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6.王太子の帰還

ティアは皇女として生まれながら、家庭教師をつけてもらったことは只の一度もない。サリアーデという国が大陸のどこに位置しているのかも知らない有様だ。

 ファインツゲルト皇国が大陸の北に位置していることは、かろうじて知っている。隣のフェンドル王国は、ファインツゲルトの東に位置している大国。その下に、宝石や宝石を使った細工物で有名なルクサ共和国がある。金や銀など多くの鉱脈を持つその小国は、昔から他国に狙われてきた。だが、統治者である商人ギルドの代表が、いち早く貿易を有効に利用し始め、今でもしっかりと独立を保っている。国を守るのは騎士ではなく、ギルドに雇われた凄腕の傭兵団らしい。そこまでは、今は亡き侍従長に教えて貰っていた。


「サリアーデ王国とは、どのような国なのでしょう」


 カンナが不安げに漏らす。ちょうど同じことを考えていたティアが手を伸ばせば、すぐにカンナも握り返してくる。吹きつけてくる風の冷たさに、ガチガチと歯が鳴りそうだ。エルザの方を見遣ると、彼女は諦めの表情を浮かべ、じっと無言で佇んでいた。

 分厚いマントを身に纏い、フードを深く下ろした恰好の三人の女を、周りの兵士たちが遠巻きに眺めている。今からサリアーデに戻ろうとしている国王軍の先頭付近に、彼女らは置かれていた。

 

 敗戦国であるファインツゲルトは、今日を持ってフェンドル国の属国となった。民を虐げていた貴族らの粛清は終わり、後はグレアム王の指揮下、新しい体制をゆっくりと築き上げていくのだろう。

 出来ることなら、見届けたかった。緑の大地が芽吹き、人々が豊かな実りに笑みを浮かべるその日を、この目で見たかった。これが最後になるであろう祖国の風景を、目に焼き付けたい。ティアは少しだけフードをずらし、かつて自分が住んでいた皇城へと目を向けた。

 そして亡き母に心の中で別れを告げる。ティアの母は城の裏手の荒れた墓地に、ひっそりと埋葬されている。


「待たせたね、行こうか」


 途端、ばさり、とティアのフードが何者かの手によって引き下ろされた。視界の半分が黒で塗り込められる。

 周囲の兵士が一斉に頭を垂れた。


「フィンは、その二名を馬車に乗せ、脇を守れ。私はティアとその後ろの馬車で行くから」

 

 ――王太子付きの近衛騎士が、殿下直々に護衛を仰せつかったぞ。彼女らは一体何者なんだ。

 辺りからひそひそと驚きの声が上がった。不躾な視線に晒され、カンナとエルザは竦みあがっている。ティアはたまらずクロードのコートの端を掴んだ。

 自分より頭一つ分以上大きいクロードが僅かに身じろぎする。ぶたれる。ティアはとっさに手を上げ、頭を庇った。


「……移動するよ。大丈夫、彼女らには宿ですぐ会える」

 

 クロードの優しげな声には紛れもない怒りが混じっている。

 ティアは昨夜必死で<カンナたちと同じ馬車に乗せて下さい>と懇願したのだが、彼は頑として首を縦に振らなかった。

 私は逃げたりなどしない。でも、きっと信じてはもらえない。これから、どうなってしまうのだろう。

 ティアは絶望を感じながら、よろよろと足を進めた。

 自らの後を覚束ない足取りでついてくるティアを盗み見、クロードは激情を押さえようと軽く息をついた。

 ――この私に、ぶたれると思ったのだ。

 なんということだろう。塔の中に監禁する前は、日常的に暴力を振われていたというのか。

 皇女の背は女性にしては高い方だ。だが骨格は細く、肉付きも薄い。か弱い女性を、しかも自分の娘を殴って平気だった父親に、吐き気がする程の怒りが湧いてくる。

 グレアム王に譲るのではなかった。この手でじわじわと苦痛を与えてやるべきだった。

 クロードが自分の為に怒っているとは夢にも思わず、ティアは突然差し出された手にビクリと身を竦めた。


「手につかまって。段差があるから」

 

 ちょうど馬車の正面に来ていたようだ。盾と翼の紋章がついた豪華な二頭立ての馬車を、ティアはただ茫然と見上げた。馬車に乗るのも、初めてだ。そもそも皇城の外には一歩も出してもらえなかったのだ。

