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Episode1 「往路」

 北部大陸に連綿と連なり聳える山々は遠目から見れば壮観ではあるが、それを越えるとなるとまるで行く手を阻む壁のようだ。自然の脅威とでも言おうか、獣道を抜けたかと思えば突然猛吹雪に襲われ視界が真っ白に覆われた。

 ほんの数歩踏み外せば崖から一気に転落するような危険な足場で歩を進めるのは非常に危険だ。しばらくその場でじっとしていた方がいいのかもしれないが、この吹雪がいつ止むかなど分かったものではない。

 ただ崖から落ちたところで失うのは時間だけで恐怖は微塵もない。両腕で襲い来る吹雪を弾き足元を注視しながら一歩一歩確かめるように少しずつ前進する。登り始めてから思考は停止し、山頂を目指して先の見えない岩場の道をひたすら歩き続ける。

 城下町を出てから此処まで随分と時間が掛かったが、この山を越えればようやく目的地に辿り着ける。

 標高が高くなるにつれて疲労を感じることのない体でも呼吸が微かに乱れ始めた。白い吐息は吹雪に一瞬で掻き消され、息を吸い込めば毒のような冷気が肺に充満し、内側から肉体を凍りつかせんとする。しかし今の俺にはそれすら楽しく感じられた。

 酸素が薄くなるということは山頂に近いということ…到達すれば後は下るだけだ。麓から森を抜けた先に今回の目的地であるナロー村があると思えば、山頂は一先ずのゴールと言えるのだ。


 ゴールに近付いていると思うとそれまで押し殺していた気分が徐々に高揚し、足場が少し開けたせいもあって歩みが早まる。

 依然視界は吹雪によって真っ白ではあったが、その先から一筋の光が差し込むのを確認した。

 ラストスパートと言わんばかりに光へ向かって駆け抜け、分厚い雪雲を抜けるとそこはまるで雲の上にいるかのような広々とした青空が広がっていた。

 足元に広がる雲海はまさに絶景としか言いようがなく、まるで空を飛んでいるような錯覚を覚える。雲が厚く残念ながら此処までの軌跡を振り返り確かめることは出来ないが、長年生きてきて初めて眼下一面に広がる雲海を眺めているだけでも此処まで来た甲斐があったと思える。

 薄いながらも味わったことのない澄んだ空気を胸一杯に吸い込み、コンパスと地図を取り出し方角を確かめると目的地であるナロー村へ足を向ける。雪雲に覆われているせいで麓は視認出来ないものの、方角が分かっているのなら後は転がる石のように落ちて行けば良い。

 なるべく無駄な負傷のないよう願いながら勢い良く分厚い雪雲の中へ飛び込むと、凍てつく冷たい空気を切り裂く様に凄まじい速度で山を下り始めた。

 走るというよりも飛び降りる様に起伏に沿って落ちていき、着地すると同時に地面を蹴り上げ再び滑空する。何度か足を踏み外しバランスを崩すと岩肌に体を思い切りぶつけるが直ぐさま態勢を整え構わず地面を蹴り上げる。

 山間の中腹に差し掛かる頃には既に身体中の骨が折れたと思われるがそんなものはほんの数秒で回復する為何ら問題はない。気になるとすれば、一張羅のコートの上から羽織っている厚手のコートが凍り付き傷んでいることぐらいだ。


 俺の肉体は普通の人間とは根本的に異なる。ただでさえ氷点下の世界なのにそこを人の目に追えない程の速度で駆け抜けていれば、いくら防寒しているとは言え普通の人間ならば既に凍死しているだろう。それ以前に身体中の骨がバラバラになった時点で生きている人間など存在しない。

 俺はどういう訳か不死身なのだ。

 それに気付いたのは目を覚ましてから百年程経った頃だ。目を覚ましてから、というのもそれ以前の記憶が俺にはない。裸のまま何もない平原で突然目覚め、自分が何者なのか、この世界が何なのかすら分からず、突然この世界に生まれ落ちた赤子のように目を覚ました。

 何一つ記憶も知識もなく、言葉すら分からない状態で始まった人生は最初はそれなりに苦労もしたが、人間とは器用な生き物のようで、十数年社会に溶け込んでいるといつの間にか知識も付き順応した。それでも長い間を生きれば生きるほど自分が人間とは異なる理に生きる、人間ではない何かである事を思い知らされた。


