じるかい?」
普通なら笑うところかもしれない。しかしこの世界に神はいなくとも、悪魔は確かに存在している。それは誰も気付かないほど自然に、人間社会に溶け込んでいる為、誰も信じようとはしないだろう。俺だって実際に悪魔と戦う時まではそんなものはただの御伽噺だと思っていた。
しかし奴等は狡猾に人間社会に紛れ込み、時折まるで理性を失った人間の様に己の欲望を満たす為だけに真の姿を現すのだ。
裏世界にいるせいかそれは一度ならず何度も対峙し、その度に俺は悪魔だろうと関係無く葬ってきた。そのせいか一部では俺を死神や悪魔狩りなんて呼ぶ連中もいるが、別に好き好んで悪魔を狩っている訳ではない。
そんな訳で悪魔の存在を信じる信じない以前に実際に悪魔を目にしているが、流石にそんなことを正直に話す訳にもいかず、返答に悩んでいると険しかったマスターの表情が和らいだ。
「忘れてくれ、何でもないんだ」
「…悪魔で思い出したが、この村は何かの祭事中なのか?」
悪魔と何の関係が?と言わんばかりに不思議そうな顔を向けてくるが気を取り直してマスターが説明をしてくれる。
「クリスマスって言ってね、ナロー村で毎年この時期になると催されるお祭りのようなものさ」
「クリスマス…聞いたことがないな」
「そりゃそうだろう、遥か大昔から続いていたとされるクリスマスだけど今もやってるのは此処ぐらいなものさ」
「で、そのクリスマスってのはどんなイベントなんだ?」
穏やかな話題に切り替わったお陰かマスターは饒舌になる。
どうやらクリスマスというのは大昔に神となった人間の生誕祭が発端らしいが、そんな起源はどうでも良いらしくとりあえず聖なる夜ということでまずカップルが盛り出す。
そして近くで採れる木や草に装飾を施し飾り付けるのが通例だそうだ。この店先に置かれていたのもモミの木というクリスマスでは定番の樹木のようで、そこに様々な飾り付けを施すのだが、いくつもぶら下がっていた札はサンタクロースへの手紙のような物らしい。
このサンタクロースというのがまたよく分からない存在で、クリスマスの夜に空を飛ぶトナカイにソリを引かせて子供達にプレゼントを配って回るそうだ。その容貌は実際に見たことのある者はいないらしいが、ふくよかな恰幅に真っ赤な衣装を纏い、白髪の長髪と同じく真っ白でふさふさの髭姿の老人らしい。しかしそんな誰がどう見ても不審者のジジイが子供達に無償でプレゼントを配るなんて普通有り得ない。
当然ながらこのサンタクロースの話はあくまで子供達が信じている架空の存在であって、実際にプレゼントを配っているのは親だと言うのだから何故サンタクロースなんて妄想の産物が誕生したのかいまいち分からない。
だが確かに子供達からしてみればクリスマスの聖夜にだけ空を飛ぶトナカイがソリを引いて、それに乗って怪しげなジジイがプレゼントをばら撒くというのは夢のある話だろう。ただ魔剣やら神の力を欲した子供の要望が叶うことはないと思うと、果たして親はどんな代用品を用意するのかが少し気になった。
「明後日は前夜祭にあたるクリスマスイヴ、その翌日がクリスマスだ。折角訪れたんだし最後まで楽しんでいってくれよ」
「とりあえずは情報収集だ、他に情報が集まるような場所はあるか?」
「それなら夜の酒場に行くと良い、今も村に滞在しているハンターから話が聞けるかもしれない」
コーヒーを飲み干し代金を払うと礼を言って店を後にしようとするがマスターに呼び止められる。
「あんた名前は?」
「…レヒトだ」
「レヒト…レヒトか…。討伐頑張ってくれよ」
考える素振りを見せたマスターの真意を疑ってしまうが、お互いそれ以上は何も口にせず別れた。
喫茶店を後にすると一先ず今晩の宿を確保し、適当に時間を潰して夜になると物騒な武器は部屋に残して早速マスターから教わった酒場へと足を運ぶ。