 ティアは扉の下に置かれた三段ほどの踏み台と、クロードの手を見比べた。


「さあ、早く。これ以上ここにいたら、凍えてしまいそうだよ」


 クロードが急かしたので、慌ててその手につかまる。白い手袋に包まれた大きな手に、難なく引っ張り上げられ、気が付けば布張りの馬車の中にいた。

 向かい合わせに座ろうとしたティアを、強引にクロードが引き寄せ、隣に座らせる。

 二人が腰を下ろしたのを見届け、近衛騎士の一人が馬車の外から毛布を差し入れた。

 クロードは寒さに震えるティアを、その毛布でぐるぐる巻きにした挙句、骨ばった肩に腕を回し脇に抱え込んだ。そしてそのまま、ティアの頭を自分の胸元に押し付ける。

 全ての動作があまりに何でもないことのように行われたものだから、ティアは完全にされるがままだった。

 馬車が動き始めてからようやく自分の置かれた状況に気が付く。ティアは羞恥に頬を染め体を起こそうとしたが、クロードは許さなかった。


「しーっ。いい子だから、このままお眠り。馬車は揺れるし、この気温だ。お互いくっついていた方が心地いいだろう?」


 茶目っ気のたっぷり含まれた声で囁かれる。真っ赤になったティアは、ようやく<わたくしが、どれいだからですか?>と唇を動かした。

 クロードは王太子だ。淑女に対する礼儀など弁えているに決まっている。ここまで無遠慮に自分を扱うことの裏の意味を尋ねたつもりだった。


「何もしやしない。君みたいな栄養の足りてないレディに慰めてもらわなきゃならない程、落ちぶれてはないつもりだよ」


 なんという憎らしいことを言うのだろう。

 ティアは一瞬カッとなったが、動き出した馬車の大きな揺れに驚き、慌ててクロードに縋ってしまった。


「ね? 危ないだろう? サリアーデまではどんなに急いでも、20日はかかる。特に君は、身体を休めながら移動しないと駄目だ」


 ティアは仕方なく、渋々頷いた。クロードの唇に柔らかな笑みがのぼる。

 結局休憩の宿までずっと、ティアはクロードにしっかりと抱きかかえられたまま、うつらうつらと微睡んで過ごすことになった。


 十万もの軍を抱えての大移動には、大層な負担と費用がかかる。それを鑑みて、荒れたファインツゲルドの復興に役立てて欲しいと5万の兵を残してきた。彼らの兵糧はフェンドル国が賄ってくれることになっている。

 兵士らが現地調達という名を借りた略奪を行わないよう、グレアム王ならばしかるべき手を打つだろうが、クロードも将軍の一人であるフレドリク伯を置いてきた。清廉潔白な人柄で人望を集めている彼ならば、ある程度任せても大丈夫だろう。

 哨兵を始めとする歩兵を置き去りにするわけにも行かない。大きな草原で野営の準備をさせ、クロードは自らの天幕にティアを連れて入っていった。


「本当は街に宿をとりたいんだけど、この人数じゃ無理だし、こちらの方が安全を確保しやすいんだ。大丈夫?」

<もちろんです>


 休憩を挟みながらとはいえ、丸一日を馬車に揺られて過ごせば、大抵の女性が泣き言を零すだろう。ティアの辛抱強さに、クロードは内心舌を巻いた。


<カンナとエルザは……>

「ああ、後で会わせてあげるね。入浴はしばらくさせてあげられないけど、お湯を沸かさせよう。三人で旅の汚れを落とすと良い」


 優しく説明するとクロードは、何の疲れも見せず颯爽と天幕から出て行った。

 混乱を抱えたティアが、一人そこに残される。

 虐待されると思っていた。奴隷というからには、そうなのだろうと。

 だが、実際は違う。大切な妹に接するようにクロードはティアを扱ってくれた。

 一体どういうつもりなのか。

 どれだけ考えても、ティアには分からなかった。


 一方、サリアーデ王国の星の宮では――。


「お戻りが遅すぎるわ!」


 リセアネ第二王女が、我慢の限界を迎えていた。

 兄が出立してから、もう三ヶ月が経とうとしている。戦はあっけないほどの圧勝で終わった、という知らせが届いたので、リセアネはようやく息苦しい公務漬けの毎日から解放される、と胸をなで下ろした。

 ところが、一月待っても、まだ兄は戻ってこない。

 リセアネの着替えを手伝っていた侍女が「恐れながら姫様。大軍での移動は時間のかかるもの。王太子殿下は将軍閣下でもあらせられます。すべての兵士を無事、国まで連れ戻るという責務が……」と言いかける。


「またお説教? もうたくさん! 私、今日は頭痛がするの。どこにも出かけられそうにないわ。そう陛下に言付けしてちょうだい」

「姫様?!」


 傍に控えていた大勢の使用人が、おろおろし始める。言い出したら聞かないのがリセアネだ。

 不満に頬を膨らませた彼女の姿はたとえようもなく愛らしく、きつく叱ることも出来ない。


「毎日毎日、どこかに出かけて愛想笑いを張り付けて。じろじろ鑑賞されて、あちこちに引き回されて! たまに意見を求めてくるかと思えば、私の返事など聞かず『もちろんそうですとも』としか言わないのよ、あの人たち!!」


 リセアネの美貌は人を惹きつけずには置かない。だが、人目に晒され賛美の目で見つめられることが何より苦手な彼女にとってみれば、苦行に等しい行いだった。


 なんて、キレイなお姫様でしょう。天使様のようね。彫刻みたい。

 もう、うんざり! いっそ私の身体を剥製にして、その辺に飾っておけばいいのだわ。


「姉様に会いたい……。ねえさま……ねえさまっ!」


 とうとうリセアネはしくしく泣き出してしまった。

 この騒ぎを聞きつけ飛んできた近衛騎士のノルンは、ついに臨界点を超えたか、と頭を抱えた。


「姫様、どうかお気を確かに。もうしばらくの辛抱でございますよ」


 リセアネはこの時、なんて自分は不幸なのだろう、と激しく自らを憐れんでいた。

 だが彼女を取り巻く状況を一変させる運命が、すぐ傍まで押し寄せてきていることには、全く気がついていなかった。


 

 

 

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