 その理由の一つが不老不死の肉体だ。容貌が変わるなどの老化現象もなく、どんな怪我であろうとすぐに回復する肉体は紛れもなく不死身だった。現在に至るまで、目を覚ましてから実に六百年以上経つがこれと言った変化は未だ見受けられない。

 最初はその事実に当然戸惑い恐怖も感じたものだが、自分は人間界にいながら異なる理に生きているのだと受け入れ開き直ってしまうと後は思いの外楽なものだった。

 面倒な事があるとすればそれを人に知られないよう生きなければならない事ぐらいだ。


 そんな俺は百年程前から殺し屋稼業を営んでいる。始めたきっかけは省略するが、俺のような特異な者に裏世界は何かと都合が良かった。そして不死身の肉体だけでなく、身体能力も人間の限界を遥かに凌駕している俺が裏世界で有名になるのにそう時間はかからなかった。

 殺し屋レヒト、今となっては裏世界でその名を知らない者はいない。

 しかしそんな裏世界で名の知れた殺し屋が何故このような何もない吹雪が吹き荒れる山から転げ落ちているのか…。

 思い返そうとすると真っ先に浮かび上がったのは刺激的な衣装に身を包み、妖艶な色気を撒き散らす女狐のような金髪の女。そいつこそ今俺がこんな目に遭っている元凶だ。


「…覚えてろよサラ…ぐぉっ痛ぇ!」


 何度目か分からないがまた剥き出しの岩肌に体をぶつけ思わず声が漏れる。いくら不死身とは言え、流石に骨が砕かれては痛みぐらいは感じる。


 殺し屋に殺しの依頼を直接持ち込む奴は滅多にいない。殆どの依頼主は仲介屋などに殺しの依頼をし、仲介屋はその依頼を任せる殺し屋を選び、仲介する事でようやく契約が成立する。そして俺によく依頼を持ち込んでくるのがサラという女の仲介屋だ。

 出会った当初は彼女の蠱惑的な肉体に目が眩みこちらがハメた筈だったが、気が付けばハメられていたのは俺の方だった。

 そんなサラが持ってくる依頼の報酬はどれもズバ抜けているが、それは普通の人間には凡そこなせるはずのない無理難題な依頼ばかりだからだ。

 どうやらサラは俺が特異な存在である事を見抜いていたようで、情欲に惑わされ一度だけと依頼をこなしてから結局十年近く、ズルズルと最早腐れ縁のように俺達は組んでいた。


 そしてサラから今回持ち込まれた依頼の標的は人間ではなかった。今回の標的は実際にいるのかどうかすら分からない害獣の討伐である。

 そんなものは本来その道の専門家であるハンターにでも任せれば良いのだが、問題はその害獣に挑んだ何人ものハンターが全員帰らぬ人となっている事だ。不穏な噂を聞き付けた近隣諸国も何度か討伐隊を送り込んだそうだが、その全ての行方が分からなくなっているという。そうして次に白羽の矢が立てられたのが殺し屋であり、確実に成功が見込める人物という事でサラを仲介して俺に依頼が回ってきた。

 その報酬は莫大で、金額から推測すると依頼主は近隣諸国の王族…その辺りだろう。

 依頼主の情報は原則として秘匿とされており、これはあくまで想像に過ぎない。ただ想像こそすれど実際依頼主の情報に左程興味もなかった。要は報酬さえしっかり支払ってくれるのなら依頼主が何処の誰であろうとどうでもいいし、その辺はサラの手腕を信用している為心配はしていない。


 そんなこんなでしばらく転がり続けていると、毛皮のコートは見るも無残な事になっていた。

 話によれば山の麓からもうしばらく北へ進むとナロー村という小規模な集落があり、標的の害獣はその近辺の森に潜んでいるらしい。数々のハンターや兵士が消息を絶っている事から森に何かがいるのは間違いないだろうが、害獣という情報だけで詳しい正体が分からないというのはどうにもやり辛い。そこで今回はナロー村を拠点に置き、情報収集と共に捜索を並行する…というのが今後の予定だ。

 収集可能な情報は本来なら仲介屋であるサラが事前に調べるのが通例だが、ナロー村は巨大な山麓に囲まれており、この時期は辿り着くだけでも命懸けという。そしてそれをこの身で味わった今なら、仕事熱心なサラが珍しく情報収集出来なかった事にも納得がいった。


