ラストシーン
拙作『鳥籠』のプロローグを書いていたら、やたら重くなってしまったので、短編として載せることにいたしました。いずれは『鳥籠』のプロローグのほうを書き換え……られたらいいなあ。
学園寮の一室。学園の女王と呼ばれ、女生徒の憧れの的だった少女の前には今、一人の男がいた。彼の目には怒りや怯えが見て取れ、一方の女王はといえばいつも通りに悠然としている。
「何故だ。なぜ、お前は」
彼は女王を睨んだ。認めたくなかった。思わず震えそうになる声を、足を、彼は押さえつけた。
「私の許婚に手を出したのよ。報いを受けさせるなんて当然じゃないの」
女王はコロコロと笑った。その変わらない態度が、彼には恐ろしかった。
「……お前との婚約はとうの昔に解消したはずだ」
そうだ。そうなのだ。婚約は三月も前に解消したのだ。女王が彼女を虐める前に、彼が彼女を知るより早く。
「あら、貴方を諦めた覚えなんてなくてよ?」
艶然と微笑む女王。彼は、怖かった。その愛の重さが、女王に釣り合わぬ己へ向けられる視線が。彼は必死に抗い、努力し、研鑽を重ねた。それでも恐怖も悪意も呪いのように纏わり付き、いや増してゆくばかりだった。彼は絶望し、ついに折れた。彼は逃げ出して、そして彼女に出逢った。出逢って、しまった。
「もう、婚約者じゃないんだぞ。お前に何の権利がある」
『疲れてるせいだよ、きっと。だから、休もう?全部忘れて、ね?』
彼は救われた。悪意など気の所為だと、みんな貴方を認めていると、甘く囁くその声に。逃げ場をくれる優しさに。彼は何もかも忘れ、惹かれ、溺れていった。
「この子の所業を見逃すわけにはいかなかったもの、私にとっても貴方にとっても。それに権利なんて必要ないわ、やるべきことをやったまで」
『地獄を見せてあげる。貴女が彼から手を引くまで』
女王の虐めは凄絶だった。誰も口を出せないほど。彼だけがそれに怒り、彼女に寄り添った。虐めは、日毎に烈しさを増していった。
「俺のためだって?ふざけないでくれよ!仮に、そうだとしても!これは、あまりにも!」
彼女の居室を見回して、彼は叫んだ。そこは、誰も住めないようなものに変わり果てていた。ベッドも、テーブルも、彼女自身でさえも。あらゆるものが見る影をなくしていた。そうでないのは、彼一人だ。全身を紅く汚した女王は、言う。
「仕方なかったのよ、この子、強情だったから。もっと早く退いていればここまですることはなかったわ」
嗚呼、女王は狂っている。彼は覚悟を決めた。どの道彼女を喪って生きる意味などありはしないのだ。ならばここで、死のう。彼女と、そして女王とともに。
「ここまでやったのだ。おまえは終わりだがそれでは俺の気が済まん。この場で、殺してくれる。遺言があれば言え」
尤も、と彼は嗤った。それを伝えることはないのだから。
そして、剣を抜き、
「愛しているわ、たとえこの身が朽ちるとも」
その言葉を聞いて、
「そうか」
彼は、剣を振り下ろした。
『にがさないぞ。たとえなにがあっても』
紅く染まる視界の中、彼の脳裏によぎるものがあった。かつての記憶。女王との婚約の日。
『それは、大人になっても?』
『そうだ』
欲しかった。その愛が、婚約者という立場が。
『なにがあっても?』
『そうだ』
(……ろ)
まだ、分別もつかぬ子供だったけれど。
『好きなヒトができても?』
『そうだ……そんなことはぜったいない!』
(……てくれ)
それ故にこそ一途に。ひたむきに。
『ホントウに?』
『あたりまえだ!』
(やめてくれ!)
彼は、女王を求めていた。
『なら、私もあなたを愛するわ。この身がくちるまで。たとえなにがおきようと』
『ほんとうか!』
『ええ。つかまってしまったもの』
(いやだ!やめてくれ!)
追憶の中、少年は笑う。
『ああ、だからまかせておけ、』
(やめろ!やめてくれ!やめ、)
『おれがしあわせにしてやるからな!』
「うああああああああぁぁぁ!」
狂ったのは、あるいは彼自身だったのかもしれない。女王は、本当に間違っていたのだろうか。狂っていたのは確かなのだろう。でなければこの部屋の有様とその態度に説明がつかない。しかし、彼を救おうとしたその理由は、行動は、はたして。
「…………」
彼にはもう、どうでもよかった。絶望の中、己の首を切り裂いた彼には、もう。
学園寮の一室。そこにはもう、誰もいない。ひとつの終わりが、静かに時を刻むのみである。