 やがて斜面が緩やかになり徐々に下る速度が落ちると、俺は滑空を止めて着地し歩き出す。吹雪はいつの間にか止み、辺りは薄暗いものの視界はハッキリとしていた。

 麓に辿り着くとしんしんと舞い落ちる雪の中、腰辺りまで積もった深雪を掻き分けながら前へ進む。

 しかし降雪の激しい地域とは聞いていたが、ここまでの深雪を掻き分けるという経験は初めてだ。俺がやって来た山の反対側も降雪はあったもののこれ程の量ではない。山を一つ挟んだ先にこんな別世界が広がっているとは思いもせず、再び感動を覚えてしまう。

 だがそんな感動の余韻に浸る間もなく、思うように前に進めない事に苛立ち始める。

 地図上だとナロー村は森を抜けた先にある、此処まで来たのなら焦る必要はない。そう自分に言い聞かせながら歩き続けていると地図の通り、薄気味悪い森が見えてきた。


 鬱蒼と茂った森の中は大量の針葉樹が降雪を阻んでおり、足場が確保されているおかげで歩き易そうではあるが、森から漂う不穏な気配は何か出てきそうな雰囲気を醸し出している。

 ただこの森を抜けた先にナロー村があるという事は、標的はこの森の中に潜んでいるかもしれない。しかしそもそも標的が何なのかすら分からなくては話にならないだろう。


「…まぁ警戒だけはしておくか」


 戦闘を想定しつつ、俺は鬱蒼と木々が生い茂る森の中へと足を踏み入れた。


 森の中には動物などの気配はなく、何処まで行っても針葉樹だけが立ち並び続けている。そこは似たような風景ばかりで、コンパスがなければ間違いなく迷っていただろう。

 討伐に訪れた連中は案外迷い込んで餓死でもしたのではないかと一瞬考えてしまうが、コンパスも無しにこんな所へ踏み込むハンターなどいるはずがない。という事はこの迷宮のような森の中で何かに殺されたと考えるのが自然だろう。


 周囲の気配を探りながら歩き続けていると、ふと妙な物を発見した。それは毛皮のコートが落ちているだけかと思ったが、よくよく見ると人が倒れている。

 まさか迷い込んで死ぬ奴が本当にいるとは…そう思いつつまだ生きている可能性を考え、様子を伺う為にも近寄ってみる。


「…おーい、生きてるか?」


 しゃがみ込んで声を掛けてみるが反応は無い。うつ伏せの体を抱き起こしてみるとフードから覗く顔はまだ幼さの残る少女で、呼吸を確認するとまだ微かにだが息があった。


(さて、どうしたものかな…)


 此処で見捨てて行ったところで俺を責める者はいない、しかしこれで死なれても目覚めが悪そうだ。

 面倒な落し物を見つけてしまったと気が重くなるが、こんな所で倒れているという事は少女はナロー村の住民だろう。とりあえず森を抜けた先の村に行けば何とかなるはずだ。

 少女を肩に乗せると俺は背中に背負っていた大剣を抜き、ナロー村があるであろう方角へ体を向ける。


「少しばかり我慢してくれよ」


 聞こえていないだろうが一応断っておくと、その場で思い切り地面を蹴り上げ前方へ飛び込む。すると一瞬で目前に巨木が立ち塞がるが、俺は迷わずそれを剣で薙ぎ倒した。あまり目立つ行動は控えるべきだが、これならば森を探索する際の目印になるし、一応人命救助になるから一石二鳥だろう。

 速度を落とさず全力で駆け抜けながら次々と木を薙ぎ倒していると、木々の隙間の先から森の出口が微かに見えた。そこでようやく速度を落とし、剣を仕舞うと大人しく走って出口を目指す。

 そして森を抜けるとそこにはまたも見た事のない世界が広がっていた。一面に広がる白銀世界、その光景を前に足を止めて感慨に浸っていると、先の方にいくつもの建物がこじんまりと纏まった集落があるのを確認する。

 ようやく到着か…そう思うと肩の荷が降りたような気がするが、実際に肩に圧し掛かる重みで少女の存在を思い出した。少女を肩に乗せているせいで吐息が俺の耳元に吹き掛けられ思わず身震いするが、まだ生きている事に一先ず安堵する。

 しかしこのまま肩に乗せていると住民が見た時に何かよからぬ勘違いが生じるのではないか?

 人相のせいか態度のせいなのかは分からないが、俺は何かと誤解を受けやすい性質だ。

 余計ないざこざを回避する為にも両腕で丁重に少女を抱え込むと、俺は村目掛けて一直線に走り出した。

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